タグ:若松英輔 ( 11 ) タグの人気記事

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の七

だまされるということも一つの罪だ、と述べたのち、万作は別の角度からこの問題を見据える。


(略)いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
この単純素朴な一文に込められた意味は重く、豊かだ。どっちがか悪いということではない、かといって開き直りとは無縁。脊椎反射のような、威勢はよいが品と意味のない言葉の応酬を見つめなおすには格好の文章だ。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に事故の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

ここで日本の封建制云々という話が少しつづられる。かかる感覚はこの時代の知識人のある程度の層には共有されていたものと思われる。そこにある種の、そして何度目かの見直しやゆりもどしが来ているのが現代であるだろう。「近代の超克」が何を準備したのか、あるいはしなかったのか。もうじき上梓されるという若松英輔さんと中島岳志さんの対談本の仮タイトルが『現代の超克』(ミシマ社)となっているというのは実に示唆に富む。結果このタイトルに決するかどうかはさしたる問題ではない。言葉の上っ面ではないところでどこかで何かがつながっている。いや、引き受けるという言葉のほうがしっくりくるか。


さて、問題はそうした感覚を有したその先にどこに向かうか、である。丸山眞男なら? 渡辺一夫なら? 高島善哉なら? そして上原專祿は? みなそれぞれであり、簡単に論ぜられるものではないけれども、万作の向かうところはやはり文学的な印象を与える。それは渡辺一夫や上原專祿に感ずるものに近い。


万作は先に挙げた文章を引き継ぎ、「(日本)国民の奴隷根性」という厳しい言葉を用いた上でこう述べる。

それは少なくとも個人の尊厳の冒瀆、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

渡辺や上原の本を引っ張り出せば、おそらく比較の真似事はできよう。が、すでに若松英輔さんの連続講座で少しの訓練を経験したおかげで、それで何かを知った気になるのはまったく意味もないことだと判る。ここで何よりかみしめなければならないのは、個人の尊厳、自我と人間性が分かちがたく結びついているということ。人間性へのゆるぎない信頼と、それを裏切ってしまう不忠もまた存在するのだという冷徹なまなざし。しかしだからこそ信頼に依拠しようという決意。その信頼は、あくまで個としての人間ひとりひとりへのものであるが、それゆえに普遍的な人間性へも連なるものであるということ。人間性を「叡智」と置き換えてよい。



[PR]

by todoroki-tetsu | 2014-07-23 00:34 | 批評系 | Comments(0)

断片

 いろんなことが中途半端で、でもたぶん進行している。よい進行と悪い進行と、そのどちらであるかは判らない。


 本を読んでいるようであまり読めてもいない。若松英輔さんや大澤信亮さんの書いたものが載っているものはなるべくもれなく買ってはいる。読めてはいない。いつかきっと読むだろう。それでいい。


 いくつかのテレビドラマを見ていて、今は亡き人が語り部となるようなものが複数あった。その時、「死者論」をいつのまにか通俗的に解釈していることに気づき、愕然とした。これが今の時代なのだな、というような、そんな言葉がふと頭をよぎった。別に誰かに話そうとしたわけではない。ただそう思っただけだ。ちょっと間をおいて、待てよお前、と自分で自分に強烈に突っ込んだのだった。なぜそうスムーズに言葉が出るのだ、と。「魂」の震えがない言葉。


 気づいただけまだましか、と慰めつつ、いや、そういう問題ではない、これはおそらく「言葉」に関わる根本的な問題だ。

 
 ミシマ社さん仕切りの、若松英輔さんと中島岳志さんの対談。その場において中島さんは、自らの中から出てくる言葉、それに対するおそれ、といったようなことを語っておられた(厳密には少し意味合いが異なるのかもしれない。いつかきっと本になるはずだだから確認はその時にお願いしたい)。言葉は誰のものか。そして、自分とは何か。

 
 おそれ。畏敬と言い換えてもよいだろう。日々使う言葉にどこまで畏れ、どこまで敬うことが出来るか。そこから何が見えてくるか。


 「様々なる意匠」の書きだしが思い起こされる。この地平に身を置こうと試みると、あらゆる「論争」は違った様相を呈する。自らは絶対に傷つかない場所で、ああでもないこうでもないと言うことのくだらなさとつまらなさ。これを例にするとかえって通じないかもしれないが、選挙も似たようなものだ。一度でいい、自分がこの人を、この党を、自分たちの代弁者としてなんとか政治の場に食い込ませようとあがいてみた経験があれば、ほとんどありとあらゆる「論評」が色あせて見えるだろう。


 誰かと誰かが喧嘩した。それを遠目で見て評定する。勝手にしやがれ。問いを見出せないのなら口をつぐんでおればよろしい。魂の震えとしての沈黙が、ありうるはずだ。


 「沈黙も言語である」。最晩年の吉本隆明さんはそう言った。言葉への畏れを、まずは自分なりに積み重ねていくこと。

 
 
 


[PR]

by todoroki-tetsu | 2013-12-30 23:38 | 批評系 | Comments(0)

若松英輔連続講演(7/28追記)

 昨春から代官山蔦屋さんで開かれていた若松英輔さんの連続講演が、ひとまず終了した。8/5にはextraとして『想像ラジオ』を読む機会があるようだが、ひとまずは昨日7/25の講演で区切りということのようだ。


 いままでにもしばしばここに、あるいはtwitterで書いたりもしたのだが、矛盾するかもしれないし重複するかもしれない。構うもんかと思う。兎に角いま、書く。

 
 慶応義塾大学出版会さんのサイトから、演目を抜き出してみる。

■前半全7回 井筒俊彦 「存在はコトバである」

●「詩と哲学」
 第一回 私の原点―井筒俊彦と小林秀雄(1)
 第二回 井筒俊彦と小林秀雄(2) 
●「コトバの神秘哲学」
 第三回 井筒俊彦と白川静 
 第四回 井筒俊彦と空海 
●「宗教と叡知」
 第五回 井筒俊彦と柳宗悦 
 第六回 井筒俊彦と鈴木大拙/西田幾多郎 
 第七回 聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治(併せて前半のまとめ) 


