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杉田俊介『長渕剛論』・大澤信亮「温泉想」

 読後直後は一定の興奮状態であって、そのときなりの感想は記すことが出来る。しかし、勢いで記していいものだろうか、と迷っていて、そうこうしているうちに随分と時間が経った。杉田俊介さんの『長渕剛論』(毎日新聞出版)である。

  
 杉田さんと同世代(学年は一つ違いかもしれない)の僕も、長渕さんに一度ハマり、しばらくして離れ、そのまま戻ってくることなく今まで来ている。同世代でしか通用しないであろう昔話を、それとしてあれこれ書き連ねることはできるけれども、さて、そうしたところで何になるか、そんな風にも思ったのだった。

 
 『親子ジグザグ』の再放送を小6のときに友達が見ていたのが最初のきっかけで、「ろくなもんじゃねえ」にはまり、なぜか当時住んでいた香川ではほどなくして「家族ゲームⅡ」の再放送があり、「家族ゲーム」は見たかどうかいまいち覚えていない。中学の時が「とんぼ」でドはまり、上京して新宿西口をぶらついた時にあのラストシーンを思い出すくらいには影響は残っていた。高校になるくらいからはなんとなく離れていったが、「JEEP」のツアーは観た。アルバムで追ったのはこれくらいが最後。「STAY DREAM」からこのあたりがドンピシャだが、そんなおしゃべりをしたところで内省にはならない。しいて時代的?なことを記すとすれば、長渕さんが「昭和」を出したころ、光GENJIが出したのが『Hey! Say!』で、妙にイキがるだけの田舎男子中学生が、男を気取って女子の向こうをはろうとしていたことっくらいだろうか。いずれにせよ、つまらん話。
 

 そう、話そうと思えば、あれこを話すことはできる。しかし、この20年と少しを振り返ってみようとしたときに、とたんに失語することに気付く。べつに長渕さんファンであり続けていなかったから、というのが理由ではない。そんな間口の狭い批評ではこの本は決してない。長渕さんとがっちり向き合う杉田さんの言葉を読むというのはどういうことなのか、眼から胸を通じて肚にくる、そんなずしりとした感覚。「たんに『いい歌だね』『流行っているみたいだね』と聞き流し、消費することをゆるさないものが、長渕剛という人の中にあったし、今もある」(p.17)と杉田さんは記す。そう記す人の言葉をどうして「聞き流し」「消費」することが出来るだろう。


 だから、感想めいたものは書けない。ただ、言葉を手掛かりに、その奥底にある何ものかに手を伸ばそうとすることはできる。


 本を読み返せば、ああここにもこんなことが書かれている、と再発見する言葉はいくつもこの本の中にはある。が、初読からつかまれ、たとえ本を読み返さなくとも、仕事している最中や、通勤中や、何か新聞などを読んでいるときなどにふと、よみがえる箇所がある。第六章「明日を始めるために」。2015年8月22日、「長渕剛10万人オールナイト・ライヴin富士山麓2015」の批評である。ライヴについて、あれこれ「小さな一部分を叩いて全体を台なしにしたがる人々」について触れた後の箇所(前後関係は本文をあたっていただきたい)。少し長いが、引用する。p.228の記述。


 この世のすべてに対しほどよい距離を取って、冷静に醒めている程度のことが何なのだろう? 他人の情熱と本気を安全圏から愚弄しつづけねば日々の飯すらうまく食えない、にやけたあんたたちの顔は何なのだろう? 自らの汚れた手や腐臭にすら無感覚になり、ますます増長し、すべてを台なしにしていくあんたらの群れは、いったいどこへ行くんだろう?

