<   2012年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧

楳図かずお『14歳』

 先ごろ完全版といえる全4巻が完結した。4巻目には楳図先生書き下ろしが加えられているという以上、文庫版は持ってはいるが買わないわけにはいかない。


 いやはやもうすごい迫力であった。なぜこの人はこんな絵を描けるのだろう、と何とも幼稚だがしかし誰しもが抱くであろう感想を強く持ち直す。

 
 1990年連載開始当初はまだ僕は中学生で、クラスに好きな奴がいて回し読みさせてもらっていた。けれどしばらくブランクが僕にはあって、連載終了の1995年よりまだずっと後だと思う、通読したのは。


 今回読み直してみて、あのラストの意味が、ああ、こうならざるを得ないのだな、と切迫感とともに感じることが出来たのだが、そこに到るまでのいくつかを拾ってみる。


 2巻の終りの方におさめられる「ざんげ」というエピソード。地球をいためつけてしまったことへの後悔を各国首脳が語る場面。日本国総理はこう語る。


 かつて日本は世界中から嫌われたことがあった!! けれど日本はいくら考えてもそのわけがわからなかった!!

 日本の政治家が法律と金の二つしか、物を考える時のモノサシを持たなかったからだと気がついたのは、東京大地震で何もかも潰れた後のことだった!! 何一つ、残しておくべき芸術が無かったことに気がついた。けれども再度日本は同じことを繰り返した。以前にもまして大発展をとげた……何かを忘れたままで!!

 だが、その時にやっと気がついた。わたし達が忘れていたものはもう一つのモノサシ、“美意識”というモノサシだったということを!

 わたし達は常に、法律とお金というモノサシ以上に、美意識というモノサシを持つべきだった!!

 美意識の伴わない法律はうそだ!! 美意識の伴わないお金は悪だ!! 美意識の伴わない科学は破壊だ!! 美意識を伴わない学問はクズだ!!


 美意識を、何かに置き換えてもよい。ここで思わず人間と言いそうになってしまうが、少し危険がある。美意識を伴わぬ法律やお金に、人間ほど左右される存在もまたないのだから。じじつ楳図先生はこれでもかというくらい人間の醜さを描き込む。

 
 ストーリーが少し進むと、「もの」とよばれるクローン=人工人間が誕生するシーンになる。この商品化を迫る人物が吐く台詞。


 クローン人間を商品として売り出すなんて、かつてあったでしょうか!? いや、かつて人間を奴隷として売買したころがありました。人間は本質的に人間を商品として扱うことを夢みていたにちがいない。 

 
 こういうところからカントを理解しようとするのはよくないことだろうか。しかし、「人間は本質的に人間を商品として扱うことを夢みていたにちがいない」という断言は恐ろしい。ずっと隠していたものを暴かれてぐうの音も出ない、そういう心境。

 
 「もの(人工人間)」による殺人プロレス、そのおぞましい光景に熱中する大人たち。しかし、画面を通じて呼びかけられ、反応する未来の担い手たる子どもたちの姿。『漂流教室』を例に出すまでもなく、なんとこう子どもたちのひたむきさ(醜さも当然に含まれる)がいたく迫ってくることか。大詰めに近いところで子どもたちのリーダー、アメリカはこう呼びかける。


 たとえどんな破滅がやって来ても、ぼくは破滅を信じない!! 

 なぜなら、身を滅ぼすのが目的で生まれてきた生物は、この世のどこにもいないからだっ!!

 ぼく達は生きるんだ!! そして進化するんだ!!

 ぼく達は神に進化しよう!! 生きて神になるんだ!! 
 
 そして、この世の不幸を一掃しよう!! 地球を緑に変えよう!!

