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金曜日から日曜日へ(その一)

 いろんなことを考えるのだが、まとまらない。まとまらなくていいやと開き直る備忘録。時系列も無視されるだろう。構うもんか。


1.
 6/29(金)夜は、官邸前に行けないかと思っていた。が、仕事の都合がなんとなくついたので参加が出来た。この感覚は僕にとってたいせつだ。小売店という性格上、やはり店は開けなきゃいけないし、スタッフもいなきゃいけない。誰かがいてくれるから早く仕事から抜けられたり休めたりする。僕はたまたま官邸前に行ける条件が出来た。つまり、その分同僚の誰かは同時間に仕事をしているわけだ。

 官邸前にいることといないことが等価だとは言わない。違いはある。けれど、その違いはそう決定的なものでもないのではないかという感覚が、ある。もちろん、みんなが心情的には行きたいのだ、などと使い古された言い回しをするつもりは微塵もない。


2.
 6/22(金)は18:00前から参加したが、6/29(金)は仕事を終えてからだったので18:10くらいに、霞が関で降りた。国会議事堂前は明らかに大混雑だろう、と踏んだのだ。霞が関から少しずつ坂を上っていく。もうすでにあの一角は一周するくらいの人になっており、僕が歩いてきた方向に参加者を誘導しているところだった。22日の4万5千人――これがどの程度正確な数字かは判らないが、そう外れた数字ではないという感覚はある――を、おそらくこの時点で既に超えていただろう。

 やってくる人の波は途切れない。切実な表情をしている人もいる。本気で怒っている人もいる。笑っている人がいる。表情の種類はいっぱいある。ひとつだけ言えるのは、みんな血が通っていて、生きた表情だということだ。


3.
 一通りあちこち回って、官邸前により近いところに足を運ぶことが出来た時、すでに片側の車線はすべて埋まっていた。お巡りさんが判断するのだろうか。交通整理に徹してくれるのは、ありがたい。残業でご迷惑をおかけしているのは心苦しいが、でも、やっぱり言わなきゃいけないこと、言いたいことがあるので、ありがたいという気持ちをちゃんとあらわそうと、出来る限りお巡りさんにはあいさつをしたりしてみた。
 
 「敵」じゃない、と「信じる」しかないから。法律家や経験を積んだ活動家、あるいは実際に明らかに「不当」な扱いを受けた方からすれば甘いのかもしれない。確かに僕はイラっとさせられることは何度もあったが、逮捕されたことはないから。だけど、まず一歩は「信じる」ことじゃないだろうか。


4.
 徐々にもう一方の車線も埋まっていった。相変わらず意思表示を示すものは持たないし、声も基本的にはあげない。ただ、覚えずにじり寄る。コールなんてあってなきようなものだ。みんなが無数の小集団となって、その周りでいろんな声が上がる。

 シュプレヒコール。誰かがひとりマイクで声をあげ、そのあとに多くの人の声が続くという、そういうパターンばかりを見てきた。1万人くらいの規模だと、この「1対多数」の関係は変わらない。が、4万5千人規模だと、「1対多数」ではなくなるのが判った。「多数対多数」になる。つまり、多数の声が多数の声と応答する関係になるのだ。
 
 20万人ともいわれる規模になると、「多数対多数」ですらなく、かえって無数の個人・小集団の集合体としてうごめく何ものかになる。それらに身を任せれば、一体感を得ることも出来るだろう。その中で、かえって冷静に何かを考えることも出来るだろう。


5.
 集まって来ている人を見ながら、そして自分自身も含めて思ったことの一つは、「一銭にもならないのに、よくこれだけ集まったなあ」ということだった(多くの人が集まることに対する感激の涙はすでに封印している。涙する資格は僕にはない)。

 「一銭にもならない」のだ。むしろ交通費は持ち出しなのだから、完全に赤字である。けれど、来ざるを得なかったのだ。理由は様々あるだろう。みんなをひとくくりにするには無理がある。

 集まってきた人みんなが、「対案」を持っているだろうか。「知識」を持っているだろうか。ぶっちゃけていってしまうと、僕はいまだにベクレルだのシーベルトだのといった単語・単位の意味を正確には把握していない。電力供給における原子力発電のあり様だとか、エネルギーシフトだとか、そんなこともさっぱり判らない。判らないが、明らかに、今再稼働させることはおかしいのだ。信用できないのだ。

 うまくは言えないけれど、納得がいかない、おかしい、ヤバい……そんな思いの人が多いのではないかと感じたのだが、どうだろう。
 

6.
 国会議員と思しき人を何人か見かけた。どういう思惑かは知らない。一兵卒として参加しているのなら、やめてくれ、と一瞬思った。国会議員には国会議員にしか出来ないことがあるだろう、と。

 しかし、よくよく考えてみると、せいぜい数時間のことだ。その現場に身を置くことは決して悪いことじゃない。官邸前から自分の現場に戻って、本分を尽くせばよいのだ。

 それは、必ずしも国会議員にのみあてはまるものではない。僕には僕の仕事と立場がある。国会議員に対して「本分を尽くせ」というなら、僕もまた、そうしなければならないだろう。お互いに到らぬことはあっても、出来ないことがあっても。それでも、そうした次元で自分自身にも言葉を折り返さなければならない。

 そして、やり方は多様にあるように思うのだ。

by todoroki-tetsu | 2012-07-02 11:54

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