2016年 07月 16日
大江健三郎「戦後世代のイメージ」
「生前退位」をめぐる報道。なぜいまこのタイミングなのか。僕は一瞬、参院選が何か影響しているのかと考えた。天皇じしんの意図か周辺の意図か、あるいは「政治」的な何ものか。
ふと、学生時代に聞いた講義を思い出した。今上天皇が何かの折に「日本国憲法」という言葉を用いた(いつの発言だったかは覚えていない)、それに対していわゆる「右派」知識人が強く反発をした、と。95年ごろの講義であった。
その記憶のせいか、今上天皇は「日本国憲法」について何か格別に思い入れがある、そんなイメージを常に抱いている。即位に際する発言でもそれはなんとなく感ぜられる。思わず、何らかの意図を勘ぐったのは、政治センスとしては間違っているが、そういうことだ。
もうひとつ、今上天皇についての僕の手掛かりは、大江健三郎さんにある。大江さんは天皇(制)について少なくない文章を記しておられる文学者の一人と思われるのだが、ほぼ同世代の今上天皇に対して呼びかけたような文章があったはずだ、と本棚から引っ張り出してきたのが「戦後世代のイメージ」。1959年初出とある。「週刊朝日」に連載した一連のコラムをまとめている。僕の手元にあるのは、講談社文芸文庫版『厳粛な綱渡り』。
これらは、皇太子ご成婚にわく日々に記されたものだ。そこで大江さんは自身の戦争末期の体験から現在(1959年)までを振り返る。気になるところを抜き出してみる。
「日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう」という一文は今なお試金石である。
ぐっと飛ばしてこの連作コラムの最後を見てみよう。同世代の皇太子(当時)に、大江さんはこう呼びかける。
この文章を今上天皇が目にしたことがあるのかどうか知らない。しかし、気脈通ずるところは確かにあったのではあるまいか。ぼくは制度としての天皇制には違和感を覚えるものであるが、それが一朝一夕にうんぬんされるようなものではないことは十分理解している。と同時に、その制度の中で生き抜く個人の姿を見るとき、今上天皇のふるまいはおのずと敬意を感じざるを得ない。
「戦後世代」、戦後民主主義といわれるものを最初に体験し、それをたいせつにしてきた世代。日本国憲法世代といってもいいかもしれない。「戦争を知らない子供たち」の子供たちであるぼくらが、共通にできる何ものかなど、もうないのかもしれない。あるのはただの雰囲気か、あたりさわりのない昔話か、同じ趣味の仲間でしか通じない言葉だけか。そこを自分じしんでえぐる覚悟が僕にはあるか?
途中飛ばしてしまったところには、こうある。「再軍備」や「自衛隊」にまつわる一文。
自分のあたまを他人に「乗っ取らせない」こと。矛盾するようだが、他者の力を借りつつそれを行うこと。意固地や偏屈や偏見をすべてさらけ出しながら昇華させたそのとき、何が見えてくるだろう。
ふと、学生時代に聞いた講義を思い出した。今上天皇が何かの折に「日本国憲法」という言葉を用いた(いつの発言だったかは覚えていない)、それに対していわゆる「右派」知識人が強く反発をした、と。95年ごろの講義であった。
その記憶のせいか、今上天皇は「日本国憲法」について何か格別に思い入れがある、そんなイメージを常に抱いている。即位に際する発言でもそれはなんとなく感ぜられる。思わず、何らかの意図を勘ぐったのは、政治センスとしては間違っているが、そういうことだ。
もうひとつ、今上天皇についての僕の手掛かりは、大江健三郎さんにある。大江さんは天皇(制)について少なくない文章を記しておられる文学者の一人と思われるのだが、ほぼ同世代の今上天皇に対して呼びかけたような文章があったはずだ、と本棚から引っ張り出してきたのが「戦後世代のイメージ」。1959年初出とある。「週刊朝日」に連載した一連のコラムをまとめている。僕の手元にあるのは、講談社文芸文庫版『厳粛な綱渡り』。
これらは、皇太子ご成婚にわく日々に記されたものだ。そこで大江さんは自身の戦争末期の体験から現在(1959年)までを振り返る。気になるところを抜き出してみる。
皇太子妃が決まったことを祝って旗行列をしている小学生の写真があった。その歓呼している幼い顔のむれの写真は、ぼくにとって衝撃的なものだった。
あの子供たちを、旗をもって行進させたものはなにだろうか。親たちの影響、教師の教育、根づよく日本人の意識の深みにのこっている天皇崇拝、または、たんなるおまつりさわぎの感情か。
日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう。
しかし、ジャーナリズムの力が、あの子供たちに天皇の特定のイメージをおしつけたあげくに、あの行進が歓呼の声とともにおこなわれる結果をまねいたのだとしたら。
あの小学生たちは、にこにこしていたが、ぼくらは子供のころ、おびえた顔をして、御真影のまえをうなだれて通り過ぎたのだ。
「日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう」という一文は今なお試金石である。
ぐっと飛ばしてこの連作コラムの最後を見てみよう。同世代の皇太子(当時)に、大江さんはこう呼びかける。
皇太子が眼をつむって、日本の国民について考えるとする。かれの頭にうかぶ日本の国民は、どんな顔をしているだろう?
(中略)ぼくは皇太子に、日本人のなかの天皇制にたいする考えかたについて深く広い知識をもっていただきたいと思う。とくに、あなたと同じく戦後のデモクラシー時代に育った若者たちの声に、耳をかたむけていただきたいと思う。それら若者たちの顔は、決してすべての顔が微笑をうかべているとは限らないだろうから。
この文章を今上天皇が目にしたことがあるのかどうか知らない。しかし、気脈通ずるところは確かにあったのではあるまいか。ぼくは制度としての天皇制には違和感を覚えるものであるが、それが一朝一夕にうんぬんされるようなものではないことは十分理解している。と同時に、その制度の中で生き抜く個人の姿を見るとき、今上天皇のふるまいはおのずと敬意を感じざるを得ない。
「戦後世代」、戦後民主主義といわれるものを最初に体験し、それをたいせつにしてきた世代。日本国憲法世代といってもいいかもしれない。「戦争を知らない子供たち」の子供たちであるぼくらが、共通にできる何ものかなど、もうないのかもしれない。あるのはただの雰囲気か、あたりさわりのない昔話か、同じ趣味の仲間でしか通じない言葉だけか。そこを自分じしんでえぐる覚悟が僕にはあるか?
途中飛ばしてしまったところには、こうある。「再軍備」や「自衛隊」にまつわる一文。
われわれには、現実を見きわめることの困難さにへきえきして、現実に背をむけ、現実のかわりの言葉だけをもてあそぶ傾向があるということだろう。
現実を言葉におきかえること、これはやむをえないばかりか、文化的な行為である。しかし、他人がおきかえてくれた言葉をそのまま服用して、自分自身が現実を自分の言葉におきかえることを怠ることは、危険な要素をふくんでいる。それは、自分の肩のうえに、他人の頭をのせて動きまわることだからである。
自分のあたまを他人に「乗っ取らせない」こと。矛盾するようだが、他者の力を借りつつそれを行うこと。意固地や偏屈や偏見をすべてさらけ出しながら昇華させたそのとき、何が見えてくるだろう。
by todoroki-tetsu | 2016-07-16 11:19 | 批評系