 「フリーターに関する20のテーゼ」や「無能力批評」(「フリーターズフリーvol.1」)を想起させる力強さ。ぐっと握りしめたこぶしのような強さ。それを振り上げまいとするギリギリの理性。


 でも、これだけなら、まだ「消費」して済ませることが出来る。自分が戦っていると信じることできる自分の弱さに目をつぶるのは、とてもたやすいことだから。「敵」を勝手に仕立てあげることの毒に気付かずに済まそうとすることは心地のよいことだから。
 

 杉田さんはこう続ける。


 いや、本当はそんなことも、どうでもよかった。必要なのは、何かに本気で没入しつつ、その危うさもポテンシャルも丸ごと引き受けて、個体としての肉体を通して、さらにその「先」の明日を切り拓くことだと思った。どんなに小さくささやかであれ、他人の命がけの本気から恩恵としての果実を受け取り、それに感謝し、糧として、自分を人間として熟成させ、変え続けていくことだ、と。

 初読から半年、幾度となくこの二つの段落が頭をよぎる。引き受けて、切り拓く。ほかならぬ自らの肉体を通じて。はたして、そんなことが出来るだろうか。わからない。


 そんな思いもどこかにあった中で、大澤信亮さんの「温泉想」(「すばる」2016年7月号)を読んだのはまだ暑くなり始めるころだった。「この人は僕のために書いている」。そんな訳はないし、「罪人」という言葉に機械的に反応をしている訳でもない。どの言葉がどの一文がどうとか、そういことでもない。全編を通じてそう感じる。


 この思いは幾度読み返しても、頭を離れない。




# by todoroki-tetsu | 2016-11-03 11:05 | 批評系

大江健三郎「戦後世代のイメージ」

 「生前退位」をめぐる報道。なぜいまこのタイミングなのか。僕は一瞬、参院選が何か影響しているのかと考えた。天皇じしんの意図か周辺の意図か、あるいは「政治」的な何ものか。


 ふと、学生時代に聞いた講義を思い出した。今上天皇が何かの折に「日本国憲法」という言葉を用いた(いつの発言だったかは覚えていない)、それに対していわゆる「右派」知識人が強く反発をした、と。95年ごろの講義であった。


 その記憶のせいか、今上天皇は「日本国憲法」について何か格別に思い入れがある、そんなイメージを常に抱いている。即位に際する発言でもそれはなんとなく感ぜられる。思わず、何らかの意図を勘ぐったのは、政治センスとしては間違っているが、そういうことだ。


 もうひとつ、今上天皇についての僕の手掛かりは、大江健三郎さんにある。大江さんは天皇(制)について少なくない文章を記しておられる文学者の一人と思われるのだが、ほぼ同世代の今上天皇に対して呼びかけたような文章があったはずだ、と本棚から引っ張り出してきたのが「戦後世代のイメージ」。1959年初出とある。「週刊朝日」に連載した一連のコラムをまとめている。僕の手元にあるのは、講談社文芸文庫版『厳粛な綱渡り』。

 
 これらは、皇太子ご成婚にわく日々に記されたものだ。そこで大江さんは自身の戦争末期の体験から現在(1959年)までを振り返る。気になるところを抜き出してみる。


 皇太子妃が決まったことを祝って旗行列をしている小学生の写真があった。その歓呼している幼い顔のむれの写真は、ぼくにとって衝撃的なものだった。
 あの子供たちを、旗をもって行進させたものはなにだろうか。親たちの影響、教師の教育、根づよく日本人の意識の深みにのこっている天皇崇拝、または、たんなるおまつりさわぎの感情か。
 日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう。
 しかし、ジャーナリズムの力が、あの子供たちに天皇の特定のイメージをおしつけたあげくに、あの行進が歓呼の声とともにおこなわれる結果をまねいたのだとしたら。
 あの小学生たちは、にこにこしていたが、ぼくらは子供のころ、おびえた顔をして、御真影のまえをうなだれて通り過ぎたのだ。



 「日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう」という一文は今なお試金石である。


 ぐっと飛ばしてこの連作コラムの最後を見てみよう。同世代の皇太子(当時)に、大江さんはこう呼びかける。

 
 皇太子が眼をつむって、日本の国民について考えるとする。かれの頭にうかぶ日本の国民は、どんな顔をしているだろう?
 (中略)ぼくは皇太子に、日本人のなかの天皇制にたいする考えかたについて深く広い知識をもっていただきたいと思う。とくに、あなたと同じく戦後のデモクラシー時代に育った若者たちの声に、耳をかたむけていただきたいと思う。それら若者たちの顔は、決してすべての顔が微笑をうかべているとは限らないだろうから。



