<   2012年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧

イベント:「2012年脱原発デモ その後の展開」

 イベントとしての『脱原発とデモ―そして、民主主義』といおうか。昨日高円寺で行われた、鎌田慧さん・松本哉さん・雨宮処凛さんのお話について。「読書人」ならびに筑摩書房さんのサイトでものちのち紹介されるそうだ。


 先ほどまじまじと、執筆者名がデザインされた本の表紙を見ていて気づいたのだが、「原発いらない福島の女たち」をのぞき、年長者から順に配置されているようだ。三人のお話の中でも鎌田さんがしばしば「若い人たち」と言われ、松本さんに話を振っておられたのがよく判る。ここが、もんだいだ。


 こういう場に出てくる年長者というのはわりあいにいけすかないタイプの人が多いものだが、鎌田さんは違う。今までに何度かお話を聞いていてその安心感はあった。「旧い運動がもたもたしている間に、若い人たちが素早く新しい運動をやってくれた」みたいなことをおっしゃっていて、その口ぶりは自分たちは自分たちでやれることはやるけれども、若い人を含めた他の人のやっていることも応援したいという気持ちがある、そんな風に感じたのだった。

 
 その上で記すわけだが、もう若くはないのだ。松本さんは僕よりひとつ上の1974年生まれ。確かに1938年生まれの鎌田さんから見れば若い。けれど、30代の半ばを過ぎた。数年前、どこかで東浩紀さんが、正確な文言は忘れたけれども「僕ももう38ですよ。若いもの扱いされるけど、もうそんな歳じゃないです」といった発言をされていたのを思い出した。


 何かしらものを書いたりしたものが商業流通に乗るためには一定の経験や実績が必要で、その意味では20代やせいぜい30歳ちょっとくらいまでの人の言葉が、本になりにくいのはよく判る。もう少し時が経てば変わるのか、どうか。しかしなぜだか最近、持たねぇぞこのままじゃ、という想いにかられる時がある。「毎日」での丹念な連載「リアル30’」が単行本になるようだが、内輪話で終わるでなく、他の世代といかにうまくやっていけるかと考えるのはほんとうに難しい。明らかに制度の問題はデカいのだが、それだけでもやはりなかろう。うまく言えないが、このへんの問題は色んなところで今しばらく出てくるような気がする。


 3・11以前と以後をつなぐもの。諸悪の根源としての「派遣法」、それに対抗する様々なプレカリアート運動、生活保護の問題、被災地での雇用と生活……。「カネと命の交換」と鎌田さんが指摘した、その言葉に収斂していくように思われる。

 
 だが、会社勤めで商いをしている僕は、「カネと命の交換」の論理が思いのほか自分の中に沁み込んでいることを徐々に自覚している。こうして出かけてイベントの場で話を聞いて溜飲を下げるだけではだめだということを知っている。さりとて、本は商品ではない、などとたわけたことをぬかすつもりもありゃしない。さあ、どうするか。


 しばしば雨宮さんが言われたように「いがみあう必要のない人たちどうしがいがみあっている、そうさせられていること」への疑念、あるいは怒り。そうしたことさえ忘れなければ、何か見えてくるものがあるかもしれない。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-29 21:16 | 運動系 | Comments(0)

本としての『脱原発とデモ―そして、民主主義』

 正直なところ本じたいにあまり興味はなく、ただ、昨日28日に行われた鎌田慧さん・松本哉さん・雨宮処凛さんのお話は聴きたいと思った。聴くからには事前に読んでおかねば失礼だ。前日からあわてて購入し、開演前には読了した。イベントについては別に書こう。まずは、本としての『脱原発とデモ―そして、民主主義』について。


 本じたいにあまり興味がない、というのはほんとうに実感としてある。もともと運動系の書籍には一定の距離を置くようにしている。近親憎悪というと失礼か。自分が多少なりとも一参加者として関わる運動ならなおさらだ。処世術という側面は無論ある。が、それ以上に、「手前の感覚で下手に盛り上がってはまずいんじゃないか」という自制が過剰に働くのだ。それは、けっして悪いことではない。もはや、若くないのだから。この点はイベントについて述べる時に触れる。


 各々の方が各々に書いておられており、それに対しての感想を少々記してみたいのだが、まず先にひとつだけ気になることを記しておきたい。p.170だ。

 
 小見出しには「5.ポリフォニーの行方」とある。本文には「多声音楽」というルビなし表記(同頁)と「ポリフォニー」(P.171)という表記が見られる。表記のゆれも気になるが、それ以上に気になるのは、ポリフォニーという言葉はこういう文脈で用いられる時、注釈もルビも何もなく「多声音楽」と等号で結びつけられるほど一般的で知られた用語なのかどうか、ということだ。

 
 運動の文脈におけるポリフォニーという言葉は、すぐさま小田実さんを想起させるだろう。俺は判っているぜと言いたいのじゃない。多少の予備知識が、ひょっとすると求められる用語なんじゃないのかという疑念である。誰に向けて届けるのか。用語を使うなとは言わない。本文の「多声音楽」のところに「ポリフォニー」とルビを打てばそれで済む。それだけのことだ。それだけのことが、なぜ見落とされるのか。こうしたところが気にかかるのだ。繰り返す。誰に向けて届けるのか。もちろん、僕の感覚が間違っているのなら素直に引き下がるつもりだ。


 さて、本そのものに触れていこう。やはり自分が読む手を止めてしまうのは、こうした個所である。感想の総論としてまずここから。


 原発の問題は、確実にそれが、ある人々に過酷な負担を押しつけることです。いくら大多数の人がそのことによって恩恵を受けるとしても、決してこのような非民主的な技術の存在を認めることができません。
                                           毛利嘉孝(P.39)