■後半(全6回)
 地下水脈としての近代日本精神史

 第1回:正統と異端 2月28日(木) 
 第2回:精神と霊性 3月28 日(木) 
 第3回:美と実在 4月25日(木) 
 第4回:詩と哲学 5月23日(木) 
 第5回:啓示と預言 6月27日(木) 
 第6回:時と時間 7月25日(木)


 以上全13回のうち、第三回と第四回の二回欠席。あとは無遅刻ですべてを伺った。なので、自分自身の変化、若松さんと会場との関係の変化といったものは、おおよそ体感していると思う。

  
 最初の二回は、今思い返しても実に沈痛な気持ちで伺い、そして考えていた。自分の抱えている問題が、ひょっとするとここで何か打開できるのではないかという思いと、いや、そもそも自分の問いのたて方が――ということは僕自身の根底がということでもある――根本的に間違っていたのではないかという不安。そんなものがどうしようもなく、ないまぜになっていたのであった。


 そもそも、若松さんとの出会い方において、僕は極めて不真面目である。最初のうちは、「あ、こういう人が出てきたんだな」というほどの受け止めであって、池田晶子さんが苦手な僕は――今読みなおすと違うかもしれないとは思っているけれど――、なんとなく敬遠していたのであった。しかし、本屋という商売柄、何かあるぞこの人は、という感覚は当然あるのであって、しばらくのあいだ若松さんは僕にとって、「自分で読もうとは思わないが、読者をつかむ何かは持っている方だ」という存在であった。


 その認識の変更は、上原專祿に若松さんが言及されてからであった。

  
 その割に大して読み切れてはいないが、僕にとって上原專祿と高島善哉の存在は揺るがし難い巨人として常に僕の脳裏を離れない。このふたりに出会えたことに僕の学生時代の全ての意味があったし、どうにかこうにか今僕が生き延びていられるのは、このふたりのやってきたこと、やろうとしてきたこと、そのおかげであるといっても言い過ぎではない。

 
 高島善哉には弟子がいた。上原專祿は「私には弟子は一人もいない。仏教と世界史の両方が出来なければね」といった趣旨のことを呟いたという。だが、上原の言葉は、弟子であると否とに関わらず、着実に、たとえほんのわずかな人数であっても、後世を生きる者の魂を揺さぶり続けてきたのだ。僕もまた、そうしたひとりである。学生にとっては決して安価ではない著作集を、少しずつ揃えていく。古本屋で単行本を買う。そんなことを少しずつ続けてきた。上原の本だけは、どうしても寝ころんで読むことが出来ないのだ。


 閑話休題。だからこそ、忘却の彼方にある上原に言及した本や著者というのは僕にとってかけがえなく大切な存在だ。若松さんの文章をちゃんと読もう、と思ったのは『魂にふれる』からだ。そうした意味で、僕はたいへんに独善的な読者である。だから、講演に最初に参加した時にも、上原に言及してくれたという僕の一方的かつ不遜な感謝はありつつも、「代官山でどんなイベントをやっているのかな」「若松さんはどんな風にお話をされるのかな」という、半ば野次馬根性なのであった。

 
 それが、第一回で一変した。細かいところは、多分当時のノートを引っ張り出せば再現できるかもしれない。走り書きとはいえ相当な量をメモしたから。しかし、そんなことは問題じゃない。「ここにはなにかある」という衝撃と、その衝撃を受け止めきれていない自分と、その両方に引き裂かれそうになったのだ。


 「誰誰がこう言っている。別の誰誰はこう言っている。そんな比較にどれほどの意味がありますか?」


 そんな主旨のことを、何度も若松さんは繰り返し語る。その意味が、体で判ってきたと思えるのには数カ月を要した。お話を聞き、なるほどと思う。帰る道中考え込みながら代官山駅まで、あるいは渋谷駅まで歩く。ああでもない、こうでもない。そんな自問自答を繰り返すことなく、ただ言葉を味わい、自分の中に沁み入って来るのを待つようになったのはコートを着るような季節になってからだった。


 僕は悪筆だが、速記的にメモし、それをテープ起こしのように再現することにかけては少し自信がある。だから、どんな講演でも、比較的よくノートを取る。だが、ここしばらくの若松さんの講演では、せいぜい1頁程度しかノートを取らなかった。若松さんが紹介される言葉、つまり、若松さんを通じてその場に現象する「叡智」そのものと、触れることが大事なのだし、またそれでじゅうぶんなのだ、ということに身体の感覚として気づいていったからだ。「感じる」ことの大切さを若松さんは繰り返し説く。僕にとってそれは、こういうこととして具現化されたのである。

 
 ある時期、若松さんの講演を聞いた帰りにはずいぶんと謙虚な心持になっているのに、なぜ次の日仕事に戻ると謙虚さを忘れてしまうのだろう、と少し悩んだ時もあった。メンターとしてではなく――僕は若松さんの「信者」ではないし、誰ひとりとしてそうあってはなるまい、と思う――、一般的な意味で「他者」なくして自己認識はない、というほどの意味に解していたのであったが、もっと大きな「叡智」に日常的に触れる/触れ得る自分に気づくことの方が大切だ、と実感を込めて思えるようになってきたのが、先月の講演の帰り道なのだった。


 僕にとってこの連続講演のあった1年少々の時間は、連なることに大きな意味があった。一回きりであって一回きりではない。壊して一から創るものと、連続するもの。それらを成り立たせる、大きな何ものか。ポーの世界?