 
 生きることへのひたむきさ。神の観念……どうにも批評を読む自分への問いが重なってくるようで仕方がないのである。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-24 22:40 | Comments(0)

近過去から

 都知事選・総選挙の結果を受けて、様々に思うところはある。いまだに形にならないことのほうが多いけれども、ふと、近過去のこと、すなわち数年前の「蟹工船」ブームだの「ロスジェネ」だのといったことを思い返していた。あの時何かを間違ったのかもしれない。が、実感としては、あの時にわずかながらに得られた何かを、ほんの少し垣間見えたものを、忘れてはいないか、という自問に近い。

 
 近過去を思い返すのがもっとも難しい。そんなことを言われたのは確か市野川容孝さんだったと思う。ことあるごとに思い起こしている。

 
 整理はまだ出来ていない。が、保守だの革新だのといった次元での話は考えていない。主権者であるということはどういうことか。それが「上からのお説教」だとかいうんじゃなくて、自分たちにはそれだけの責任もあれば権利もあるのだということ。クロかシロか100かゼロかじゃなくて、自分に担えるだけのことを少しばかりでもやってみるとか、ある時は頑張るけどある時は休むとか、これは納得できるけどこれはイヤだとか、そういうことでいいじゃないか。何もかも自分たちで背負う必要もなければ突っぱねる必要もなくて、清算主義でもなく、みんなで生きてかなきゃいけないんだから、出来ることなら足の引っ張り合いじゃなくて、どうにかこうにかお互いに生き延びることができるようにしていこうや、という、そんな程度のこと。誰がダメだとか言うのもいい、対案を出せと言ってもいい、けど結局自分や自分の身の回りの人間が、出来ることなら他者の犠牲によってではなく、生き延びていくこと。


 そう、こんなのはまったくもって保守でも革新でもない。どちらかといえば「まっとうな保守」の再生を願っているのかもしれないとすら思う。「五勺の酒」で校長が党員でもないのに共産党のことを真摯に心配し批判するのと似たようなことだろうか。


 自分の行きつけの蕎麦屋が云々と言ったのは福田恆存であったか。大向こうの言葉よりはこうした言葉の方がよほど心地がよい。近しい人としゃべる言葉と大きなことをしゃべる言葉が、同じかどうか知らんが自然とつながりを持っているように思われる。断続していない気がする。言葉の問題の大きさ、重さをあらためて思う。

 
 僕が今回の選挙で一番反省すべきなのは、生身の言葉で身近の人間とほとんど語らなかったことだ。特定の候補者・政党に支持を呼びかけるという意味での「対話」ではなく。自分たちの働いているということそのものが、決して政治と無縁ではないのだということくらい、もう少し話し合ってみることは出来た筈だ。


 投票日当日――本屋にとって12月半ばの週末なんてのは一年の中でも一二を争う書き入れ時だが、早朝出勤をしなければならなくなった同僚がぼそっと、「ああ、投票いけないな今日は。しょうがないな」とつぶやいた。前日も遅くまで仕事をしていたのを知っている僕は、とても「7時には投票所あいてるんからギリ間に合うんじゃないの」とは言えなかった。ましてや棄権を咎めることなど出来やしない。

 
 こういう次元で、場で、どれだけのことが言えるのだ。「沈黙もまた言語」(吉本隆明)である。が、その先は。


 手がかりになるような何かに、僕はかつて触れた気がする。記憶を掘り起こす。「あくまでも左翼は人びとの社会的生活を条件づけるものに介入するだけで、それぞれの人の生き方や実存の問題にはけっして介入しない」(萱野稔人、「なぜ私はサヨクなのか」、「ロスジェネ」創刊号所収)、「過剰な労働で燃え尽きていく人のリアリティと、生きづらくて働くのも難しい人のリアリティ」(杉田俊介、『フリーター論争2.0』)……これらについては2008年に記していた

 
 まてよ。もう少し遡ってみる。「『人生、落ちるところまで落ちたとき、ミギだのヒダリだの言ってられますか』 バリバリの左翼からネット右翼まで」(小丸朋恵、2007年11月号の「論座」所収)。そう、ここだ。短いが、印象的なルポルタージュである。もはや容易に読める環境にないのが残念だけれども、強引に要約する。もちろん、僕の関心に沿った恣意的なものであることはお断りせねばならない。機会あらばぜひ本文にあたって頂きたい。


 契約社員としてシビアな状況を強いられた若者が、ふとしたきっかけで組合の扉をたたく。あれこれ一緒にやっていく。小林よしのりさんを尊敬する彼は、自分の思想信条を吐露したことをきっかけに、他の組合員とやりあうことになってしまう。辞めてやる、と思う。しかし、様々な苦しかったことなどが頭をよぎる。他の先輩格のスタッフからも引き留められて彼は思う、「僕たちは『仲間』なのかなあ――」。しかし彼は、結局は組合に残る。「僕たちは『仲間』なのかもなあ――」という言葉を以て。


