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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の五

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 
 この一節を引いてからしばらく経つ。すべては進行する。伊丹万作は揺るがない。現在を語ろうとする凡百の論評は色あせる。楔を打ち込むような言葉を発することなど僕にはできやしない。しかし、楔を打ち込むかのように「読む」ことは出来ないか。むしろそのほうが難しいかもしれない。けれど。

 
 そんなことを思いながら再び頁をめくる。万作が次に導入する視点は、子どもである。

 そこで私は、試みに諸君に聞いてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。
(中略)いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。 

 万作が子どもたちに示した限りない愛情。例えば、伊丹十三記念館では、軍国少年むけのカルタを万作がすべて芭蕉の俳句に置き換え、丁寧に絵まで描き添えたものを見ることができる。我が子への思いと次世代の担い手への思いがストレートに繋がっていたに違いない。「良心」「厳粛」ともに、言葉が正しく使われていると感じる。

 
 これでは責任の範囲を広げ過ぎてやしないか。そういう疑問が起きるだろうことをじゅうぶんに想定して筆を進める。数の多寡は実は問題ではないのだ。

 
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 
 この言葉が、自身の内省から出てきていることは読み進めるとさらに判って来る。伊丹万作をしてこの言葉をいわしめたなにものか。そこにどうやったらたどりつけるのか。
 
 

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by todoroki-tetsu | 2014-01-16 23:31 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の四

 戦争のあいだ、だれが我々を圧迫し続けたか、と伊丹は問う。それは「我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつた」。つづけてさらに言う、「これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである」。


 中野重治「五勺の酒」が蘇ってくる。しかし、書きつけておきたいのは次の一節だ。
 

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 2013年12月6日の夜に、ここまでは記しておく。
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by todoroki-tetsu | 2013-12-06 23:56 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の三

だましたりだまされたりする日本人全体。その様相を掘り下げていく過程で、服装について触れられる個所がある。万作自身は病身でもあり、あまり出歩くことはなかったようだが、戦闘帽なるものをかぶらずに外出すると「国賊」かのように見られた、という。


 その本意は「我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々」が「我々を圧迫しつづけた」、その事実と意味を剔出するにある。そこはのちにふれよう。いま興味深いのは服装について万作自身の考えが述べられる個所。戦闘帽の例を出したそのあと。

 
 もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもついて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、かれらは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をしてみせることによつて、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。
 
 服装の、これほど明確な定義を僕は知らない。しかし、定義があらかじめ伊丹の中にあったというような感じはしない。むしろ、眉を逆立てる様子から遡ってこの定義にたどり着いた、と思える。十三さん幼少の日記へ万作がしるしたコメントが記念館にはある。そこでは注意深く観察することの大事さを簡潔に説いていた。その注意深さが、どうやらここでも発揮されているようなのだ。

 アラン、あるいはヴェイユに通ずるような眼差しがここにありはしないだろうか。アランには、ヴェイユには、万作にはなれなくとも、しかし注意深さは、日々の自省によって鍛えることが出来る。




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by todoroki-tetsu | 2013-11-15 00:36 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の二

 伊丹万作の思考は、身近なところから少しずつ、しかし着実に深化していく。だまされたとは言うが、だましたと言う人はいない。誰にだまされたかと聞けば、民は軍や官からといい、軍や官はさらに上からだという。しかし、だ。

 
 すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互いにだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
 ここで僕は上原專祿を想起する衝動に迫られる。『世界史における現代のアジア』に収録された「世界史的自覚に生きる」、その中のセクション「日本人の思想の二重性について」。「著作集」13巻、P.243による。

  
 そして日本人は、この社会、あの社会というように幾重にも区別してものを考える。だから非常に合理的で理知的なような発言をある社会でしている人が、家庭に入ると甚だ非合理的、非理知的な考え方をする。

(略)しかし、自己と日本の全体と世界の全体とを統一的に認識する方法、それを一緒にして生きる生き方というものが身につけば、思想の二重性や、内側の倫理と外側の倫理との使い分けや、酔っぱらって、やっと鬱憤を晴らすような変に弱い心情が克服されるのではないかと思う。
 
 これを上原は世界史的見方あるいは世界史的自覚という。1960年の講演であるが、萌芽はもっと以前にある。宗像誠也との対話『日本人の創造』の時点ではどんなに遅くともあったはずだと思うが、そこは学者に譲る。

  
 かたやだました/だまされた、かたや二重性。一見違うように見えるかもしれないが、「主体性」あるいは「自覚」、もしくは「内省」や「省察」といった言葉を用いてみればどうだろう。伊丹と上原は同じものを見てやしないか。


