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吉本隆明『最後の親鸞』

 twitter読書第3弾は吉本隆明さんの『最後の親鸞』にした。

 少し前に一通り読んではいたけれど、あまりの密度の濃さに再読の必要を感じ、つぶやきながら読み返してみることにした。吉本さんの講演を聞いた経験から、逆に音読を思い立って表題作の「最後の親鸞」は音読をしてみたのだけれども、やっぱりよく分からなかった。

 糸井重里さんがおっしゃっていたのだったか、糸井さんが誰かの言葉を引いておっしゃっていたのか定かではないが、「吉本さんの文章の2行分は一本の論文になるくらいの密度がある」みたいなことを言われていたのを、今回は実感した。「一本の論文」は大げさかもしれないが、しかしいろんなことが凝縮されていることは実感できた。

 『転向論』とのシンクロを感じることがしばしばあったのだけれども、目の前にある現実とか、自分の身近な他者とか、そういったものを前にして「一体自分は何が出来るのか? 何をすべきか?」と苦悩する一人の人間が、像として思い描かれた。ある種の倫理が、ここには含まれているように思われる。

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 吉本さんの文章の密度の濃さに圧倒され、今回のtwitter読書ではうまく140字にまとめきれなかったことがほとんどで、不格好な連投が続くようなスタイルになってしまった。twitter読書には吉本さんはひょっとすると不向きなのか? いや、これは僕の読解力・要約力のせいですね。

 また今回もtwitter上でときたまリアクションを返して下さったりふぁぼって下さったりする方々のおかげでなんとか続けられました。この場を借りて御礼申し上げます。次の候補はいくつかありますが、吉本さんに再チャレンジするのはもう少し間をおいてからにします(笑)。

by todoroki-tetsu | 2010-02-18 20:13 | 批評系

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