 「僕たちは『仲間』なのかなあ――」と「僕たちは『仲間』なのかなあ――」(下線等々力)とのあいだにあるもの。ためらい。この文章を何回かは読み返している筈だ。しかし、僕はこのためらいをなぜ「他者」のものとして、自分の外部にあるものとしてしか読まなかったか。こうしたためらいに対し、内在化することなく外からいかにアプローチすべきか、「理解」(!)すべきかとしか考えていなかったか。言葉に対する認識の圧倒的な不足を思い知る。


 言葉に対する認識は、そのまま人間に対する認識である。たった一文字の「も」に揺れ動く思いを想像すること。言葉に忠実であること。盲目的信仰ではなく、まっとうに畏怖すること。口にする、耳にする言葉を大切にすること。


 おそらくこのように思い起こすべきものが、まだまだ近過去には眠っている。容赦なくそれらは僕に襲い掛かってくる。さて、どれだけの勝負が出来るか。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-20 20:03 | 批評系 | Comments(0)

書くことと商売

 今日は若松英輔さんの講演。「聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治」と名付けられたそれは、実にすばらしい空間と時間であった。


 ここでその体験を語るのは野暮に過ぎる。ここでは講演の本題とは、外れてはいないが少しそれた部分のところを少しだけ記したい。


 今回は質疑応答の時間を多めに取っておられた。為に普段よりも双方向のやり取りが多かったわけだが、そのやり取りの中で、若松さんがこんなことを語られた。

 
 ――一連の機会を通じてやりたかったのは、文章をみなさんと読むということ。難しいことだろうが、さらにはみなさんと書くという作業をやってみたい。書く、ということが発表することと強く結び付けられたのはある種の不幸ではないか。誰に発表するでもなく、読んで書いてみる。そうすると書くことの難しさもよく判る。

 
 精確にメモを取れたわけではなく、うまく文意を再現出来ているか自信がない。が、言葉をめぐる体験の大切さを強調されていることがひしひしと伝わってきた、そのことだけは確かだ。


 さて、僕は他人が記した言葉のパッケージでメシを食っている。ゼニになる言葉のパッケージと、そうでない言葉のパッケージ。そのような分け方が僕には染みついている。ゼニにならないならなるように工夫しようじゃないか、というのが基本スタンスでもあり、だからある時には散々にこきおろすし、ある時には版元さんにおしかけて口を出す。


 しかし、何か根本のところで何か思い違いをしてはいないだろうか。自分のやってきたことにはそれなりの自負はある、だが……。

 
 自省するにはふさわしい寒さである。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-13 22:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その六)

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は、彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。


 先に宮本の「宿命」に触れた。構図として、小林の批評の次元に宮本が立っていることを確認したいと思った。言葉でメシを食う覚悟をした小林を基準にし、何ものかになろうと決意はしたがいまだ学生であった宮本の言葉を差しはかろうとした。


 もちろん、ここは大げんかになるだろうな、というところを探すほうが容易である。二人が現実にどのように接点を持ち、あるいは持たなかったは知らん。80年前の言葉を引っ張り出して僕がやりたいのは対岸の火事の炎上ではない。二人の硬度から手前が何を引き出せるのか、ただそれだけがやりたい。その意味で、まず二人の立つ次元、極めて高い硬度を確認する必要があったのだ。

 
 しかし、僕が今小林の方に肩入れをややしていることは事実である。上記で引いた小林の言葉は、何度繰り返し読んでも飽きることがない。「人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である」。何と強烈なことか。

 
 宮本なら階級闘争を、社会変革を、ここで持ち出すだろう。宮本にとっての真実は外部にある。社会と言ってしまおうか。社会と個の関係。社会があるからこそ個がある、というのじゃない。個は社会との関係を正しく認識せよ、ということだ。この認識と、それに基づく実践は「無関心」を許容するが、「嘲笑」を拒否しよう。

 
 いっぽう、小林にとっての真実は自己にある。しかし、これとて他者と社会と没交渉なわけじゃ決してない。バルザックとマルクスを並行して論じた一文を思い出そう。「生き生きとした現実」の息づかいをどれだけ大切に思っていたか。そのために小林は「意匠」の化けの皮をはがしたのだ。そんなものはとっぱらっちまって手前の心底感じ取るものをつかめ。小林の真実はたしかに自己にある。しかしその自己は閉ざされたものではなく、他者との不断の交流に触れあい続けるものだ。「人は便覧(マニュエル)によって動きはしない、事件によって動かされるのだ」。