  
 みなさん自身が書くということが大事なんです、若松さんはそうおっしゃった。日々何かにふれている自分に気づく、その体験を書く。それがどんなものになるのか、想像できない。けれど、「筆と爆裂弾とは紙一重」(二葉亭四迷)というのは、そういうことかもしれない。

 
 どんな言葉を、僕は刻みつけていけるだろうか。


追記

 上原專祿著作集版の『死者・生者』、出版社在庫を代官山蔦屋さんは全て仕入れたという。目の前で何冊も売れていったのを目の当たりにして、覚えず目頭が熱くなった。こんな日が来るとは。こんな光景を見ることが出来るとは。

 
 今も残っているかどうかしらない。しかし、古本屋でもしばらく見かけぬように思う。入手の機会はそうあるまい。ちょっとでも興味を持たれた方はぜひ、蔦屋さんに問い合わせてみて頂きたいと思う。断じて損はしない。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2013-07-26 22:05 | 批評系 | Comments(0)

書くことと商売

 今日は若松英輔さんの講演。「聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治」と名付けられたそれは、実にすばらしい空間と時間であった。


 ここでその体験を語るのは野暮に過ぎる。ここでは講演の本題とは、外れてはいないが少しそれた部分のところを少しだけ記したい。


 今回は質疑応答の時間を多めに取っておられた。為に普段よりも双方向のやり取りが多かったわけだが、そのやり取りの中で、若松さんがこんなことを語られた。

 
 ――一連の機会を通じてやりたかったのは、文章をみなさんと読むということ。難しいことだろうが、さらにはみなさんと書くという作業をやってみたい。書く、ということが発表することと強く結び付けられたのはある種の不幸ではないか。誰に発表するでもなく、読んで書いてみる。そうすると書くことの難しさもよく判る。

 
 精確にメモを取れたわけではなく、うまく文意を再現出来ているか自信がない。が、言葉をめぐる体験の大切さを強調されていることがひしひしと伝わってきた、そのことだけは確かだ。


 さて、僕は他人が記した言葉のパッケージでメシを食っている。ゼニになる言葉のパッケージと、そうでない言葉のパッケージ。そのような分け方が僕には染みついている。ゼニにならないならなるように工夫しようじゃないか、というのが基本スタンスでもあり、だからある時には散々にこきおろすし、ある時には版元さんにおしかけて口を出す。


 しかし、何か根本のところで何か思い違いをしてはいないだろうか。自分のやってきたことにはそれなりの自負はある、だが……。

 
 自省するにはふさわしい寒さである。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-13 22:53 | 批評系 | Comments(0)

寺めぐりなど

 京都に行く時にはほぼ必ずといっていいほど龍安寺の石庭に立ち寄っていた。見るたんびに違ったような、しかし同じような心持がして何とも言えない。が、最近はサボることがしばしば。喫茶店めぐりに時間を取るようになったということもある。今回もまたサボった。

  
 何の下調べもしちゃあいないし、紅葉には早すぎるのだとも行ってから気づいたような次第だが、まあ、特別拝観シーズンでもあるようだからと久々にお寺さんなどをまわってみる。

 
 久々に天龍寺に行ってみようと最寄り駅からとぼとぼ歩く。途中こじゃれた古本屋さんなどを見かけるとつい覗きこんでしまう。職業なんだか趣味なんだか判らない。紅葉前とはいえ休日のせいかえらい人手。天龍寺には入る気が急に失せ、塔頭であるところの弘源寺と宝厳院にのみ立ち寄ることにする。

 
 維新の折の刀傷。それそのものはどうでもいいが、寺というのはそういう場所であったのだということはどことなく面白い。何らかの決起、その際に集う場所。単に京都に寺が多いということでは説明できなさそうな気がする。場、ということ。

 
 基本的には枯山水を無性に好む。しかし、そもそも久々に天龍寺へと思い立ったのは池を見るのもよいだろうな、という気分になったからであった。宝厳院・獅子吼の庭はじゅうぶんその気分を満たしてくれる。排された巨岩、おもしろくつくられた水流、一面の苔を見つつ、何を思ってこのような配置をしたのかと考えてみるが、結論はない。


 市中に入ってからひと息をつく。必ず行く喫茶店のいくつかをはしごしたのち、これまた必ず足を運ぶ一乗寺は恵文社さんへ。なぜか単行本で買い漏らしていた、茨木のり子さんの『寸志』を求める。「この失敗にもかかわらず」は、やはり詩集らしい質感で読みたいと思ったのだった。

 
 とっぷりと夜は更けている。ちょっと調べてみると曼殊院はそうそうに夜間拝観をやっているそうな。歩いて歩けぬ距離でもなかろう。カロリー消費のためだと思ってあるきはじめたはいいが、坂を登っていく段になって急に後悔してしまう。汗みずくになってひっそりとたたずむ門跡にようようたどり着く。

 
 随分前に一度だけ来たような心持もする、よく覚えていない。さすがに門跡、天皇と縁もゆかりも深いゆえか、色んなところに由緒を感ずる。ライトアップされた枯山水を眺めるというのはいかにも現代的であって、さて、往時の人がそのような楽しみ方をしたのかは知らない。楽しんで見たのか、何らかの修業的な意味合いもあって表されたのであろう世界観をありがたいと思って見たのか。いずれにせよ、美しい。芯に沁み入ってくるような冷たさは、さっきかいた汗が冷えたからだけでもあるまい。開け放された板張りの廊下にたたずみ、山からひたひたと迫ってくる冷気。無音だが、音が聞こえてくるような冷たさ。


 我に返って立ちあがる。日々の手入れがあって今があるわけで、そっくり昔日のままというわけではあるまい。が、何かが伝わっている、遺されている、生き延びている。そう感じる。生きながらえさせたのは何であっただろう、とふと思う。天皇家か時の権力か。生き延びている何ものかは確かにある。しかし、それは何ものかをして生かさんと思わしめる、そういうものではなかったか。同じことを逆から言えば、それを生かそうと思う人がいたからこそではないか。美しさを感じるというのは、そういうことなのではあるまいか。ただ、眺める。触れる。そこからつかみ、つかまれる何ものか。

