<   2012年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

台風の近づく夜

 雨音が強くなっては落ち着き、落ち着いたかと思えばまた強くなる。妙な夜だ。


 早々に店を引き上げた僕は、だるい足をとぼとぼ引きずりながら携帯をのぞく。沖縄でどうやら大きなことが起きているらしい。たいへんなことだと思う。「何かしなければならないのではないか」と思う。「何かしたい」のではないようだが、その違いはよく判らない。そう思った次の瞬間には、はやく風呂に入りたいと思っている。


 そんなもんだと開き直るでもなく、かといって妙に真面目くさるのでもなく、自分の生活と仕事とが、例えば沖縄で今奮闘しておられる方々を、少なくとも邪魔するようなものでないようにしたい。何かをやること、参加することはもちろんたいせつで、そのたいせつさはぐうの音も出ないほど正しくてたいせつなことだけれど。

 
 連帯なんてそう気軽に言えるもんじゃない。少なくとも今の僕にとっては。しかし、そう言い得る人がいることを僕は否定しない。問題も課題も無数にあって、それぞれがどれもたいせつで切実で、そのすべてに連帯出来ればそんな素敵なことはない。

 
 何かに連帯し、何かに連帯しない。だとしたら、その境目はどこにあるのだろう。知らないか知っているかの違いか。無知は罪だ。そうかもしれない。けれど、ほんとうにその人とそのライフ・ヒストリーを、心の底から理解することなんてできるのだろうか。

 
 出来るかどうかは判らない。しかし、おそらくもしそれが可能になるとしたならば、自分自身の内部に深く潜り込んで行くほかはないのではないか。その内部から、自分と地域や社会との関係を、上原專祿の言葉を借りるなら、「地域(職場)―日本―世界」の関係を、体得する経験なくして、他者との連帯はあり得ないのではあるまいか。


 沖縄の問題を、僕はまったくとは言わないが、数冊の本を読んだ程度の記憶しかない。しかし、それらの本よりも、わずかな海外生活の中で体感した「外国の基地をおくのはどう考えてもおかしい」という感覚のほうが、たしかな手がかりになるだろう。

 
 外国の基地に反対する人間を排除するのは、何ものであるか。


 その何ものかが守っているのは何か。


 その何ものかの影を、僕は例えば国会前で、東電前で、経産省前で見たのではなかったか。

 
 「口をついて出てくる言葉は、『私たちをばかにするな』『私たちの命を奪うな』です」。2011年9月に武藤類子さんはそう言った(『福島からあなたへ』)。

 
 私たちをばかにする何ものか。命を奪う何ものか。

 
 それが具体的な個人なのか制度なのか社会なのか国家なのか、僕にははっきりとしたことは言えない。仮に国家だとして、それがいくら強大な官僚機構であったとしても、少なくとも政治家は投票でしか選べないはずだ。仮にも20年近く有権者である以上、国家のせいだというのはよいとして、それだけで済まされるものではあるまい。

 
 マルチイシューかシングルイシューかという問いのたて方そのものが、僕にとってはどうでもいいことだ。あくまで僕にとっては、であって、それがたいせつだと思う人を否定したり批判するつもりはない。ただ、自分が問題をつかみ/つかまれていれば、それで十分だ。

 
 僕自身がその内部に入り込み、特定の個人なり制度なり社会なり国家なりとの関係をひとつひとつていねいに検証する作業を省いてはならない。もちろん、それは何かをやりながら出来ることでもあるだろう。何もしない理由にするつもりもない。

 
 ゆるやかに、でもしっかりと、お互いをつなぎ合わせるものを握りしめたいと思うのだ。 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-30 20:14 | 運動系 | Comments(0)

上告

 もう数日が過ぎた。

 
 日々の仕事は良くも悪くもバタバタしていてワタワタすることばかりだが、なかでも強烈なものがあってこの10日ばかりは四苦八苦の連続であった。

 
 忙中閑ありとはよくいったもので、そんな中でも、いや、中だからこそか、ちょこちょこと一息はつく。ネット上のニュース速報はそうした場合の恰好なもののひとつだ。


 秋葉原事件の被告、上告の文字が目に入る。

 
 あのまま終わるわけはない、とは思わなかった。別段預言めいたことには興味がない。ただ、控訴審に一度も出廷しなかった人間が、さらに上告をしてどうしようというのだろう、とは思う。


