本屋勤め人、等々力哲
2016-11-03T11:06:11+09:00
todoroki-tetsu
本屋に勤める男の雑記。ついろぐはhttp://twilog.org/todorokitetsu
Excite Blog
杉田俊介『長渕剛論』・大澤信亮「温泉想」
http://todorokite.exblog.jp/26707184/
2016-11-03T11:05:00+09:00
2016-11-03T11:06:11+09:00
2016-11-03T11:05:07+09:00
todoroki-tetsu
批評系
杉田さんと同世代(学年は一つ違いかもしれない)の僕も、長渕さんに一度ハマり、しばらくして離れ、そのまま戻ってくることなく今まで来ている。同世代でしか通用しないであろう昔話を、それとしてあれこれ書き連ねることはできるけれども、さて、そうしたところで何になるか、そんな風にも思ったのだった。
『親子ジグザグ』の再放送を小6のときに友達が見ていたのが最初のきっかけで、「ろくなもんじゃねえ」にはまり、なぜか当時住んでいた香川ではほどなくして「家族ゲームⅡ」の再放送があり、「家族ゲーム」は見たかどうかいまいち覚えていない。中学の時が「とんぼ」でドはまり、上京して新宿西口をぶらついた時にあのラストシーンを思い出すくらいには影響は残っていた。高校になるくらいからはなんとなく離れていったが、「JEEP」のツアーは観た。アルバムで追ったのはこれくらいが最後。「STAY DREAM」からこのあたりがドンピシャだが、そんなおしゃべりをしたところで内省にはならない。しいて時代的?なことを記すとすれば、長渕さんが「昭和」を出したころ、光GENJIが出したのが『Hey! Say!』で、妙にイキがるだけの田舎男子中学生が、男を気取って女子の向こうをはろうとしていたことっくらいだろうか。いずれにせよ、つまらん話。
そう、話そうと思えば、あれこを話すことはできる。しかし、この20年と少しを振り返ってみようとしたときに、とたんに失語することに気付く。べつに長渕さんファンであり続けていなかったから、というのが理由ではない。そんな間口の狭い批評ではこの本は決してない。長渕さんとがっちり向き合う杉田さんの言葉を読むというのはどういうことなのか、眼から胸を通じて肚にくる、そんなずしりとした感覚。「たんに『いい歌だね』『流行っているみたいだね』と聞き流し、消費することをゆるさないものが、長渕剛という人の中にあったし、今もある」(p.17)と杉田さんは記す。そう記す人の言葉をどうして「聞き流し」「消費」することが出来るだろう。
だから、感想めいたものは書けない。ただ、言葉を手掛かりに、その奥底にある何ものかに手を伸ばそうとすることはできる。
本を読み返せば、ああここにもこんなことが書かれている、と再発見する言葉はいくつもこの本の中にはある。が、初読からつかまれ、たとえ本を読み返さなくとも、仕事している最中や、通勤中や、何か新聞などを読んでいるときなどにふと、よみがえる箇所がある。第六章「明日を始めるために」。2015年8月22日、「長渕剛10万人オールナイト・ライヴin富士山麓2015」の批評である。ライヴについて、あれこれ「小さな一部分を叩いて全体を台なしにしたがる人々」について触れた後の箇所(前後関係は本文をあたっていただきたい)。少し長いが、引用する。p.228の記述。
この世のすべてに対しほどよい距離を取って、冷静に醒めている程度のことが何なのだろう? 他人の情熱と本気を安全圏から愚弄しつづけねば日々の飯すらうまく食えない、にやけたあんたたちの顔は何なのだろう? 自らの汚れた手や腐臭にすら無感覚になり、ますます増長し、すべてを台なしにしていくあんたらの群れは、いったいどこへ行くんだろう?
「フリーターに関する20のテーゼ」や「無能力批評」(「フリーターズフリーvol.1」)を想起させる力強さ。ぐっと握りしめたこぶしのような強さ。それを振り上げまいとするギリギリの理性。
でも、これだけなら、まだ「消費」して済ませることが出来る。自分が戦っていると信じることできる自分の弱さに目をつぶるのは、とてもたやすいことだから。「敵」を勝手に仕立てあげることの毒に気付かずに済まそうとすることは心地のよいことだから。
杉田さんはこう続ける。
いや、本当はそんなことも、どうでもよかった。必要なのは、何かに本気で没入しつつ、その危うさもポテンシャルも丸ごと引き受けて、個体としての肉体を通して、さらにその「先」の明日を切り拓くことだと思った。どんなに小さくささやかであれ、他人の命がけの本気から恩恵としての果実を受け取り、それに感謝し、糧として、自分を人間として熟成させ、変え続けていくことだ、と。
初読から半年、幾度となくこの二つの段落が頭をよぎる。引き受けて、切り拓く。ほかならぬ自らの肉体を通じて。はたして、そんなことが出来るだろうか。わからない。
そんな思いもどこかにあった中で、大澤信亮さんの「温泉想」(「すばる」2016年7月号)を読んだのはまだ暑くなり始めるころだった。「この人は僕のために書いている」。そんな訳はないし、「罪人」という言葉に機械的に反応をしている訳でもない。どの言葉がどの一文がどうとか、そういことでもない。全編を通じてそう感じる。
この思いは幾度読み返しても、頭を離れない。
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大江健三郎「戦後世代のイメージ」
http://todorokite.exblog.jp/25452539/
2016-07-16T11:19:00+09:00
2016-07-16T11:22:49+09:00
2016-07-16T11:18:55+09:00
todoroki-tetsu
批評系
ふと、学生時代に聞いた講義を思い出した。今上天皇が何かの折に「日本国憲法」という言葉を用いた(いつの発言だったかは覚えていない)、それに対していわゆる「右派」知識人が強く反発をした、と。95年ごろの講義であった。
その記憶のせいか、今上天皇は「日本国憲法」について何か格別に思い入れがある、そんなイメージを常に抱いている。即位に際する発言でもそれはなんとなく感ぜられる。思わず、何らかの意図を勘ぐったのは、政治センスとしては間違っているが、そういうことだ。
もうひとつ、今上天皇についての僕の手掛かりは、大江健三郎さんにある。大江さんは天皇(制)について少なくない文章を記しておられる文学者の一人と思われるのだが、ほぼ同世代の今上天皇に対して呼びかけたような文章があったはずだ、と本棚から引っ張り出してきたのが「戦後世代のイメージ」。1959年初出とある。「週刊朝日」に連載した一連のコラムをまとめている。僕の手元にあるのは、講談社文芸文庫版『厳粛な綱渡り』。
これらは、皇太子ご成婚にわく日々に記されたものだ。そこで大江さんは自身の戦争末期の体験から現在(1959年)までを振り返る。気になるところを抜き出してみる。
皇太子妃が決まったことを祝って旗行列をしている小学生の写真があった。その歓呼している幼い顔のむれの写真は、ぼくにとって衝撃的なものだった。
あの子供たちを、旗をもって行進させたものはなにだろうか。親たちの影響、教師の教育、根づよく日本人の意識の深みにのこっている天皇崇拝、または、たんなるおまつりさわぎの感情か。
日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう。
しかし、ジャーナリズムの力が、あの子供たちに天皇の特定のイメージをおしつけたあげくに、あの行進が歓呼の声とともにおこなわれる結果をまねいたのだとしたら。
あの小学生たちは、にこにこしていたが、ぼくらは子供のころ、おびえた顔をして、御真影のまえをうなだれて通り過ぎたのだ。
「日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう」という一文は今なお試金石である。
ぐっと飛ばしてこの連作コラムの最後を見てみよう。同世代の皇太子(当時)に、大江さんはこう呼びかける。
皇太子が眼をつむって、日本の国民について考えるとする。かれの頭にうかぶ日本の国民は、どんな顔をしているだろう?