 
 さすがに帰りはタクシーに頼ることにした。出町柳まで走ってもらう。一番最初、意識して学生時代に京都に来た時には、故あって深夜この界隈から清水寺あたりまで歩き、戻ってきたことがある。もう20年近く前の話だ。その時の記憶のせいかどうか、とにかくこの鴨川沿いというのは好きな場所なのだ。


 一夜明けてさあ、どうしようと考える。高田渡信者としてはベタであれ何であれ、イノダの本店は欠かせない。一日のプランをどうしよう、とまずは早くからあいていそうな六波羅蜜寺へと向かってみる。ここもはじめてのところ。


 地下鉄に乗っている道中、昨日いずれかのお寺でもらってきた「正しい坐禅の組み方」なるパンフを読む。「坐禅をする時、目は開いています」とあるのが面白い。「菩薩の半眼」というのだそうだ。「目を閉じると消極的になり、余計な妄想がわいてきますので、閉じないで下さい」。なるほどそういうものかと妙に納得してしまう。


 六波羅蜜寺に向かったのは、早くからあいているというだけでなく、辰年にしか見られないというご本尊が拝めるとガイドブックに書いてあったから。あまり仏像には興味があるほうじゃない。物珍しさのほうが勝る。しかし、いざお参りをしてみると、何とも言えぬ表情がある。作った人は何を思ってこのような表情を形にしたのだろう。思ってやれることなのか、何かに突き動かされたか。それはそれでたいへんに興味深いけれども、それをまた拝んだ無数の人々が今までにあった。単にありがたいからか。たまにしか見られぬからか。そういうこともあるだろう。しかし、そうでないこともありはしないか。いかなる動機からであれ、その前にたたずむことで、ほんの一瞬であったとしても、何か背筋が伸びるような、心の底から自然に頭を下げ手をあわせる、そういう出会い。作り手の出会いであるだけでなく、今までにこの場で手をあわせてきた無数の人々との、出会い。


 続いて向かったのは泉涌寺。東福寺だけにしようかどうしようか駅を降りて迷うものの、ええい、ここまで来たんだとやや遠い方の泉涌寺から先にする。二度目だが、以前の記憶というのはすっかり忘れているもので、昨晩に続きふうふうと山道を登っていく。まあ、覚えていたら止めていたかも知れないので結果よしだ。


 まったく意識していないかった。ここもまた天皇家にゆかりある寺であった。仏教と天皇。宗教と権力。まあ、そういうものだろう。由緒正しいと誰が決めるのか知らぬが、そうして遺されてきた貴重なものは確かにある。しかし、と思う。やはり、偉い人だけがそれをあがめたてまつった、それだけのことであれば、何百年、下手すりゃ千年の単位で遺りはしない。そこに価値を、惹かれるものを、大切だと思わせるものを、感じ取ることのできる生身の人間が居続けたのだ。


 「千年に一度の出来ごとには、千年を超える思想だ」。そう大澤信亮さんの声が聞こえてくる(「出日本記」。「群像」2012年5月号)。ならば、千年を超える思想――それは庭や仏像や書や画や言葉によってあらわされる――、そうしたものがたかだか数十年、よくもって百年程度の生身の人間に宿るということ、これは不思議という他はない。なるほど宿るのは千年に一人の人間かもしれない。けれど、その思想を、数十年の寿命しか持ち合わせていない人間たちが、何世代にもわたって紡いできたのだ。その力は何か。また、その力を認知できるというのはどういうことか。


 たとえその認知が誤解であったとしても、それによって生き延びる/生き延びさせることが出来たなら、それは少なくとも偽物ではない。若松英輔さんがしばしば強調する「誤読」とはそうしたものだと、勝手に感じて納得している。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-11-16 22:04 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十五)

 前回、敵対し合う関係に終止符を打つのが死者であり、それに通ずる言葉である、と記した。終止符というのは正しくないかもしれない。その関係性はうわべはたしかに終るだろうが、内実としては、ともに手を携えて別の次元に行くというのでなくてはなるまい。どうあっても他者の力は必要なのだが、生きているものどうしの一対一すなわち「二人の次元」のみならず、実はすでにそこに三人目の他者=死者の存在が、ありはしないか。

 
 一般的に言って、人の死なない日は一日たりとてない。同時に、人の生まれない日も。毎日どこかで誰かが死に、誰かが生まれる。そんなものだと斜に構える前にやはり感じなくてはならないのは、あの時あっという間に、あるいはあの時から苦しい時間を経て、命を落とした方がおられるということ。あの時から継続している苦しさになお、さらされている人が少なからずおられるということ。そして生き延びることが出来た方々も、間近で失われた命を見てこられたのだということ。そういうことを前に、何かが僕に言えるなんていうのは驕り以外の何ものでもない。「五勺の酒」いうところを聞こう。

 
 何よりもあれを止めてくれ。圧迫されたとか。拷問されたとか。虐殺されたとか。それはほんとうだ。僕でさえ見聞きした。しかし君自身は生きているのだことを忘れないでくれ。生きている人よ、虐殺された人をかつぐな。生きていること、生きのびられたことをよろこべよ。そうして、国民が国民的に殺され拷問されたことを忘れぬでくれ。このことを考えてみてくれ。たくさんのわる気のない青年が、こちらから拷問し、暴行し、虐殺しさえしたのだということを。彼らのあるものは、この辺でもあった、国内ででさえ、工場近くの村むすめたちに集団的に暴行したのだ。暴行される域を越えて、自分から暴行するところまで追われ暴行されたのだ。いま生きて、君らの話を演壇の下から聞いている青年ら、彼らは、殺されなかったということそれ一つでいま生きてるのだ。たくさんの人が殺されるのを見てきた。たくさんの仲間の死骸を捨ててきた。場合いかんでは殺しさえして生きのびてきたのだ。そのことを知り、しかも彼らには、彼らを正しく支える精神の柱が与えられていなかったのだことをよく知ってくれ。死者をおそったそのものに君自身どう対したかをしらべずには決して死者を誇るな。


