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考えたい異見その2

 今日はどうしても仕事の都合がつかず、「ロスジェネ」のイベントにいけなかった。きっと前のイベントの時よりも人数が少ない分、濃く話が聞けるのではと思っていたのだが……。「勤め人の辛いところよ」と寅さんを気取ってみる。

 行けたとしても、小心者の内弁慶なので質問なんてする気はさらさらないのだが、あらためて最近気にかかっていることがある。自己責任と仕事が出来る/出来ないという問題。

 中村うさぎさんが、読売新聞の書評サイトで、知人のニートの就職の世話をしたのに、遅刻やサボりで辞めてしまったことを書いておられる。「『自己責任』主義の私にとって、彼の無責任さは信じ難いものであった」と中村さんは記す。

 そりゃそうだろうな、と思う。事情を全く知らないで想像するのもおかしいことかもしれないけれども、何万歩かくらい譲って考えて、世話してもらった側は、例えば職場で仕事の内容とか人間関係とかがなかなか上手くいかなかったとか、例えばメンタルの面で大変だっただとか、そういったことがあったとしても、少なくとも世話をしてくれた人に対してはちゃんと事情を説明すべきだと思う。それすらも出来なかったのか、しなかったのか、ももちろん分からないけれども。
 
 関連して。6/22の「文化系トークラジオLife」で、編集者の柳瀬博一さんが、「左翼は仕事をできなくなってしまった人間の責任を取れるのか?」と問うておられる。
 
 一方、と言っていいのか分からないのだけれども、萱野稔人さんは、「なぜ私はサヨクなのか」(「ロスジェネ」所収)で、こんなことを記しておられる。

 (前略)左翼は人間の意識とか精神といったものから問題をたてない、ということだ。社会というのは人間の意識を中心とくみたてられているのではない。逆に、人間の意識のあり方もそれによって左右されてしまうような外的な要因によって社会は条件づけられている(p.61)


 (前略)あくまでも左翼は人びとの社会的生活を条件づけるものに介入するだけで、それぞれの人の生き方や実存の問題にはけっして介入しない(p.62)
 

 こうした主張と、中村さんや柳瀬さんの主張とはかみ合わせることが出来るだろうか?

 多分、一般論で語ることは、出来ない。ゆくゆくは出来るのかもしれないが、少なくとも今は。個別の職場なり何なりのケースを蓄積・分析していくしかない、と思う。

 僕の職場でも、色んな立場に色んな難しさ、個別の困難がある。ひょっとすると、自分もその困難を助長しているのかもしれない。

 補助線として。杉田俊介さんが『フリーター論争2.0』の中で、鬱病の人と一緒に働いていた経験を記しておられる。率直に、「へヴィだった」と。その上で、こんな風に続けている。

 
だからその人を不当解雇していい、という意味ではまったくありません。でも、過剰な労働で燃え尽きていく人のリアリティと、生きづらくて働くのも難しい人のリアリティが、すり合わせられない限りは、難しい感じがしますね。(p.102)


 「リアリティ」。批評の立場からはこうした言葉が出た。これに対応するものとしては、例えば湯浅誠さんの「五重の排除」(『若者の労働と生活世界』所収の論文や『反貧困』を参照されたい)、本田由紀さんの「若年労働市場における二重の排除」(『軋む社会』所収)であろうか。

 さらにないだろうか? と思って今、『ルポ“正社員”の若者たち』を読み進めている。



 
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by todoroki-tetsu | 2008-07-05 22:39 | 業界 | Comments(0)

杉田俊介『無能力批評』読了

 読みかけの本をすべてほったらかして、杉田さんの『無能力批評』を一気読みする。

 そうそうさらっと読める本ではなかったし、また、そんな読み方を許さない「何か」がある。

 それは、杉田さん自身が「この少し奇妙bizzareな本」(あとがき)と記しておられるように、構成といい文体といい、決して整然としていない――いやむしろ、混沌とした一冊だから、なのかもしれない。

 反貧困たすけあいネットワーク、青い芝、バートルビー、『ジョジョ』、『寄生獣』、『ナウシカ』、カント、ブランショ、フーコー、スピノザ、デリダ、マルクス、橋川文三、立岩真也、小泉義之、東浩紀、非モテ、田中美津、森岡正博、宇多田ヒカル、あんぱんまん、宮澤賢治……。

 読後、順不同にパッと思いつくだけでもこれだけのキーワードが出てくる。これが混沌でなくてなんであろう。しかし、それが「無能力批評」という目で見ると幾重にも錯綜しながらつながっていくのである(もちろん、まだ一度しか読んでいないので、自信を持っては言い切れないが、そういう手触りは、ある)。

 僕はこの『無能力批評』を、「現代批評界至高の『奇書』」と銘打ってみたい――もっとも、「現代批評界」なんて言葉があるのかは知らないが。

 「奇書」とは「構想がずば抜けておもしろく、他に比べものの無い本」(「新明解」第5版)のことだそうだが、この「奇」に「奇妙bizzare」の「奇」を重ねたい。

 一読して高山宏さんの博覧強記自由闊達ぶりをどこか髣髴とさせるようにも思うが、杉田さんの筆はより重く、生々しい。

 生身のからだの息遣いや匂い――それは望ましいもの、微笑ましいもの、かぐわしいものとしてというよりも、望ましくないもの、忌み嫌われるもの、臭いものとして立ち現れる――から決して離れることなく、そこにこだわり続けることから生まれるであろう「何か」。