 年譜的に一年違いの伊丹と上原は旧制松山中学校でほぼ同じ時期を過ごしていたが、ことさらにそれが何かの影響を両者に及ぼしたのかどうかも知らぬ。ただ尽きせぬ興味をそこに一方的に見出すだけだ。生誕110年をこす人物が遺した言葉に尽きせぬ興味を見出すということは、その言葉が生々しく語りかけてくるということである。


 言葉の光はますます僕を照らし出す。幻惑させるためでなく、その内奥をあぶり出すために。





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by todoroki-tetsu | 2013-11-08 23:28 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」

 再び伊丹十三記念館での展示を見、「戦争責任者の問題」全文を再読する。おそろしく断片的断続的になるだろうが、繰り返し読む作業を試みたい。こうした作業はあまり離れているとよくない。鍛錬しなければならない。


 いわゆる3・11以降、どの時期かは記憶が定かではないが、この文章に注目した人は少なからずいたように思われる。何かの大事(おおごと)に際し、あるいは「その後」に際し、この短い一文は確かに何度でも読み返すに値する輝きを有しているように思われる。その光はとりもなおさず読む者自身を鮮明にあぶり出す。手元にある「全集」第一巻で読んでいく。


 戦後、戦争責任を問う運動に名を連ねられてしまった伊丹が、その事情をつまびらかにするために記した一文である。多少の前置きをしての、本論冒頭。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。

 何の気ない文章のようにも見える。初出は1946年8月である。その当時の言説がどうであったか知らぬから、安易な比較は慎もう。しかし、この素朴すぎるくらい素朴な「私の知つている範囲」から出発することじたいが、すべての光源のように思える。


 「だましたものとだまされたものとの区別」になぜまなざしをむけることが出来たのか。読み進めるうちに明らかになるのか、その前に読む者がその光に焼かれるのか。

 
 じっくりやろう。


 

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by todoroki-tetsu | 2013-11-07 23:16 | 批評系 | Comments(0)

近過去から

 都知事選・総選挙の結果を受けて、様々に思うところはある。いまだに形にならないことのほうが多いけれども、ふと、近過去のこと、すなわち数年前の「蟹工船」ブームだの「ロスジェネ」だのといったことを思い返していた。あの時何かを間違ったのかもしれない。が、実感としては、あの時にわずかながらに得られた何かを、ほんの少し垣間見えたものを、忘れてはいないか、という自問に近い。

 
 近過去を思い返すのがもっとも難しい。そんなことを言われたのは確か市野川容孝さんだったと思う。ことあるごとに思い起こしている。

 
 整理はまだ出来ていない。が、保守だの革新だのといった次元での話は考えていない。主権者であるということはどういうことか。それが「上からのお説教」だとかいうんじゃなくて、自分たちにはそれだけの責任もあれば権利もあるのだということ。クロかシロか100かゼロかじゃなくて、自分に担えるだけのことを少しばかりでもやってみるとか、ある時は頑張るけどある時は休むとか、これは納得できるけどこれはイヤだとか、そういうことでいいじゃないか。何もかも自分たちで背負う必要もなければ突っぱねる必要もなくて、清算主義でもなく、みんなで生きてかなきゃいけないんだから、出来ることなら足の引っ張り合いじゃなくて、どうにかこうにかお互いに生き延びることができるようにしていこうや、という、そんな程度のこと。誰がダメだとか言うのもいい、対案を出せと言ってもいい、けど結局自分や自分の身の回りの人間が、出来ることなら他者の犠牲によってではなく、生き延びていくこと。


 そう、こんなのはまったくもって保守でも革新でもない。どちらかといえば「まっとうな保守」の再生を願っているのかもしれないとすら思う。「五勺の酒」で校長が党員でもないのに共産党のことを真摯に心配し批判するのと似たようなことだろうか。


 自分の行きつけの蕎麦屋が云々と言ったのは福田恆存であったか。大向こうの言葉よりはこうした言葉の方がよほど心地がよい。近しい人としゃべる言葉と大きなことをしゃべる言葉が、同じかどうか知らんが自然とつながりを持っているように思われる。断続していない気がする。言葉の問題の大きさ、重さをあらためて思う。

 
 僕が今回の選挙で一番反省すべきなのは、生身の言葉で身近の人間とほとんど語らなかったことだ。特定の候補者・政党に支持を呼びかけるという意味での「対話」ではなく。自分たちの働いているということそのものが、決して政治と無縁ではないのだということくらい、もう少し話し合ってみることは出来た筈だ。