 戦争、それにともなう圧迫や弾圧。それらからの解放。そうした文脈と2011年3月から顕在化したもろもろのもんだいを、安易に結びつけることは無意味だ。けれど、死者にたいする態度は、十二分に学ぶことができる。

 
 命を失った人は、身近な人には何かしら語りかけるような、そんなことがあるかもしれない。そうした臨在はあるだろう。僕は直接よく見知った人を失ってはいない。そんな時に、どういう態度をとるべきか。


 「死者をおそったそのものに君自身どう対したかしらべずには決して死者を誇るな」。


 地震や津波に、どう対したかと言われると答えに窮する。けれど、万が一そうしたことが起きた時のために、予めの準備をしていたか。個人としての備えを言うのではない。社会としての備え。地震や津波だけが死者を襲ったのでは、おそらくはない。そして起きた後にどのような対応が社会として、政治として為し得たか、あるいは為し得なかったか。そして、原発事故とその対応……。

 
 そうしたことを、自分なりに引き付ける努力をまったくしなかったわけじゃない。しかし、根本的に欠けていたのは、それらを「死者をおそったそのもの」として捉えること、そして自分自身が「どう対したか」をしらべる姿勢だ。ここを棚あげしてしまってただの懺悔に終ってしまったら、何の意味もない。若松英輔さんの言われること(「死者がひらく、生者の生き方」、『死者との対話』)が、じわじわと効いてくる。

 
 が、ここは「五勺の酒」に話を戻そう。
 

 そもそもこの作品を書きながら読み始めた当初は、「運動」のド真ん中にあった中野重治が何故こうした作品を書き得たのか、こうした作品が今においてなお生み出されなければならないのではないか、そういう思いがあった。それは今も変わらない。けれど繰り返し繰り返し読むうちに、そういう気負いは自分の中で鳴りを潜めていくのが判る。自分がこの作品から何を得られるか。どこに沈黙を強いられるか。


 「死者をおそったそのものに君自身どう対したかしらべずには決して死者を誇るな」。


 この一文が自分に突き付けられる。なぜ突き付けられると感じるかを考えていくことが、中野が造形した校長の心情へ連なっていく道ではあるまいか。その道の先には中野その人がいる。中野その人の向こうには、その時代に生きていた人と死者とが、同時にいたに違いない。


 そこに触れたい。その触れた手で、いま現在をつかみなおしたいのだ。



 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-11-11 21:29 | 批評系 | Comments(0)

本としての『脱原発とデモ―そして、民主主義』

 正直なところ本じたいにあまり興味はなく、ただ、昨日28日に行われた鎌田慧さん・松本哉さん・雨宮処凛さんのお話は聴きたいと思った。聴くからには事前に読んでおかねば失礼だ。前日からあわてて購入し、開演前には読了した。イベントについては別に書こう。まずは、本としての『脱原発とデモ―そして、民主主義』について。


 本じたいにあまり興味がない、というのはほんとうに実感としてある。もともと運動系の書籍には一定の距離を置くようにしている。近親憎悪というと失礼か。自分が多少なりとも一参加者として関わる運動ならなおさらだ。処世術という側面は無論ある。が、それ以上に、「手前の感覚で下手に盛り上がってはまずいんじゃないか」という自制が過剰に働くのだ。それは、けっして悪いことではない。もはや、若くないのだから。この点はイベントについて述べる時に触れる。


 各々の方が各々に書いておられており、それに対しての感想を少々記してみたいのだが、まず先にひとつだけ気になることを記しておきたい。p.170だ。

 
 小見出しには「5.ポリフォニーの行方」とある。本文には「多声音楽」というルビなし表記(同頁)と「ポリフォニー」(P.171)という表記が見られる。表記のゆれも気になるが、それ以上に気になるのは、ポリフォニーという言葉はこういう文脈で用いられる時、注釈もルビも何もなく「多声音楽」と等号で結びつけられるほど一般的で知られた用語なのかどうか、ということだ。

 
 運動の文脈におけるポリフォニーという言葉は、すぐさま小田実さんを想起させるだろう。俺は判っているぜと言いたいのじゃない。多少の予備知識が、ひょっとすると求められる用語なんじゃないのかという疑念である。誰に向けて届けるのか。用語を使うなとは言わない。本文の「多声音楽」のところに「ポリフォニー」とルビを打てばそれで済む。それだけのことだ。それだけのことが、なぜ見落とされるのか。こうしたところが気にかかるのだ。繰り返す。誰に向けて届けるのか。もちろん、僕の感覚が間違っているのなら素直に引き下がるつもりだ。


 さて、本そのものに触れていこう。やはり自分が読む手を止めてしまうのは、こうした個所である。感想の総論としてまずここから。


 原発の問題は、確実にそれが、ある人々に過酷な負担を押しつけることです。いくら大多数の人がそのことによって恩恵を受けるとしても、決してこのような非民主的な技術の存在を認めることができません。
                                           毛利嘉孝(P.39)


 泣き寝入りだけはしたくないって部分は強い。あまりにも理不尽、不条理を押し付けられている人たちがたくさんいるわけじゃないですか。それはもう間違いなく明日の僕たちの姿ですもんね。
                                           山本太郎(P.58)


 これらを念頭において「原発いらない福島の女たち」としてまとめられた言葉(P.132-6)を読むとき、僕は沈黙を強いられる。ちょっとやそっとデモに加わったくらいで、やった気になるなよと思う(自分に対して、だ)。福島原発告訴団についても。ならばもう、考え続けるしかないのだ。