 泣き寝入りだけはしたくないって部分は強い。あまりにも理不尽、不条理を押し付けられている人たちがたくさんいるわけじゃないですか。それはもう間違いなく明日の僕たちの姿ですもんね。
                                           山本太郎(P.58)


 これらを念頭において「原発いらない福島の女たち」としてまとめられた言葉(P.132-6)を読むとき、僕は沈黙を強いられる。ちょっとやそっとデモに加わったくらいで、やった気になるなよと思う(自分に対して、だ)。福島原発告訴団についても。ならばもう、考え続けるしかないのだ。

 
 次いで各論的に三点ほど。第一に、鎌田慧さんのエッセイから(P.85)。

 
 原発推進派が反対運動に追い詰められてもちだしてきた論理は、「カネと命の交換」である。原発に反対すると、食えなくなるぞ。公害企業への逆戻りである。70年代の公害反対のスローガンは、「公害の空の下のビフテキよりも青空の下でのおにぎり」などだった。死に至る繁栄よりも、身丈にあった経済生活を、である。


 「公害の空の下のビフテキよりも青空の下でのおにぎり」。なんとも素敵なフレーズではないか。そうした蓄積を、この社会というのは持っていたんだなと思う。そんなに昔の話じゃない。自分の親よりは上かもしれないが、せいぜい祖父母くらいまでさかのぼればじゅうぶんだ。山下陽光さんが「抵抗の発明者を発見しまくりたい」(P.30)と述べておられるのに共感をおぼえもする。「カネと命の交換」に関しては、生活保護の問題をつなげていたイベントでの雨宮さんの発言ともかかわってくるのでそこに譲ろう。


 第二に、さて、抵抗の蓄積を発見し、それを掘り起こし、活かす。実践する。ここで重要なのは松本哉さんの発言だ(P.126)。

 
 革命後の世界を先にやっちゃったほうがいいんだ、みたいなことを言ってると、けっこう真面目な人からは共産主義革命ですか? 社会主義? 民主主義革命ですか? とか聞かれるんですよ。そういうことを質問する時点で人任せだと思うんですよ。


 自分たちでやるということの大切さやおもしろさ。おそらくはむずかしさを十分に体験した上でやっておられる松本さんが言うその言葉を、「消費」せずに受け止めたい。「消費」するのはかんたんだ。適度に礼賛するか、あるいは、適当に自分自身の理屈を構成するピースにしちまえばよい。

 
 まず、自分たちでやっちまおうという精神はまっとうなものだと思う(卑近な例だが、職場でもある程度そうした精神であれこれをやっちまえと思って好き勝手やることがある。引き際は見定めるが)。真面目な人からの質問を「人任せ」とするのも小気味よい。自分でやれよ、と。そこは大変に共感する。

 
 だが、背後からそっと忍び寄るのは、中野重治「五勺の酒」を読む中で判らなかった部分、すなわち義理の弟へのわびと天皇の満州皇帝へのわびとが分かちがたく結びつく部分だ。僕がこの部分が判らないままなのは、松本さん的な考え方を多少なりともしているからだと思うのだ。天皇は天皇、国家は国家、自分は自分。自分たちでやろうじゃないか、と。それが理由で「五勺の酒」が判らないなら、致し方ないかもしれないとも思う。

 
 けれど、実のところはどうか。ひょっとすると否が応でも考えたり何かを要求されたりしてしまうんじゃないのか。そうしたことがいつかやってくるのではないか。そんな思いに囚われる。たとえそんな時でも、おそらく松本さんは動じないだろう。松本さんの言葉を消費せずに受け止めようとするなら、自分もまたそうであらねばならない、いや少なくとも努力はし続けなきゃいけない。


 第三に、田中優子さんのエッセイをあげておきたい。田中さんの文章を、あまりまとめて読んだことはないのだが、このエッセイは鬼気迫るものを感じる。次の部分は、この本の中で僕がもっとも惹かれた個所(P.151)。

 
 近代で一揆に近いものを見せたのは、チッソ株主総会(1970年・大阪)における水俣の人々であった。彼らは巡礼の白装束に笠をつけ、手に鈴を持って社長を取り囲んだ。神意ならぬ亡くなった方々の魂によって個々の利害を超え、一揆してテロル(恐怖)の存在となったのだ。水俣闘争から多くの文化が生まれたのは、理不尽への真の怒りと、死を見つめるまなざしがあったからである。


 この記述の少し後にある、「デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずがないのだ」(P.151)という言葉に対しては、そういうデモもあるし、そうでないデモもあるのでは……、と及び腰にしか答えられない。だが、「神意ならぬ亡くなった方々の魂によって個々の利害を超え」「理不尽への真の怒りと、死を見つめるまなざし」という言葉の前にはぐうの音も出ない。

 
 若松英輔さんが『魂にふれる』や、『死者との対話』などで繰り返し「死者論」を強調されていることの意味は、ここにつながってくるような気がしてならない。
 

 最後に補足的に二点ばかり。ひとつめは、サブタイトルにある「民主主義」。民主主義の問題といえばそうなんだろうけれども、何かこう、釈然としないものが残る。民主主義という言葉の定義の問題かもしれないし、民主主義の問題という側面があることも疑わない。しかし……。上原專祿は「独立」といった。そのことが気になっている。