 今度こそ出てくるのだろうか。いや、もうそんな次元ではないのだろうか。

 
 判らない。

  
 なぜか、中島みゆきさんの「百九番目の除夜の鐘」が再生される。

 
 取り戻せること、取り戻せないこと。ケリのつくこと、つかないこと……。様々なイメージが頭の中を浮遊し、なかなかつかまえきれないでいる。


 とにもかくにも、僕が見ようとしたものは何だった/であるのか、と考えるほかはない。

 
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-27 21:10 | 批評系 | Comments(0)

2012・9・9 オスプレイ反対国会包囲行動

 9月9日は重陽の節句。ああ、月餅を食べる日だな。卵の入ったやつはあまり得手じゃなかったなあ、などとぼんやりしていた休日だった。いや、午後から仕事を控えてはいたのだが。

 
 TWITTERを眺めていると、どうやら今日国会前で何かあるらしい。オスプレイ反対の沖縄での集会に呼応する試みのようだ。昼ごろには終るそうだから、仕事には間に合う。さて……と逡巡しながら、結局のところ出かけることにした。


 11:00頃から始まるようだったのだが、ぐずぐずしていたせいで、また最寄駅の判断を間違えたせいで少しばかり遅れて霞が関界隈にたどり着く。えらいこと日差しがきつい。日比谷公園のほうから経産省のあたりへ、ここまでくればおおよそ勝手が判る。坂を上っていくとずいぶんと大きな声が響いてくる。国会前の声がここまで響いてくるか、すごいなあ、と思っていたが、なんだか様子が違う。ぶっちゃけていえば、ガラがあまりよくない。ずいぶんと感極まっているだろうか、と思っていたら、いわゆる右翼と思しき人々であった。いわゆる国会前庭のあたりになろうか。


 僕が近づいたころにはマイクアピールはやんでいて、何だかお巡りさんたちともめているようだった。お巡りさんは、僕の見た範囲では、しっかりと交通整理をしようと奮闘しておられた。反原発にかかわる行動に際しても、ああ、よくやってもらっているなあと思う時と、「何もそんな権柄づくじゃなくてもいいじゃんか」と思う時とがあるのだけれど、今回は明らかに前者。警察をなめちゃいかんことくらい判っているが、まっとうな交通整理をしてもらっているのはそれとして最低限の敬意は表すべきだろう。そう思ったので、この日は見かけるお巡りさんになるべく「お疲れ様です」とか「ありがとうございます」くらいは言うようにしていた。若いお巡りさんなんかだとはにかんでくれたりしてなかなか好感が持てたし、ずいぶん年配のお巡りさんはえらくびっくりした様子でもあった。


 この右翼と思しき皆さんが何をどう主張されていたのか知らない。だいたい外国の基地を許していることが独立国家としておかしいのであって、同じくオスプレイ反対を叫んでいたのであればよいのだが……。のぼりだかプラカードに「日教組」の文字を見つけ、さて、日教組がどうしたという主張なのだろうな、と思ったものの、ここで時間を食うわけにもいかない。国会前へ前へと進んで行く。

 
 オスプレイ反対、基地反対に交じって、原子力規制委員会人事案反対の署名を集めている人なども結構いて、ああ、マルチイシューというのはこういうことか、と思う。いいとも悪いとも思わない。こういうことが「あり」な場なんだろうな、というただそれだけのこと。「あり」の場もあれば、「なし」の場があっていい。どちらを選ぶかは好みの問題だろうし、別にどっちかでなきゃいけないなんて事もないだろう。色んな場がありゃいいだけのことだ。

 
 憲政記念館のあたりにまで人が伸びていたのが11:40頃であったろうか。そこまで言ってから国会前のド正面に戻ってきた。参加者はどんどん増えてくるようだ。マイクアピールやシュプレヒコールも断続的に行われる。シュプレヒコールは、反原発の最近のものに比べればやや間延びした印象を受けるが、これはこれありなのだろう。僕は音楽のことなどさっぱり判らないが、詳しい人は何かこうした違いについて語ってくれるだろうか。


 ドラム隊の皆さんもいる。反原発で見かけたような方もおられるようだ。そういえば、参加者と思しき中にも官邸前で見かけた顔もあるし、スタッフと思しき人の中にも見かけた顔があった。顔は知っているが、名前も知らなければ口を聞いたこともない。こんなことで「連帯」を感じるほど僕も若くはない。けれど、やはり何かを感じることは事実ではある。


