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「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その六)

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は、彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。


 先に宮本の「宿命」に触れた。構図として、小林の批評の次元に宮本が立っていることを確認したいと思った。言葉でメシを食う覚悟をした小林を基準にし、何ものかになろうと決意はしたがいまだ学生であった宮本の言葉を差しはかろうとした。


 もちろん、ここは大げんかになるだろうな、というところを探すほうが容易である。二人が現実にどのように接点を持ち、あるいは持たなかったは知らん。80年前の言葉を引っ張り出して僕がやりたいのは対岸の火事の炎上ではない。二人の硬度から手前が何を引き出せるのか、ただそれだけがやりたい。その意味で、まず二人の立つ次元、極めて高い硬度を確認する必要があったのだ。

 
 しかし、僕が今小林の方に肩入れをややしていることは事実である。上記で引いた小林の言葉は、何度繰り返し読んでも飽きることがない。「人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である」。何と強烈なことか。

 
 宮本なら階級闘争を、社会変革を、ここで持ち出すだろう。宮本にとっての真実は外部にある。社会と言ってしまおうか。社会と個の関係。社会があるからこそ個がある、というのじゃない。個は社会との関係を正しく認識せよ、ということだ。この認識と、それに基づく実践は「無関心」を許容するが、「嘲笑」を拒否しよう。

 
 いっぽう、小林にとっての真実は自己にある。しかし、これとて他者と社会と没交渉なわけじゃ決してない。バルザックとマルクスを並行して論じた一文を思い出そう。「生き生きとした現実」の息づかいをどれだけ大切に思っていたか。そのために小林は「意匠」の化けの皮をはがしたのだ。そんなものはとっぱらっちまって手前の心底感じ取るものをつかめ。小林の真実はたしかに自己にある。しかしその自己は閉ざされたものではなく、他者との不断の交流に触れあい続けるものだ。「人は便覧(マニュエル)によって動きはしない、事件によって動かされるのだ」。

 
 どちらを取ればどちらを捨てなければならん、そういうもんだいではない。かといってどちらも取ろうとすれば、矛盾に直面することがあるだろう。しかし、何度でも繰り返すように、二人は同じ交差点に立っている。その後の歩みがいくら違っていようと、宿命が交差する瞬間があった。ならば、宮本と小林の違いは、この二人にのみ帰せられるのでもなければその後の嫡流・亜流にのみ帰せられるものではない。だれしもが直面する不可避的な違いである。


 いずれの道も険しい。迷うこともある。その時に立ちかえる交差点がここなのだ。そこから一度選んだ道をもう一度たどり直すか、別の道を選ぶかはそれこそ「宿命」に帰するだろう。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われる……二人の文章に共通する読後感を僕はそう記したのだった。

 
 では、記さなければならないのは手前のことだ。断続的に書き散らしてきたが、「運動」もしくは「問題」について、その対する態度を固めたいというのが僕の希いだ。例えば「社会」を、「制度」を認識し、そこに働きかけることが解決策であるように思えた。それは現実であり、間違ってはいない。しかし、すべてを社会や制度にしてしまうと、結論先にありきのもの言いとなる。いつの間にか出来あがった型紙。その型紙が通用しなかった時、僕の取った態度というのは思い出すだにおぞましいものであった。そのおぞましさを自覚するのに長い時間を要したことがさらに事態を悪化させた。傷つけてはいけない人を傷つけた。取り返せるものはもう何もない。そう思いながらもまた過ちを犯している。


 しかし、かといって個別具体的な問題からスタートしようとすると、あまりにあらゆる問題がありすぎて、どうしたらいいのか判らんというのが正直なところなのだ。もちろん、いくつかの自分にとってたいせつな問題は、ある。やれることしかやれないし、やらない。それでよいのか。それではよくないのか。


 一度作った型紙を、ぶち壊す。後に残ったものを見据えよう。ただ一つの問題であっても、そこにきっちりと対峙していけば、何かが見いだせるかもしれない。そこからやり直すこと。何度でも、何度でも。発する言葉、耳にする言葉への感覚を、研ぎ澄ませること。