 ふたつめ。これがほんとうに最後。武藤類子さんの昨年9月のスピーチがおさめられている。『福島からあなたへ』で収録されたのと同じ内容。これはこれでありだろうからケチをつけるつもりはない。しかし、いざ武藤さんの言葉に触れたいと思った時、文字の組み方・写真の配置に細心の注意が払われた『福島からあなたへ』が、ちゃんと作られていてよかったな、と思った。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-29 19:40 | 運動系 | Comments(0)

白川静『漢字』

 白川静さんの『漢字』を、あいまあいまに読み進めていた。若松英輔さんの影響による。


 仕事上のかかわりからどうしても入っていかざるを得なかった吉本隆明さん、そのおかげでかなりいろんな世界を知ることが出来たのだが、おそらくこの一冊も、そうした経緯と経験を積んでいなければ読めなかったかもしれない。とにかく難しい。旧き佳き岩波新書だ。懐かしんでばかりもいられない。自分を括弧に入れられない、読者として、書店員として。

 
 細かいことはさっぱり判らない。けれど、吉本さんが「歌」をさかのぼったように――それには折口信夫さんの蓄積を大いに活用したであろう――、その初原にまでさかのぼる、その姿と重ね合わせながら読んでいた。今となっては埋もれきっている何ものかを明らかにする興奮。実証がどこまで出来るか知らない。しかし、何ともいえず訴えかけてくる何ものか。


 何せ「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」という言葉から始まるのである。具体的に取り上げられるのは古代中国であり、それを手がかりとする古代日本への想いであろう。その時に生きていた人間が何を感じ取っていたか。今なお何か惹かれるものがそこにあるとするならば、そこには人間が人間として受けついでいる何かがある。

 
 僕が知識がないから間違っているかもしれない。しかし、感覚として、白川さんは確信を以て字源の意味するところを書いている。反証する根拠はおそらく無数にあるだろう。それは古代の音韻論などでも見られることだろう。けれど、自分自身に血肉化した解釈には揺るぎがない。さりとて独断という感はまったくない。大きな何かをつかんだ上でものを言っている。そういう印象を受ける。例えば「歌謡について」と小見出しのついたセクション(P.131)。


 ことばが、神とともにあり、神そのものであった時代に、神と交渉をもつ直接の手段は、ことばの呪能を高度に発揮することであった。「ことだまの幸(さき)はふ国」というのは、ひとりわが国の古代のみではない。中国にあっても、そのことだまへのおそれは、古代文字の構成の上にあらわれているのである。

 呪言としてのことばは、日常のことばづかいと、多少異なっている方が呪能の効果を高めると考えられた。お経をよみ、聖書をよむにしても、適当な抑揚やリズムが要求される。その最も古代的なものが歌であった。国語の「うた」は、あるいは「うつたふ」という語と、関係があるかも知れない。歌は神に訴え、哀告することばであった。

 古代人の感情は素朴で直截的であり、つくろうところがなかった。かれらは神に祈るとき、もとより神に哀訴するのであるが、かれらの感情は、祈る以上はその実現を要求してやまなかった。どうあっても、神に聴いて頂かねばならぬという、強訴に近いものであった。


 じっさいに哀告、哀訴、あるいは強訴を体験した者でなければ醸し出せない説得力を、ここに感じる。


 以前だったらここで終っていたのだが、最近はもう少し先の、あるいはややこしいことを考える。なぜ、自分はこうした部分に説得力を感じるのか。読み手として、この時何を為し得ているか。

 
 言葉がわかることすなわち喩がわかること、それはすなわち信仰を持っているということだ、という吉本さんの講演「喩としての聖書」でのお話がふと頭をよぎる。


 何ものかに触れ得ているかは自信がない。だが、どうやらここではないかという戸口には、立せてもらっている気がする。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-29 06:47 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十一)

 頽廃、とは何だろうか。そういえば最近あまり耳目に触れなくなったような気もするが。校長が触れる『アカハタ』の記事からの引用をお許し願いたい。そうしないと意味が通らなくなるからだ。


 「九月一日のアサヒによれば日本の民主化にともない皇族の『臣籍降下』が問題となり、七月の皇族会議で天皇もはいって熱論したとつたえている。新皇室典範は十一月に開かれる臨時会議に出るが、その際にも問題になるだろうというのだ。ところがいんちきな新憲法にさえうたわれているごとく、すべての国民は法のもとに平等であって、社会的身分または門地により政治的、経済的、または社会的関係において差別されないのがあたりまえ。今さら『君』だの『臣』だの、はしごだんではあるまいに『降下』などとこんなバカげた話はない。こういう手数のかかる『天孫降臨種族』は日本人民からとりあげた金と米をおいて、高天原にかえってもらうほかはない。」

 「日本の民主化にともない皇族の『臣籍降下』が問題となり」――そうなのだ。そういうこれは民主化なのだ。どこを押せばそんな音が出るか。どこに「臣」籍があるか。それをなぜ『アカハタ』が問題にせぬだろう。天孫降臨種族なら高天原へかえれ。どこに天孫降臨種族があるだろう。高天原行きの切符をくださいといってきたらどうするのだろう。そう僕は話した。すると反『アカハタ』派までがそろって喰ってかかってきたのだ。(僕らは生徒・教師いっしょ、『アカハタ』派・反『アカハタ』派いっしょの『アカハタ』読会をやっている。出るのに面倒くさいがやり方としてはおもしろいと思っている。)しかしすぐわかってきた。要するに彼らは、天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しいのだ。そして実地にはそれの現実の力を忘れることで満足しているのだ。筆者がまたそこへ導いているのだ。あんな馬鹿なことがどこにあるか。皇族の臣籍降下断じて許さずだ。どこに臣があるか。(略)仮りに天皇、皇族が心からあやまってきた場合、報復観念から苛酷に扱おうとするものが仮りに出ても、つまりもし天皇を臣としようとするようなものがあれば――国民の臣であれ――それとたたかうことこそ正しいのだ。皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ。彼らを、一人前の国民にまで引きあげること、それが実行せねばならぬこの問題についての道徳樹立だろうではないか。天孫人種は高天原へ行ってしまえ。それは頽廃だ。天皇制廃止の逆転だと思うがどうだろうか。


