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著者と編集者との葛藤を想像する

 松浦玲氏の『勝海舟と西郷隆盛』を読了する。


 「あとがき」が面白い。書き手と編集者との「葛藤」が、ほんのわずかではあるが垣間見ることが出来る。当初松浦氏は『海舟と南洲――西郷隆盛を追悼する勝安芳』という書名を考えていたそうだ。しかし、編集者は「それでは編集会議を通らない」と言う(P.195)。


 詳しくは本文に譲る。このやり取りは非常に興味深い。松浦氏の本を読むのはおそらくこれが初めてなのだが、多分ご存じのことや書きたいことがたくさんおありになるのだろう。全編を拝読してそう思う。それをパッケージとしてまとめる編集者さんもなかなかに大変だったのではあるまいかと想像する。もっとも、その苦労はどんな本でも同じかもしれないが。

 
 さらに言えば、岩波新書読者を想定するのであれば、松浦氏の当初の案でもまったく差しつかえはないように思える。「南洲」では誰のことか判らない、というのが駄目出しの理由だったと記されているけれども、『人生の王道―西郷南洲の教えに学ぶ』などというようなタイトルの本もあるわけで、岩波新書が今どのような読者をターゲットにしようとしているのかと考える上で非常に興味深い。

 
 もっと言おう。松浦氏はさらに上記の南洲云々に続く記述で、大久保利通には「甲東」という表現を用いていた、「しかし『甲東』は『南洲』以上に無理で本書の商品価値を下落させるのだと悟らざるをえなかった」と記しておられる(P.198)。そりゃあそうだろうな、と無学の自分は思う。しかし真の問題は人物の表記ではなく、随所に漂う著者の物知り振りにあるのではなかったのか、と推察する。


 僕にとってはあまりしっくりくる本ではなく、身銭を切った本でもあるのでその範囲で好き勝手を記しているが――献本を嫌う理由は別途まとめて記してみるつもりであるけれども、その理由の一つはこういうところにもある――、著者の口調や披露している知見を参考とされる読者も多いのだろうから、個人的な感想以上のことをとやかく言うつもりはない。実際、初速は好調である。

 
 が、書き手とそれを形にする編集者(その背景には営業さんの意見もあったのかもしれない)の葛藤を考えるに貴重な事例であるようにも思えたので、書店員イデオロギー論の備忘録として記しておこうと思ったのだった。

by todoroki-tetsu | 2012-01-07 23:00

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