(中略)ぼくは皇太子に、日本人のなかの天皇制にたいする考えかたについて深く広い知識をもっていただきたいと思う。とくに、あなたと同じく戦後のデモクラシー時代に育った若者たちの声に、耳をかたむけていただきたいと思う。それら若者たちの顔は、決してすべての顔が微笑をうかべているとは限らないだろうから。
この文章を今上天皇が目にしたことがあるのかどうか知らない。しかし、気脈通ずるところは確かにあったのではあるまいか。ぼくは制度としての天皇制には違和感を覚えるものであるが、それが一朝一夕にうんぬんされるようなものではないことは十分理解している。と同時に、その制度の中で生き抜く個人の姿を見るとき、今上天皇のふるまいはおのずと敬意を感じざるを得ない。
「戦後世代」、戦後民主主義といわれるものを最初に体験し、それをたいせつにしてきた世代。日本国憲法世代といってもいいかもしれない。「戦争を知らない子供たち」の子供たちであるぼくらが、共通にできる何ものかなど、もうないのかもしれない。あるのはただの雰囲気か、あたりさわりのない昔話か、同じ趣味の仲間でしか通じない言葉だけか。そこを自分じしんでえぐる覚悟が僕にはあるか?
途中飛ばしてしまったところには、こうある。「再軍備」や「自衛隊」にまつわる一文。
われわれには、現実を見きわめることの困難さにへきえきして、現実に背をむけ、現実のかわりの言葉だけをもてあそぶ傾向があるということだろう。
現実を言葉におきかえること、これはやむをえないばかりか、文化的な行為である。しかし、他人がおきかえてくれた言葉をそのまま服用して、自分自身が現実を自分の言葉におきかえることを怠ることは、危険な要素をふくんでいる。それは、自分の肩のうえに、他人の頭をのせて動きまわることだからである。
自分のあたまを他人に「乗っ取らせない」こと。矛盾するようだが、他者の力を借りつつそれを行うこと。意固地や偏屈や偏見をすべてさらけ出しながら昇華させたそのとき、何が見えてくるだろう。
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ベルク「War is over」問題について
http://todorokite.exblog.jp/25240744/
2016-05-18T13:34:45+09:00
2016-05-18T13:34:34+09:00
2016-05-18T13:34:34+09:00
todoroki-tetsu
運動系
TWITTERでなんとなく見ていると、どうやら「War is over」という貼り紙か何かに対し、オーナー・ルミネに「政治的だ」という意見を寄せた人がいるらしい。
すぐさま感じたことなどはあれこれあるんだが、これは少し考えなければと思った。
「War is over」という言葉が政治的だとは思わない。それを掲げてなぜ悪いのか。がんばれベルク……それくらいのことはすぐ言えるし、それは本音でもある。しかし。
僕は小売業の人間である。日々、とは言わないが、いろんなご意見を頂くことが少なくない。接客サービスなど基本的かつ小売業共通の事柄もあれば、どの本がどう置かれているか/いないか、など、非常にデリケートな問題まで多岐にわたる。明らかにこちらに非があるものもある、そうとも必ずしも言えないなと考え込んでしまうものもある。
オーナーとか、本社がからむと、一応何かしらの回答をしなければならない。こんなもの無視してしまえ、というものも中にはある。しかし、そうともいえないはざまであれこれ悩むことも多々あるのである。
そうしたことを当事者として経験している身として、ただのベルクファンとして言いたいことを言うだけでいいのか、それはかえってご迷惑をおかけすることになりはしないか、自己満足にすぎないのではないか。そんなことを考えていた。
今朝、ようやく時間ができたので、ひとまずルミネさんにメールした。この数日文面を考えていたのだが、基本は「何か言われたからには何か対応しなければ、というのはわかる。けれど、本件はテナント任せにしてしまえ、ベルクとベルクファンならうまくやる、「ご意見承りました」くらいでとどめておくのが最良でしょう、という趣旨。
ルミネさんに味方になってくれとはいわないが、少なくとも敵でさえなければなんとかなる、という思い。オーナーがこうした態度さえ取ってくれれば、顧客との関係がしっかりできているお店はどうとでもできる、と考えたのだった。
事態は収束するのかしないのか、いまだにはっきりしないようだが、まとまらないながらふたつのことを考える。
ひとつめ。ずいぶんといやな世の中になったが、何かしなければいかんな、ということ。少し話が変わるが、日清のCMで起用した女性タレントさんについてクレームが入り、打ち切りになったことがあった。これについて小田島隆さんが「打ち切りにしたのはあまりよくない。クレーマーをつけあがらせるだけ」という趣旨のことをお話しされていた(TBSラジオ「たまむすび」)。
店が気に入らなければ行かなければいいだけのことで、実はそうして顧客が離れるのが商売人としてのダメージは大きい。しかし、それでは承認欲求が満たされぬのだろう、だからいきおいこんで何かを言ってきたのではないかと思われる。朝日新聞に出稿する出版社さんにいちいちご意見ファックス送る心性とさほど変わるまい。ならば無視するに限る。とはいえ、そうもいかない仕組みになっている会社も少なくない。ならば、と思い、放っておいてほしいとオーナーに意見を送ることで何か間接的にでもお役に立てれば。
ふたつめ。ベルクさんに任せれば大丈夫、という信頼感。僕がただの顧客であるだけなく、こうした信頼感を持つにいたった一件がある。
2009年1月のベルク通信が見られる。ここに迫川さんの「私の表現者会議」という一文がある。
これだけ今見返しても、何のことやらと思われるだろう。ここに書かれている展示の状況を端的に言えば、「壁一面にメモがやたらベタベタ貼りまくられている状況」であった。たしかに見栄えは悪いといえば悪かった。この時は二日とあけずに通っていた時期だったが、ある時随分と展示が整理されたと記憶している。あれは
何だったんだろうな、と思っていたところに拝見したのが上記ベルク通信だった。
僕はただの書店員だが、著者さんの様々な思いにぶつかることもある。一緒にやれることもあればやれないこともある。ほかのお客さんとの兼ね合いとか、いろんなことを考える。うまく折り合いを付けられるとき、そうでないとき、いろいろある。そうしたはざまの苦悩を率直に記されたこの文章に触れ、あ、この方は心底信頼できる、と思ったのだった。この思いは今なお変わらない。
だからこそ、ベルクさん自身が判断・実行する環境であってほしい、と思う。なるべく足手まといになることなく、もしお役に立てることが出来れば、と思っている。