 もう少し考えてみたい。

 いや、本屋勤め人としては何かいいPOPのネタが拾えないかという目で(も)読んでいたつもりなのだが、そんなことにかまってられずに没頭してしまった。ああもうどうPOPを書けばいいのだ!? と悩むが、こういう悩みは、嫌いではない。

 
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by todoroki-tetsu | 2008-05-22 00:16 | 業界 | Comments(0)

杉田俊介『無能力批評』、遂に入荷

 先日触れた杉田俊介さんの新刊、『無能力批評』がついに今日入荷した。

 いやあ、目次を見るだけでワクワクする。

 以下に列挙する。

〔Ⅰ〕
フリーターリブのために
 ――労働・自由・生命――
誰に赤木智弘氏をひっぱたけるのか?
 ――「「丸山眞男をひっぱたきたい 三一歳フリーター。希望は、戦争。」に応答する――

〔Ⅱ〕
ニート/バートルビー
 ――生まれてこなかったことを夢みるイエス――
 Ⅰ ニート
 Ⅱ バートルビー
 0 (わたし)
無能ノート
 Ⅰ 生存――ニーチェ
 Ⅱ 潜勢力――アガンベン
 Ⅲ 邪悪――荒木飛呂彦
 Ⅳ 無能の神学のために
自立と倫理
 Ⅰ 自立生活テーゼA/B
 Ⅱ カントとオートノミー
 Ⅲ カントとともにある『寄生獣』、『寄生獣』によるカント
[無能力批評A]『フリーターズフリー』創刊号に寄せて
 ――労働・アナーキー・ユートピア――
[無能力批評B]ウーマンリブ、遭遇
 ――自己道徳/社会正義/子殺しの倫理――
[無能力批評C]一九七〇年代前半神奈川青い芝と無能力のメルティングポイント
 青い芝の闘争(その三つの空間)
 CIL的なもの・と・青い芝的なもの――あるいは繋ぎ損ねられたもの
 介助的自立・と・コンフリクトへの自立――介助者手足論でも健全者手足論でもなく
 能力主義というフリージングポイント、あるいはその先にあるもの
 盲点と腐朽――『あゆみ』というテクスト

〔Ⅲ〕
ALS・自然死・家族介護
 ――いちヘルパーの小規模な日常から――
 1 剥がされていく、
 2 片隅で、
 3 別の当事者として、
「男性弱者」と内なるモテ幻想
 ――メンズリブノート――
 男らしくない男たち――「男」でもなくマイノリティでもなく
 フェミニズム/メンズリブ/男性学
 非モテとは何か?――三つの非モテ観――
 弱さについて
 性暴力と死の欲動
 再び、メンズリブのほうへ
 最後に
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』のクリティカル・ポイント
宇多田ヒカルのパッション

 この多彩さ! 読み進めるのが楽しみでしょうがない。

 税込¥2,310と決して安い値段ではない。が、正確な数は伏せておくけれども、今日の夕方からの数時間で早速売れている。かなりのハイペースである。

 うれしい。本屋の楽しみはここにある。もっと売れるように工夫を考えよう。

 ところで、バートルビー、ウラゲツ☆ブログでもあらためて触れられていた。文学音痴の僕だが、ちょっと気になる。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-21 00:16 | 業界 | Comments(0)

上原専祿「国際政治と教育」

 先日に続き、上原専祿を読み返している。先日と同じ著作集14巻『国民形成の教育』(評論社)から、講演「国際政治と教育」(1961.3.28)を。

 「ことに、日本の今日の社会、日本の政治の中では、何か険しいものは必ず孤立していく傾向、正しいものは必ず抑圧されていくだという考え方の一面が強く、そのもうひとつ先の、可能性の展望、あるいは、何か将来の頼みがいのあるものとしてすでに芽生えているもの、そういったものに目をおおう傾向があるのではないか。現実がきびしく苦しくないというのではない。十分にきびしく、十分に苦しい、そして、それらに追いこまれていくような感じをもつ。しかし、追いこまれているのは私たちではなくて、現在権力の座についている人たちではないのか。つまり、現象と本質は表裏ではないのか、ということなのです。少なくとも、この一面も同時につかむのでなくては、現実認識とはいえないのではないか。そのような認識の仕方が今日大事であるし、子どもが大人になったときでも、やはり大事なのだということなのです。その意味で、夢を十分伸ばし、夢を十分持たせるような教育がほしい」(p.224)

 「追いこまれているのは私たちではなくて、現在権力の座についている人たちではないのか」という一節は、深い。なぜ私たちを追いこもうとしているのか? と考えると、それは私たちが力を持っているからだ、それを恐れているから追いこもうとしているのだ、という結論に至る。

