湯浅誠「社会運動の立ち位置」を読むにあたって

 『世界』(岩波書店)3月号に掲載された湯浅誠さんの「社会運動の立ち位置 議会制民主主義の危機において」を、twitterで読んでみようと思う。途絶している雨宮さんの本のことも頭の片隅にはあるのだが、その途絶とも多少関係がある。


 今まで何度もtwitter読書をやってきたが、たいがいこのブログで何かを記すのは読み終えたあとだ。twitterで読みながら、あれこれ考えを膨らませていくのが主で、ブログでそれを総括するようなことはしたりしなかったりである。しかし、今回のこの論文は、タイトルにあるとおり立ち位置を、読む者である僕自身の立ち位置を、ある程度ははっきりさせておかねば取り組めないように思えたのだ。しかし、湯浅さんの論文とは一切無関係な内容である。

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 もうじき20年前になることだが、学生時代に、ちょっとしたきっかけもあって学生運動をやっていた。主には学生自治会である。もともと人権とかジェンダーといった言葉でイメージされる領域には関心があったのだが、それらはいわゆる社会問題として僕の中では認識されていった。必ずしも学生自治会がそれらの関心と重なるわけではなかったが、様々なことがどうやらよくもわるくも一緒くたになっていったようだ。


 結局親のすねをかじっり続けていたわけなのでえらそうなことは言えないが、しかし、学費の問題はそうしたうしろめたさもあってか、僕の中では重要性を帯びていた。デモはもちろんのこと、トラメガをもって霞が関をうろついたこともある。出来不出来はあったが、アジ演説は嫌いじゃなかった。国会要請も一度や二度ではない。国民の教育権、といった言葉もこうした中で知ったのだった(理解は出来ていない)。

 
 ビラまきは得意だったが、オルグというか、人を組織するというのは苦手であった。けれど、いつの間にやらどちらかといえば運動の中でも中心に近い位置にいるようになっていた。その結果、学内での活動から離れ、半ば専従のようなことをしたりもした。自分なりに解釈した「正しさ」でもって人を傷つけてしまったことはいくらもある。そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだったが。


 一年ほど経て戻ってきた学内では、大きな問題が起きていた。学内では一線を退く位置ではあったが、執行部の一員として運動にはたずさわっていた。時は橋本内閣の頃。国立大学の独立行政法人化に伴う様々な変化――改革とも改悪ともいう――の中、意見の対立は学生・院生・教官・職員の間に、そしてそれらの中に、あった。


 自分ではこれだ、と思うことが他人にとってはそうではない。意見の対立を議論を重ねてひとつの共通の見解にまで持っていく……そんなことが出来た局面もある。当局相手の折衝も何度となくあった。うまくいったり、いかなかったり、した。そんな中で、自分が何をすればよいのか、判らなくなっていった。


 声を荒げる場面もあった。僕自身もそうだ。それを咎められたこともある。それに対して反論したこともある。そうしたやりとりを横目で見て、離れていった人もいくらもいる。

 
 長く続いた課題の、最終結論が出るというその時、僕は会場から離れた場所にいた。生協前の広場で、学内のみんなに会場に行くように声をかける、そんな役をやっていた。確か望んでそれをやったと思う。中心にいるには、あまりにつらかった。これが正しい、とか、これでいくしかないだろう、という判断は、他の人にとっては耐えがたいものとうつる。それは僕にとっても耐えがたい光景だった。納得できない人は、離れていく。では、何が正しいのか。判らなくなってどんづまりになっていった。今にして思えば、もっと清濁併せのむようなことが出来れば、要するに、「うまく」やればよかったのにとも思うが、21,2歳の若造にはそんな真似は出来なかった。


 集団的にたどりついた結果――それは妥協であり、それは敗北ともいえるし、限定付きの勝利であるともいえるものであった。要するに、力関係としてそういうことだったのだろうと思う。でも、それに対しどうしても納得できないという人もいくらか、いた。そんな人が怒り心頭で会場を飛び出してきたりもした。「執行部はぬるすぎる」と。僕はただ、あいまいな笑顔でごまかしただけの気がするが、記憶はぼんやりとしたままだ。


 そんなことを思い出すのが怖く、見知った人と顔を合わせるのが怖く、いまだに僕は学校を出てから片手で余るくらいの回数しか、キャンパスに足を踏み入れていない。10年も経過したのだから大丈夫だろうと思って先年試みたが、やはり呼吸がおかしくなってしまった。


 そのころ、むやみやたらと考えていたのは、「正しいこととはなんだろう?」ということだった。正しいこと、正しいと自分が信じることで、他人を傷つけてしまうことがいくらもあること。その時、自分は正しいことの側に立つのか、それとも傷つけないように守る側に立つのか。この問いのたて方が正しいのかは今でも判らない。けれど、当時の自分には、他人を傷つけてまで主張する正しさを、少なくとも僕自身は持ち得ない、そう思えた。運動を呼びかける側に立つ資格は僕にはない。

 
 その自己認識は、今も変わっていない。誰かがおぜん立てしてくれた場には時として足を運ぶ。この間の脱原発デモなどはそうだ。ただ参加するだけでいいのか、主催者の苦労を少しでも分かち合うべきではないのか、という声が自分の心の奥底でしないわけではない。けれど、ほんとうに申し訳ないのだけれども、それは今もまだ、出来そうにないのだ。


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 以上述べたようなことは、湯浅さんの論文とはまったく関係がない。けれど、湯浅さんの論文を読むうちに、僕は、その言葉に読まれていくだろう。読むための、というよりは読まれるための、準備であった。

 
 twitterでのタグは #tati_iti としよう。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-21 23:27 | Comments(0)

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