 
 どちらを取ればどちらを捨てなければならん、そういうもんだいではない。かといってどちらも取ろうとすれば、矛盾に直面することがあるだろう。しかし、何度でも繰り返すように、二人は同じ交差点に立っている。その後の歩みがいくら違っていようと、宿命が交差する瞬間があった。ならば、宮本と小林の違いは、この二人にのみ帰せられるのでもなければその後の嫡流・亜流にのみ帰せられるものではない。だれしもが直面する不可避的な違いである。


 いずれの道も険しい。迷うこともある。その時に立ちかえる交差点がここなのだ。そこから一度選んだ道をもう一度たどり直すか、別の道を選ぶかはそれこそ「宿命」に帰するだろう。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われる……二人の文章に共通する読後感を僕はそう記したのだった。

 
 では、記さなければならないのは手前のことだ。断続的に書き散らしてきたが、「運動」もしくは「問題」について、その対する態度を固めたいというのが僕の希いだ。例えば「社会」を、「制度」を認識し、そこに働きかけることが解決策であるように思えた。それは現実であり、間違ってはいない。しかし、すべてを社会や制度にしてしまうと、結論先にありきのもの言いとなる。いつの間にか出来あがった型紙。その型紙が通用しなかった時、僕の取った態度というのは思い出すだにおぞましいものであった。そのおぞましさを自覚するのに長い時間を要したことがさらに事態を悪化させた。傷つけてはいけない人を傷つけた。取り返せるものはもう何もない。そう思いながらもまた過ちを犯している。


 しかし、かといって個別具体的な問題からスタートしようとすると、あまりにあらゆる問題がありすぎて、どうしたらいいのか判らんというのが正直なところなのだ。もちろん、いくつかの自分にとってたいせつな問題は、ある。やれることしかやれないし、やらない。それでよいのか。それではよくないのか。


 一度作った型紙を、ぶち壊す。後に残ったものを見据えよう。ただ一つの問題であっても、そこにきっちりと対峙していけば、何かが見いだせるかもしれない。そこからやり直すこと。何度でも、何度でも。発する言葉、耳にする言葉への感覚を、研ぎ澄ませること。


 小林から学ぶべきは、己の「宿命」を見出すこと。宮本から学ぶべきは、決意と実践である。その逆ではない。

 
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-13 09:46 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その五)

   娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは
   コンミュニストの棍棒をふりまわせ。

   娑婆苦をすっかり失いたいものは
   ピストルで頭を撃ち抜いてしまえ。

                                       ――「信条」――

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるがそこにもまだ不幸は残っている。

 こういう世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。


 きわどい。実にきわどい。小林なら一笑に付すかもしれぬ。ずっと不幸はなくならない、芥川はそこに絶望して自死したのだということか。しかし、宮本よ、不幸の残らぬ社会などあり得るか。


 宮本はこの時、不幸のない新社会を人間が作ることが出来ると、ほんとうに信じていたか。信じていたろう。しかし、その信は、もう一つの可能性をほんのわずかではあるが、隠し持っていたように思われる。「氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ」と言う時、宮本は芥川を糾弾したのではない。「ブルジョア的芸術家の多くが無為で怠惰な一切のものへの無関心主義の泥沼に沈んでいる時、とまれ芥川氏は自己の苦悶をギリギリに噛みしめた」という言葉は、糾弾姿勢からけっして引き出せるものではなかろう。

  
 もう一つの可能性、それは芥川を、あるいは芥川的なものを、社会変革・階級闘争によって救い出そうとすることだ。全篇にあふれる芥川への敬慕を見よ。その時の新社会とは、不幸のないものではなく、不幸をみんなでなくそうとするものと観念されたはずだ。しかし、その観念は、そう確固たるものではない。新社会の障害になるものを克服せんとする時、味方にし得る者を敵に回してしまう危険性は常にはらむ。だが、すぐさま言葉をついで僕はこう言っておきたい。それはひとりコミュニズムのせいではなく、あるべき何ものかを共同で目指さんとする時に誰もが必ずぶち当たる障害なのだ。