 
 次いで各論的に三点ほど。第一に、鎌田慧さんのエッセイから(P.85)。

 
 原発推進派が反対運動に追い詰められてもちだしてきた論理は、「カネと命の交換」である。原発に反対すると、食えなくなるぞ。公害企業への逆戻りである。70年代の公害反対のスローガンは、「公害の空の下のビフテキよりも青空の下でのおにぎり」などだった。死に至る繁栄よりも、身丈にあった経済生活を、である。


 「公害の空の下のビフテキよりも青空の下でのおにぎり」。なんとも素敵なフレーズではないか。そうした蓄積を、この社会というのは持っていたんだなと思う。そんなに昔の話じゃない。自分の親よりは上かもしれないが、せいぜい祖父母くらいまでさかのぼればじゅうぶんだ。山下陽光さんが「抵抗の発明者を発見しまくりたい」(P.30)と述べておられるのに共感をおぼえもする。「カネと命の交換」に関しては、生活保護の問題をつなげていたイベントでの雨宮さんの発言ともかかわってくるのでそこに譲ろう。


 第二に、さて、抵抗の蓄積を発見し、それを掘り起こし、活かす。実践する。ここで重要なのは松本哉さんの発言だ(P.126)。

 
 革命後の世界を先にやっちゃったほうがいいんだ、みたいなことを言ってると、けっこう真面目な人からは共産主義革命ですか? 社会主義? 民主主義革命ですか? とか聞かれるんですよ。そういうことを質問する時点で人任せだと思うんですよ。


 自分たちでやるということの大切さやおもしろさ。おそらくはむずかしさを十分に体験した上でやっておられる松本さんが言うその言葉を、「消費」せずに受け止めたい。「消費」するのはかんたんだ。適度に礼賛するか、あるいは、適当に自分自身の理屈を構成するピースにしちまえばよい。

 
 まず、自分たちでやっちまおうという精神はまっとうなものだと思う(卑近な例だが、職場でもある程度そうした精神であれこれをやっちまえと思って好き勝手やることがある。引き際は見定めるが)。真面目な人からの質問を「人任せ」とするのも小気味よい。自分でやれよ、と。そこは大変に共感する。

 
 だが、背後からそっと忍び寄るのは、中野重治「五勺の酒」を読む中で判らなかった部分、すなわち義理の弟へのわびと天皇の満州皇帝へのわびとが分かちがたく結びつく部分だ。僕がこの部分が判らないままなのは、松本さん的な考え方を多少なりともしているからだと思うのだ。天皇は天皇、国家は国家、自分は自分。自分たちでやろうじゃないか、と。それが理由で「五勺の酒」が判らないなら、致し方ないかもしれないとも思う。

 
 けれど、実のところはどうか。ひょっとすると否が応でも考えたり何かを要求されたりしてしまうんじゃないのか。そうしたことがいつかやってくるのではないか。そんな思いに囚われる。たとえそんな時でも、おそらく松本さんは動じないだろう。松本さんの言葉を消費せずに受け止めようとするなら、自分もまたそうであらねばならない、いや少なくとも努力はし続けなきゃいけない。


 第三に、田中優子さんのエッセイをあげておきたい。田中さんの文章を、あまりまとめて読んだことはないのだが、このエッセイは鬼気迫るものを感じる。次の部分は、この本の中で僕がもっとも惹かれた個所(P.151)。

 
 近代で一揆に近いものを見せたのは、チッソ株主総会(1970年・大阪)における水俣の人々であった。彼らは巡礼の白装束に笠をつけ、手に鈴を持って社長を取り囲んだ。神意ならぬ亡くなった方々の魂によって個々の利害を超え、一揆してテロル(恐怖)の存在となったのだ。水俣闘争から多くの文化が生まれたのは、理不尽への真の怒りと、死を見つめるまなざしがあったからである。


 この記述の少し後にある、「デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずがないのだ」(P.151)という言葉に対しては、そういうデモもあるし、そうでないデモもあるのでは……、と及び腰にしか答えられない。だが、「神意ならぬ亡くなった方々の魂によって個々の利害を超え」「理不尽への真の怒りと、死を見つめるまなざし」という言葉の前にはぐうの音も出ない。

 
 若松英輔さんが『魂にふれる』や、『死者との対話』などで繰り返し「死者論」を強調されていることの意味は、ここにつながってくるような気がしてならない。
 

 最後に補足的に二点ばかり。ひとつめは、サブタイトルにある「民主主義」。民主主義の問題といえばそうなんだろうけれども、何かこう、釈然としないものが残る。民主主義という言葉の定義の問題かもしれないし、民主主義の問題という側面があることも疑わない。しかし……。上原專祿は「独立」といった。そのことが気になっている。

 ふたつめ。これがほんとうに最後。武藤類子さんの昨年9月のスピーチがおさめられている。『福島からあなたへ』で収録されたのと同じ内容。これはこれでありだろうからケチをつけるつもりはない。しかし、いざ武藤さんの言葉に触れたいと思った時、文字の組み方・写真の配置に細心の注意が払われた『福島からあなたへ』が、ちゃんと作られていてよかったな、と思った。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-29 19:40 | 運動系 | Comments(0)

白川静『漢字』

 白川静さんの『漢字』を、あいまあいまに読み進めていた。若松英輔さんの影響による。


 仕事上のかかわりからどうしても入っていかざるを得なかった吉本隆明さん、そのおかげでかなりいろんな世界を知ることが出来たのだが、おそらくこの一冊も、そうした経緯と経験を積んでいなければ読めなかったかもしれない。とにかく難しい。旧き佳き岩波新書だ。懐かしんでばかりもいられない。自分を括弧に入れられない、読者として、書店員として。