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中島岳志「立憲主義と保守」(4/13「朝日」)
http://todorokite.exblog.jp/25131310/
2016-04-14T12:36:00+09:00
2016-04-14T12:38:49+09:00
2016-04-14T12:35:58+09:00
todoroki-tetsu
批評系
そうしっかりと様々な言葉を追っているわけではないけれども、中島岳志さんの言葉に接するとき、「ぞわぞわ」した感触が自分の中に沸き起こってくるのがわかる。どういうことなのか、感想を書き連ねていけば何かわかるかもしれないとノープランでパソコンに向かってみる。
記事前書きで「保守」と「リベラル」、「憲法を書き換えろ」と「絶対に変えるな」が対比される。「保守」と「革新」、「改憲」と「護憲」という対比なら僕はしっくりくるのだが、これはいささか古典的な理解だろうか。「リベラル」というのはもうちょっと別の視点から考えられはしないだろうかとも思うけれども、今回のテーマは「保守」なのでひとまず深入りしない。こんなことを記さなくてもよいだろうし、文句をつける意味ではなく、ただ、僕の持っている「構図」(良し悪しは問わない)を記しておかないと、どうにも誤解しているぞ、食い違っているぞということになりかねないなと思うのでひとまず。つまり、いささか図式主義的な理解しかない人間だということの断りである。
さて、「立憲主義は保守的な考え方に立った思想」と中島さんは語り始める。何度かお話を講演会などで伺う機会のあった僕には、この点はある程度既知である。「設計主義批判」とでもいうべきお立場だろうと思う。人間自身にある種の謙虚さ・内省を促す考え方、という風に最初伺ったときに感じて、なるほどこれは大事な考え方だと感じた。本稿でもその感想は変わらない。
「人間の理性には限界があり、必ず間違いを犯す、権力者も時に暴走してしまうという保守的な人間観」が立憲主義だ、と。ここに加えて重要なのは、「死者の立憲主義」という言葉だろう。「国民の中に『過去の国民』を含むのだ」と。「死者論」の地平は広大と再認識する。
では、憲法を変えてはいけないか。そうではない、と中島さんは言う。それは「ある特定の時代の人間(憲法制定に関わった人たち)を特権化することにつなが」るからだ、と。「ただ、一気に変えようとしてはいけない。抜本的な書き直しをすると、革命のようなことになってしまう」。ここで「革命」がやや否定的にとらえられているが、渡辺一夫さんが加藤周一さんたち若者の前で軍歌のレコードをかけた精神と通ずるものと僕は思う。
設計主義に立っている、という点では安倍首相も『護憲派』も同じだ、本来の保守は「憲法を保守するために『死者との対話を通じた微調整』を永遠に続けていくことだ」と中島さんは述べておられる。その微調整の対象として、9条が挙げられる。「国際秩序を維持する上で、一定の軍事力が必要であるなら、自衛隊を憲法で規定して、歯止めをかけるべき」と。僕は9条堅持派で異論はあるが、その点はあとで述べることにしよう。「戦後の日本は、9条と日米安保の微妙な綱引きを、絶妙のバランスでやってきました」「そのやり方には英知があった」という指摘には全面的に同意する。
論稿後半は「寛容」に焦点があてられる。保守、リベラル、左派、いずれも寛容には見えないという記者(尾沢智史さんとある)の切り出しに対する中島さんの言葉は極めてしっくりくる。どちらも『アンチの論理』でやってきたためだ、と。お互いがお互いを少数派だと思っており、「どちらも自分たちの言葉が取り上げられないというルサンチマン(怨恨)があるから、攻撃し合う」。「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということですが、アンチの論理のためにまともな議論が成立しない」。
中島さんの考える保守についての一文でこの論は締めくくられる。福田恆存さんへの無上の敬意を感じさせる。
以上が感想のような要約のようなもの。ぞわぞわするのは、なるほどと大きくうなずく部分と、いや、ここはどうも自分は違うと思う、でもそれは自分の考えが浅はかだからかもしれないぞ、など、いろんな考えが頭をめぐるからであるようだ。
共感する部分については記したから、そうでない部分を自分なりに整理してみたい。
第一。「憲法を変えてはならないというのは、ある特定の時代の人間を特権化することにつながります」、という点。確かにその通りかもしれない。しかし、一方で「憲法を生かす」という表現がある。あまりに紋切り型過ぎて何の力も今は持ちえない言葉なのかもしれない。しかし、乾ききった言葉の奥底から、その精神を掘り起こしてみたとしたらどうだろう。日本国憲法の条文をフル活用しながら、日々起きる新たな課題に向き合ってきた試みは、今までになかったであろうか。そこにも「死者との対話」がありはしなかったか。日本国憲法を媒介として、もっと言うなら「依り代」としての、死者との不断の対話(上原專祿の「回向」)。変えないこと、むしろそこにとどまることで深まる対話というのもありはしないだろうか。もちろん、中島さんは「微調整」とおっしゃっておられるから、熟慮熟議を重ねての改憲という意味合いを込めておられるのだろうと思う。異論というほどの異論ではないような気がするのだが、変えないという前提でぎりぎりまで対話をしていく、そうしたことにより重点を置いてみたい、と考えている。
第二、9条について。現実とのかい離がこの間で著しくなってしまった、ということはよくわかる。せめて「英知」のあったかつてのやり方に戻したい、というのが切なる願いである。ほんのわずかな海外生活経験から、「よその国には手を出しません」と宣言していることの安心感は多大なものがある、と実感しているから。しかし、ここまで事態がグダグダになってしまった以上、「歯止め」が必要というのも確かにその通りだと思う。政権のほうを何とかしたら何とかならんだろうか、というのは書生論だろうか。「9条」→「解釈改憲」→歯止めのための「憲法改正(もちろん、微調整)」と、「9条」→「解釈改憲」→「9条によせて解釈改憲を修正する」。しかし、いずれにせよ、「死者との対話」という謙虚さを持ち合わせていなければならないことには間違いない。
第三、「アンチの論理」について。順序逆になるが、このひとまとまりの中島さんの語りの結論は「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということ」という点にある。これに対し、この間様々な取り組みが進んでいるといわれる市民主導の「共闘」を対置することは、政治演説としては容易である。情勢論としてもそう間違ってはいないだろうが、それでは行論とかみ合わない気がする。「アンチの論理」がなぜ根強いか、と考えてみたい。書店員としても切実なのだ。