 最初の括弧が『アカハタ』の記事である。おそらく原記事に僕が、そう、例えば学生時代にあたっていたとしたら、「うまいこと言うもんだな」とか思ったに違いない。「天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しい」からだ。溜飲を下げる楽しさ。


 そうした楽しさに疲れ、病みかけ、離れ、例えば今では中島みゆきさんの「Nobody is Right」をしみじみと聴いたりすることもできる。しかし、そうした楽しさから今なお逃れきっているとは思えない。向き合い方が不足している、そう感じる。


 おそらく僕は人を殺すことができる。見捨てることができる。裏切ることができる。自分を守るためにならいかなる卑怯もいとわず、そしてそれを正当化して生き延びていく姿がありありと想像できる。俺をそうさせたおまえが悪い、と。だからそんな風に僕を追い詰めるような世の中であってほしくない。内なるアイヒマンを発動させずに済むように。これが少なくともこの10年近く抱いてきた自分の基本原理であった。「社会」の問題を意識する時、こうした回路をなるべく経るように考えてきたつもりでもあった。


 だが、今考え直してみると、明らかに迂回である。いささかの未練はありつつも、問いを正しく設定できていない、と感じる。なぜこの部分に惹かれたのだろう、と考えるとそうした自分の問いに行き着く。そういう思いで校長の独白を読んでみると、「皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ」という言葉の重さが、以前よりは身にしみて感じられてくる。渡辺一夫を切なる思いで読み返した体験――例えば「ある教祖の話(a)――ジャン・カルヴァンの場合」――が、じわじわと効いてきているかもしれない。

  
 「社会」を媒介させるのはよい。社会なしに生きていける人間はいないのだから。しかし、自分自身を括弧に入れるな。他者と己を同時に、いや直接に貫け。「皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ」は、ユマニスムであると考えてよい。これほど「民主」的な考え方があろうか。しかしこの言葉が、「要するに彼らは、天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しいのだ。そして実地にはそれの現実の力を忘れることで満足しているのだ」と記した人と同じ人から出た言葉であることを忘れるな。自分から離れたところにあるユマニスムを校長は口にしたのではない。「それの現実の力」を骨の髄まで味わってしまった人間がそういうのだ。夢想家でもなく、皮肉な意味での現実家でもなく、徹底して現実を見つめる先にある何ものかを、校長はつかむ。ならば、その言葉を読む僕にも、何ものかをつかめるのではあるまいか。その時、頽廃から、「逆転」から、自らを救いだすことができるはずだ。

 
 日々の修練。眼を鍛えること。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-28 08:54 | 批評系 | Comments(0)

福島原発告訴団

 福島原発告訴団の告訴人になるための書類送付と手続きを終えた。サイトには丁寧にやり方も書かれているのでたいへんに助かる。


 15日までというので焦っていたが、〆切が延びたと聞いてもういっぺん自分なりに考えて、やはり名を連ねようと決めた。しかし、告訴団の先頭に立つ方々、事務局はじめ支える皆さんに比べれば、特段何かをした気にもならないし、なってはならない。

 
 なぜ告訴人の一人になろうとしたか。よい意味でも悪い意味でも、「何かをしたい」「しなきゃ」という思いはある。自己慰撫という側面は明らかにあるだろう。否定しないし、それでいいという開き直りも少しはある。


 その上で、少し整理して考えてみると、当事者性を自覚したい、という思いが見えてくる。他人事ではなく、実名をさらしてハンコまで押して文書を送るのだから、それなりに緊張もするし、またその行く末も気になる。何かはやったぞ、という言い訳にしかならないかもしれないが、それでもやはり。覚悟を形にしたいという気持ち。


 しかし同時に、委任状の内容全てに同意しているかというと、別段そういうわけでもない。反対はないのだが、それだけでは足りぬというか、自分なりに補足した上で賛同した、という感触。誰か悪い奴がいる。それがそのままになっていたらおかしい。それは悪い奴を懲らしめなければならないというだけでなく、悪い奴をそのままにしている社会の一員ではありたくないということ。


 人間を人間たらしめるのは、あやまりをなかったことにすることではない。あやまりをあやまりとして明らかにし、それを繰り返さないように努力すること。そのような社会の一員でありたいということ。それは震災後、飢えたかのように読んだ渡辺一夫から学んだことでもある。

 
 誰かをやっつけて溜飲を下げたいのではないのだ、と自分に言い聞かせる。これはそうして溜飲を下げたいという自分の欲望とのたたかいだ。運動、法廷闘争の局面ではこんなものいいは通用すまいし、それでいい。けれど、自分にとってはたいせつな思いであり、陳述書にもそんなことを書いてみたりした。一万人にならんかというのだ、いろんなものいいがあってよかろう、と手前で勝手に結論をつけている。


 こうした機会をつくってくれた告訴団の皆さんに感謝したい。だがしかし、まだまだ、これからだ。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-26 10:39 | 運動系 | Comments(0)