 
 細かいことはさっぱり判らない。けれど、吉本さんが「歌」をさかのぼったように――それには折口信夫さんの蓄積を大いに活用したであろう――、その初原にまでさかのぼる、その姿と重ね合わせながら読んでいた。今となっては埋もれきっている何ものかを明らかにする興奮。実証がどこまで出来るか知らない。しかし、何ともいえず訴えかけてくる何ものか。


 何せ「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」という言葉から始まるのである。具体的に取り上げられるのは古代中国であり、それを手がかりとする古代日本への想いであろう。その時に生きていた人間が何を感じ取っていたか。今なお何か惹かれるものがそこにあるとするならば、そこには人間が人間として受けついでいる何かがある。

 
 僕が知識がないから間違っているかもしれない。しかし、感覚として、白川さんは確信を以て字源の意味するところを書いている。反証する根拠はおそらく無数にあるだろう。それは古代の音韻論などでも見られることだろう。けれど、自分自身に血肉化した解釈には揺るぎがない。さりとて独断という感はまったくない。大きな何かをつかんだ上でものを言っている。そういう印象を受ける。例えば「歌謡について」と小見出しのついたセクション(P.131)。


 ことばが、神とともにあり、神そのものであった時代に、神と交渉をもつ直接の手段は、ことばの呪能を高度に発揮することであった。「ことだまの幸(さき)はふ国」というのは、ひとりわが国の古代のみではない。中国にあっても、そのことだまへのおそれは、古代文字の構成の上にあらわれているのである。

 呪言としてのことばは、日常のことばづかいと、多少異なっている方が呪能の効果を高めると考えられた。お経をよみ、聖書をよむにしても、適当な抑揚やリズムが要求される。その最も古代的なものが歌であった。国語の「うた」は、あるいは「うつたふ」という語と、関係があるかも知れない。歌は神に訴え、哀告することばであった。

 古代人の感情は素朴で直截的であり、つくろうところがなかった。かれらは神に祈るとき、もとより神に哀訴するのであるが、かれらの感情は、祈る以上はその実現を要求してやまなかった。どうあっても、神に聴いて頂かねばならぬという、強訴に近いものであった。


 じっさいに哀告、哀訴、あるいは強訴を体験した者でなければ醸し出せない説得力を、ここに感じる。


 以前だったらここで終っていたのだが、最近はもう少し先の、あるいはややこしいことを考える。なぜ、自分はこうした部分に説得力を感じるのか。読み手として、この時何を為し得ているか。

 
 言葉がわかることすなわち喩がわかること、それはすなわち信仰を持っているということだ、という吉本さんの講演「喩としての聖書」でのお話がふと頭をよぎる。


 何ものかに触れ得ているかは自信がない。だが、どうやらここではないかという戸口には、立せてもらっている気がする。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-29 06:47 | 批評系 | Comments(0)

若松英輔さんの講演

 昨日は久々に若松英輔さんのお話を拝聴した。僕が若松さんの書かれたものやお話に強い関心を抱いているのは、自分自身のもんだいを重ねあわせつつ、それを前向きに転化したいという個人的な理由が根底にある。単に面白い、何かあるという手ごたえを感じるというからでもある。それはそれとしてどこかで記すつもりだけれども、印象的なお話のいくつかのうち、ひとつだけ。

 
 若松さんは井筒俊彦だったり小林秀雄だったり柳宗悦であったりといった方々の言葉を資料として配布し、それを声に出して読みながら聞き手とともに味わいつつ、話を進めていく、そういうスタイルをとる。そこで昨日おっしゃていたのは、「文学者や哲学者が引用するとき、その引用した部分というのは自分が沈黙を迫られた部分である。そこに付け加えることは何もない、そう感じたところを引用する。皆さんもそのように読んでほしい」、と。


 小林秀雄さんも似たようなことを言っていたような気もするが、若松さんが小林さんの口真似をしているとは思わないし、思えない。これは小林秀雄をつかんだ確信であり、その確信は若松さんのみならず、例えば山城むつみさんにも、大澤信亮さんにも、杉田俊介さんにも、あるだろう。そのことについては少し違った観点から以前触れてみたことがある。

 複数の人をつかんだ確信、それを何と名づけるかはその人次第だ。真理でも実在でもなんでもいい。僕自身はそれをひとまずは「真理」とよんでおこうと思うが、あまり名称にはこだわらない。

 
 ここで昨日の講演の内容にさらに立ちかえると、「誰かと誰かが言っていることは同じだ、というのは二次的なこと。そうした人々が何を見たのか、そこに触れることが大切なのだ」ということになる。これは若松さんが繰り返し強調されることだ。今例えば名前を挙げたような方々の文章に、通ずるものを感じたとして、それを読み手である自分が感じるというのはどういうことなのか。そのとき自分は何かに触れ得ているのではないか、という思い。傲慢ではなく、素直に感じ取ること。

 
 まずその体験を、自分自身に掘り下げていくこと。自分が体験したようになぜ他者は体験しないのか、という問う前に。ここが僕にとっての個人的で、しかしたいせつな問いである。


 中野重治さんの「五勺の酒」を引用しながら読んでいるが、自分が沈黙を強いられたところを忠実に引用しているか、何か「言いたいこと」先にありきでテキストを「利用」してはいないか。ついでながら、若松さんは「○○について」語ることと「○○を」語ることの違いを強調される。大事なのは後者だ、と。


 してみると、「『五勺の酒』について」と題してしまった一連のエントリは、なるほど周縁をうろうろしている、ただのおしゃべりかもしれない。小林さんの「他人をダシにして自分を語る」という言葉を、手前に都合いいように解釈しているだけではないのか。


 なぜだかここ最近、同時代の文学者がしばしば用い、かつ自分にとっては長らく実感がつかみきれていなかった言葉が、じわじわと沁み込んでくるように感じられてくる。孫引きで申し訳ない。