 国会前の、ちょっとした石垣のあたりに腰掛ける。そろそろ手をつないで国会を包囲しよう、という時間らしい。手はつなげないな、と思った。こっ恥ずかしいやい、という思いももちろんある。それ以上に、数年前の記憶が、僕を思いとどまらせる。

 
 2年ほど前、ひとりで議員会館前に立ったことがある。時は鳩山内閣、普天間の問題がクローズアップされた頃のこと。その時のことは当時記しておいた。が、この時には書かなかった/書けなかったことがある。


 この前後に、何度か僕は国会前に行っている。官邸前の要請行動も何度か行った。もっともこれは半ば野次馬のようだった。きっちりとプラカードを持って立ったのはこの一回きりだったのだけれど、何か意思表示は出来ないものかと、あてもなくうろうろと何度もしたのであった。


 この頃、TWITTERで知った、ある人の行動が気にかかっていた。この方の提起は、国会の近くで意思表示をしましょう、黄色の布を持ちましょう、別に何をするでもなく……そうしたものであった。ひとりでも出来る、静かにでも出来る、そうしたことだった。


 ひとりでもできることをまずはやってみよう、と思っていた当時の僕には(今もあんまり変わっていないつもりだ)、非常に共感というか、尊敬できる提案だった。

 
 何度か国会前をうろついた時に、果たしてその人はいた。やや大きめの黄色の布を、ひざかけのようにだっかショールのようにしてだか、とにかく体にやんわりと身につけ、坐って本を読んでおられた。その時僕も確か黄色のTシャツを身に着けていた(そうだ、駒込のどぅたっちで残り少なかった在庫を買い求めたのだ)。

 
 あなたの提起と行動に敬意を表します、そうしたことを何とか伝えたいと思ったのだけれど、出来なかった。しばらく逡巡したのち、逃げるようにその場を去った。気後れしたというのももちろんあるけれど、僕のような沖縄に一度も行ったこともなければにわかに何か行動しようとあがくような人間が果たして何を言えようか。いや、頭ではそうした人間が何らかの意志表示をすることが大事なのだと、理屈では、理論では、判っている。けれど、何も言えやしなかった。しかし、その時のその人のたたずまいは、どこか凛としていて、おそらく人間の気高さとか美しさというものを具体的に挙げてみろと問われるならば、この光景を僕は挙げることだろう。


 その時その人がたたずんでいたのが、ちょうどいま僕の腰掛けている場所のあたりであった。あれから自分は何をやってきたか、あるいはやってこなかったか。そんな思いにとらわれると腰がなかなか上がらない。ここまで来て「人間の鎖」に参加しないのはよくないだろうとは思う。けれど、駄目なのだ。


 さあ、では僕は何しにここに来たのだろう。結局見たいものをしか見ず、聞きたいものしか聞かぬ、そのためにか。あるいは何かを見、何かを聞く、その自分自身を認識するためにか。政治的社会的主張は、ある。確かに、ある。それを踏まえた、いわば「メタ」ともいうべき視座が獲得できないものだろうか。


 初手から破たんしそうな問いに、どうやら掴まれている。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-18 00:05 | 運動系 | Comments(0)

中下大樹さんの言葉(『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』より)

 『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』には、中下大樹さんのコメントが収録されている。

 
 中下さんのことはよく存じ上げないが、TWITTERなどでは間接的にご意見をお見かけしたこともあり、すこし気になる方のひとりである。


 中下さんは「孤独死」を「孤立死」と呼ぶべきだ、と提唱されたのち、こう続ける。


 この問題(=「孤立死」。等々力注)は「無縁社会」が招いた結果と騒がれましたが、これは必然です。我々が望んだことなのです。異常な事態でもなんでもありません。当然の帰結として受け止め、そこから始めなければなりません。


 この言葉はそのまま、「新自由主義」が力を増す過程と共に生きてきた自分に突き刺さる。


 新自由主義に賛意を表したことは、ほとんど一度たりともない。あんな薄っぺらい人間観に惑わされてなるもんか、と思っていたし、今もそれは基本は変わりはしない。けれど、じゃあお前はどれほどの人間観を持ち合わせているかというと、ずいぶんと心もとないものだと気づいたのは比較的最近のことである。