 
 その意味で、宮本はその「宿命」を生き抜く覚悟を決め、実践した。これはやはり相当なもんだぜと思わざるを得ない。敬服に値しよう。では、お前はどうするのか。


 ……再び「様々なる意匠」に立ち返ろう。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-12 20:49 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その四)


 吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。


 「様々なる意匠」の冒頭である。言葉は、その独自の働きを持っている。独立して存在している。しかし、私たちは言葉を使ってしか考えることが出来ない。これは小林の確信である。そして、批評家として言葉に生きようと腹をくくった。


 こういう意味での確信は宮本にはなかったろう。かといって宮本が言葉を軽んじていたとも思えない。芥川の言葉を丹念に読みつづけた宮本には、言葉を通じて掴んだ芥川の苦悩を確かに内在化させるところまで到達していた。だが、そこで宮本は「現実」へと足を踏み出す。言葉を成り立たせる「現実」に目を向ける。


 しかし、さらに厄介でありまた興味深いのは、小林が言葉の世界に逃げ込んだとか閉じこもったとか、そういうことではないということだ。先に「或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない」という言葉を引いた。さらに、後半のバルザックとの対比で述べた部分を引こう。


 この二人(等々力注――バルザックとマルクス)は各自が生きた時代の根本性格を写さんとして、己れの仕事の前提として、眼前に生き生きとした現実以外には何物も欲しなかったという点で、何ら異なる処はない。二人はただ異った各自の宿命を持っていただけである。


 宿命については別に触れよう。ここでは、マルクスが生き生きとした現実を欲していた、そのことを小林は十全に理解していたことを確認するだけでじゅうぶんだ。さらに続ける痛罵を読もう。


 世のマルクス主義文芸批評家等は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。


 これが為にする批判でも言いがかりでもないことは明らかだ。言葉の魔術を確信する小林にとって、こうした「意匠」ほど陳腐に見えたものはなかったろう。

 
 もう一歩踏み込むなら、宮本がこの文章に入り込んで「芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない」と続けても差しつかえはない。宮本もこうした小林の言葉を、ある程度肯ずるものとして読むことが出来た筈だ。では、小林は? 

 
 小林が「『敗北』の文学」に入り込むことがあったとすれば、どうか。「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」。このように芥川その人を評するかどうか知らない。しかし、仮に宮本の世界に入り込んで小林が言い放つなら、こうした言葉であるように思われる。宮本はこうは言わなかったし、おそらく言えないに違いない。これは興味深い問題である。

 
 ……まったくもってうまくない。うまくない読みだが、しかし、どうにも二人が予想されるほどにはかけ離れたとは思えぬ、その点を念頭に置いて書き散らしてきた。それは同時に、二人の違いを浮き彫りにしていくことでもあった。


 それぞれの評論の中で、もっとも印象に残る個所を読み比べることを通じて、焦点をあわせて見ることにしよう。しかし、その焦点の先に何が見えるのか、僕自身まだ判らないのである。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-11 21:35 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その三)

 少しばかり「『敗北』の文学」に軸足を置いてみようか。


 これを書いた当時の宮本はまだ学生である。一方年長の小林は既に学校は出ていた。歳にして六つほどの違い。20代における六つ違いの差は大きかろう。しかし、兎に角「生き生きとした嗜好」を有する宮本の文章を読んでみよう。

 
 遠いところにいると思われた芥川が、自分の近くにいるように思えた。「『敗北』の文学」の冒頭はそんなところから始まる。芥川に宮本が感ずる「チョッキ」と、小林の文芸批評家たちに感じた「鎧」とは同じものであったかどうか。さて、宮本は自殺後の芥川を「我々に近く立っている氏を発見した」と言う。あくまで「近く」であって、我と我が身の中にではない。あくまで芥川は外部にいるかのように宮本は記述している。しかし、実際のところはどうであろう。


 かつて私は、自己の持ち場で闘っているインテリゲンチア出の一人の闘士が、一夜腹立たしそうに語ったことをおぼえている。「駄目だ! 芥川の『遺書』が、――『西方の人』が、妙に今晩は、美しく、懐かしく感じられるのだ。」