 そうだ、私たちは力をもっているのだ。

 この話の後、国際情勢へと話題を移した後、

「私の国際認識というものは、あまり政治学的・社会学的なものではなく、たいへん文学的だ」(p.231)
 
 とした上で、こう続ける。 

「文学性がないと庶民的大衆の問題意識にならない」(同)

 そうか、文学を基礎にしている論客が多いのはそのせいであったか! などと一人納得する。杉田俊介さん、雨宮処凛さん、大澤信亮さん、浅尾大輔さん……などなど、雑誌「ロスジェネ」に集った皆さんは文学がベースだ。もちろん、文学者だけではないけれど、いわゆる「政治学的・社会学的」なアプローチをする人と伍して、文学を手がかりにしている論客がまとまった数で活躍しているのは間違いない。

 僕はさほど文学を読むほうではない、というよりもほとんど読まない。なので、よく分からない。だが、文学の力というものが、何か、ありそうな気がする。その力は多分、僕の想像以上に、大きい。

 何だかわくわくしてきた。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-19 01:10 | 業界 | Comments(0)

『フリーター論争2.0』読了

 『フリーター論争2.0 フリーターズフリー対談集』、ようやく今日入荷しましたので書き込みます。

 いわゆる「雑誌」ブームにひとつの画期を作った(ように棚では思えた)『フリーターズフリーVOL.1』の続編といってよいのかは分からない。今回はフリーターズフリーが編集プロダクションとして人文書院に原稿を納めた、というスタイル(大澤信亮さんの「あとがき」より)なのだそうだ。でももちろん流れは汲んでいる。

 論考を集めたものではなく、サブタイトルにもあるとおり、対談集である。多彩なメンツが揃っており、議論の幅の広さと奥行きの深さが同時に感じられる。

 杉田俊介さんの「はじめに」にガツンとやられる。

 「……われわれの多くがすでに限界と疲弊を、心のどこかでは退屈すら、感じていないか? しかし、問題はその先にある。『祭りのあと』的な空気と弛緩の中でこそ、一人ひとりの中で、運動と支援の意味がもう一度自己検証されていくからだ」(p.2)

 どの対談も考えさせられるが、どれと挙げることは今できない。読後感としては二つ。

 ひとつは、栗田隆子さんのお話をもっと聞いてみたいな、ということ。5本の対談のうち3本(貴戸理恵×雨宮処凛×栗田隆子×大澤信亮:「この生きづらさをもうないことにしたい――プレカリアートな女たち」、雨宮処凛×城繁幸×大澤信亮×栗田隆子×杉田俊介:「若者はなぜ『生きさせろ!』と叫ぶのか?――多様な生の肯定に向けて、武田愛子×ちろる×そら豆×生田武志×栗田隆子×大澤信亮:「支援とは何か――野宿者支援のグラデーション」)に登場しておられ、控えめだが、考えに考えを重ねて言葉を振り絞っているように感じる。もっとじっくりとお話を拝読したい、という気にさせられる。

 もうひとつは、これは最後に収録された対談(小野俊彦×大澤信亮×杉田俊介:「新たな連帯へ――法・暴力・直接行動」)に顕著なのだが、そこかしこに「暴力」の問題への言及があるということ。主に杉田さんが話題を先導しているように思えるが、今この段階でこうしたことを考えるのはすごく重要なことだと思う。いわゆる「運動」だとか「活動」といったものに対するイメージの問題というだけでなく、自分自身に内在する暴力というか、そういったものに対するまなざし。大事だと思うが、でも一方でものすごくしんどいことだとも思う。

 読みながら僕は、「お前はどうするんだ?」と問われているような気がしてならなかった。こんな感覚は赤木智弘さんの『若者を見殺しにする国』以来。読みながら自分の覚悟を問われる、という読書は久しぶり。

 「舌触り」のよい本も決して悪くないが、こういう本も、いい。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-15 23:56 | 業界 | Comments(0)

杉田俊介『無能力批評』

 待ちに待った杉田俊介さんの新刊『無能力批評』(大月書店)。ようやく具体的な日程が見えてきた。

 迷いに迷ったが強気で初回部数を決める。多分、うちの店頭には5/22くらいにはならべられると思う。ほぼ同じか数日前に多分雑誌「ロスジェネ」(かもがわ出版)を、そして多分、来週には『フリーター論争2.0』(人文書院)もならべられる。

 こういう本は「売れるか/売れないか」ではない。「売る気になるか/ならないか」である。

 もちろん、こうした考え方は間違っているのかもしれない。選ぶのはあくまでお客様であり、書店員ごときがどうこう考えるものではない、という考え方も成り立つし、それは一定正しいと思う。

 でも、やっぱり、「売りたい」と心底思う本というのはあるのです。

 とはいえ、詳細を僕は知らない。しかし、縁があって事前に拝読することのできた雑誌「ロスジェネ」と『フリーター論争2.0』から、杉田さんの誠実さがひしひしと伝わってくる。まず、内容に間違い(?)があるわけはないのである。

 うちの売場で日本一売ってやる! と一人決意した。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-09 23:58 | 業界 | Comments(0)