若松英輔さんの講演

 昨日は久々に若松英輔さんのお話を拝聴した。僕が若松さんの書かれたものやお話に強い関心を抱いているのは、自分自身のもんだいを重ねあわせつつ、それを前向きに転化したいという個人的な理由が根底にある。単に面白い、何かあるという手ごたえを感じるというからでもある。それはそれとしてどこかで記すつもりだけれども、印象的なお話のいくつかのうち、ひとつだけ。

 
 若松さんは井筒俊彦だったり小林秀雄だったり柳宗悦であったりといった方々の言葉を資料として配布し、それを声に出して読みながら聞き手とともに味わいつつ、話を進めていく、そういうスタイルをとる。そこで昨日おっしゃていたのは、「文学者や哲学者が引用するとき、その引用した部分というのは自分が沈黙を迫られた部分である。そこに付け加えることは何もない、そう感じたところを引用する。皆さんもそのように読んでほしい」、と。


 小林秀雄さんも似たようなことを言っていたような気もするが、若松さんが小林さんの口真似をしているとは思わないし、思えない。これは小林秀雄をつかんだ確信であり、その確信は若松さんのみならず、例えば山城むつみさんにも、大澤信亮さんにも、杉田俊介さんにも、あるだろう。そのことについては少し違った観点から以前触れてみたことがある。

 複数の人をつかんだ確信、それを何と名づけるかはその人次第だ。真理でも実在でもなんでもいい。僕自身はそれをひとまずは「真理」とよんでおこうと思うが、あまり名称にはこだわらない。

 
 ここで昨日の講演の内容にさらに立ちかえると、「誰かと誰かが言っていることは同じだ、というのは二次的なこと。そうした人々が何を見たのか、そこに触れることが大切なのだ」ということになる。これは若松さんが繰り返し強調されることだ。今例えば名前を挙げたような方々の文章に、通ずるものを感じたとして、それを読み手である自分が感じるというのはどういうことなのか。そのとき自分は何かに触れ得ているのではないか、という思い。傲慢ではなく、素直に感じ取ること。

 
 まずその体験を、自分自身に掘り下げていくこと。自分が体験したようになぜ他者は体験しないのか、という問う前に。ここが僕にとっての個人的で、しかしたいせつな問いである。


 中野重治さんの「五勺の酒」を引用しながら読んでいるが、自分が沈黙を強いられたところを忠実に引用しているか、何か「言いたいこと」先にありきでテキストを「利用」してはいないか。ついでながら、若松さんは「○○について」語ることと「○○を」語ることの違いを強調される。大事なのは後者だ、と。


 してみると、「『五勺の酒』について」と題してしまった一連のエントリは、なるほど周縁をうろうろしている、ただのおしゃべりかもしれない。小林さんの「他人をダシにして自分を語る」という言葉を、手前に都合いいように解釈しているだけではないのか。


 なぜだかここ最近、同時代の文学者がしばしば用い、かつ自分にとっては長らく実感がつかみきれていなかった言葉が、じわじわと沁み込んでくるように感じられてくる。孫引きで申し訳ない。


 君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。
                                  カント『道徳形而上学原論』


 しかし、とにかくもう少しは続けてみよう。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-26 08:03 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十)

 掌編「五勺の酒」の中には、判らないところがいくつかある(それ以外が判るという意味では無論ない)。その中でももっとも判らないのは、次のところだ。満州皇帝の東京裁判出廷に触れたあとに続く描写。


 南京陥落のとき、僕は県代表で東京へ提灯振りに行ったものの一人だ。まだ東京はあった。提灯に火を入れて街を練って、最後に宮城前へ行って声をあげてそれを振った。すると天皇が、濠をへだてて松の木のむこうでそれに答えて振った。あのとき僕らは、これで戦争がすむ、これですんでもらわねばならぬと、希望を入れてよろこびで振ったのだ。天皇も同じだったろう。虐殺と暴行とが南京で進んでいた。しかし僕らは、僕らも天皇もそれは知らなかったのだ。記憶をくりかえせば、僕らは、僕らも天皇も、これですむ、すんでもらわねばならぬという希望と願望とで、そしてそれをよろこびとしてあかい提灯を振ったのだ。もし天皇が不幸な旧皇帝を訪問して、日本の現在許されるかは別として、しかし許されるだろう、ふたりの不幸と不明とを抱き合って悲しんでわびたのであったら。事実として、天皇その人の天皇制が、提灯を振ったことでの愚かさを、たとえば玉木にわびるチャンスさえぼくから奪って行ったのだ。もし彼がそれをしたのだったら、僕はまっさきに、少なくともそのことを彼に許し、そのことで、僕自身許される慰めをつかむ機会を決してのがさなかったろう。


 1947年1月に発表された作品だから、実質1946年に記されたと考えてよかろう。1945年8月15日から2年と経ぬ時に、このような言葉が記される。いかなる立場であれ、今において天皇(制)や戦争責任を云々するのとはまったく違った言葉の重み。そこにクラクラしてしまうのだが、判らなさはそうしたことに起因するのではない。


 「南京陥落」を、「これですむ」という「希望と願望」とで提灯を振りながら祝った。校長も天皇も。天皇が実際どう思っていたかは知らない。けれどそのように思っていたとしよう。そこまでは想像出来る。「勝った」というよりも、「ケリがついた」「これで終わった」という感覚。


 しかし、実際にはそうではなかった。その認識は間違っていた(では何が正しいのか、という意味で間違っていたというのではない。見当が違っていた、というほどの意味で用いよう)。たとえ知らなかったとしても、それは間違いではあった。