 小林から学ぶべきは、己の「宿命」を見出すこと。宮本から学ぶべきは、決意と実践である。その逆ではない。

 
 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-13 09:46 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その五)

   娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは
   コンミュニストの棍棒をふりまわせ。

   娑婆苦をすっかり失いたいものは
   ピストルで頭を撃ち抜いてしまえ。

                                       ――「信条」――

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるがそこにもまだ不幸は残っている。

 こういう世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。


 きわどい。実にきわどい。小林なら一笑に付すかもしれぬ。ずっと不幸はなくならない、芥川はそこに絶望して自死したのだということか。しかし、宮本よ、不幸の残らぬ社会などあり得るか。


 宮本はこの時、不幸のない新社会を人間が作ることが出来ると、ほんとうに信じていたか。信じていたろう。しかし、その信は、もう一つの可能性をほんのわずかではあるが、隠し持っていたように思われる。「氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ」と言う時、宮本は芥川を糾弾したのではない。「ブルジョア的芸術家の多くが無為で怠惰な一切のものへの無関心主義の泥沼に沈んでいる時、とまれ芥川氏は自己の苦悶をギリギリに噛みしめた」という言葉は、糾弾姿勢からけっして引き出せるものではなかろう。

  
 もう一つの可能性、それは芥川を、あるいは芥川的なものを、社会変革・階級闘争によって救い出そうとすることだ。全篇にあふれる芥川への敬慕を見よ。その時の新社会とは、不幸のないものではなく、不幸をみんなでなくそうとするものと観念されたはずだ。しかし、その観念は、そう確固たるものではない。新社会の障害になるものを克服せんとする時、味方にし得る者を敵に回してしまう危険性は常にはらむ。だが、すぐさま言葉をついで僕はこう言っておきたい。それはひとりコミュニズムのせいではなく、あるべき何ものかを共同で目指さんとする時に誰もが必ずぶち当たる障害なのだ。

 
 その意味で、宮本はその「宿命」を生き抜く覚悟を決め、実践した。これはやはり相当なもんだぜと思わざるを得ない。敬服に値しよう。では、お前はどうするのか。


 ……再び「様々なる意匠」に立ち返ろう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-12 20:49 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その四)


 吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。


 「様々なる意匠」の冒頭である。言葉は、その独自の働きを持っている。独立して存在している。しかし、私たちは言葉を使ってしか考えることが出来ない。これは小林の確信である。そして、批評家として言葉に生きようと腹をくくった。


 こういう意味での確信は宮本にはなかったろう。かといって宮本が言葉を軽んじていたとも思えない。芥川の言葉を丹念に読みつづけた宮本には、言葉を通じて掴んだ芥川の苦悩を確かに内在化させるところまで到達していた。だが、そこで宮本は「現実」へと足を踏み出す。言葉を成り立たせる「現実」に目を向ける。


 しかし、さらに厄介でありまた興味深いのは、小林が言葉の世界に逃げ込んだとか閉じこもったとか、そういうことではないということだ。先に「或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない」という言葉を引いた。さらに、後半のバルザックとの対比で述べた部分を引こう。


 この二人(等々力注――バルザックとマルクス)は各自が生きた時代の根本性格を写さんとして、己れの仕事の前提として、眼前に生き生きとした現実以外には何物も欲しなかったという点で、何ら異なる処はない。二人はただ異った各自の宿命を持っていただけである。


 宿命については別に触れよう。ここでは、マルクスが生き生きとした現実を欲していた、そのことを小林は十全に理解していたことを確認するだけでじゅうぶんだ。さらに続ける痛罵を読もう。


 世のマルクス主義文芸批評家等は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。


 これが為にする批判でも言いがかりでもないことは明らかだ。言葉の魔術を確信する小林にとって、こうした「意匠」ほど陳腐に見えたものはなかったろう。

 
 もう一歩踏み込むなら、宮本がこの文章に入り込んで「芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない」と続けても差しつかえはない。宮本もこうした小林の言葉を、ある程度肯ずるものとして読むことが出来た筈だ。では、小林は? 