 なぜ美しく懐かしく感じられることが否定的に記されるのであるか。


 この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要がある。


 なぜ「古傷」と過去のものにしようとするのか。簡単なことだ。

 
 そこまでして振り切ろうと努力しない限り決して逃れ得ぬものとして、芥川の存在は宮本の内部にあったのだ。よそよそしく「我々の近く」になんて記してはみたが、それはそうでも記さない限り気恥かしくて仕方ないほど自分の中に入り込んでいたからだ。芥川に魅了される己を自覚することなしに何故「踏み越えて往く」必要があろう。

 
 ここに、小林と宮本が同じ地点に立っている証左を見る。「様々なる意匠」の一文をつなげてみればよろしい。二人は本当に近くにいたのだ。

 
 批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!


 懐疑を振り切り、宮本は決意を表明した。いかにも学生らしく若々しい。しかし、小林がさて懐疑的に語ったかどうかとなると疑わしいものだ。確信にみち溢れた言い放ちようが懐疑に裏付けられたものであったとしたら、宮本の決意表明とどれほどの違いがあるだろう。

 
 しかし、同じ地点に立っているとはいえ、決定的にやはり違う。それは、意図してか無意識にか、いずれにしても「我々の近くに立っている」としか記せなかった、ほんとうは少しでも話そうとすると痛むくらい自分の中にいる芥川を、あたかも外部にあるかのように記せなかったことに現れている。


 ここで「様々なる意匠」の冒頭に立ち返ってみることにしよう。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-09 20:22 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その二)

 凡そあらゆる観念学は人間の意識に決してその基礎を置くものではない。マルクスが言った様に、「意識とは意識された存在以外の何物でもあり得ない」のである。或る人の観念学は常にその人の全存在にかかっている。その人の宿命にかかっている。怠惰も人間のある種の権利であるから、或る小説家が観念学に無関心でいる事は何等差支えない。然し、観念学を支持するものは、常に理論ではなく人間の生活である限り、それは一つの現実である。或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない。



 さて、これは宮本顕治と小林秀雄の、いずれの文章か。「宿命」とか「或る現実に無関心でいる事は許されるが」といった言い回しから、ああこれは小林だと知られよう。しかし、これが「『敗北』の文学」の文章の一部だと言われても、すんなり読めてしまうのではあるまいか。それほど近しい距離に二人はいるように僕は感じる。その逆はあり得るか。なかなか考えるに足る問題だ。


 「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」を繰り返し読む、そのことで得られる手触りは、どうやら近いぞこの二人は、というものである。もちろん、決定的な違いはある。しかしそれはまったくすれ違うことのない場所にいるという意味ではない。1929年のある時、交差点でこの二人は並んで佇んでいた。一方は東へ、一方は西へ、それぞれ足を踏み出していく、瞬間が感じられる。それはたまたま宮本顕治と小林秀雄という二人が背負った宿命であったろうが、その宿命はまた彼らだけのものでもないように思われる。時代と屹立した個がどのように歩むか、といったら言い過ぎか。


 行きつ戻りつしながらも、まずは二人の評論に共通するものに重点を置いていきたい。それによって違いはより引き立ち、決定的なものとして迫ってくるであろう。


 補足的に述べておくと、読後感はどちらも非常に似通っている。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われるということだ。小田さんの言う、「で、あんたはどないしはりますねん」に近い。宮本は明快な言葉でグイグイと引っ張っていく。決断を迫る。「進歩か反動か」。小林はそうは言わない。俺は啖呵を切るだけさとでも言いたげだ。しかし、思いのほかさらりと締めくくられた結語を読むたびに、「お前はどういうつもりで言葉を読む気かね」と、暗に問いかけてくる。お前の本をカネを出して買ったのはこっちだい、という気持ちなどふっとんじまう。観客席でのほほんと坐っているお客さんにはさせてくれやしない。安心して楽しめるような言葉じゃないのだ二人とも。優れた批評とはこういうことだ。読んでいる手前とあわせて三つ巴のとっちらかり。

 
 そんな風に読まなくちゃ、「現実」に申し訳が立たない。あの日を思わせる地震を経たなら、なおさらだ。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-07 20:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」

 「運動」もしくは「問題」に対して、自らよって立つところを定めたい。この数年の僕自身の主調低音である。ああでもないこうでもないと右往左往して、自分の問いはおそらく批評から多くの手がかりを得られそうだ、という地点に今はある。