 
 シャッター通りの商店街、ベストセラーがやってくるのに少なくとも二カ月は要した本屋、県内でも有数のチャリ盗難率の高い最寄り駅、やたら虚勢を張るヤンキー、顔の見知った連中にしか出くわさないような町内……そんなものから逃げ出したいと思った人間は、地縁だかコミュニティだかを礼賛することは出来ない。必要なものだと分かっていても、なお。そうしてよしだたくろうの「どうしてこんなに悲しいんだろう」を口ずさむのだ。

 
 いささか錯乱してしまったが、正気だ。批判している何かに、実のところはどこか惹かれてはいなかったか。それをどうとらえればよいのだろうか、ふと思い出したりして考え込んだりもしていたのだった。

 
 「当然の帰結として受け止め、そこから始めなければなりません」。言われてみれば当たり前だ。当たり前だが、こんなたいせつな言葉はない。


 死、あるいは弔うということにかかわってこうした言葉に出会えたこと。僕にとっては、『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』本篇ともかかわって、複合的な暗示のように思えている。



 
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-17 15:08 | 批評系 | Comments(0)

カネの話

 『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』について記した折に少し触れておいた、書店員としての僕自身にかかわるカネの話を少ししておこうと思う。

 
 とはいえ、別段給料がどうだとか労働条件がどうだとか、それに比べてあいつは云々などといったそういう話ではない。僕が、会社員書店員としてもらう給料以外に、発生したことのある、あるいは発生しなかった、カネの話である。ごくわずかなことでもあるから、時系列は前後する。記憶があいまいなところもある。


 ある本の話。営業さんと縁があって、事前にゲラを拝読する機会があった。面白いと思ったし、実際によいセールスだったのだが、新刊が出てから少しして、「新聞広告を出すから、コメントを一筆書いてくれないか」とのお申し出を営業さんから頂いた。面白い本だと思ったし、その営業さんとの関係も悪いものではないので、引き受けた。そう長いコメントではないが、たしか二種類くらい渡した気がする。そのどちらかが無事(?)採用となった。

 
 その際、謝礼の話をしたかどうかは全く記憶にない。ないのだが、その営業さんは「気持ちです」と、図書カードをお持ちくださった。しかもいつの間にやら僕の勤めている店で購入されたようなのだ。ここまでされて無碍に断るわけにもいかんな、とありがたく頂戴した。中味はたしか¥3,000分だったと思う。結構な額だな、と思った。何かのお返しをした記憶はない。せいぜい礼状一本くらいを差し上げたかどうかだろう。たぶん5年くらい前の話。


 話ついでに記しておくと、ゲラを読む/読まないについては様々な考え方がある。郵便物の整理などをしていると、バンバン文芸担当者あてにゲラが送られてくるのがよく判る。こちらから望んだものもあるだろう。営業さんや編集さんと関係性が出来た、その中で送って頂けることもあるだろう。まったくの「送りつけ」という場合もあるだろう。ある地方店経験の長い僕の同僚――月にゲラも含めて50冊は読むという、人として半ばおかしい領域に到達している人間だ――は、「ゲラを読んでしっかりコメントを返せば、さすがに露骨な減数はないからね」と話してくれた。部数確保のためのゲラ読み。これは実態としては立派な業務となるだろう。しかし、それは自分の時間を削ってということになるのだが。

 
 閑話休題。ふたつめの体験。一時期、ある新聞社系のサイトに本の紹介をする羽目になったことがある。本社が絡んだ案件であったので、サイトで見える部分は勿論判るのだが、運営実態は全く不明であった。1年間でたしか5,6回は原稿を書いたのだが、少なくとも半分はボツになった。採用になった際の対価は図書カード¥1,000分であった。まあ、こんなもんなんだろうな、と思った。中途半端に本社が絡んでいてもいたので、僕にはかなりどうでもいい案件であった。断るほどの額でもないな、とも思った。