 この文章を今上天皇が目にしたことがあるのかどうか知らない。しかし、気脈通ずるところは確かにあったのではあるまいか。ぼくは制度としての天皇制には違和感を覚えるものであるが、それが一朝一夕にうんぬんされるようなものではないことは十分理解している。と同時に、その制度の中で生き抜く個人の姿を見るとき、今上天皇のふるまいはおのずと敬意を感じざるを得ない。


 「戦後世代」、戦後民主主義といわれるものを最初に体験し、それをたいせつにしてきた世代。日本国憲法世代といってもいいかもしれない。「戦争を知らない子供たち」の子供たちであるぼくらが、共通にできる何ものかなど、もうないのかもしれない。あるのはただの雰囲気か、あたりさわりのない昔話か、同じ趣味の仲間でしか通じない言葉だけか。そこを自分じしんでえぐる覚悟が僕にはあるか?


 途中飛ばしてしまったところには、こうある。「再軍備」や「自衛隊」にまつわる一文。


 われわれには、現実を見きわめることの困難さにへきえきして、現実に背をむけ、現実のかわりの言葉だけをもてあそぶ傾向があるということだろう。
 現実を言葉におきかえること、これはやむをえないばかりか、文化的な行為である。しかし、他人がおきかえてくれた言葉をそのまま服用して、自分自身が現実を自分の言葉におきかえることを怠ることは、危険な要素をふくんでいる。それは、自分の肩のうえに、他人の頭をのせて動きまわることだからである。



 自分のあたまを他人に「乗っ取らせない」こと。矛盾するようだが、他者の力を借りつつそれを行うこと。意固地や偏屈や偏見をすべてさらけ出しながら昇華させたそのとき、何が見えてくるだろう。

# by todoroki-tetsu | 2016-07-16 11:19 | 批評系

ベルク「War is over」問題について

 東京を離れてしばらく経つ。もちろん、最近の動向は肌感覚ではわからない。


 TWITTERでなんとなく見ていると、どうやら「War is over」という貼り紙か何かに対し、オーナー・ルミネに「政治的だ」という意見を寄せた人がいるらしい。


 すぐさま感じたことなどはあれこれあるんだが、これは少し考えなければと思った。


 「War is over」という言葉が政治的だとは思わない。それを掲げてなぜ悪いのか。がんばれベルク……それくらいのことはすぐ言えるし、それは本音でもある。しかし。


 僕は小売業の人間である。日々、とは言わないが、いろんなご意見を頂くことが少なくない。接客サービスなど基本的かつ小売業共通の事柄もあれば、どの本がどう置かれているか/いないか、など、非常にデリケートな問題まで多岐にわたる。明らかにこちらに非があるものもある、そうとも必ずしも言えないなと考え込んでしまうものもある。


 オーナーとか、本社がからむと、一応何かしらの回答をしなければならない。こんなもの無視してしまえ、というものも中にはある。しかし、そうともいえないはざまであれこれ悩むことも多々あるのである。


 そうしたことを当事者として経験している身として、ただのベルクファンとして言いたいことを言うだけでいいのか、それはかえってご迷惑をおかけすることになりはしないか、自己満足にすぎないのではないか。そんなことを考えていた。


 今朝、ようやく時間ができたので、ひとまずルミネさんにメールした。この数日文面を考えていたのだが、基本は「何か言われたからには何か対応しなければ、というのはわかる。けれど、本件はテナント任せにしてしまえ、ベルクとベルクファンならうまくやる、「ご意見承りました」くらいでとどめておくのが最良でしょう、という趣旨。
 