 投票日当日――本屋にとって12月半ばの週末なんてのは一年の中でも一二を争う書き入れ時だが、早朝出勤をしなければならなくなった同僚がぼそっと、「ああ、投票いけないな今日は。しょうがないな」とつぶやいた。前日も遅くまで仕事をしていたのを知っている僕は、とても「7時には投票所あいてるんからギリ間に合うんじゃないの」とは言えなかった。ましてや棄権を咎めることなど出来やしない。

 
 こういう次元で、場で、どれだけのことが言えるのだ。「沈黙もまた言語」(吉本隆明)である。が、その先は。


 手がかりになるような何かに、僕はかつて触れた気がする。記憶を掘り起こす。「あくまでも左翼は人びとの社会的生活を条件づけるものに介入するだけで、それぞれの人の生き方や実存の問題にはけっして介入しない」(萱野稔人、「なぜ私はサヨクなのか」、「ロスジェネ」創刊号所収)、「過剰な労働で燃え尽きていく人のリアリティと、生きづらくて働くのも難しい人のリアリティ」(杉田俊介、『フリーター論争2.0』)……これらについては2008年に記していた

 
 まてよ。もう少し遡ってみる。「『人生、落ちるところまで落ちたとき、ミギだのヒダリだの言ってられますか』 バリバリの左翼からネット右翼まで」(小丸朋恵、2007年11月号の「論座」所収)。そう、ここだ。短いが、印象的なルポルタージュである。もはや容易に読める環境にないのが残念だけれども、強引に要約する。もちろん、僕の関心に沿った恣意的なものであることはお断りせねばならない。機会あらばぜひ本文にあたって頂きたい。


 契約社員としてシビアな状況を強いられた若者が、ふとしたきっかけで組合の扉をたたく。あれこれ一緒にやっていく。小林よしのりさんを尊敬する彼は、自分の思想信条を吐露したことをきっかけに、他の組合員とやりあうことになってしまう。辞めてやる、と思う。しかし、様々な苦しかったことなどが頭をよぎる。他の先輩格のスタッフからも引き留められて彼は思う、「僕たちは『仲間』なのかなあ――」。しかし彼は、結局は組合に残る。「僕たちは『仲間』なのかもなあ――」という言葉を以て。


 「僕たちは『仲間』なのかなあ――」と「僕たちは『仲間』なのかなあ――」(下線等々力)とのあいだにあるもの。ためらい。この文章を何回かは読み返している筈だ。しかし、僕はこのためらいをなぜ「他者」のものとして、自分の外部にあるものとしてしか読まなかったか。こうしたためらいに対し、内在化することなく外からいかにアプローチすべきか、「理解」(!)すべきかとしか考えていなかったか。言葉に対する認識の圧倒的な不足を思い知る。


 言葉に対する認識は、そのまま人間に対する認識である。たった一文字の「も」に揺れ動く思いを想像すること。言葉に忠実であること。盲目的信仰ではなく、まっとうに畏怖すること。口にする、耳にする言葉を大切にすること。


 おそらくこのように思い起こすべきものが、まだまだ近過去には眠っている。容赦なくそれらは僕に襲い掛かってくる。さて、どれだけの勝負が出来るか。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-20 20:03 | 批評系 | Comments(0)

書くことと商売

 今日は若松英輔さんの講演。「聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治」と名付けられたそれは、実にすばらしい空間と時間であった。


 ここでその体験を語るのは野暮に過ぎる。ここでは講演の本題とは、外れてはいないが少しそれた部分のところを少しだけ記したい。


 今回は質疑応答の時間を多めに取っておられた。為に普段よりも双方向のやり取りが多かったわけだが、そのやり取りの中で、若松さんがこんなことを語られた。

 
 ――一連の機会を通じてやりたかったのは、文章をみなさんと読むということ。難しいことだろうが、さらにはみなさんと書くという作業をやってみたい。書く、ということが発表することと強く結び付けられたのはある種の不幸ではないか。誰に発表するでもなく、読んで書いてみる。そうすると書くことの難しさもよく判る。

 
 精確にメモを取れたわけではなく、うまく文意を再現出来ているか自信がない。が、言葉をめぐる体験の大切さを強調されていることがひしひしと伝わってきた、そのことだけは確かだ。


 さて、僕は他人が記した言葉のパッケージでメシを食っている。ゼニになる言葉のパッケージと、そうでない言葉のパッケージ。そのような分け方が僕には染みついている。ゼニにならないならなるように工夫しようじゃないか、というのが基本スタンスでもあり、だからある時には散々にこきおろすし、ある時には版元さんにおしかけて口を出す。