 
 小林が「『敗北』の文学」に入り込むことがあったとすれば、どうか。「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」。このように芥川その人を評するかどうか知らない。しかし、仮に宮本の世界に入り込んで小林が言い放つなら、こうした言葉であるように思われる。宮本はこうは言わなかったし、おそらく言えないに違いない。これは興味深い問題である。

 
 ……まったくもってうまくない。うまくない読みだが、しかし、どうにも二人が予想されるほどにはかけ離れたとは思えぬ、その点を念頭に置いて書き散らしてきた。それは同時に、二人の違いを浮き彫りにしていくことでもあった。


 それぞれの評論の中で、もっとも印象に残る個所を読み比べることを通じて、焦点をあわせて見ることにしよう。しかし、その焦点の先に何が見えるのか、僕自身まだ判らないのである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-11 21:35 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その三)

 少しばかり「『敗北』の文学」に軸足を置いてみようか。


 これを書いた当時の宮本はまだ学生である。一方年長の小林は既に学校は出ていた。歳にして六つほどの違い。20代における六つ違いの差は大きかろう。しかし、兎に角「生き生きとした嗜好」を有する宮本の文章を読んでみよう。

 
 遠いところにいると思われた芥川が、自分の近くにいるように思えた。「『敗北』の文学」の冒頭はそんなところから始まる。芥川に宮本が感ずる「チョッキ」と、小林の文芸批評家たちに感じた「鎧」とは同じものであったかどうか。さて、宮本は自殺後の芥川を「我々に近く立っている氏を発見した」と言う。あくまで「近く」であって、我と我が身の中にではない。あくまで芥川は外部にいるかのように宮本は記述している。しかし、実際のところはどうであろう。


 かつて私は、自己の持ち場で闘っているインテリゲンチア出の一人の闘士が、一夜腹立たしそうに語ったことをおぼえている。「駄目だ! 芥川の『遺書』が、――『西方の人』が、妙に今晩は、美しく、懐かしく感じられるのだ。」



 なぜ美しく懐かしく感じられることが否定的に記されるのであるか。


 この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要がある。


 なぜ「古傷」と過去のものにしようとするのか。簡単なことだ。

 
 そこまでして振り切ろうと努力しない限り決して逃れ得ぬものとして、芥川の存在は宮本の内部にあったのだ。よそよそしく「我々の近く」になんて記してはみたが、それはそうでも記さない限り気恥かしくて仕方ないほど自分の中に入り込んでいたからだ。芥川に魅了される己を自覚することなしに何故「踏み越えて往く」必要があろう。

 
 ここに、小林と宮本が同じ地点に立っている証左を見る。「様々なる意匠」の一文をつなげてみればよろしい。二人は本当に近くにいたのだ。

 
 批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!


 懐疑を振り切り、宮本は決意を表明した。いかにも学生らしく若々しい。しかし、小林がさて懐疑的に語ったかどうかとなると疑わしいものだ。確信にみち溢れた言い放ちようが懐疑に裏付けられたものであったとしたら、宮本の決意表明とどれほどの違いがあるだろう。

 
 しかし、同じ地点に立っているとはいえ、決定的にやはり違う。それは、意図してか無意識にか、いずれにしても「我々の近くに立っている」としか記せなかった、ほんとうは少しでも話そうとすると痛むくらい自分の中にいる芥川を、あたかも外部にあるかのように記せなかったことに現れている。


 ここで「様々なる意匠」の冒頭に立ち返ってみることにしよう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-09 20:22 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その二)

 凡そあらゆる観念学は人間の意識に決してその基礎を置くものではない。マルクスが言った様に、「意識とは意識された存在以外の何物でもあり得ない」のである。或る人の観念学は常にその人の全存在にかかっている。その人の宿命にかかっている。怠惰も人間のある種の権利であるから、或る小説家が観念学に無関心でいる事は何等差支えない。然し、観念学を支持するものは、常に理論ではなく人間の生活である限り、それは一つの現実である。或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない。



