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中野重治「五勺の酒」について(その十三)

 校長の「問題は共産党だ」という物言いの裏には、共産党をとっぱらっても残るものがある。そこをつかみたい。逆を言えば、残るものがなきゃその物言いはダメだということにもなる。だが。


 去年の八月十五日僕はぼんぼんといって泣いた。あのとき泣いたもののうちいちばん泣いた一人が僕だろう。僕はかずかずの犯した罪が洗われて行く気がして泣けたのだ。あのとき僕は決してだまされたとは思わなかった。しかしあれからあと、毎日のようにだまされているという感じで生きてきた。元旦詔勅はわけても惨酷だった。僕らはだまされている。そして共産主義者たちがだまさせている。これが僕個人のいつわらぬ感じです。


 さすがにこれは言い過ぎ/言われ過ぎの感がする。もちろん、当時の様々な言説を調べているわけではない。そこは専門家に任せる。しかし、単純に考えて、共産主義者に非はないとはいわないが、総体として力を有していたのは誰だったのか、そこを問わずして何故共産主義者が非難されねばならないか。


 ここでもまた、共産主義者を現在活発に活動している特定個人や運動体に置き換えてみようか。政治なり社会なりに何らかの問題がある。それに対して「否」と声をあげる。上げ方にもやり方にもいろいろとあるだろう。けれど、問題の主たる責任は現行の体制を推進してきた側にあるのであって、「否」と声をあげた側ではない。にも関わらず非難の声は、しばしば「否」と声をあげた者に向かう。それは例えば「寝た子をおこすな」という変化にたいする忌避であり、「そんなやり方ではだめだ」という評論もしくは否定によって自己の存在を知らしめるような精神構造として顕在化する。

 
 ――中島みゆきさんの「世情」が流れ出す。

 
 さらに難しいのは、「否」と声をあげた者には主たる責任はもちろんないわけだが、問題と状況によっては、やはり何らかの責任を背負っているという自覚にたどり着くことがしばしばである(例:「チッソは私であった」)。これは自らの主体性を突き詰め、また失われた何ものか――多くの場合には死者であろう――と向き合う時に出てくる自覚といえよう。濃淡はあれ、こうした自分自身への問いがなければ、やはり言葉は浮いてしまうだろう。「否」と声をあげた者への非難には、時としてまっとうな批判=批評が含まれるのである。


 おそらくどこまでいっても、こうした構図は変わらない。危険だが、吉本さんの講演「喩としての聖書」を手がかりに、参照項として下記をあげておかねばなるまい。
 

 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え」。祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。


 「マルコによる福音書」15章。「正しい者、聖なる者は迫害される。よって迫害される者は正しい」という構図をここから引っ張り出したいのではない。イエスの中に自分を見たければどうぞご勝手に。僕は「他人を救ったように自分を救え」と嘲弄する、通りかかった者たちの中に自分を見る。いいことを言っている奴に、「じゃあお前これはどうなんだ」と突き付けてやりたくなる気持ち。それはどうしようもなくあるものなのだ。


 そうだ。どうしようもなくあるものだからこそ、共産主義者を現在ある何ものかに置換してもすぐさま通用するのだ。共産党だ運動だという話に限ったこっちゃないのだ。そうしたことが作品として遺されていることにより、読む者は自分の気持ちを再発見し、孤独から逃れることが出来るのと同時に、問い直す契機を得る。

 
 ここからの数頁が、「五勺の酒」のヤマ場となってくる。

by todoroki-tetsu | 2012-11-03 06:20 | 批評系

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