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渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」

 仕事の関係もある。漫画版「ナウシカ」に着手していることもある。どうせ感想を記すなら順繰りにやっていこうとも思った。しかし、多分、今記さなければならないだろうとも思う。


 報復は命の「等価交換」であろうか……。そんなことを思いながら、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を読みなおす。ちくま日本文学全集版の「渡辺一夫」、ならびに岩波文庫『狂気について』に収録されているが、この間読んできた前者にそってメモしていく。タイトルの「寛容」には「トレランス」、「不寛容」には「アントレランス」とルビがふられている。

 
 ちょっとした前置きからすぐに、渡辺はこう記す(P.302-3)。


 ……僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきでない、と。繰り返して言うが、この場合も、先に記した通り、悲しいまた呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になった例が幾多あることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はしている。しかし、それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪わしい人間的事実の発生を阻止するように全力を尽くさねばならぬし、こうした事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばならぬと思う心には変わりがない。



 当たり前のこと、通り一遍のこと、お題目を唱えているようにはまったく思われない。それは渡辺の他の文章を読んできたからでもある。しかし、この短い数文の中だけでも、人間がどうしようもなく「悲しく呪わしい」ことをやってしまうものだ、という渡辺の痛切な認識を感じさせる。温和な言葉の奥底にある凄み。


 行論中、必ずしも本題ではないのだろうが、興味の惹かれる個所がある(P.305)。


 ……普通人と狂人との差は、甚だ微妙であるが、普通人というのは、自らがいつ何時狂人になるかも判らないと反省できる人々のことにする。寛容と不寛容との問題も、こうした意味における普通人間のにおいて、まず考えられねばならない。



 「反省」が出来なければ、普通人ではない! これだけでも十二分に内省を迫られるのであるが、先を急ごう。続いては秩序の話(P.306)。


 ……これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当る人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を紊(みだ)す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果して永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を紊す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。



 では、寛容と不寛容がぶつかってしまった時、どのような様相を呈するか(P.307)。


 寛容と不寛容が相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものである(以下略)



 「最低の暴力」とは何だろう? なぜだか『寄生獣』における新一と後藤の最後のたたかいを連想してしまったのだが。また、ここで渡辺が「寛容の武器」として説得だけではなく、自己反省を挙げていることを注意しておきたい。先にあげた「普通人」の話もここでは絡んでくるだろう。


 ここで渡辺らしく、話はより古典的になっていく。ローマ社会と初期キリスト教を例にとり、寛容と不寛容について掘り下げていく。本来寛容であったローマ社会がキリスト教に対して不寛容な態度をとったことが重大である、と(P.311)。


 ……本来峻厳で、若さのために気負いに立ったキリスト教を更に峻厳ならしめ、更にいきり立たせたものは、ローマ社会が、自らの寛容を守ろうとして、一時的で微温的なものであったとしても、不寛容な政策を取った結果であるように思えてならない。終始一貫ローマ社会は、キリスト教に対して寛容たるべきであった。相手に、自ら殉教者と名乗る口実を与えることは、極めて危険な、そして強力な武器を与える結果になるものである。



 今改めてこの警句は認識されてよいものだろう。続いて渡辺は繰り返し繰り返し寛容の重要さを説く。楽観的だ、とも言う。それに続く一文(P.320-321)。


 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。



 加川良さんの「教訓Ⅰ」は、ここで想起しておいてよいと思う。 
 

 そして渡辺は、このエッセイの終盤にこう記している(P.321‐2)。


 初めから結論が決まっていたのである。現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々はそれを激化せしめぬように努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、はじめて、人間の進展も幸福も、より少い犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。



 ほとんどもう、すべての大切なことが凝縮されているように思える。


 この文章は、1951年に記されている。ということは60年前。「朝鮮特需」の頃、と附記にもある。その時代がどんなであったのか、今の僕には判らない。しかし、今読み直しても逐一唸ってしまう。渡辺が普遍的なところで問いを立てていたからでもあろうが、それは同時に、人間(と人間が作る「社会」)は60年程度ではそうそう変るもんではないよ、ということでもあるのだろう。


 しかし、だからこそ、読み返さなければならないし、考え続けなければならない。そう思う。

by todoroki-tetsu | 2011-05-06 11:27 | 文学系

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