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伊丹万作「戦争責任者の問題」其の三

だましたりだまされたりする日本人全体。その様相を掘り下げていく過程で、服装について触れられる個所がある。万作自身は病身でもあり、あまり出歩くことはなかったようだが、戦闘帽なるものをかぶらずに外出すると「国賊」かのように見られた、という。


 その本意は「我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々」が「我々を圧迫しつづけた」、その事実と意味を剔出するにある。そこはのちにふれよう。いま興味深いのは服装について万作自身の考えが述べられる個所。戦闘帽の例を出したそのあと。

 
 もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもついて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、かれらは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をしてみせることによつて、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。
 
 服装の、これほど明確な定義を僕は知らない。しかし、定義があらかじめ伊丹の中にあったというような感じはしない。むしろ、眉を逆立てる様子から遡ってこの定義にたどり着いた、と思える。十三さん幼少の日記へ万作がしるしたコメントが記念館にはある。そこでは注意深く観察することの大事さを簡潔に説いていた。その注意深さが、どうやらここでも発揮されているようなのだ。

 アラン、あるいはヴェイユに通ずるような眼差しがここにありはしないだろうか。アランには、ヴェイユには、万作にはなれなくとも、しかし注意深さは、日々の自省によって鍛えることが出来る。




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by todoroki-tetsu | 2013-11-15 00:36 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の二

 伊丹万作の思考は、身近なところから少しずつ、しかし着実に深化していく。だまされたとは言うが、だましたと言う人はいない。誰にだまされたかと聞けば、民は軍や官からといい、軍や官はさらに上からだという。しかし、だ。

 
 すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互いにだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
 ここで僕は上原專祿を想起する衝動に迫られる。『世界史における現代のアジア』に収録された「世界史的自覚に生きる」、その中のセクション「日本人の思想の二重性について」。「著作集」13巻、P.243による。

  
 そして日本人は、この社会、あの社会というように幾重にも区別してものを考える。だから非常に合理的で理知的なような発言をある社会でしている人が、家庭に入ると甚だ非合理的、非理知的な考え方をする。

(略)しかし、自己と日本の全体と世界の全体とを統一的に認識する方法、それを一緒にして生きる生き方というものが身につけば、思想の二重性や、内側の倫理と外側の倫理との使い分けや、酔っぱらって、やっと鬱憤を晴らすような変に弱い心情が克服されるのではないかと思う。
 
 これを上原は世界史的見方あるいは世界史的自覚という。1960年の講演であるが、萌芽はもっと以前にある。宗像誠也との対話『日本人の創造』の時点ではどんなに遅くともあったはずだと思うが、そこは学者に譲る。

  
 かたやだました/だまされた、かたや二重性。一見違うように見えるかもしれないが、「主体性」あるいは「自覚」、もしくは「内省」や「省察」といった言葉を用いてみればどうだろう。伊丹と上原は同じものを見てやしないか。


 年譜的に一年違いの伊丹と上原は旧制松山中学校でほぼ同じ時期を過ごしていたが、ことさらにそれが何かの影響を両者に及ぼしたのかどうかも知らぬ。ただ尽きせぬ興味をそこに一方的に見出すだけだ。生誕110年をこす人物が遺した言葉に尽きせぬ興味を見出すということは、その言葉が生々しく語りかけてくるということである。


 言葉の光はますます僕を照らし出す。幻惑させるためでなく、その内奥をあぶり出すために。





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by todoroki-tetsu | 2013-11-08 23:28 | 批評系 | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」

 再び伊丹十三記念館での展示を見、「戦争責任者の問題」全文を再読する。おそろしく断片的断続的になるだろうが、繰り返し読む作業を試みたい。こうした作業はあまり離れているとよくない。鍛錬しなければならない。


 いわゆる3・11以降、どの時期かは記憶が定かではないが、この文章に注目した人は少なからずいたように思われる。何かの大事(おおごと)に際し、あるいは「その後」に際し、この短い一文は確かに何度でも読み返すに値する輝きを有しているように思われる。その光はとりもなおさず読む者自身を鮮明にあぶり出す。手元にある「全集」第一巻で読んでいく。


 戦後、戦争責任を問う運動に名を連ねられてしまった伊丹が、その事情をつまびらかにするために記した一文である。多少の前置きをしての、本論冒頭。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。

 何の気ない文章のようにも見える。初出は1946年8月である。その当時の言説がどうであったか知らぬから、安易な比較は慎もう。しかし、この素朴すぎるくらい素朴な「私の知つている範囲」から出発することじたいが、すべての光源のように思える。


 「だましたものとだまされたものとの区別」になぜまなざしをむけることが出来たのか。読み進めるうちに明らかになるのか、その前に読む者がその光に焼かれるのか。

 
 じっくりやろう。


 

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by todoroki-tetsu | 2013-11-07 23:16 | 批評系 | Comments(0)