 誰かの言っていることを、まったくその通りだと思う。あるいは、そんなんじゃねぇや、と思う。全肯定や全否定が出来れば気が楽なんだが、この人のこの部分は共感するけれど、この部分はちょっと……というのがほとんどであって、それで思い煩うのでもある。

 
 しかし、他者と自己と関わりというのは、そもそもそんなもんじゃねぇのか。信者になろうとするのでなければ、そうした共感と違和とのあいだで往還を繰り返しながら、関係をつくっていくものだろう。語るべきなにものも自分にないのなら、沈黙すればよい。だまって耳を傾けよ。そう思えるようになってきたのは、つい最近のことだ。


 前置きが長くなった。選挙に関わって言葉の問題をあれこれ考えているうちに、ふと小林秀雄の「様々なる意匠」が思い起こされた。「一つの意匠をあまり信用しすぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。意匠という言葉が、あくまで選挙向けの次元での公約やスローガン、あるいはその個人や政党が信ずる「正しさ」と、シンクロするように思われた。僕は研究者でもなんでもない。今を考える手がかりが欲しい。ただそれだけだ。小林の評論からヒントが得られるならしめたものだ。


 大して長い評論ではない。けれども例によってといおうか、逐一ハラにくる。グサグサくる。こいつはどうにも本物だぞ。当たり前だがそう思う。しかし、僕は小林信者というわけではない。為にする批判をするつもりはないけれど、そもそもの出自として、僕は小林を読むような人間ではなかった。「宮本に懸賞論文で負けたから反共なんじゃないの」という、これまた今思い返すとびっくりするくらい危険な浅薄さの認識に立っていた者である。が、今更恥じ入ってもどうにもあるまい。

 
 ならばと思い、今度は宮本顕治の「『敗北』の文学」も読み返す。やっぱりこれはこれで実に面白いのだ。入党する前に書いたというのがすごい、みたいな物言いを耳にしたことを思い出す。失礼を承知で言うなら、そんな次元じゃねぇぞと思う。僕は共産党の存在意義をいささかも軽んずるものではない。しかし、ここでもんだいにしたいのは、大上段に振りかぶりたくはないけれども、例えていうなら社会と個の関係であり、政治と文学という問題なのだ。


 「『敗北』の文学」は一見結論先にありきの、それこそ「意匠」のように読みとれる部分もあるだろう。が、宮本のその後を試みにすべて捨象して、この批評文だけを丹念に読んでみる。そこに感じ取れるのはむしろ、「生き生きとした嗜好」と「溌剌たる尺度」(「様々なる意匠」)ではないのか。
 
 
 1929年の「改造」懸賞文芸評論の一等と次点。こう記しただけでいかにも古めかしいという気がする。しかし、いずれの批評も80年近く経った今なお、活き活きと僕に語りかけてくるというのはどういうことか。この二つの評論ががっぷりと四つに組んだありさまは素晴らしい。言葉について「硬度」という表現を仮に用いたけれども、どちらも透き通った、自他共に貫く硬度を有した批評である。

 
 読むために少し書いてみたいと思う。途中で自爆するかも知れん。それはそれでよかろう。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-07 09:30 | 批評系 | Comments(0)

言葉の硬度

 さすがに都知事選と総選挙のダブルとなると、言葉の行き交いようも心なしか増すように思える。もんだいは中味なのだろうけれども、限られた期間で情勢は日に日に、一刻一刻と変化する。どんな次元でもよい、選挙を主体的にたたかった経験があればこれはある程度理解されうるであろう。


 選挙を評論の対象として見るだけの見方はしっくりこない。選挙運動に入り込み過ぎるのも危険だということは判っちゃいる。しかし、例えば学生自治会の選挙でじゅうぶんだ、獲るか獲られるかみたいなことを一度でも経験していれば……いや、要は経験をどう血肉化するかしか違いはないか。


 さて、といったところで今の僕はとりたてて目立った選挙活動をするわけでもなければ、自分の支持する候補者や政党の支持を声高に訴えるということもしない。だからといって逆のことは出来ない。選挙を虚無の眼で見ることは出来ない。