 ルミネさんに味方になってくれとはいわないが、少なくとも敵でさえなければなんとかなる、という思い。オーナーがこうした態度さえ取ってくれれば、顧客との関係がしっかりできているお店はどうとでもできる、と考えたのだった。


 事態は収束するのかしないのか、いまだにはっきりしないようだが、まとまらないながらふたつのことを考える。


 ひとつめ。ずいぶんといやな世の中になったが、何かしなければいかんな、ということ。少し話が変わるが、日清のCMで起用した女性タレントさんについてクレームが入り、打ち切りになったことがあった。これについて小田島隆さんが「打ち切りにしたのはあまりよくない。クレーマーをつけあがらせるだけ」という趣旨のことをお話しされていた(TBSラジオ「たまむすび」)。

 
 店が気に入らなければ行かなければいいだけのことで、実はそうして顧客が離れるのが商売人としてのダメージは大きい。しかし、それでは承認欲求が満たされぬのだろう、だからいきおいこんで何かを言ってきたのではないかと思われる。朝日新聞に出稿する出版社さんにいちいちご意見ファックス送る心性とさほど変わるまい。ならば無視するに限る。とはいえ、そうもいかない仕組みになっている会社も少なくない。ならば、と思い、放っておいてほしいとオーナーに意見を送ることで何か間接的にでもお役に立てれば。


 ふたつめ。ベルクさんに任せれば大丈夫、という信頼感。僕がただの顧客であるだけなく、こうした信頼感を持つにいたった一件がある。


 2009年1月のベルク通信が見られる。ここに迫川さんの「私の表現者会議」という一文がある。

 
 これだけ今見返しても、何のことやらと思われるだろう。ここに書かれている展示の状況を端的に言えば、「壁一面にメモがやたらベタベタ貼りまくられている状況」であった。たしかに見栄えは悪いといえば悪かった。この時は二日とあけずに通っていた時期だったが、ある時随分と展示が整理されたと記憶している。あれは
何だったんだろうな、と思っていたところに拝見したのが上記ベルク通信だった。

 
 僕はただの書店員だが、著者さんの様々な思いにぶつかることもある。一緒にやれることもあればやれないこともある。ほかのお客さんとの兼ね合いとか、いろんなことを考える。うまく折り合いを付けられるとき、そうでないとき、いろいろある。そうしたはざまの苦悩を率直に記されたこの文章に触れ、あ、この方は心底信頼できる、と思ったのだった。この思いは今なお変わらない。


 だからこそ、ベルクさん自身が判断・実行する環境であってほしい、と思う。なるべく足手まといになることなく、もしお役に立てることが出来れば、と思っている。

# by todoroki-tetsu | 2016-05-18 13:34 | 運動系

中島岳志「立憲主義と保守」(4/13「朝日」)

 よい意味でなんだかぞわぞわする。そういう経験は本厄を迎えてだいぶ減ってきた気がする。よくない。摩滅しているか惰性なのか鈍麻なのか。精神のはつらつさがどうもなくなっている。「自分の感受性くらい」、が頭の奥底で低く鳴る。

 そうしっかりと様々な言葉を追っているわけではないけれども、中島岳志さんの言葉に接するとき、「ぞわぞわ」した感触が自分の中に沸き起こってくるのがわかる。どういうことなのか、感想を書き連ねていけば何かわかるかもしれないとノープランでパソコンに向かってみる。

 記事前書きで「保守」と「リベラル」、「憲法を書き換えろ」と「絶対に変えるな」が対比される。「保守」と「革新」、「改憲」と「護憲」という対比なら僕はしっくりくるのだが、これはいささか古典的な理解だろうか。「リベラル」というのはもうちょっと別の視点から考えられはしないだろうかとも思うけれども、今回のテーマは「保守」なのでひとまず深入りしない。こんなことを記さなくてもよいだろうし、文句をつける意味ではなく、ただ、僕の持っている「構図」(良し悪しは問わない)を記しておかないと、どうにも誤解しているぞ、食い違っているぞということになりかねないなと思うのでひとまず。つまり、いささか図式主義的な理解しかない人間だということの断りである。