 続いて、帯にコメントを、とのお申し出を頂いたことがある。これも少し縁があり、ゲラまで拝見したかどうかは覚えていない。営業さんも新刊発売当初から随分と力を入れてくださった。じっさいこれもよいセールスだった。その二度目か三度目かの重版の時に頂いたお申し出であった。「弊社の規定ではこうしたことをお願いする時の謝礼は一万なのですが、よいでしょうか」と、その時はきっちりと最初にお話があった。「いやあ、いいですよそんな」と僕は即座に断った。それまでに経験していたのが上記の¥3,000だったから、いやに高いなあ、と物おじしたのもあるし、まあ、一度はお断りするのが礼儀だろうとも思った。そうしたらあっさり引き下がられてしまったのだけれども、別にそれはうらみにも何にも思っていない。その営業さんにはいろいろとお世話になっていたし、もうちょっと別のところにカネを回してほしいという思いもあった。まだその帯が生きているのかどうかは確認していない。


 人前でしゃべらなけりゃならない機会になったことが、3度ほどある。ひとつは業界内の内輪の集まりで、他書店の書店員とあるテーマについて話をすることとなった。時間にして僕の持ち分は30分程度であろうか。この時は別段謝礼の話もなくそんことを期待してもいなかった。その後どうやら懇親会的なものがあったようなのだが、そうした場が嫌いなので早々に立ち去った。あるいはそうした場に出れば、講演料代わりに一杯くらいおごってもらえたのかもしれないが、それもまた妙な話ではある。上原專祿の「学芸会」を気取る気などさらさらないが、よほどの関係性のある相手でなければ、自分がしゃべった後に気さくに話をするようなことは出来ない。慣れていないことだから、消尽してしまうのだ。


 だいたい、ふだんから付き合い酒は避けている。結果として「接待」を受けた格好になった飲食はもちろんあるが、関係性の薄い間柄では申し訳ないが気が乗らない。営業さんからすればそれも「仕事」なのだろうが、そんな「仕事」に付き合わせるのは心苦しくもある。もはや声もかけられなくなったが、かえってありがたい。

 
 話を戻そう。二度目の機会は、これもまた比較的業界内の集まりであったが、入場料を500円ばかりとる場であった。この時も他の書店の書店員(大先輩であって、普段なら僕のようなものは一緒には話せないような方であった)と一緒で、これもまた僕の持ち分は30分ほどであった。この時の講師料は¥5,000を提示され、確か明確に事前にお断りした記憶がある。だが、講演終了後には「今後のこともあるから」と改めてお話を受け、頂戴した。今後のことは、今のところ何もない。受け取ってよいものだったのかどうかは、いまだによく判らない。


 三度目の機会は、ある学校での講義であった。時間は90分。手取りで¥9,000。これは会社がらみの公式の依頼であった。別にぼくでなくてよい案件だったのだが、致し方ない。曲がりなりにも学生時代にあれこれやっていた身としては、学生相手にしゃべる機会で謝礼を頂くのはいかがなものかと思い、謝礼を固辞したい旨具申したのだが、上司に叱られた。もらってから考えるか、と思ったが、振込まれてからしばらくたつものの、何もしていない。我ながらだらしないものである。まあ、しょせんこんなものだ。


 事前にカネの話があった場合/なかった(か記憶していない)場合、固辞した場合と受け取った場合、あれこれある。実際にコメントなり話のために使った時間はほぼ業務時間外のことであり、それがいいのかわるいのか判らない。


 対価をもっと受け取りたいとも思わない。いや、もっと景気が良ければ「多少は俺にも分け前をくれよ」と思えるかもしれないが、そこはちょっとおいておこう。しかし最近、こうしたいわばこれも仕事と割り切る態度、縮小する業界が少しでも盛り上がるのならという気持ち――こうした思いで業務時間外のあれこれを「正当化」するのには「無理」があるのではないか、と思うようになってきた。自分の世代はそれでよいかもしれないが、実はこうした態度こそが、より若い世代にこの業界を、あるいは職場を、「キツイ」と思わせている要因になってはいないか、ということだ。


 若い世代から順番に書店業界を去っていくように思われる。それはそれで仕方のないことかもしれない。引きとめる根拠はない。けれど、もし自分のやり方を以て「あんなことをやってられるかよ」と思われたのであれば……。まあ、そんなこともよくあることではあるのだろうけれども。


 最後の最後にもうひとつだけ。ある座談会に参加することになったことがある。複数の書店員と著者を交えてのもの。その座談会はたしか単行本に収録されているはずだ。最初に謝礼の話はなかったし、終ってからもそうした話はなかった。献本が一冊送られてきたが、献本はほとんどの場合断っているのでお返しした。担当編集さんとは何度かやりとりをしたけれど、関係性が構築できるとは思えなかった。別にそれは悪いことではない。ただ、そうであったというだけだ。