 さて、これは宮本顕治と小林秀雄の、いずれの文章か。「宿命」とか「或る現実に無関心でいる事は許されるが」といった言い回しから、ああこれは小林だと知られよう。しかし、これが「『敗北』の文学」の文章の一部だと言われても、すんなり読めてしまうのではあるまいか。それほど近しい距離に二人はいるように僕は感じる。その逆はあり得るか。なかなか考えるに足る問題だ。


 「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」を繰り返し読む、そのことで得られる手触りは、どうやら近いぞこの二人は、というものである。もちろん、決定的な違いはある。しかしそれはまったくすれ違うことのない場所にいるという意味ではない。1929年のある時、交差点でこの二人は並んで佇んでいた。一方は東へ、一方は西へ、それぞれ足を踏み出していく、瞬間が感じられる。それはたまたま宮本顕治と小林秀雄という二人が背負った宿命であったろうが、その宿命はまた彼らだけのものでもないように思われる。時代と屹立した個がどのように歩むか、といったら言い過ぎか。


 行きつ戻りつしながらも、まずは二人の評論に共通するものに重点を置いていきたい。それによって違いはより引き立ち、決定的なものとして迫ってくるであろう。


 補足的に述べておくと、読後感はどちらも非常に似通っている。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われるということだ。小田さんの言う、「で、あんたはどないしはりますねん」に近い。宮本は明快な言葉でグイグイと引っ張っていく。決断を迫る。「進歩か反動か」。小林はそうは言わない。俺は啖呵を切るだけさとでも言いたげだ。しかし、思いのほかさらりと締めくくられた結語を読むたびに、「お前はどういうつもりで言葉を読む気かね」と、暗に問いかけてくる。お前の本をカネを出して買ったのはこっちだい、という気持ちなどふっとんじまう。観客席でのほほんと坐っているお客さんにはさせてくれやしない。安心して楽しめるような言葉じゃないのだ二人とも。優れた批評とはこういうことだ。読んでいる手前とあわせて三つ巴のとっちらかり。

 
 そんな風に読まなくちゃ、「現実」に申し訳が立たない。あの日を思わせる地震を経たなら、なおさらだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-07 20:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」

 「運動」もしくは「問題」に対して、自らよって立つところを定めたい。この数年の僕自身の主調低音である。ああでもないこうでもないと右往左往して、自分の問いはおそらく批評から多くの手がかりを得られそうだ、という地点に今はある。


 誰かの言っていることを、まったくその通りだと思う。あるいは、そんなんじゃねぇや、と思う。全肯定や全否定が出来れば気が楽なんだが、この人のこの部分は共感するけれど、この部分はちょっと……というのがほとんどであって、それで思い煩うのでもある。

 
 しかし、他者と自己と関わりというのは、そもそもそんなもんじゃねぇのか。信者になろうとするのでなければ、そうした共感と違和とのあいだで往還を繰り返しながら、関係をつくっていくものだろう。語るべきなにものも自分にないのなら、沈黙すればよい。だまって耳を傾けよ。そう思えるようになってきたのは、つい最近のことだ。


 前置きが長くなった。選挙に関わって言葉の問題をあれこれ考えているうちに、ふと小林秀雄の「様々なる意匠」が思い起こされた。「一つの意匠をあまり信用しすぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。意匠という言葉が、あくまで選挙向けの次元での公約やスローガン、あるいはその個人や政党が信ずる「正しさ」と、シンクロするように思われた。僕は研究者でもなんでもない。今を考える手がかりが欲しい。ただそれだけだ。小林の評論からヒントが得られるならしめたものだ。


 大して長い評論ではない。けれども例によってといおうか、逐一ハラにくる。グサグサくる。こいつはどうにも本物だぞ。当たり前だがそう思う。しかし、僕は小林信者というわけではない。為にする批判をするつもりはないけれど、そもそもの出自として、僕は小林を読むような人間ではなかった。「宮本に懸賞論文で負けたから反共なんじゃないの」という、これまた今思い返すとびっくりするくらい危険な浅薄さの認識に立っていた者である。が、今更恥じ入ってもどうにもあるまい。