 さて、「立憲主義は保守的な考え方に立った思想」と中島さんは語り始める。何度かお話を講演会などで伺う機会のあった僕には、この点はある程度既知である。「設計主義批判」とでもいうべきお立場だろうと思う。人間自身にある種の謙虚さ・内省を促す考え方、という風に最初伺ったときに感じて、なるほどこれは大事な考え方だと感じた。本稿でもその感想は変わらない。

 「人間の理性には限界があり、必ず間違いを犯す、権力者も時に暴走してしまうという保守的な人間観」が立憲主義だ、と。ここに加えて重要なのは、「死者の立憲主義」という言葉だろう。「国民の中に『過去の国民』を含むのだ」と。「死者論」の地平は広大と再認識する。

 では、憲法を変えてはいけないか。そうではない、と中島さんは言う。それは「ある特定の時代の人間(憲法制定に関わった人たち)を特権化することにつなが」るからだ、と。「ただ、一気に変えようとしてはいけない。抜本的な書き直しをすると、革命のようなことになってしまう」。ここで「革命」がやや否定的にとらえられているが、渡辺一夫さんが加藤周一さんたち若者の前で軍歌のレコードをかけた精神と通ずるものと僕は思う。

 設計主義に立っている、という点では安倍首相も『護憲派』も同じだ、本来の保守は「憲法を保守するために『死者との対話を通じた微調整』を永遠に続けていくことだ」と中島さんは述べておられる。その微調整の対象として、9条が挙げられる。「国際秩序を維持する上で、一定の軍事力が必要であるなら、自衛隊を憲法で規定して、歯止めをかけるべき」と。僕は9条堅持派で異論はあるが、その点はあとで述べることにしよう。「戦後の日本は、9条と日米安保の微妙な綱引きを、絶妙のバランスでやってきました」「そのやり方には英知があった」という指摘には全面的に同意する。

 論稿後半は「寛容」に焦点があてられる。保守、リベラル、左派、いずれも寛容には見えないという記者(尾沢智史さんとある)の切り出しに対する中島さんの言葉は極めてしっくりくる。どちらも『アンチの論理』でやってきたためだ、と。お互いがお互いを少数派だと思っており、「どちらも自分たちの言葉が取り上げられないというルサンチマン(怨恨)があるから、攻撃し合う」。「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということですが、アンチの論理のためにまともな議論が成立しない」。

 中島さんの考える保守についての一文でこの論は締めくくられる。福田恆存さんへの無上の敬意を感じさせる。

 以上が感想のような要約のようなもの。ぞわぞわするのは、なるほどと大きくうなずく部分と、いや、ここはどうも自分は違うと思う、でもそれは自分の考えが浅はかだからかもしれないぞ、など、いろんな考えが頭をめぐるからであるようだ。

 共感する部分については記したから、そうでない部分を自分なりに整理してみたい。

 第一。「憲法を変えてはならないというのは、ある特定の時代の人間を特権化することにつながります」、という点。確かにその通りかもしれない。しかし、一方で「憲法を生かす」という表現がある。あまりに紋切り型過ぎて何の力も今は持ちえない言葉なのかもしれない。しかし、乾ききった言葉の奥底から、その精神を掘り起こしてみたとしたらどうだろう。日本国憲法の条文をフル活用しながら、日々起きる新たな課題に向き合ってきた試みは、今までになかったであろうか。そこにも「死者との対話」がありはしなかったか。日本国憲法を媒介として、もっと言うなら「依り代」としての、死者との不断の対話(上原專祿の「回向」)。変えないこと、むしろそこにとどまることで深まる対話というのもありはしないだろうか。もちろん、中島さんは「微調整」とおっしゃっておられるから、熟慮熟議を重ねての改憲という意味合いを込めておられるのだろうと思う。異論というほどの異論ではないような気がするのだが、変えないという前提でぎりぎりまで対話をしていく、そうしたことにより重点を置いてみたい、と考えている。