お互いを少数派だと思っている、というのは同時代人としても書店員としてもよくわかる。どのように「本」という商品になるか、ということで体感する。たぶん、編集者・営業担当であれば「読者」という市場を想定しているだろうから、また別の視点があるだろう。
少し脱線する。ひとつの方法として、あるキーワードの含まれている本がどれくらい出ているか、その立場がどのようなものか、と調べてみるというのがある。古い話だが、例えば「規制緩和」。今はどうかわからんが、「規制緩和」と銘打った本の多くがその批判であった。もちろん、キーワードがストレートに本の中身を反映させているわけではないから注意は必要だが、書店員的な感覚としてはこれでひとまずはよい。
これは「少数派だからしっかりと言上げせねば」という意図が感じられる例、といえる。少数派というのがしっくりこなければ、(ためにする意味ではない)「批判」といってもよい。また、そうした言葉が一定の市場を形成しえていた、ともいえる。
また別の例。「韓国」や「中国」というキーワードでどんな本が出ているか、調べてみる。出版年月順にしてみようか。いつのころからか、潮目が変わったことがわかるだろう。「海外事情」の棚は、その国のことを知ろうという本、その国の人が書いた本が多くを占めたものだった。そうした並びで置くのにしっくりこないものは、様々な主張をまとめた棚(例:「オピニオン」などの棚名称)に置く。そうしたものが増えた。これはそうしたことを言うのが「少数派」だと思っているということもあるのかもしれないし、市場という観点から言えば、半年以上売れ続けるロングセラーはほぼないが、3か月に限ればある程度実売数が読める、ということもあるだろう。
96年をピークとする出版業界において、右肩下がりを続けている市場の中、確実に数が読めるというのは重要である。どの程度数が読めるか、ということを僕自身版元さんには機会あれば言ってきた側の人間である。それはそれで間違ったことばかりとはいえないが、いつの間にやら数が読める本=シンパ・信者しか買わないであろう本が増えてきたような気がする。よかれと思ってやったことが結局自分の首を絞める。どうもそんな気もしてくる。目先の日銭を稼がなきゃいかん状況において、それはそれで商売としては大事な部分でもあるのだが、市場そのものをどう拡大するかというのは常に課題である。
話を戻そう。「アンチの論理」でも社会がそれなりに成立していたのだとしたら、それはどういうことだろうか。みんながみんなどっちかに属して「アンチ」であったか、さもなくば、一定の中間層が存在していたからではないかと考えられる。「一般大衆」なる言葉もあったな、となると後者だろう。中間層が何らかで極小化し、「アンチの論理」が際立ってきた、というところだろうか。
中間層、という言葉で僕が今イメージするのは、月に1冊か2冊くらいは本でも読んでみよう、と考える人。それくらいの時間とカネはある、ということ。景気良くなるか消費税下げるかすればそれに近い状況が創出されるだろう、とも思うが、それはそれですぐにいく話ではない。ならば、自分の考えを深めよう、そのためには異論も手に取ってみよう、と感じてもらえる工夫を、書店員の仕事を通じてやっていくほかはない。
長々書いて結局のところ自分の仕事に行きついてしまったが、中島さんが熱心に語っておられることを自分なりに引き付けて考えるとするならば、このような方法以外僕には見当たらなかった。
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走り書き
http://todorokite.exblog.jp/24844677/
2016-01-08T10:00:00+09:00
2016-01-08T10:05:02+09:00
2016-01-08T09:59:56+09:00
todoroki-tetsu
批評系
・文芸誌の目次だけは見る。目までは通せていない。買いそびれるものもある。しかし、同時代の批評家が確か格闘している。格闘し続けている。そのことだけでも勇気づけられる。何が「あがり」なのか、そんなことを全く考えずに突き詰めていく姿。自分自身がどこに向かっていくかもわかりはしない道。そんな道を意図して選んだか選ばざるを得なかったか、そんな問いは無意味に思えてくる。彼らの存在は僕にとってかけがえのないものだ。
・1/7付「朝日」、中島岳志さんの言葉を読む。運動における「罵声」について。その通りだと思う一方、そういわざるを得ない何ものか、について考える。少なくとも活動家振りして「運動を知らない云々」などと言う気はなければ言う資格もない僕は、そう何度も国会前含め各所に赴いているわけではない。少ない回数の中、一人でできないことを集団の力を借りてやってはいけない、と自己規制しようと努力しているが、集団でいるときにエスカレートする自分を感じる。切羽詰まって「罵声」とならざるを得ない、そういう人もいるだろう、と考えて、さて自分にはそうした必然があるのか、と問う。常にここから始めなければ、と思う。渡辺一夫が軍歌のレコードをかけたこと、その時の加藤周一の反応と彼自身後年の振り返りを想起する。「たしかに戦後二〇年を通じて、その歌(「勝ってくるぞと勇ましく……」)は私の耳の底にも鳴りつづけていた。しかしその歌が聞こえないほど大きな声で怒鳴ることの必要な時もあったのである」(「続羊の歌」)。ここまでいけば文学だ。少しでもここに近づけるような内省を自分でしなければ。
・こういうことを書くと積極的に参加されている方からおしかりを受けるかもしれない。あらかじめ断っておくが、これはすべて僕自身が自分自身に対して内省をしなければ、と言い聞かせているだけであって、他者に内省を促そうというものではない。他者にいらぬ不快感を与えてはいけないので念のため記しておく。
・今朝1/8の同じく「朝日」。中村文則さんが長文を寄稿されておられる。中村さんは僕より二つ若い。微妙な差はあるかもしれぬがおおよそ見てきた風景に似通った部分はある、といって失礼には当たるまい。中村さんがそう明記しておられるわけではしないが、「95年」(中島さん上記で言及)以降の風景である。僕は9条堅持すべきと実体験から考えているものだが、結論を同じくするから支持する、という意味で興味深く読んだのではない(「政治」にとってはそうした読み方も必要だと思うが、今の僕に必要なのはそういう読み方ではない)。もっとも振り返ることの難しい「近過去」を、短いながらも鮮やかに切り取ってくださった。そこに心が動かされる。動かされるのはなぜだろう、と考える。たやすく結論を出すのはやめよう。じっくりと考えていけばいいのだから。
