9.24脱原発デモ@渋谷・原宿

 なんだかデモ日記のような様相を呈しつつあるが、都合と体調と気の向いた時しか歩いていない。今日は昼寝で寝過して、20分遅れぐらいで合流。宮下公園を出発するこのルートのデモは今日で3回目。


 このデモはtwitterでの呼びかけから始まった有志のものであること、政治とは関係ありません、原発はいやだと思う方はぜひ一緒に歩きましょう……おおよそこういった趣旨の呼びかけがなされながら、またシュプレヒコールもされながら、隊列は進んでいく。


 ここでいわれている「政治」はいわゆる「政党」とか「団体」とか、そういうことなんだろうと思う。そうしたものとは無関係です、という物言いはこうした運動の場ではしばしばなされることだろう。ふと、先日会場にだけ行ってさっさと帰って来てしまった9/19の明治公園のことを思い起こす。

 
 団体での行動が決して悪いわけではない。動員が云々なんていわれようがあるけれど、動員して実際に人が動くんなら大したもんだ。人間なんて誰かから言われたから、というだけのことで動くようなもんじゃあない。じゃあ、せっかくだから自分で足を運んで見ようかねぇ、なんて気持ちにでもならなきゃそうそう動くもんではないのだから。いまどき上意下達で動く組織なんてそうそうあるもんかね、と思うのだ。


 ただ一方で、僕のように一人でぽーんと行く様な人間にとっては、なんとなく所在のなさを感じたのは事実ではあった。別にそれはそれでいい。場はいろんなところにある、ということを知っているから、何もここでなんとなく落ち着かないまんま参加しなくてもいいだろうと思った。それだけのことだった。

 
 さて、話を今日に戻そう。他者に行動を呼びかける時、それに応じるか否かは呼びかける側と呼びかけられる側の双方の関係で決まる。一般に、呼びかけられた側が行動に参加するには、呼びかけを受けた時点もしくはそれまでに既に、「自分は何かをしなければならない」というある種の義務感か、「自分は何かをなし得る」というある種の自信を有しているか、そのどちらかであるだろう。が、これはいささか理屈にすぎていて、実際のところは「知り合いに声かけられたから」とか「何となく面白そうだと思って」くらいのことだって大いにあり得る。きっかけは無数かつ多様にありうる。その無数さ、多様さを引きだすものとして、「政治とは関係ありません」といった言葉が機能していればそれでよい、と思う。


 「原発」という単語のアクセントが「原」におかれていたメガホン演説を、僕ははじめて聞いた。「東電」がいつの間にか放送で「東」にアクセントがおかれていたように、ちょっと違和感を覚えた。シュプレヒコールであれば独特のアクセントになっても気にならないのだが……。「要求」の「要」にアクセントがおかれるのと同じことだろうか、とどうでもいいことを一人考えていた。

 
 覚えず周りを見回すと、デモスタッフの方だろう(いつもお疲れ様です)、ゴミ袋をもって路上で目に付くゴミを拾っておられた。こういうことは、大切なことだと思う。


 宮益坂に入る少し手前から、えらくノリのいいシュプレヒコールが繰り出される。個人の言語能力によるところが大きいなあ、でもそれも周りに人がいるからだろう、などと思うと相変わらず何にもせずにただ歩いているだけの自分にも、少しは意味があるのだろうかと考える。

 
 シュプレヒコールの中で印象に残ったのは、「いっしょに生きよう」という言葉。別段そうたくさんのデモに参加したことがあるわけではないが、この言葉は初めて耳にしたように思う。考えた末のことなのかその場のノリなのか分からないけれど、とてもいい言葉だ。

 
 原発は確かにいらないし、放射能もいやだ。国にはもっと出来ることがあるはずだと思う。責任追及が大事でないというのでは決してなくて、でも「いっしょに生きよう」という言葉は、何のために原発はいらないと考えているのか、その原点を端的に表現しているだけでなく、様々な可能性や思いに対して「開かれ」ている。


 尖鋭化してもいけない。一歩引いて考えよ。尖鋭化させてもいけない。一歩進んで考えよ。孤立してはならない。孤立させてはならない……そんなことを少し前にtwitterで記した。強固な「点」も大事だが、ゆるくても幅のある「戦線」を、と考えている。


 ここには商売人としての実利的な判断――もうすでに「原発本」を買う顧客は「限定」されつつある――と、個人もしくは一市民としての考えるべき倫理の問題がないまぜになっている。どちらも今しっかりと記すことはまだ出来ないが、後者について先取りして粗っぽく記すならば「他人様の運営して下さっているデモにちょっとばかり参加したからといって何かした気になってんじゃねえぞ、俺」ということであり、少し言葉を改めれば「免罪符としてのデモ参加」とでもいおうか。もちろんこれは不真面目な参加者である僕の問題であって、デモに参加している他の皆さんや運営の方々に何かどうこうというわけでは決してない。

 
 8・27脱原発デモを終えた後に杉田俊介さんの言葉をひっぱり出してもみたのだが、その延長線上にある問題として、考えている。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2011-09-24 21:36 | Comments(0)

<< 三田誠広『実存と構造』 「『非正規雇用の増加』が背景に」 >>