 
 ならば、天皇と旧皇帝がお互いの間違いを悲しんでわびたのなら、せめて提灯を振った愚かさを、「これですむ」と思ったという誤りを認めたならばどうなるか。次の段落には、「旧皇帝を猿ひきに見はなされた猿として蹴とばしておいて、それで道義の頽廃をうんぬんするとしたらどこに頽廃すべき道義があるだろう」とある。こことつなげれば意味は判る。天皇(制)の道義たるや如何、という問題になるからだ。


 僕が判らないのは、天皇のわびを切実に願うその気持ちが、自分自身が義弟の戦死をわびることと分かちがたく結びつく、そのことだ。天皇は天皇、自分は自分、とは決してなりはしない。天皇が最高権力者である以上、その存在がわびなければ日本国民ぜんたいがわびたことにはならないという政治的感覚からか。それとも天皇もまた日本国民である以上、ともに提灯を振ったものとして最低限わびるべきではないのかという共犯者的(あるいは同胞的)感覚か。


 僕などからすれば、後知恵なのはじゅうぶん判っちゃいるが、「それはそれ、これはこれ」とでもいう如く、天皇と自分の問題とを分けてしまえばいいじゃないか、と思う。当時は批判にせよ肯定にせよ、もっと天皇(制)は身近にあったのだろう、とは想像出来る。が、その程度の想像でよいのかどうか。


 あるいはここに読みとるべきは、全的に自分が何ものかを引き受ける覚悟であろうか。その覚悟の中に天皇(制)も全部含まれるのだ、と。そうして読もうとする方がまだしもしっくりは来る。けれど、なかなかに無理のある読み方のような気もする。

 
 やっぱり、よく判らない。判らないことを考えていてもしょうがないので、判らないということが何を意味するのだろうと考えてみることに決めて、先へと読み進めて行く。




 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-23 20:44 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その九)

 校長の天皇に対する思い、いや生徒や回りの人間たちの天皇へのもの言いに対する思いは、さらに続いていく。今度の題材はニュース映画だ。

 
 天皇行幸を報じたニュース映画、それを見て「製作が反動的」だなんだと議論する生徒。論争に参加した時点では彼はまだニュース映画を見ていなかった(こうした描写も実に活き活きとしていていい)。そしてともかくそれを見た。校長は記す、「彼らが誤っている。彼らは誤っていた。しかしそれ以上僕がすっかり憂鬱になった」。なぜか。


 それは千葉県行幸で学校だの農業会だのへ行く写真だった。そして、あいもかわらぬ口うつし問答だった。(略)そこで甲高い早くちで「家は焼けなかったの」、「教科書はあるの」、と返事と無関係でつぎつぎに始めて行った。きかれた女学生は、それも一年生か二年生で、ハンケチで目をおさえたまま返事できるどころではない。そこでついている教師が――また具合よく必ずいるのだ。――肘でつついて何か耳打ちをするが、肝腎の天皇はそのときは反対側で「家は焼けなかったの」、「教科書はあるの」とやっているのだからトンチンカンな場面になる。そうして、帽子をかぶったと思えば取り、かぶったと思えば取り、しかしどうすることができよう、移動する天皇は一歩ごとに挨拶すべき相手を見だすのだ。(略)歯がゆさ、保護したいという気持ちが僕をとらえた。もういい、もういい。手をふって止めさして、僕は人目から隠してしまいたかった。暗いベンチの上で、僕の尻がひとりでに浮きあがりそうだった。そのときだ。二階左側席から男の声で大笑いがおこった。見あげてみたが顔も姿も見えぬ。人がいることはわかるがまっくらい中での笑いだ。二十前後から三十までの男の声で、十二、三人から二十人ぐらいの人間がいてそれがうわははと笑っている。言いようなく僕は憂鬱になった。なるほど天皇の仕草はおかしい。笑止千万だ。だから笑うのはいい。しかしおかしそうに笑え。快活の影もささぬ、げらげらッとダルな笑い。微塵よろこびのない、いっそう微塵自嘲のない笑い。僕はほんとうに情けなかった。日本人の駄目さが絶望的に自分で感じられた。まったく張りということのない汚さ。道徳的インポテンツ。へどを吐きそうになって僕は小屋を出て帰った。


 「あいもかわらぬ口うつし問答」をやる天皇に対して校長は好意的だ。それはいい。そしておそらくは善意からであろうと思われるトンチンカンな場面、それに対して人目から隠したいという思い。これらは絵ハガキを覚えず隠してしまいたくなる精神と通ずるだろう。


 ここであらたに登場する大笑いをする男たち。彼らのおかげで校長のまなざしの深さにさらに触れることができる。「なるほど天皇の仕草はおかしい。笑止千万だ。だから笑うのはいい。しかしおかしそうに笑え」。「笑うな」ではないことに注意したい。笑うな、と本当は言いたかったのかもしれない。けれどそうは少なくとも記さない。そこがたいせつに思える。

 
 おかしそうでない笑いとは何か。中野は言葉をついでこう説明してくれる。「微塵よろこびのない、いっそう微塵自嘲のない笑い」と。「自嘲のない笑い」! このことで僕には思い起こされる風景がいくつかある。

 
 学生時代、非常に大きな問題が瀬戸際にあった。結局学内問題と化してしまったのが何とも力不足であったと思うのだが、それはひとまず措こう。その問題に関する職員の皆さんの投票があって――当たり前すぎるくらい当たり前だが、「三者構成自治」とはそういうことだ――、僕たち学生はその時、投票所に向かう皆さんに対して学生自治会としての主張をビラにして配っていた。「ぜひ読んで下さい」「よろしくお願いします」……表現もやり方も稚拙だったろう。険しい顔をしている職員もいた。受け取ってくれる人もそうでない人もいた。そんなことは慣れっこだ。別にかまいやしない。一番キツかったのは、僕らの前を通りすぎた直後「よろしくお願いしますって言われてもねぇ、ハハハ」と笑いあった二人連れだった。支援に入った他大学で「学外者は出ていけ」とあざけられたこともあったが、こっちの方がキツかった。