 別段対価が欲しいと思って参加したわけではない。かといって一部――特に文芸系が中心と思われる――著者と直接対話する場に漂う妙な多幸感を得たいとも思ったわけではない。僕にとってはただ、書き手と売り手がどこまで対峙できるかを試みようとしてみただけであった。自分の力の無さを思い知ったという意味で僕には意味があったし、それで十分だった。むやみやたらと書き手と接触したがる書店員を、僕は理解できないでいる。

 
 しかし、冷静に考えてみて、広告や帯のコメントで発生するカネが、本の内容そのものについては発生しないというのはどういうことなのだろう。新聞やテレビによる取材を受ける場合もあったけれども、これらは当然謝礼などはない。ああそうか、してみると、本の中身を構成すると思われる座談会というのは、そうした取材と同一なのだろう。座談会の場では珈琲を一杯おごってもらったが、それで十分だと考えてみなくてはなるまい。

 
 してみると。自分が扱い、日々商っている「言葉のパッケージ」たる「本」の、「原価」とは何か。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-16 00:05 | 業界 | Comments(0)

「『30年代原発ゼロ』決定」(毎日)から

 寝ぼけ眼の休日の朝、新聞を引っこ抜くと「『30年代原発ゼロ』決定」との見出しが一面にある(2012.9.15)。普段なら近所のコンビニに出かけて各紙をかっさらってくるとことなんだが、起き上がってから半時間ほどしても、どうにもその気力がない。

 
 まあ、休日だからのんびりいこうや、という思いがある。体もどうも疲れが取れていない。でも、ほんとうの理由はそうではない。この見出しに、「大丈夫かな?」と思った、そこに、多分原因がある。

 
 はて、原発に対して批判的・否定的である僕は、この決定を否定する理由はあまり持ち合わせていないはずだ。なのに、何かこう、一抹の不安を覚えるのはなぜであろうか。何が「大丈夫かな?」なんだろうか。

 
 こうした決定に対して取り得る態度は様々にあり得るが、まっ先に思い浮かんだ態度は、「これでは生ぬるい」というものだ。「即廃炉」という観点から、「30年代では遅すぎる。もっと早くせよ」という考え方。核燃料サイクルの継続をもって、欺瞞の匂いをかぎ取るのは十二分に妥当だと思うが、そうした態度もこのタイプに含まれるかもしれない。

 
 そこには鋭い視点があるだろう。その鋭さが、傷つける必要のない人を傷つけることのないよう、祈る。

 
 第二に想像出来る態度は、この決定を評価するもの。これを運動なり世論の結果(成果)だと考えるのは比較的多数だと思われるが、この決定以降もさらに運動を継続させるか否か、そこが分岐点になろう。時の厚生労働大臣が謝罪した後、薬害エイズを巡る運動に対して誰が何を言い、その結果どうなったのか。その総括がされたというのは僕は寡聞にして知らないが、傍目で見ていた僕には、ある一定の人々には相当な傷を残したように思われる。それは若い時期のひとつの挫折として思い起こされるようなもので果たしてあり得たのか。

 
 これで終わった、と思う人もそうでない人も、お互いが敵ではないのだと信じる。そこに敵はいない。


 ここまで考えてみて、どうやら自分の不安の正体がおぼろげながらに見えてくるのだが、もう少し先に進もう。


 第三に取り得る態度は、「野田内閣はブレているだけなんじゃないのか」というもの。声の大きな方に従っているだけで、実のところ節操はあまりないのではないか。何らかの意見を持って意思表示をしてきた人にとって見ればそれは「成果」であることは疑いようがない。けれど、何かこう、今の野田政権を見ているとのらりくらいというか場当たりというか、そういう感触がどうにも付きまとってしまう。また更に大きな声があがったら、方向が変わっていくんじゃないのか、と。そうさせないために引き続き運動を、という理屈は正しいのだが、そこはさておいて、それよりも不安なのは、「ブレることがよくない」という考え方だけが抜き出されてひとり歩きすることだ。ファシズムなんて言うのは簡単だが、無投票で政権を取ったファシストがいるか。