 君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。
                                  カント『道徳形而上学原論』


 しかし、とにかくもう少しは続けてみよう。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-26 08:03 | 批評系 | Comments(0)

脱原発10万人集会にて

 どうにも体調が芳しくないこの数日。いくつかの、どうあっても避けることのできなさそうな問題が連発し、しかもまだ何の解決も見いだせていないことが影響している……と思っているのだが、ただの暑気あたりかもしれない。

 
 というわけで、今日も出遅れてしまった。しばしばデモだの集会だのに向かう前に覚えるだるさとも似ている。身体がどこかで拒んでいるのかもしれない。が、電車に乗ってしまえばどうということはなくなるのだから不思議だ。

 
 原宿駅がえらいこと混雑している12:30、まあ、急ぐこたあねぇやと人の流れに身を任す。炎天下というにふさわしい。色んな団体やら車やらで歌だのアピールだのがさかん。


 別段あてはハナからないが、出来ることなら武藤類子さんのお話は伺いたいと思っていた。代々木公園でやられたイベントに参加したことなんてあっただろうか、と思うくらい記憶のかなた――国民大集会といったか、あれはたしかここだったような気もする。20年近く前だからもう覚えていない――。なので、人数がどうだとか比較は出来ない。えらいこと人がいることだけは判る。


 メイン会場らしきところにようやくたどりつくと、ちょうど大江健三郎さんのスピーチが始まるところであった。相変わらずの朴訥とした口調。しかし、その中には力がみなぎる。

 
 再稼働が決まって落ち込んだ、という大江さんは、中野重治の作品「春さきの風」を想起したという。簡単に粗筋を紹介したのち、大江さんはこの作品の末尾、


 「わたしらは侮辱のなかに生きています。」


 との一節を引いたのだった。
 

 昨年、「わたしたちをばかにするな」と語った武藤さんの姿がすぐさま思い起こされた。これらの言葉を、今生きている人間をしていわしめる何かがあるような気がしてならないでいる。


 それから後、幾人かのスピーチが続く。兎に角暑いのでそれとなく木陰らしいところに移動したりしながらとこちらも忙しい。ペットボトルに詰めてきた水はすぐさま空になってしまった。

 
 いよいよ武藤さんのスピーチ、という段になって、乱入してきた人がいた。舞台が見えないので声と音でしか判断できないのだが、明らかにハプニングのようであった。きっとどうしても言いたいということがあったのだろう。思いつめてもいたのかもしれない。が、間もなくマイクを切られ、おそらくは舞台の外へと連れ出されたようだ。

 
 経産省前であったり、官邸前であったり、東電前であったり、そうしたところで絶叫としかいいようのない声をあげている人を見てきた。聞くに堪えない罵倒も中にはあった。そんな言い方じゃ伝わらない、というのは圧倒的に正しいけれども、簡単だ。そう表現するほかないところまで追いつめられたことを想像すると、僕にはもう何も言えなくなってしまう。それはそうした言動を支持する/しないという以前の問題としてある。


 しかし、今回の乱入者は残念であった。他ならぬ武藤さんのお話を邪魔するような格好になってしまったのだから。やり方を「間違っていた」という資格は僕にはないが、少なくとも「まずかった」ことは確かだろう。


 ややあって、武藤さんが登場した。武藤さんのお話を直接に伺ったのは、数十人程度の集まりの一回だけだったように記憶している。この方のすごいところのひとつは、そうした数十人程度の集まりでのお話しぶりと、10万人を超す場所でのお話しぶりとが、ほぼ変わらないことだ。後者の方がどうしても多少は演説・スピーチめいたものにはなるけれども、ひとりひとりに語りかけるような、そういう口ぶりは変わることがない。

 
 ほんの数時間前のことなのに、もはや話の細部は自力で思い出すことが出来ない。しかし、お話をおおぜいの人と一緒に、直接に「聞いた」という体験だけは、強く、深く、頭の中に、あるいはこういってよければ「魂」の中に、残っている。


 武藤さんはおそらく、自分が何かを語るというお気持ちでおられるのではない。誰かに、何かに、陰に陽に突き動かされ、あるいは守られながら、言葉を発している。そのようにご自身で自覚されているのではないだろうか。それは武藤さんを通じて、聞き手、いや、同じ時代を生きる僕たちひとりひとりに響いてくる。

 
 かつて武藤さんの言葉について考えた時、僕はこのように記したことがある。


 武藤さんを絶対的存在として称揚してはならない。同時に、貶めてもならない。当たり前のことだが、どちらも失礼だ。確かにすごい人だと思うけれど、そのすごさは自分も生活し、働いている同じ社会・同じ時間と地続きであるというべきだ。自分とは無関係の地平にある存在なのではない。このことは何度でも思い出す価値がある。そして、そうした人が発した言葉が突き付ける絶対性が、確かにあるということを記憶にとどめよう、出来る限り。



 今は少し手触りが違ってきている。例えば、こうした文章に接した時の感覚に、近い。様々な違いを捨象しても、なお。


 何をなすか、ではなく、何を受け継ごうかと考え、世界をみるとき、私たちははじめて自身に準備されている「遺物」の豊かさに気がつくのではないか。別な見方をすれば、生きるとは、自己の願望を成就することではなく、先人の生に、いかに受け継ぐべきものを見出すか、ということになる。
                                 若松英輔、『内村鑑三をよむ』、P.48


 
 相対的存在に宿る絶対性、というのが僕がこの数年ぼんやりと考えてきたテーマであったが、どうやら少しは問いを進めることが出来そうな手触りが、ある。それは、数多くある問いや課題を、貫くことのできる「棒のごときもの」となるものかもしれない。

 
 武藤さんのスピーチのもたらしてくれた「体験」を、今一度かみしめることにしよう。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-07-16 17:47 | Comments(0)