 第二、9条について。現実とのかい離がこの間で著しくなってしまった、ということはよくわかる。せめて「英知」のあったかつてのやり方に戻したい、というのが切なる願いである。ほんのわずかな海外生活経験から、「よその国には手を出しません」と宣言していることの安心感は多大なものがある、と実感しているから。しかし、ここまで事態がグダグダになってしまった以上、「歯止め」が必要というのも確かにその通りだと思う。政権のほうを何とかしたら何とかならんだろうか、というのは書生論だろうか。「9条」→「解釈改憲」→歯止めのための「憲法改正(もちろん、微調整)」と、「9条」→「解釈改憲」→「9条によせて解釈改憲を修正する」。しかし、いずれにせよ、「死者との対話」という謙虚さを持ち合わせていなければならないことには間違いない。

 第三、「アンチの論理」について。順序逆になるが、このひとまとまりの中島さんの語りの結論は「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということ」という点にある。これに対し、この間様々な取り組みが進んでいるといわれる市民主導の「共闘」を対置することは、政治演説としては容易である。情勢論としてもそう間違ってはいないだろうが、それでは行論とかみ合わない気がする。「アンチの論理」がなぜ根強いか、と考えてみたい。書店員としても切実なのだ。

 お互いを少数派だと思っている、というのは同時代人としても書店員としてもよくわかる。どのように「本」という商品になるか、ということで体感する。たぶん、編集者・営業担当であれば「読者」という市場を想定しているだろうから、また別の視点があるだろう。
 
 少し脱線する。ひとつの方法として、あるキーワードの含まれている本がどれくらい出ているか、その立場がどのようなものか、と調べてみるというのがある。古い話だが、例えば「規制緩和」。今はどうかわからんが、「規制緩和」と銘打った本の多くがその批判であった。もちろん、キーワードがストレートに本の中身を反映させているわけではないから注意は必要だが、書店員的な感覚としてはこれでひとまずはよい。

 これは「少数派だからしっかりと言上げせねば」という意図が感じられる例、といえる。少数派というのがしっくりこなければ、(ためにする意味ではない)「批判」といってもよい。また、そうした言葉が一定の市場を形成しえていた、ともいえる。

 また別の例。「韓国」や「中国」というキーワードでどんな本が出ているか、調べてみる。出版年月順にしてみようか。いつのころからか、潮目が変わったことがわかるだろう。「海外事情」の棚は、その国のことを知ろうという本、その国の人が書いた本が多くを占めたものだった。そうした並びで置くのにしっくりこないものは、様々な主張をまとめた棚(例:「オピニオン」などの棚名称)に置く。そうしたものが増えた。これはそうしたことを言うのが「少数派」だと思っているということもあるのかもしれないし、市場という観点から言えば、半年以上売れ続けるロングセラーはほぼないが、3か月に限ればある程度実売数が読める、ということもあるだろう。

 96年をピークとする出版業界において、右肩下がりを続けている市場の中、確実に数が読めるというのは重要である。どの程度数が読めるか、ということを僕自身版元さんには機会あれば言ってきた側の人間である。それはそれで間違ったことばかりとはいえないが、いつの間にやら数が読める本=シンパ・信者しか買わないであろう本が増えてきたような気がする。よかれと思ってやったことが結局自分の首を絞める。どうもそんな気もしてくる。目先の日銭を稼がなきゃいかん状況において、それはそれで商売としては大事な部分でもあるのだが、市場そのものをどう拡大するかというのは常に課題である。

 話を戻そう。「アンチの論理」でも社会がそれなりに成立していたのだとしたら、それはどういうことだろうか。みんながみんなどっちかに属して「アンチ」であったか、さもなくば、一定の中間層が存在していたからではないかと考えられる。「一般大衆」なる言葉もあったな、となると後者だろう。中間層が何らかで極小化し、「アンチの論理」が際立ってきた、というところだろうか。