・「『日本は間違っていた』と言われてきたのに『日本は正しかった』と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである」と中村さんは書く。「日本(人)論」が「日本(人)礼賛論」に変化したのはいつからか。書店員としてのもんだいにここで直面する。
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の九
http://todorokite.exblog.jp/23627132/
2015-02-03T00:39:00+09:00
2015-11-08T09:32:03+09:00
2015-02-03T00:39:04+09:00
todoroki-tetsu
批評系
いったい誰がだまして、誰がだまされたのか。「日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う」と述べたあと、ややあってこんな文章がある。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐに蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
そんな状態に国民が追い込まれてしまったからだ、と万作は言う。しかし、と続けるのだが、そのあたりは「其の四」「其の五」にゆずる。追い込まれた末のだましあい。そんな状況であっても、だましもせず、だまされもせぬように生き延びていくことは出来ないか。万作が記した「自己反省」という言葉を読むとき、政治か文学かという根源的な問いに直面していることを忘れてはなるまい。
「滅びるね」ーー広田先生の言葉が残響する。
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の八
http://todorokite.exblog.jp/23610878/
2015-01-29T20:00:00+09:00
2015-01-29T20:00:46+09:00
2015-01-29T20:00:46+09:00
todoroki-tetsu
批評系
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
だますこと(人)とだまされること(人)の区別はそうはっきりしたもんじゃない、そもそもだまされたといったからと主張したからと言って責任から逃れることはできないじゃないか。だまされることそのものが悪である。万作はこう指摘してきた。ここから万作自身のこと、具体的にはこの一文を記すきっかけとなった映画に関する記述に進むのであるが、その直前にあたるのがこのあたりとなる。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
「戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが」(!)。当時この言葉がどう読まれたのか、僕は知らない。どのような考えからであれ、責任「追及」に執着していた人からはずいぶんと反発を招いたのではあるまいか。繰り返すが、この文章は1946年8月発売雑誌に公表されたものである。
脱線するが、思いつく人の生年を記してみる。
・上原專祿:1899年
・渡辺一夫:1901年
・伊丹万作:1900年
・小林秀雄:1902年
・中野重治:1902年
・高島善哉:1904年
・宮本顕治:1908年
・丸山眞男:1914年
・加藤周一:1919年
・吉本隆明:1924年
僕の中では高島善哉より上と下で受ける印象が随分と変わってくる。たまたま何かしらのきっかけで知るようになり、何かにつけ参考とする/したいと思う人を少し並べてみただけなのだけれども、「国民」のとらえ方についてしっくりくるのは高島より上の世代である。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であって、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
この次に政治問題についての興味深い記述がつづくが、その前に、万作のこの言葉の意味をよく考えてみたい。だました側の責任を追求する仕事を否定しているわけではない、しかし、その前にもっと考えなければと訴えているというのがひとつ。
しかし、こういうことを言えば「声を上げなきゃ」「何かやらなきゃ」「沈黙は認めたことといっしょ」など、もろもろの言葉が返ってくるだろう。それはそれで正しい。では、どっちが正しいかという問題か? 違う。
万作はもっと別の次元を見ている。責任を追求した、その結果何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。本当に変わるということは、私たち自身が変わることではないのか。自己反省がなければ何も変わりはしないのではないのか。
万作との対話がもし可能であれば、おそらく以下の言葉とそう遠くない地平が見えてくると思われる。戦後加藤周一さんたちの前で軍歌のレコードを流した渡辺一夫の姿とも、水俣病をめぐって紡がれてきた多くの言葉とも、僕にとっては重なってくる。今朝2015年1月29日付の「朝日」の「論壇時評」から、武藤類子さんの言葉。「世界」2月号よりとあるが、孫引きで申し訳ない。
原発事故は、東電だけに責任があるわけではなく私たちにもある。でも、一億総懺悔のようにみんなが自分のせいだと思って終わりではだめなのです。自分を問いつつ、そしてやっぱり一義的に責任がある人にきちんと責任をとらせなければ、また同じことが繰り返される
万作のいう自己反省と、武藤さんがここで言っている「一億総懺悔」が、まったく異なるものであることは言うまでもない。自己の反省がそのまま国民としての反省につながるような、そういうスケールで考え抜かなくてはならない。
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「書店」を論ずることに関する走り書き
http://todorokite.exblog.jp/23210818/
2014-11-01T00:15:00+09:00
2014-11-01T00:15:43+09:00
2014-11-01T00:15:43+09:00
todoroki-tetsu
業界
一日の労働時間を考えてみる。人と職場によって違うだろうが、営業時間にかかわらず、僕の場合は売場を担当する場合には14時間労働がメインである。休憩時間は規程上1時間15分だが、実際には当然そんなことはない。週に1回は1時間とれる日がある。ゼロが2日ほど、あとは20~30分くらい。さて、この中でなにがどうできるだろう?