 
 ならばと思い、今度は宮本顕治の「『敗北』の文学」も読み返す。やっぱりこれはこれで実に面白いのだ。入党する前に書いたというのがすごい、みたいな物言いを耳にしたことを思い出す。失礼を承知で言うなら、そんな次元じゃねぇぞと思う。僕は共産党の存在意義をいささかも軽んずるものではない。しかし、ここでもんだいにしたいのは、大上段に振りかぶりたくはないけれども、例えていうなら社会と個の関係であり、政治と文学という問題なのだ。


 「『敗北』の文学」は一見結論先にありきの、それこそ「意匠」のように読みとれる部分もあるだろう。が、宮本のその後を試みにすべて捨象して、この批評文だけを丹念に読んでみる。そこに感じ取れるのはむしろ、「生き生きとした嗜好」と「溌剌たる尺度」(「様々なる意匠」)ではないのか。
 
 
 1929年の「改造」懸賞文芸評論の一等と次点。こう記しただけでいかにも古めかしいという気がする。しかし、いずれの批評も80年近く経った今なお、活き活きと僕に語りかけてくるというのはどういうことか。この二つの評論ががっぷりと四つに組んだありさまは素晴らしい。言葉について「硬度」という表現を仮に用いたけれども、どちらも透き通った、自他共に貫く硬度を有した批評である。

 
 読むために少し書いてみたいと思う。途中で自爆するかも知れん。それはそれでよかろう。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-07 09:30 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その七)

 「何にほっとするかでの皮膚感覚の人間的なちがい」を見る眼は、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」という認識にたどり着く。こうした認識はおそらく大江健三郎さんには引き継がれたはずである。そのあとは、誰だろう。とにもかくにも読み進める。

 
 だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因はいろいろにある。しかし気の毒だという感じが常に先立っている。むかしあの天皇が、僕らの少年期の終りイギリスへ行ったことがあった。あるイギリス人画家のかいた絵、これを日本で絵ハガキにして売ったことがあったが、ひと目見て感じた焼けるような恥かしさ、情なさ、自分にたいする気の毒なという感じを今におき僕は忘れられぬ。おちついた黒が全画面を支配していた。フロックとか燕尾服とかいうものの色で、それを縫ってカラーの白と顔面のピンク色とがぽつぽつと置いてあった。そして前景中央部に腰をまげたカアキー色の軍服型があり、襟の上の部分へぽつんとセピアが置いてあった。水彩で造作はわからなかったが、そのセピアがまわりの背の高い人種を見あげているところ、大人に囲まれた迷子かのようで、「何か言っとりますな」「こんなことを言っとるようですよ」「かわいもんですな」、そんな会話が――もっと上品な言葉で、手にとるように聞こえるようで僕は手で隠した。精神は別だ。ただそれは、スケッチにすぎなかったが描かれた精神だった。そこに僕自身がさらされていた。


 この後には「人種的同胞感覚」という言葉が記される。「僕は共産党が、天皇個人にたいする人種的同胞感覚をどこまで持っているかせつに知りたいと思う」と。

 
 これもたいへんに興味深いけれども、ここで考えてみたいのは、絵ハガキに描かれた精神、いや、その精神を見抜いた眼である。


 いったい、見るとはどういうことか。この絵ハガキがどんなものだったのか、僕は知らない。記憶にある昭和天皇の姿で、これにおそらく近いだろうと思われるのはマッカーサーと一緒に写ったそれであろうか。その写真に対して書かれた何かを見た記憶があるけれども、あまり覚えていない。ただ僕にはそういうものと見えただけだ。


 同じものを見ていても、感ずるところは違うだろう。しかし、同じものを見て、この人とひょっとすると近しい感覚を持ったかもしれない。そう思うことも確かに、ある。最近、僕は小林秀雄さんの『近代絵画』を読んでいて、小林さんがいたく感銘を受けたゴッホの絵を知った。そこからさかのぼって『ゴッホの手紙』に手をつけた。小林さんは「或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる」と記している。


