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伊丹万作「戦争責任者の問題」

 再び伊丹十三記念館での展示を見、「戦争責任者の問題」全文を再読する。おそろしく断片的断続的になるだろうが、繰り返し読む作業を試みたい。こうした作業はあまり離れているとよくない。鍛錬しなければならない。


 いわゆる3・11以降、どの時期かは記憶が定かではないが、この文章に注目した人は少なからずいたように思われる。何かの大事(おおごと)に際し、あるいは「その後」に際し、この短い一文は確かに何度でも読み返すに値する輝きを有しているように思われる。その光はとりもなおさず読む者自身を鮮明にあぶり出す。手元にある「全集」第一巻で読んでいく。


 戦後、戦争責任を問う運動に名を連ねられてしまった伊丹が、その事情をつまびらかにするために記した一文である。多少の前置きをしての、本論冒頭。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。

 何の気ない文章のようにも見える。初出は1946年8月である。その当時の言説がどうであったか知らぬから、安易な比較は慎もう。しかし、この素朴すぎるくらい素朴な「私の知つている範囲」から出発することじたいが、すべての光源のように思える。


 「だましたものとだまされたものとの区別」になぜまなざしをむけることが出来たのか。読み進めるうちに明らかになるのか、その前に読む者がその光に焼かれるのか。

 
 じっくりやろう。


 

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by todoroki-tetsu | 2013-11-07 23:16 | 批評系 | Comments(0)