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備忘録:「経営者」イデオロギーについて(補足)

 下記を補足する。

補足1)経営者の「主体性」について。市場において利益を最大化しようとするのは経営者の思考=志向のすべてではないが、相当程度を占める。その程度ならびに「それ以外」に何を思考=志向しているかに、様々なヴァリエーションがありうる。が、一定の類型化は不可能ではないと思われる。


補足2)経営者の主体性と受動性。企業内外の情況に対して、何らかの意思決定を行い実行するという意味では主体的である。だが、その主体性は時として認識において捻じれる。


補足3)補足2)の実例。所与の労働環境について先立つ責任があるにもかかわらず、それを労働者からの異議申し立てによって修正しようとする(無視するも含む)場合、先立つ自分の責任の部分が見事に忘れ去られ、ただ「労働者がこう言ってきたから(しょうがない)」という程度で対応することがある。それでも意思決定は主体的であるはずだが、主観としては受動的なものとして認識される。


補足4)補足2)の実例その2。市場の変化に対応する、との大義名分で所与の条件を疑わずに前提としてのみ捉える場合。規制緩和、新自由主義、グローバリズム、TPP……実例はおそらく、数多くある。天下の大勢に従うといえば聞こえはよいが、言葉の正しい意味での覇者の如き世界観と実行を伴わなければ単なる虚勢である。何かを不問に付している。何かを忘れている。何かを「しょうがない」と切り捨てている。そのような疑いはぬぐえない。


補足5)経営者が企業外の条件を所与の前提と考えるのは、相当程度に正しい。異議申し立てを行うよりも、環境の変化にいかに迅速に対応するか、と考えるのは実利的でもあり、また、より「主体的」に見えるものである。異議申し立てに対し、「じゃあどうすりゃいいんだ。今こうするしかないじゃないか」と反論するのはよくある光景である。しかし、その正しさはあくまで相対的なものでしかない。正しくないのではない、相対的である。決算書的な正しさである。


補足6)補足5)が成り立つのであれば、労働者の志向=思考もまた、相対的な正しさを有する。正しくないのではない。その判定をするのには第三者の審判が必要となる。その第三者を、仮に人間の理屈としておいた。参照項は例えば小田実であり、例えば花森安治となる。他にも、まだ、あるはずだ。


補足7)所与の前提を「しょうがない」と認識するか/改変しようとするか。しょうがないとして、どう生き延びていくか。改変しようとするとして、その方法やいかに。様々な問題が、理論的にはシンプルな原理に行き着くように考えること。しかし、その過程には無数のディティールがありうる。社会調査の蓄積に満身の敬意をはらうこと。


補足8)補助線として、価値を生みだすのは結局のところ人間ではないか、ということを念頭に置いてみる。高島善哉『価値論の復位』を読みなおすこと。しかし、その視座を「職場の社会学」にいかに活かすか、考えながら読みなおすこと。

by todoroki-tetsu | 2011-10-25 19:33 | 業界

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