 そういいたくば「市民」と言っていい。「庶民」でも「大衆」でも「有象無象」でもよろしい。とにかく、そういうものとしての「自分」が、何をどこまで考えられるのか。


 第四の態度は、原発を推進するものである。安全性は大事だが、エネルギーの確保なくして産業も社会も成り立たない、とするもの。吉本隆明さんの原発に対する態度もここに含めてしまおう。これは強固なものだ。これを洗脳というのはたやすい。意固地だと切り捨てることも。でも、ほんとうに批判しきることが出来るのかどうか、僕は考えれば考えるほど自信がなくなってくる。


 原発は少なくとも「安全な実用段階」とは言えないし、未完成のまま突っ走って来てしまった、それを見直さなければならない。だから、カネがつきまとう体制や仕組みも含めて、いったんチャラにしましょう。ここまでは僕は言えそうだ。けれど、まっとうな「研究」が継続されるのは決して悪いことではないし、そう考えるとおそらく敗戦後の困難の中で――それは日常生活に付きまとう停電といったことももちろん含まれよう――「エネルギー」を渇望した、その時代の精神を批判しきれるかどうか、と自分に折り返されてくるのである。


 たとえ原子力や資本制を放棄しても言語という一神教が残るのだ。キューブリックの『2001年宇宙の旅』の「モノリス」のように、それに触れることで知性や暴力性が過剰に発達してしまうもの。言葉。人間は言葉を通して現実を変えて来た。その長い時間をかけた交配こそが資本制や原子力を生み出したのだ。
 
 つまり、資本制と原子力が厄介なのは、それが人間の本性に根ざしているからだ。ならば必要なのは、言葉の交換それ自体の中に、暴力を超える原理を見ることだ。


 大澤信亮さんの「出日本記」(「群像」2012年5月号)からの引用であるが、今ここに新たな参照項として、浅尾大輔さんの最新評論「詩人・高村光太郎の放射能」(「クラルテ」第4号)を付け加えることができる。読みながら考える僕の作業は、まだ始まったばかりだが。


 話を最初に戻そう。僕の漠然とした不安の正体がなんであるか、「大丈夫かな?」とは何に対してかということだ。

 
 ひとつには、この決定を巡って、敵ではないものどうしが争うことのないように、傷つく/傷つけられる必要のない人が傷をおうことのないように、外に向かう暴力も自分自身に向けられる暴力もないように、心の底から祈るということだ。不穏なことがおきませんように。


 「当事者」じゃないからそんなことが外から言えるのだと言われれば否定はしない。だが、それは誰もが傷つかないように祈ることと矛盾はしまい。運動と言説の場は、かえって露骨にカネが介在しない分余計に泥沼になりがちなことだけは判っている。だからこそなのだ。


 もうひとつには、これは結局回り回って自分に跳ね返って来てしまうのだけれども、「ブレる政治/ブレない政治」を巡って、あるいは原発の対する根源的な態度を巡って、自分自身にさて、どこまで確固たる視座が準備出来ているか、その不安。


 「大丈夫かな?」というのは、他ならぬ自分自身に向けての、さあこの時代と状況をどう生き延びていくつもりなのだおまえは、という問いかけであったのだ。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-15 09:18 | 批評系 | Comments(0)

平成23年(う)第1051号

 「東京地裁 平成20年合(わ)第491号」から、「東京高裁 平成23年(う)第1051号」と変わったその事件の、判決の場に、立ち会うことは出来なかった。


 何となく、抽選に外れるだろうという気はしていた。前がそうだったのだから。妙に早く着いてしまったことといい、目が離せない批評文を手にしていたことといい、どうにも符丁があうのだった。寒い季節か暑い季節か、並んだのが左か右か、そんな程度の違いでしかない。1年半前に手にしていたのは大澤信亮さんの「復活の批評」であり、昨日手にしていたのは小林秀雄さんの『感想』であったが、これはあるいは大きな違いかもしれない。

 
 してみると、いかに忘れっぽい僕でも、多少なりとも身体感覚でこの事件を、裁判を、記憶にとどめていたということか。その時見ようとしていた何かというよりも、何かを見ようとしていた自分のことを、思い出すのかもしれない。

 
 高裁での公判は、一度だけ傍聴することが出来た。被告が出てこない、というのはあり得る話なのだろうか、というのが大きな疑問であった。いったい、何をしたいのだろう、と思った。

 
 「死刑が確定したとしても、執行まで時間はある。人間として成長してほしい」(2012.9.13「毎日」)と、重傷を負ってもなおそうしたことを語る方の思いが、届くのか届かないのか、僕には判らない。届いてほしいとも届くべきだと思う資格は僕にはない。ただ、考え続けるだけだ。