 最近では、反原発に関する集まりでしばしば出くわす、原発推進を主張する人々の言動。それはそういう主張なのだろうからそれはよい。絶叫している人もいて、そこにも切実はあるのだろうと思う。お互いに意見をまっとうにたたかわせることが出来ればそれでよいと思うし、本屋としてはまっとうな論争があればまっとうに本が売れる、と常々考えている。さて、僕がこたえるのは、ずいぶんと間延びした感じのコールであったり、疲れているのか何なのか、すごくダラっとした感じでされる「原発賛成」とされるコール、またつばぜり合いになった時に見られる何ともいえぬ「半笑い」とでもいうべき表情。それらが実にこたえる。

 
 すぐさま言っておかねばならないが、だから原発推進をいう人は……などと言いたいわけでは断じてない。その逆もまた然り。主義主張のせめぎ合いにおいて、ある局面では、こうしたことはいかなる立場であれ起こり得ることなのだ。僕自身もそうしたことは何度もやって来た。本題から目を逸らさせるために、あげつらうために、手を出さない代わりに、当局に対して、意見を異にする者に対して、自分の言うことを聞かない者に対して、あるいはいけすかない上司に、あるいは目ざわりな部下に……。


 そうした笑いを「微塵よろこびのない」というだけでなく、「いっそう微塵自嘲のない笑い」と中野は表現してくれた。「よろこびのない」笑い、それは笑いを単なる道具として、他人を貶める道具として使うということだ。のみならず、それは「自嘲のない笑い」である、と。自嘲という厳しい言葉を用いて表現されていることを、十全に理解している自信はない。けれど少なくとも、自分自身に折り返す何ものかを感じないような笑い(あるいは笑い方)は健全ではない、という程の意味には理解出来るし、また納得できる。


 そんな時は、笑わなければよいのだ。口を開く前にまず、自問すべきなのだ。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-22 12:13 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その八)

 もう一言一句が何ともいえず腹に響いて来るのだけれども、それらをまっとうに読み切れる自信がないのか、それとも思うところがだいたい定まってきたのかどうか。「どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙された個があっただろう」という一文、そこに至るまでの描写にも逐一感じいる。


 大事件であるらしい。あちこちで感想を聞いた記者が最後に駅で水兵を二人つかまえた(問題には無関係だが僕は錯覚におちているかも知れぬ。僕は新聞を僕が駅のベンチで読んだと覚えている。しかし記者が水兵を駅でつかまえたことも同様よく覚えているのだ。)


 「問題には無関係」。たしかにその通りだ。この括弧の中の三つの文章がなくともりっぱに意味は通ずるし、作品の価値はいささかも損なわれることがないだろう。なぜこんなことを書いたのだろう。さっぱり判らない。判らないけれども、「そうしたことはあるよなあ」と思う。こうした描写が、今の僕にはなぜだか堪らなく愛おしい。

 
 「駅」は自分がいたところなのか、水兵がつかまえたところなのか。違うけれども同じなのか。実のところは同じなのか。錯覚といって納得すれば出来ただろう。でも、それでは納得出来ない何ものかを感じていたに違いない。「錯覚におちているかも知れぬ」は「錯覚ではないかも知れぬ」を言い換えただけだ。


 これもやはり眼と、見ることと、無関係ではない。「坐りだこ」を、「向こう脛を親ゆびの腹で押してみてほっとひと息つく娘たち」を、「スケッチにすぎなかったが描かれた精神」を、それは見る。駅でつかまえられた水兵の語ったことを報じた記事。それを読む眼は水兵を射抜くだけでなく、自分自身に還って来たのだ。表層的な同一化ではない。もっと何か、深いところで同じものに触れた/触れられた、つかんだ/つかまれた、そうした手ごたえはなかったか。「錯覚」というはたやすいし、そう考えた方が理にかなっている。そのように納得させようとしている校長にも、しかしそうした結着のさせ方にどこか釈然としない思いを抱いている校長にも、どちらに対しても「ああ、そういうことはあるんだよなあ」と思う。


 どちらも判るということ。そこにさびしさがありはしないか。そんなことを以前に記した。そもそもそのさびしさは新人会にやんわりと拒絶されたことが起源であった。「とぜねがら(さびしけれや)酒飲め」。どちらも判る。だからこそ苦しくて、さびしいのだ。そう思うと、もう中盤に差し掛かったこの掌編の、密度がぐいぐいと上がってくるように感じるこのあたりからの描写が、一層自然に、かつ深く、感じられてくる。


 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-18 22:21 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その七)

 「何にほっとするかでの皮膚感覚の人間的なちがい」を見る眼は、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」という認識にたどり着く。こうした認識はおそらく大江健三郎さんには引き継がれたはずである。そのあとは、誰だろう。とにもかくにも読み進める。

