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吉本隆明×浅尾大輔(「論座」9月号)

 もうそろそろ終刊か、と思いつつ真っ赤な表紙の「吉本隆明」の文字に目がとまる。浅尾大輔さんをぶつけようというところにどんな意図があったのか? 大変興味あるところ、と思いつつ読む。

 これはインタビューというよりも、対談だと思う。「世界の見方」を考え続けてきた詩人・批評家と、若き活動家作家。

 ひと昔前、ふた昔前だったら、こんな対談は実現しないか、実現したとしても「もの別れ」みたいな感じで終わったんじゃないかと想像する――『吉本隆明の声と言葉。』特典の第二弾、「日本経済を考える」には、いわゆる社共を批判している箇所がいくつかある。特に質疑応答の中で出てくるそれは、感情的というわけではないが、やはり熱くなっている印象を受ける。そこからのあくまで「想像」――。

 浅尾さんのあとがきのような「私の、精いっぱいの応答(レスポンス)」には、吉本さんをこう評した個所がある。

 その人(等々力注:吉本さんのこと)は、労働者の弱さと悲しみと、強さと底抜けの明るさを肌身で知っている「詩人」だ。彼が難解な言葉で語ってきたことは、労働者が連帯してたたかうということは、あんたが考えているほど甘くはないぜ、という単純なテーゼにすぎない。(P.41)

 
 この末尾の「すぎない」は、吉本さんの思索を誹謗するような「すぎない」ではなく、膨大で時として極めて難解な吉本さんの思索を凝縮した「すぎない」である。屈指の吉本評だと僕は思う。

 ぜひ対談の最初から読んでみてほしい。分量は決して多くないが、発見すること、考えさせられることの非常に多い、味わい深い対談である。

 なお、余談だが、「私の、精いっぱいの応答(レスポンス)」というド直球のタイトルをつけ、またそれが本当に真摯に伝わってくるのが浅尾さんのすごいところだと思う。言葉の力に対する敬意というか、言葉をすごく大事にする人なんだろうな、と思う。対談の冒頭にも「現場の言葉が強いので、それを乗り越える言葉が小説として、物語として出てこないんです」とおっしゃっておられる。この状況の中で、浅尾さんはどんな言葉を紡ぎだしていくのだろうか。作家・浅尾大輔の新しい小説を読める日を、気長に待とうと思う。

by todoroki-tetsu | 2008-08-01 14:58 | 業界

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