 しかし、何か根本のところで何か思い違いをしてはいないだろうか。自分のやってきたことにはそれなりの自負はある、だが……。

 
 自省するにはふさわしい寒さである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-13 22:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その六)

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は、彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。


 先に宮本の「宿命」に触れた。構図として、小林の批評の次元に宮本が立っていることを確認したいと思った。言葉でメシを食う覚悟をした小林を基準にし、何ものかになろうと決意はしたがいまだ学生であった宮本の言葉を差しはかろうとした。


 もちろん、ここは大げんかになるだろうな、というところを探すほうが容易である。二人が現実にどのように接点を持ち、あるいは持たなかったは知らん。80年前の言葉を引っ張り出して僕がやりたいのは対岸の火事の炎上ではない。二人の硬度から手前が何を引き出せるのか、ただそれだけがやりたい。その意味で、まず二人の立つ次元、極めて高い硬度を確認する必要があったのだ。

 
 しかし、僕が今小林の方に肩入れをややしていることは事実である。上記で引いた小林の言葉は、何度繰り返し読んでも飽きることがない。「人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である」。何と強烈なことか。

 
 宮本なら階級闘争を、社会変革を、ここで持ち出すだろう。宮本にとっての真実は外部にある。社会と言ってしまおうか。社会と個の関係。社会があるからこそ個がある、というのじゃない。個は社会との関係を正しく認識せよ、ということだ。この認識と、それに基づく実践は「無関心」を許容するが、「嘲笑」を拒否しよう。

 
 いっぽう、小林にとっての真実は自己にある。しかし、これとて他者と社会と没交渉なわけじゃ決してない。バルザックとマルクスを並行して論じた一文を思い出そう。「生き生きとした現実」の息づかいをどれだけ大切に思っていたか。そのために小林は「意匠」の化けの皮をはがしたのだ。そんなものはとっぱらっちまって手前の心底感じ取るものをつかめ。小林の真実はたしかに自己にある。しかしその自己は閉ざされたものではなく、他者との不断の交流に触れあい続けるものだ。「人は便覧(マニュエル)によって動きはしない、事件によって動かされるのだ」。

 
 どちらを取ればどちらを捨てなければならん、そういうもんだいではない。かといってどちらも取ろうとすれば、矛盾に直面することがあるだろう。しかし、何度でも繰り返すように、二人は同じ交差点に立っている。その後の歩みがいくら違っていようと、宿命が交差する瞬間があった。ならば、宮本と小林の違いは、この二人にのみ帰せられるのでもなければその後の嫡流・亜流にのみ帰せられるものではない。だれしもが直面する不可避的な違いである。


 いずれの道も険しい。迷うこともある。その時に立ちかえる交差点がここなのだ。そこから一度選んだ道をもう一度たどり直すか、別の道を選ぶかはそれこそ「宿命」に帰するだろう。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われる……二人の文章に共通する読後感を僕はそう記したのだった。

 
 では、記さなければならないのは手前のことだ。断続的に書き散らしてきたが、「運動」もしくは「問題」について、その対する態度を固めたいというのが僕の希いだ。例えば「社会」を、「制度」を認識し、そこに働きかけることが解決策であるように思えた。それは現実であり、間違ってはいない。しかし、すべてを社会や制度にしてしまうと、結論先にありきのもの言いとなる。いつの間にか出来あがった型紙。その型紙が通用しなかった時、僕の取った態度というのは思い出すだにおぞましいものであった。そのおぞましさを自覚するのに長い時間を要したことがさらに事態を悪化させた。傷つけてはいけない人を傷つけた。取り返せるものはもう何もない。そう思いながらもまた過ちを犯している。


 しかし、かといって個別具体的な問題からスタートしようとすると、あまりにあらゆる問題がありすぎて、どうしたらいいのか判らんというのが正直なところなのだ。もちろん、いくつかの自分にとってたいせつな問題は、ある。やれることしかやれないし、やらない。それでよいのか。それではよくないのか。


 一度作った型紙を、ぶち壊す。後に残ったものを見据えよう。ただ一つの問題であっても、そこにきっちりと対峙していけば、何かが見いだせるかもしれない。そこからやり直すこと。何度でも、何度でも。発する言葉、耳にする言葉への感覚を、研ぎ澄ませること。


 小林から学ぶべきは、己の「宿命」を見出すこと。宮本から学ぶべきは、決意と実践である。その逆ではない。

 
 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-13 09:46 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その五)

   娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは
   コンミュニストの棍棒をふりまわせ。

   娑婆苦をすっかり失いたいものは
   ピストルで頭を撃ち抜いてしまえ。

                                       ――「信条」――

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるがそこにもまだ不幸は残っている。

 こういう世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。


 きわどい。実にきわどい。小林なら一笑に付すかもしれぬ。ずっと不幸はなくならない、芥川はそこに絶望して自死したのだということか。しかし、宮本よ、不幸の残らぬ社会などあり得るか。


 宮本はこの時、不幸のない新社会を人間が作ることが出来ると、ほんとうに信じていたか。信じていたろう。しかし、その信は、もう一つの可能性をほんのわずかではあるが、隠し持っていたように思われる。「氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ」と言う時、宮本は芥川を糾弾したのではない。「ブルジョア的芸術家の多くが無為で怠惰な一切のものへの無関心主義の泥沼に沈んでいる時、とまれ芥川氏は自己の苦悶をギリギリに噛みしめた」という言葉は、糾弾姿勢からけっして引き出せるものではなかろう。

  
 もう一つの可能性、それは芥川を、あるいは芥川的なものを、社会変革・階級闘争によって救い出そうとすることだ。全篇にあふれる芥川への敬慕を見よ。その時の新社会とは、不幸のないものではなく、不幸をみんなでなくそうとするものと観念されたはずだ。しかし、その観念は、そう確固たるものではない。新社会の障害になるものを克服せんとする時、味方にし得る者を敵に回してしまう危険性は常にはらむ。だが、すぐさま言葉をついで僕はこう言っておきたい。それはひとりコミュニズムのせいではなく、あるべき何ものかを共同で目指さんとする時に誰もが必ずぶち当たる障害なのだ。

 
 その意味で、宮本はその「宿命」を生き抜く覚悟を決め、実践した。これはやはり相当なもんだぜと思わざるを得ない。敬服に値しよう。では、お前はどうするのか。


 ……再び「様々なる意匠」に立ち返ろう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-12 20:49 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その四)


 吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。


 「様々なる意匠」の冒頭である。言葉は、その独自の働きを持っている。独立して存在している。しかし、私たちは言葉を使ってしか考えることが出来ない。これは小林の確信である。そして、批評家として言葉に生きようと腹をくくった。


 こういう意味での確信は宮本にはなかったろう。かといって宮本が言葉を軽んじていたとも思えない。芥川の言葉を丹念に読みつづけた宮本には、言葉を通じて掴んだ芥川の苦悩を確かに内在化させるところまで到達していた。だが、そこで宮本は「現実」へと足を踏み出す。言葉を成り立たせる「現実」に目を向ける。


 しかし、さらに厄介でありまた興味深いのは、小林が言葉の世界に逃げ込んだとか閉じこもったとか、そういうことではないということだ。先に「或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない」という言葉を引いた。さらに、後半のバルザックとの対比で述べた部分を引こう。


 この二人(等々力注――バルザックとマルクス)は各自が生きた時代の根本性格を写さんとして、己れの仕事の前提として、眼前に生き生きとした現実以外には何物も欲しなかったという点で、何ら異なる処はない。二人はただ異った各自の宿命を持っていただけである。


 宿命については別に触れよう。ここでは、マルクスが生き生きとした現実を欲していた、そのことを小林は十全に理解していたことを確認するだけでじゅうぶんだ。さらに続ける痛罵を読もう。


 世のマルクス主義文芸批評家等は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。


 これが為にする批判でも言いがかりでもないことは明らかだ。言葉の魔術を確信する小林にとって、こうした「意匠」ほど陳腐に見えたものはなかったろう。

 
 もう一歩踏み込むなら、宮本がこの文章に入り込んで「芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない」と続けても差しつかえはない。宮本もこうした小林の言葉を、ある程度肯ずるものとして読むことが出来た筈だ。では、小林は? 

 
 小林が「『敗北』の文学」に入り込むことがあったとすれば、どうか。「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」。このように芥川その人を評するかどうか知らない。しかし、仮に宮本の世界に入り込んで小林が言い放つなら、こうした言葉であるように思われる。宮本はこうは言わなかったし、おそらく言えないに違いない。これは興味深い問題である。

 
 ……まったくもってうまくない。うまくない読みだが、しかし、どうにも二人が予想されるほどにはかけ離れたとは思えぬ、その点を念頭に置いて書き散らしてきた。それは同時に、二人の違いを浮き彫りにしていくことでもあった。


 それぞれの評論の中で、もっとも印象に残る個所を読み比べることを通じて、焦点をあわせて見ることにしよう。しかし、その焦点の先に何が見えるのか、僕自身まだ判らないのである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-11 21:35 | 批評系 | Comments(0)