 
 だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因はいろいろにある。しかし気の毒だという感じが常に先立っている。むかしあの天皇が、僕らの少年期の終りイギリスへ行ったことがあった。あるイギリス人画家のかいた絵、これを日本で絵ハガキにして売ったことがあったが、ひと目見て感じた焼けるような恥かしさ、情なさ、自分にたいする気の毒なという感じを今におき僕は忘れられぬ。おちついた黒が全画面を支配していた。フロックとか燕尾服とかいうものの色で、それを縫ってカラーの白と顔面のピンク色とがぽつぽつと置いてあった。そして前景中央部に腰をまげたカアキー色の軍服型があり、襟の上の部分へぽつんとセピアが置いてあった。水彩で造作はわからなかったが、そのセピアがまわりの背の高い人種を見あげているところ、大人に囲まれた迷子かのようで、「何か言っとりますな」「こんなことを言っとるようですよ」「かわいもんですな」、そんな会話が――もっと上品な言葉で、手にとるように聞こえるようで僕は手で隠した。精神は別だ。ただそれは、スケッチにすぎなかったが描かれた精神だった。そこに僕自身がさらされていた。


 この後には「人種的同胞感覚」という言葉が記される。「僕は共産党が、天皇個人にたいする人種的同胞感覚をどこまで持っているかせつに知りたいと思う」と。

 
 これもたいへんに興味深いけれども、ここで考えてみたいのは、絵ハガキに描かれた精神、いや、その精神を見抜いた眼である。


 いったい、見るとはどういうことか。この絵ハガキがどんなものだったのか、僕は知らない。記憶にある昭和天皇の姿で、これにおそらく近いだろうと思われるのはマッカーサーと一緒に写ったそれであろうか。その写真に対して書かれた何かを見た記憶があるけれども、あまり覚えていない。ただ僕にはそういうものと見えただけだ。


 同じものを見ていても、感ずるところは違うだろう。しかし、同じものを見て、この人とひょっとすると近しい感覚を持ったかもしれない。そう思うことも確かに、ある。最近、僕は小林秀雄さんの『近代絵画』を読んでいて、小林さんがいたく感銘を受けたゴッホの絵を知った。そこからさかのぼって『ゴッホの手紙』に手をつけた。小林さんは「或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる」と記している。


 もしや、と思って調べてみた。おそらく間違いはない。「烏のいる麦畑」。小林さんが見た絵を、僕も見ていた。1997年秋に、新宿の美術館で僕はそれを確かに見た。覚えず泣きそうになった。そんな経験は、あとにもさきにもない。

 
 小林秀雄と同じ感覚だ、とえらぶりたいのではない。小林さんの惹きつけられかたと僕のそれとは同じであるはずはないのだから。けれど、その時自分を取り巻いていた感覚は思い出すことが出来る。

 
 ガンを患い、東京での入院生活に区切りをつけ、実家に帰る知人(友人、という言葉を使うのはおこがましい)を見送って、そう間がない頃にこの絵を見たのだ。


 彼の入院生活はがどの程度の期間であったか、もはや記憶にはない。数か月だったような気もするし、まる一年は経っていた気もする。学校は違っていたから、日常的に接していたわけではない。けれど同い年、同学年、バイト先ではよく一緒になった。缶コーヒーとマルボロをこよなく愛していた。いっぺんはカラオケに行こう、と話したこともあったような気もするが、それを果たせることはなかった。


 実家との関係はあまりうまく行っていなかったと聞いている。その彼が実家に戻らざるを得ない。何かの予感はあった。見送ったのは20人近くもいたろうか。僕は所在なく病院のロビーの長椅子の、隅の方に坐っていた。奴のほうから見つけてくれた。あたりさわりのないあいさつしか出来なかった。


 タクシーを見送った後、誰もが押し黙っていた。口にすることが、恐ろしかったから。耳にすることが、恐ろしかったから。少なくとも、僕はそうだった。


 漠然とした死の感覚に、当時の僕はとらわれていた。実際に奴が逝ったのは、年が明けてからであったのだけれど、見送り以来くすぶっていた何ものかが、ゴッホの絵を前にして、急に燃え上がったのかもしれない。そんなものはただの理屈の後付けなのかもしれない。けれど何であれ、やっぱり泣きそうになってしまったのは消せない事実である。

 
 ただごく普通の気持ちで絵を見ていたらこんなことにはならなかったのかもしれないが、既にそういうものとして体験してしまった以上、そうでないなにものかを仮定は出来ても、想像することは難しい。この絵は見る者誰にも何かを与えるのかもしれないし、見る者のなにほどかの状況に応じて多様な実りを与えるのかもしれない。ニワトリが先かタマゴが先か。

 
 既に自分にある何ものかが、作品を前にして己の内部から引きずり出されてくる。その何ものかは、作品との出会いとして一度は切り取られる。その瞬間が、変わらぬままということもあるだろうし、時を経て変化することもある。そんなふうに僕は今考えている。


 さて、ずいぶんと脱線してしまったけれども、一葉の絵ハガキから精神を読みとるというのは、やはりある程度のことがなくちゃあ出来ないことだと、僕には思われるのだ。絵ハガキがいつ頃出回ったものなのかは知らない。1921年に外遊した折のものだとすれば、大正末期か。その頃から「人種的同胞感覚」という言葉で自覚していたのかどうかは知らない。そうした生硬な表現よりも、「自分にたいする気の毒なという感じ」という言葉に惹かれる。「恥かしさ、情なさ」はまだ理解できそうだ。それが「自分にたいする気の毒な」というのはどういうことか。


 「人種的同胞感覚」という言葉にこだわらないほうが、よく事態をつかみ取ることが出来そうな気がする。相手が天皇であれ誰であれ、辱められるようなことはあってはならない、と考えているのだ。相手が誰であれ、「自分にたいする」ものと感じ取ることの出来る感覚。ただそれだけのことだ。

 
 そして、これから先も繰り返すことになるだろうけれども、この「ただそれだけのこと」の大切さは、この作品においてのみならず、それを読む現在においても強調されるべきものなのだ。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-10-17 21:38 | 批評系 | Comments(0)