休憩時間をつぶして何をしているか。店出しに追われるならまだよいが、カウンターに追われていると何もできない。それが接客業ではあるのだが、店出しは合間合間の仕事になる。どの本をどの本の隣に置くか、考えている暇はない。とにかくさばく。棚づくり。そんな言葉もあったなとたまに思い出す程度。
発注は自動発注システムに任せる。売れ筋は頼まなきゃ入らないが、頼んだところで減数されるばかり。それでも最低限はとあの手この手でやりくりする。逆を言えば、そうしたことに専念するために自動発注システムがある。いきおいシステム頼み、取次頼みになっていく。
事前に新刊発注ができる(時間的にも力関係的にも)書店がどの程度あるのか知らない。本部的なところがすべての権限を有している場合もあるだろうから何とも言えぬが、現場任せになっているとして、さて実際どの程度できるか。毎日100枚はファックスがくる。返しているのは一日平均すると10枚程度。多いのか少ないのか知らないが、かなり返しているほうだとは思う。システム頼み、取次頼みを少し脱しようとしてできるのはせいぜいこんなところ。
判断のできる人間はいきおい人件費が高くなる。なので、要らない。自分も含めて。決まったことを決まったとおりにやれるスタッフさえ用意していればいい。採算を考えると、そうなる。自分たちの色を出そうとして時間と手間をかけて、採算をとれる書店とそうでない書店は、確かにある。
書店員の仕事。とにかく新刊を早く出すこと。売れ筋は早く出すこと。これはどんな書店員でも棚を持てば最初に叩き込まれることのひとつのはず。そこに内容に応じてどうこうなどと教える/教わることがどれほどあるか知らない。僕は教わらなかったし、教えない。売れるか売れないかだけ。内容を判断するのは顧客である。我々の仕事はとにかく早く出すこと。それである日突然「お前のところはこんな本を置いているのか」「こんな本も置いていないのか」と言われても困惑するのみである。
「こんな本も置いていないのか」のほうがやりやすい。完全買い切りでなければ置けばいいだけだ。「こんな本を置いているのか」と言われても困惑するのみ。そう言えば、ここまであれこれ騒ぎになる前に、いわゆる新左翼系の雑誌のライターを名乗る人から一方的に取材をねじ込まれてあれこれ書かれたこともあった。なんともいえぬ苦い思いが積み重なると、書店員の感覚は鈍化していく。誰が味方で誰が敵か。見たいものしか見ない、とうそぶいてみるのはたやすいが、それを自分に折り返してさあどうなるか。
ある出版社の企画会議にて。震災から1年が経とうかというころ、いわゆる震災本のラッシュについて、苦言を呈した書店がいくつか。僕もその一人だが、ある書店員は「出版されるということは書き手がいて、読み手がいることを想定して版元さんが作ってくれたはず。たくさん出すぎて困るなどとは私はいえない」と。書店員の模範解答である。揶揄する気で言うのではない。しかし、これが模範解答だとすれば、どうか。何が見えてくる?
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の七
http://todorokite.exblog.jp/22595015/
2014-07-23T00:34:00+09:00
2014-07-23T00:34:18+09:00
2014-07-23T00:34:18+09:00
todoroki-tetsu
批評系
(略)いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。 この単純素朴な一文に込められた意味は重く、豊かだ。どっちがか悪いということではない、かといって開き直りとは無縁。脊椎反射のような、威勢はよいが品と意味のない言葉の応酬を見つめなおすには格好の文章だ。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に事故の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
ここで日本の封建制云々という話が少しつづられる。かかる感覚はこの時代の知識人のある程度の層には共有されていたものと思われる。そこにある種の、そして何度目かの見直しやゆりもどしが来ているのが現代であるだろう。「近代の超克」が何を準備したのか、あるいはしなかったのか。もうじき上梓されるという若松英輔さんと中島岳志さんの対談本の仮タイトルが『現代の超克』(ミシマ社)となっているというのは実に示唆に富む。結果このタイトルに決するかどうかはさしたる問題ではない。言葉の上っ面ではないところでどこかで何かがつながっている。いや、引き受けるという言葉のほうがしっくりくるか。
さて、問題はそうした感覚を有したその先にどこに向かうか、である。丸山眞男なら? 渡辺一夫なら? 高島善哉なら? そして上原專祿は? みなそれぞれであり、簡単に論ぜられるものではないけれども、万作の向かうところはやはり文学的な印象を与える。それは渡辺一夫や上原專祿に感ずるものに近い。
万作は先に挙げた文章を引き継ぎ、「(日本)国民の奴隷根性」という厳しい言葉を用いた上でこう述べる。
それは少なくとも個人の尊厳の冒瀆、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
渡辺や上原の本を引っ張り出せば、おそらく比較の真似事はできよう。が、すでに若松英輔さんの連続講座で少しの訓練を経験したおかげで、それで何かを知った気になるのはまったく意味もないことだと判る。ここで何よりかみしめなければならないのは、個人の尊厳、自我と人間性が分かちがたく結びついているということ。人間性へのゆるぎない信頼と、それを裏切ってしまう不忠もまた存在するのだという冷徹なまなざし。しかしだからこそ信頼に依拠しようという決意。その信頼は、あくまで個としての人間ひとりひとりへのものであるが、それゆえに普遍的な人間性へも連なるものであるということ。人間性を「叡智」と置き換えてよい。
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走り書き的覚書
http://todorokite.exblog.jp/22286226/
2014-06-13T00:27:00+09:00
2014-06-13T00:27:29+09:00
2014-06-13T00:27:29+09:00
todoroki-tetsu
批評系
「売れるなら何でもありか」。何でもありでもあり、何でもありではないともいえる。問いの立て方が間違ってやしないか、と疑ってみよう。売れる、とは何に比べてどうなのか。何でもあり、のその中身は何か。主語を己一人として語り続けることができるか、と内省してみること。
「ほんとうは売りたくない」。そうだろうか。どんな中身であれ、商品として値段がついている。金額の多寡によってのみ判断される。本だけは違う、などという輩の言葉を僕は信じない。言葉とカネの問題を突き詰めて考えている同時代の批評家・文学者のことを僕はできる限り忘れないでおこうと思う。どんなものであれ、カネに変わればそれとしての喜びはある。押し付けて売るわけでないのだし。売れれば置くし、広げる。売れなければ見切りをつける。それだけのことだ。
「ほんとうは売りたくない」と書店員が言う場合と書店員以外の立場の人が言う場合は、分けて考えよう。「ほんとうは売りたくない」といったところで、売れたらそれはそれとしてうれしいし、達成感はある。そういう次元が確かに存在する。そもそも何であれ売らなければ食っていけないのだ。もっと初歩的な、好ききらいだけの次元もある。ある、今でも続くある作家さんの歴史ものがある。彼が嫌いだった書店員は、人気の全盛期であっても一面以上には広げなかった。そんな程度の次元も書店員にはある。書店員以外の立場から見えるほど、書店員は考えていないのではないか、と疑ってみよう。そもそも、考える暇がどこまであるか。