 とするならば、せめてもの主体的なかかわりは、誰が何を言っているのかに耳を澄ますことだ。もちろん、レーニンに倣って、その人が何をした/しているかを思い起こすことも忘れずにいよう。「こうします」という言葉に反応するのと同じくらい、その人が何をした/しているかを知ることは大事なはずだけれど、ともすると言葉にのみ走りがちになる。「これからこうしますと言っている。それでいいじゃないか」。本当にそうか。新人が無所属で出るならそれもよかろう。しかし、そうでないならば、参照できる過去が必ずあるはずだ。それを踏まえるか踏まえないかも、結局は手前(てめえ)自身の判断になるわけだが。


 けれども今、考えてみたいのは言葉のほうだ。様々に威勢のいい言葉や批判の言葉が飛び交う、それらの言葉を、自分なりに読み解く基準を持っていなくては、と思う。その人の過去を踏まえる/踏まえないが手前自身の判断になるのと同じくらい、言葉を読む基準を持っていなくちゃいけない。


 しかし、不思議なことがある。こうして政治家の言葉を読む、その基準というのは一般的に言って公約に集約されるだろう。この人は何を掲げ、何をやるのか。確かにそうなのだ。そうなのだが、僕が今考えたいのはそうした政策とはちょっと違う次元のところなのだ。言葉がどれだけ重みを持って手前自身に響いてくるか、そのことだ。

 
 直接政治や選挙に関わることではないが、僕にはこのことで思い起こされる体験がある。中島岳志さんが秋葉原事件をお話になる時にほぼ必ずと言っていいくらい触れられることがある。彼が工場を飛び出した時の書き込みに、バンプ・オブ・チキンの「ギルド」の歌詞が見られるということと、それについての中島さんの見解だ。たぶん僕はこのくだりを少なくとも3回は講演の場で直接伺っていると思う。伺う度に、その意味を、またこのことを書き手としての中島さんがどれほど重く見ておられるか、そのご自身の立ち姿に対しての敬意を抱かずにはいられない。変な言い方かもしれないが、何度伺っても伺うたびに身の引き締まる思いがする。

 
 ところで、本題はこの先だ。僕はある時、まったく別の座談会で、中島さんが指摘しておられたのと同じことを、ある登壇者が話していたのに出くわした。まだ『秋葉原事件』は上梓前だったが、その登壇者も直接あるいは間接に、中島さんのお話を聞いたのだろう。登壇者は決して不誠実ではなく、さも自分が発見したのだというようにしゃべったのではなかった。中島さんのお名前こそ出さなかったが、伝聞として紹介したというほどであった。しかし、僕には強烈な違和感があった。話の上手下手もあるだろう、でも、それだけではない。そこには中島さんの語り口から感じ取ることのできる言葉の硬度が、圧倒的に欠落していた。気の抜けた、搾りかすのようなおしゃべり。ひょっとすると、活字にすればそれなりに読めたのかもしれない。しかしどうにも腑抜けた感じがして嫌でしょうがなかった。自分の得た感慨が損なわれる気がしてほとんど激昂しそうになった。


 その原因は何だろうと考えていた。話し言葉と書き言葉の違いも大きい、話術の要素も大きかろうということで半ば済ませてもいた。しかし、比較的最近、書き言葉――といっても話したことを書き起こしたそれ――でも、同様の違和を覚える体験をした。「チッソは私であった」という言葉を、現在に引き付けようと試みた文章をめぐって感じた違和だとだけここでは記しておく。僕が間違っているかもしれない。頭を下げるだけならいくら下げてもいい。水俣をめぐる運動や大変さを僕などがほんとうの意味では知る由もない。しかし、言葉に忠実であろうとすることは出来る。


 誰がどうやら書いた/話した、読んだ/聞いたという次元だけの話でもなさそうだぞ、という気がしてきている。今でも判ったとは言えない。しかし、どこまでその言葉が、その発せられる生身の肉体に内在化しているか、なんどもなんども自問自答を繰り返す中で硬度を高めていったか、そこがどうにも気にかかる。


 政治的に正しいと自分は感じるが、硬度のないふにゃふにゃの言葉と。政治的にはまちがっているけれども、硬度のあるズシンとくる言葉と。そんな問いが頭をもたげてくる。


 こんな問いを前に進める手がかりを、80年ほど前の文章に求めようかとあぐねているところである。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-12-05 22:15 | 批評系 | Comments(0)