政党機関紙配布の判決について

 寒空をぼんやりと月を眺めながら帰りついて、夕刊の見出しに驚いた。 

政党機関紙配布:旧社保庁職員に逆転無罪 東京高裁判決

 別段他紙と比較しているわけではないので「毎日」の記述がどうだとかいうのはよく分からない。夕刊現物には「『赤旗』配布逆転無罪」とデカくあり、目を引いた。

 やったな、という思いと、いや当然だ、という思いとがごちゃごちゃになっている。

 (1)非管理職であること、(2)休日であること、(3)公務員であることを告げずに無言で配布した、というのが無罪の理由であるらしい。
 
 (2)休日であること、というのはよく分かる。休日何しようが勝手だろう、というのはよく分かるし、当たり前のことだ。(3)はいまひとつピンとこない。そりゃいちいち公務員ですとは言わないだろうけれど……。公務員としてやっているという疑いを第三者に持たせずに、あくまで私人として行っている分には構わない、というほどの意味だろうか。

 (1)非管理職であること、これが一番分からない。管理職だったらどうしてダメなのだろう?

 ……とまあ、なんとなく書き連ねてみてもどうもすっきりしない。この記事を喜んでいる自分と、喜ぶ資格なんてあるのかよ、という自分と、どうやらそれに反論しようとする三人目の自分とが、どうも喧嘩をしているのだ。

 喜んでいるのは、やはり政治活動は自由にやられるべきであろう、という理由。もちろん、批判の自由も含めてである。自分の思想信条に関わらず、自由は認められるべきだ、というと格好のつけすぎか。

 喜ぶ資格なんてあるのかよ、というのは、じゃあ、お前はこの判決を喜ぶほどに何かをしたり/もしくはしようとしたことは果たしてあったのか? ということだろう。そんなことがなかったのなら喜ぶ資格などないのではないか。結局、時々の強いものについていこうとしているだけか、あるいは他人のふんどしで相撲を取ろうとしているコスい輩なのではないか?

 いや、そうじゃないんだ、という三人目の自分がいるようだ。それは最初に喜んでいた自分とはどうも別人らしい。

 最初の自分は政治活動に好意的であり、二人目の自分は政治活動に否定的とは言えないが、やるならとことんやれ、やらないなら何も言うな、みたいな気分のようだ。どちらも政治活動をある程度各自なりのリアルさで捉えている。しかし、三人目の自分は、政治活動ということそのものがまったくリアルに想像できないという地平から、言葉を発しようとしているようなのだ。
 
 三人目の自分は、沈黙で終わるのか、何かを発することが出来るのか。
 
 ……そんなことを、考えてみた。
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by todoroki-tetsu | 2010-03-29 22:57 | Comments(0)

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