たくさん本が出ていることと、実売数が伸びているかどうかは別の話であると考えること。むしろ、たくさん出始めたらそのジャンルの市場は崩壊に近づいている、と考えるのが書店員としては実感に沿うだろう。崩壊までが恐ろしく短い場合、徐々にの場合、細々とではあるが着実に定着する場合。何がいずれに属するかは、わからない。
ここに至るには、源流があるということ。比較的目立たなかったもの、一部にしか支持されなかったものが一挙に表舞台に出た、ということ。無から有は生じない。ならば転化はどこにあったのか。あったものをなかったことにはできない。顕在化には、それとして意味はある。
頭を切り替えてみよう。逆の立場から見れば、どうか。 今まで虐げられていたものが逆転した。こんなに喜ばしいことはあるまい。同じようなことが、何度も何度も繰り返されてきただけではないのか。問題を相対化しようとして、ずらそうとして言うのではない。何度となく人間が繰り返すとして、僕はむしろこれを絶対的な問題として直視していきたいと思う。
事実も真実も大事なことだ。 しかし、いかなる事実も、いかな真実も、人を変える力を持ちえない、そんなことにぶち当たったことはないか。自分自身が事実や真実によって変った、という経験はあるだろう。僕にだってある。しかし、それは果たして事実や真実の力だけであったろうか。その時に実は、自分自身を見つめていたのではないのか。自分を揺るがす事実を、真実を、知らぬうちに選び取っていたのではないのか。
慰安の言葉を消費するのは、悪いことではない。その慰安が、他者の何かを奪うようなものでなければ望ましい。慰安を求める自分を、言葉を消費する自分を、見つめること。今もんだいとされるものを出している会社の、ほかのラインナップをよく見てみよう。機を見るに敏、というところが少なからず見当たりはしないか。企業として、悪いことでは決してない。消費者と読者の裂け目、これを見極める手がかりはこうしたところにあるのではないか。
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感想、あるいは「戦争責任者の問題」読書異曲
http://todorokite.exblog.jp/21516836/
2014-03-05T17:20:00+09:00
2014-03-05T17:21:28+09:00
2014-03-05T17:20:47+09:00
todoroki-tetsu
批評系
「保守」なのか「右翼」なのか「タカ派」なのか、僕にはわからない。日本の「誇り」を取り戻す、というのがその講演の趣旨であった。例えば、従軍慰安婦問題はねつ造であるという。河野談話が諸悪の根源であるという。その是非や真偽を僕は云々したいわけではない。僕はただ、そこで話を聞いている僕自身が何を感じていたのか、何に触れていたのか、を探ってみたいだけである。
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話は多岐にわたり、率直にってなかなか話術もあって興味深いものであった。首相の靖国参拝は他国から言われる筋合いのものではない、という話も出たが、その一方で「あのタイミングは適切ではなかった」という指摘もあわせてなされ、ははあ、なるほどと思わせるようなところも多分にあったのである。
聴衆は、シンパ的な皆さんがほとんどであったろう。小中学生らしきお子さんを連れた親御さんもおられたし、年配の方も熱心にうなずいておられるなど、なかなかの熱気であった。アウェー感を十二分に僕は感じつつ、しかしこれはやはり貴重な体験であるなと思ったのだった。
――講演者のような意見に批判的な人々に対して、「こうした場に来たことがあるか」と問うてみたい自分を、僕は真っ先に発見する。それはアウェーでの居心地の悪さを自ら糊塗してのことであったろう。自分を正当化するには他者をこき下ろせばよい。こき下ろす他者は目の前ではなく遠くのどこかにいる誰かで十分だ。お前たちは遠くでハナから人の話も聞かないで批判していればよい。揶揄して何か言った気になってろよ。それを聞こうとする人間の気持ちがどこにあるのかまるで知ろうとせずに。そんな風に勝手に心の中で敵をこしらえていた。
話は進む。歴史や外国や、近い隣国の話へとあちこちへ行く。博識な方らしい。メモはあまり取っていない。
――だいたいこういう時、僕はかなりのメモを取る人間だ。悪筆だがかなりの再現精度はあると自負している。睡眠防止もある。書きながら考えるというのもある。が、ある時期からメモは最小限にとどめ、言葉が仲介する時間と空間そのものに身をゆだねるようになってきた。これは明らかに若松英輔さんの講演会に連続して参加させて頂いた体験によるものだ。聞くということ、あるいは読むということ。その行為への認識が自分の中で変化していることがわかる。だからこそ、主義主張の是非や真偽ではなく、言葉を前にする自分自身を見つめたいと思ったのだ。
――そう思うと、さっき抱いた一方的な他者批判、そんなものはどうでもよくなってくる。それが問題なんじゃない。お前自身は今何をどう感じているのだ。お前の考えやものの見方とはまるっきり違う意見を今聞いているのだろう? それに向き合ってみろよ。
――さて、そうなってくると実に僕は浅い知識しか持ち合わせていないことに驚く。これじゃあ気分的なものじゃないか。その気分にあう人はいいが、合わなければそれでおしまいだ。しっかり勉強して「事実」を知る、知れば変わるだろう。そんな風にはもはや思えない。「事実」はいくらでも積み重ねてこられたはずだ。それは右であろうが左であろうが関係ない。「事実」を知れば変わる。違う。そんな生易しいもんじゃないはずだ。
――見たいものしか見ない。聞きたいことしか聞かない。そういって自分と違う意見の相手を批判するのは簡単だ。だが、そういう自分自身が、見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞いてこなかったのではないのか。そんな地平でいくら「事実」合戦をしたところで何の意味があろう。
壇上では「ストーリー」ということが話される。ひとつひとつのニュースをつなげてみる力が大事だという。なるほどその通りだ。昨今の従軍慰安婦像をめぐる流れ、隣国のこと、河野談話、それらが見事につなげられた「ストーリー」が展開された。
――「事実」では足りない。だとすれば、反論したいなら「ストーリー」で対峙せよ。うん、この考え方は悪くない。わかりやすく現状を解説してくれる「ストーリー」は魅力的だ。ならば、それに対抗するような魅力的な「ストーリー」を作り出せばよい。しかし、それは今までも多くの人がやってきたはずだ。それが今もろくも崩れ去ったかのように見える。いや、それは正しくない。それらの「ストーリー」の生命力は今なお失われてはいない。主題は変奏され、再びよみがえるだろう。
――だとするならば、結局は「時代のせい」か。今はこうした意見が優勢だが、いつかは変わるだろう。でも、何をきっかけに? どうやって? 「あらゆる身近な人々」がお互いに圧迫しあっていたのは数十年前のこの国で起きていたことではなかったか。「『だまされていた』といつて平気でいられる国民」(!)という伊丹万作の言葉が突き刺さる。
――でも、万作の言葉でもっと重要なのは、ここだ。「……まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。/こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であって、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである」(「戦争責任者の問題」)。