 もしや、と思って調べてみた。おそらく間違いはない。「烏のいる麦畑」。小林さんが見た絵を、僕も見ていた。1997年秋に、新宿の美術館で僕はそれを確かに見た。覚えず泣きそうになった。そんな経験は、あとにもさきにもない。

 
 小林秀雄と同じ感覚だ、とえらぶりたいのではない。小林さんの惹きつけられかたと僕のそれとは同じであるはずはないのだから。けれど、その時自分を取り巻いていた感覚は思い出すことが出来る。

 
 ガンを患い、東京での入院生活に区切りをつけ、実家に帰る知人(友人、という言葉を使うのはおこがましい)を見送って、そう間がない頃にこの絵を見たのだ。


 彼の入院生活はがどの程度の期間であったか、もはや記憶にはない。数か月だったような気もするし、まる一年は経っていた気もする。学校は違っていたから、日常的に接していたわけではない。けれど同い年、同学年、バイト先ではよく一緒になった。缶コーヒーとマルボロをこよなく愛していた。いっぺんはカラオケに行こう、と話したこともあったような気もするが、それを果たせることはなかった。


 実家との関係はあまりうまく行っていなかったと聞いている。その彼が実家に戻らざるを得ない。何かの予感はあった。見送ったのは20人近くもいたろうか。僕は所在なく病院のロビーの長椅子の、隅の方に坐っていた。奴のほうから見つけてくれた。あたりさわりのないあいさつしか出来なかった。


 タクシーを見送った後、誰もが押し黙っていた。口にすることが、恐ろしかったから。耳にすることが、恐ろしかったから。少なくとも、僕はそうだった。


 漠然とした死の感覚に、当時の僕はとらわれていた。実際に奴が逝ったのは、年が明けてからであったのだけれど、見送り以来くすぶっていた何ものかが、ゴッホの絵を前にして、急に燃え上がったのかもしれない。そんなものはただの理屈の後付けなのかもしれない。けれど何であれ、やっぱり泣きそうになってしまったのは消せない事実である。

 
 ただごく普通の気持ちで絵を見ていたらこんなことにはならなかったのかもしれないが、既にそういうものとして体験してしまった以上、そうでないなにものかを仮定は出来ても、想像することは難しい。この絵は見る者誰にも何かを与えるのかもしれないし、見る者のなにほどかの状況に応じて多様な実りを与えるのかもしれない。ニワトリが先かタマゴが先か。

 
 既に自分にある何ものかが、作品を前にして己の内部から引きずり出されてくる。その何ものかは、作品との出会いとして一度は切り取られる。その瞬間が、変わらぬままということもあるだろうし、時を経て変化することもある。そんなふうに僕は今考えている。


 さて、ずいぶんと脱線してしまったけれども、一葉の絵ハガキから精神を読みとるというのは、やはりある程度のことがなくちゃあ出来ないことだと、僕には思われるのだ。絵ハガキがいつ頃出回ったものなのかは知らない。1921年に外遊した折のものだとすれば、大正末期か。その頃から「人種的同胞感覚」という言葉で自覚していたのかどうかは知らない。そうした生硬な表現よりも、「自分にたいする気の毒なという感じ」という言葉に惹かれる。「恥かしさ、情なさ」はまだ理解できそうだ。それが「自分にたいする気の毒な」というのはどういうことか。


 「人種的同胞感覚」という言葉にこだわらないほうが、よく事態をつかみ取ることが出来そうな気がする。相手が天皇であれ誰であれ、辱められるようなことはあってはならない、と考えているのだ。相手が誰であれ、「自分にたいする」ものと感じ取ることの出来る感覚。ただそれだけのことだ。

 
 そして、これから先も繰り返すことになるだろうけれども、この「ただそれだけのこと」の大切さは、この作品においてのみならず、それを読む現在においても強調されるべきものなのだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-17 21:38 | 批評系 | Comments(0)