 中間層、という言葉で僕が今イメージするのは、月に1冊か2冊くらいは本でも読んでみよう、と考える人。それくらいの時間とカネはある、ということ。景気良くなるか消費税下げるかすればそれに近い状況が創出されるだろう、とも思うが、それはそれですぐにいく話ではない。ならば、自分の考えを深めよう、そのためには異論も手に取ってみよう、と感じてもらえる工夫を、書店員の仕事を通じてやっていくほかはない。

 長々書いて結局のところ自分の仕事に行きついてしまったが、中島さんが熱心に語っておられることを自分なりに引き付けて考えるとするならば、このような方法以外僕には見当たらなかった。



# by todoroki-tetsu | 2016-04-14 12:36 | 批評系

走り書き

・時間は作るものだ、という。様々な環境変化と仕事その他の関係で何もかもが後手に回る。言い訳を探しているだけだろう。「そもそもがひよわな志にすぎなかった」とは誰の言葉だったか。

・文芸誌の目次だけは見る。目までは通せていない。買いそびれるものもある。しかし、同時代の批評家が確か格闘している。格闘し続けている。そのことだけでも勇気づけられる。何が「あがり」なのか、そんなことを全く考えずに突き詰めていく姿。自分自身がどこに向かっていくかもわかりはしない道。そんな道を意図して選んだか選ばざるを得なかったか、そんな問いは無意味に思えてくる。彼らの存在は僕にとってかけがえのないものだ。

・1/7付「朝日」、中島岳志さんの言葉を読む。運動における「罵声」について。その通りだと思う一方、そういわざるを得ない何ものか、について考える。少なくとも活動家振りして「運動を知らない云々」などと言う気はなければ言う資格もない僕は、そう何度も国会前含め各所に赴いているわけではない。少ない回数の中、一人でできないことを集団の力を借りてやってはいけない、と自己規制しようと努力しているが、集団でいるときにエスカレートする自分を感じる。切羽詰まって「罵声」とならざるを得ない、そういう人もいるだろう、と考えて、さて自分にはそうした必然があるのか、と問う。常にここから始めなければ、と思う。渡辺一夫が軍歌のレコードをかけたこと、その時の加藤周一の反応と彼自身後年の振り返りを想起する。「たしかに戦後二〇年を通じて、その歌(「勝ってくるぞと勇ましく……」)は私の耳の底にも鳴りつづけていた。しかしその歌が聞こえないほど大きな声で怒鳴ることの必要な時もあったのである」(「続羊の歌」)。ここまでいけば文学だ。少しでもここに近づけるような内省を自分でしなければ。

・こういうことを書くと積極的に参加されている方からおしかりを受けるかもしれない。あらかじめ断っておくが、これはすべて僕自身が自分自身に対して内省をしなければ、と言い聞かせているだけであって、他者に内省を促そうというものではない。他者にいらぬ不快感を与えてはいけないので念のため記しておく。

・今朝1/8の同じく「朝日」。中村文則さんが長文を寄稿されておられる。中村さんは僕より二つ若い。微妙な差はあるかもしれぬがおおよそ見てきた風景に似通った部分はある、といって失礼には当たるまい。中村さんがそう明記しておられるわけではしないが、「95年」(中島さん上記で言及)以降の風景である。僕は9条堅持すべきと実体験から考えているものだが、結論を同じくするから支持する、という意味で興味深く読んだのではない(「政治」にとってはそうした読み方も必要だと思うが、今の僕に必要なのはそういう読み方ではない)。もっとも振り返ることの難しい「近過去」を、短いながらも鮮やかに切り取ってくださった。そこに心が動かされる。動かされるのはなぜだろう、と考える。たやすく結論を出すのはやめよう。じっくりと考えていけばいいのだから。

・「『日本は間違っていた』と言われてきたのに『日本は正しかった』と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである」と中村さんは書く。「日本(人)論」が「日本(人)礼賛論」に変化したのはいつからか。書店員としてのもんだいにここで直面する。


# by todoroki-tetsu | 2016-01-08 10:00 | 批評系