――「ストーリー」を求めているのは誰か? 言いたいことをいくら言おうが、自分たちがいくら満足していようが、時間やカネを支払おうとする他者の存在を抜きにして何を考えることができようか。書店員としては、いかに「ストーリー」を売れるようにしていくかが大事であるが、それは今は措こう。僕はいかなる「ストーリー」を求めているのか。それを求める自分への折り返しとともに見つめること。
――なんとかうまくみんなでやっていく方法はないか。お互いに傷つけたり傷つけられたりしてもなお、それでもみんなでどうにかこうにかいいところもダメなところも引き受けながらやっていく術は。それは例えば、中野重治さんの「五勺の酒」と大澤信亮さんの「左翼はなぜ間違っているのか」と井上ひさしさんの「ムサシ」から、引き出せたりはしないか。それは評論家の仕事であってもいいが、任せっぱなしにして安心していい話ではない。読者の責任、「ストーリー」を求める者の「自己反省」である。
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の六
http://todorokite.exblog.jp/21381279/
2014-02-05T21:58:00+09:00
2014-02-05T21:58:10+09:00
2014-02-05T21:58:10+09:00
todoroki-tetsu
批評系
私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまたひとつの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
ここでもまた、伊丹万作は言葉の人だと痛感する。「不明を謝す」という言葉を知っているか知らないかという次元ではなく、その言葉に込められた何ものかをつかんでいる。言葉を正しく用いる、いや、用いられるということ。言葉は他者から、いや死者から、やってくる。死者なくして私たちの生はない。ならば、言葉に正しく向き合うことそのものに、私たちの死と生のすべてがあるとは言えないか。
伊丹万作が「知識の不足」ではなく「意志の薄弱」に、力点を置いていることは明白である。これは後にさらにはっきり記されるのだが、「知識の不足」には言い訳の余地がありそうだが、「意志の薄弱」には逃げ道がない。要するに、手前の了見しだいじゃねぇかってことだ。
謙虚さ、あるいは内省。静かな怒りとでもいうべきものが、感ぜられるようだ。
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の五
http://todorokite.exblog.jp/21284909/
2014-01-16T23:31:00+09:00
2014-01-16T23:31:39+09:00
2014-01-16T23:31:39+09:00
todoroki-tetsu
批評系
この一節を引いてからしばらく経つ。すべては進行する。伊丹万作は揺るがない。現在を語ろうとする凡百の論評は色あせる。楔を打ち込むような言葉を発することなど僕にはできやしない。しかし、楔を打ち込むかのように「読む」ことは出来ないか。むしろそのほうが難しいかもしれない。けれど。
そんなことを思いながら再び頁をめくる。万作が次に導入する視点は、子どもである。
そこで私は、試みに諸君に聞いてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。
(中略)いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
万作が子どもたちに示した限りない愛情。例えば、伊丹十三記念館では、軍国少年むけのカルタを万作がすべて芭蕉の俳句に置き換え、丁寧に絵まで描き添えたものを見ることができる。我が子への思いと次世代の担い手への思いがストレートに繋がっていたに違いない。「良心」「厳粛」ともに、言葉が正しく使われていると感じる。
これでは責任の範囲を広げ過ぎてやしないか。そういう疑問が起きるだろうことをじゅうぶんに想定して筆を進める。数の多寡は実は問題ではないのだ。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
この言葉が、自身の内省から出てきていることは読み進めるとさらに判って来る。伊丹万作をしてこの言葉をいわしめたなにものか。そこにどうやったらたどりつけるのか。
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断片
http://todorokite.exblog.jp/21191238/
2013-12-30T23:38:00+09:00
2013-12-30T23:38:10+09:00
2013-12-30T23:38:10+09:00
todoroki-tetsu
批評系
本を読んでいるようであまり読めてもいない。若松英輔さんや大澤信亮さんの書いたものが載っているものはなるべくもれなく買ってはいる。読めてはいない。いつかきっと読むだろう。それでいい。
いくつかのテレビドラマを見ていて、今は亡き人が語り部となるようなものが複数あった。その時、「死者論」をいつのまにか通俗的に解釈していることに気づき、愕然とした。これが今の時代なのだな、というような、そんな言葉がふと頭をよぎった。別に誰かに話そうとしたわけではない。ただそう思っただけだ。ちょっと間をおいて、待てよお前、と自分で自分に強烈に突っ込んだのだった。なぜそうスムーズに言葉が出るのだ、と。「魂」の震えがない言葉。
気づいただけまだましか、と慰めつつ、いや、そういう問題ではない、これはおそらく「言葉」に関わる根本的な問題だ。
ミシマ社さん仕切りの、若松英輔さんと中島岳志さんの対談。その場において中島さんは、自らの中から出てくる言葉、それに対するおそれ、といったようなことを語っておられた(厳密には少し意味合いが異なるのかもしれない。いつかきっと本になるはずだだから確認はその時にお願いしたい)。言葉は誰のものか。そして、自分とは何か。
おそれ。畏敬と言い換えてもよいだろう。日々使う言葉にどこまで畏れ、どこまで敬うことが出来るか。そこから何が見えてくるか。
「様々なる意匠」の書きだしが思い起こされる。この地平に身を置こうと試みると、あらゆる「論争」は違った様相を呈する。自らは絶対に傷つかない場所で、ああでもないこうでもないと言うことのくだらなさとつまらなさ。これを例にするとかえって通じないかもしれないが、選挙も似たようなものだ。一度でいい、自分がこの人を、この党を、自分たちの代弁者としてなんとか政治の場に食い込ませようとあがいてみた経験があれば、ほとんどありとあらゆる「論評」が色あせて見えるだろう。
誰かと誰かが喧嘩した。それを遠目で見て評定する。勝手にしやがれ。問いを見出せないのなら口をつぐんでおればよろしい。魂の震えとしての沈黙が、ありうるはずだ。
「沈黙も言語である」。最晩年の吉本隆明さんはそう言った。言葉への畏れを、まずは自分なりに積み重ねていくこと。
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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の四
http://todorokite.exblog.jp/21037494/
2013-12-06T23:56:00+09:00
2013-12-06T23:57:32+09:00
2013-12-06T23:56:32+09:00
todoroki-tetsu
批評系
中野重治「五勺の酒」が蘇ってくる。しかし、書きつけておきたいのは次の一節だ。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
2013年12月6日の夜に、ここまでは記しておく。]]>
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