 これでおしまいということでは、おそらくない。さらに何かが続くのか、そう遠くないうちに刑が確定し、執行されたとしても、被害者にあわれて生きのびる方々の、あるいは亡くなられた方のご遺族の、あるいは加害者の身の回りの方々も、日々の生活はめぐってくる。

 
 そうした時代と社会に、僕自身もまた生きているわけなのだが、忘れっぽいが、たまに思い出したように何かを考えたふうになったりもして、時として偉そうに、時としてしおらしくもなる。こういう手合いが一番性質が悪いのだ、とこれももう何度か記したことのような気がする。


 忘れない、などと言うことは出来ない。努力する、ということは出来るが、どうにもおさまりが悪い。自分自身の問いとして据えられなければ駄目なのだ。回り回ってその手がかりがつかめるかもしれないという、そういう感触だけはようやくおぼろげながら立ち現われてきた。


 事件当初の2008年初夏以降、2年ほど僕は事件を忘却していたといっていい。ふとしたきっかけがあって、忘れていたことに気づかされたのだが、しばらくの間は、「では、いかに応答すべきか」と考えていたといっていい。「じゃあ、どうすればいいのだろう/どうすべきなのだろう、自分は」というわけだ。しかし、こうした考え方は、知らず知らずのうちに、他者を傷つけるものでもあった。自らの膿を切り裂くつもりの刃が、覚えず他者を傷つける。そうして傷つけてしまった他者は、だいたいにおいて、傷つけてはいけないような人々であったのだ。


 応答しようなどと考えるのが間違っていた。そのことに気づくまでにまた随分と時間を要した。「問い」それ自身にのたうちまわること。答えを出そうとあせるのは逃避以外の何物でもない。


 もっと早くにヴェイユを読み返すべきであった。僕にとっての「真空」は、おそらくここに存する。真空に、耐えなければならない。しかし、恩寵を期待してはならないと言い聞かせる。


 そこまで行き着いた時にはじめて僕は、「君が死ぬのを悔むような社会を僕はつくりたい」(中島岳志さん、2012.9.13「朝日」)という言葉とまっとうに対峙できるだろう。今はまだ、まだまだだ。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-13 23:16 | 批評系 | Comments(0)

「ロスジェネ文学」としての『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』

 『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』、と記すといささか長ったらしいが、デザインされたカバーから受ける印象はPOPなものだ。


 「フリースタイルなお別れざっし『葬』」で知られる「おもだか大学」こと奥山晶子さんの単著である。「葬」の独自のテイストを感じさせつつ、小説と実用的知識を兼ね備えたものであって、ああ、『ザ・ゴール』を源流とし、『もしドラ』へと流れた「小説仕立てのビジネス書」の流れが、お弔いの世界に、書店的な分類でいえば「実用書」の世界にもやってきたのだな、と思う。文藝春秋という出版社がこのノウハウをつかんだとすれば、面白い流れが、この本を起点に生まれるかもしれない。いかにも書店員的な発想だが、そういう意味での注目はしている。

 
 しかし、ここで記そうと思うのは、もう少し内容にかかわる部分、特に小説としての部分についての「感想文」である。


 本の内容に入る前に、おもだかさんとしてのブログ記事をいくつか拾っておきたい。


 2011年3月15日(火)の日付で、おもだかさんは「土葬という方法」という記事をアップされている。どれだけの人がこの記事を読み得たかは知らない。しかし、持ちうる知識をこの時期に発信しておられたことに敬服するほかはない。


 それからややあって2011年6月20日(月)の日付では、「日本の喪明け」 との記事があげられる。一見軽妙なタイトルだが、内容は実に真摯なものだ。

 まだまだ呆然と、していたい人

 私と一緒に呆然と、しましょう
 
 何もしないでいましょう。


 この時期にこういうことを言えたということ、こういう言葉があったのだということは、私たちにとって大変に重要な意味を持つ、と思う。前向きになんてなれやしない、がんばろうだなんていえない、そういう気持ちがあったし、それはおそらく今も何らかの形で継続している。「何もしないでいましょう」という言葉は、この日付とあいまって記憶しておいてしかるべきものだ。

 
 ここから僕の連想は若松英輔さんの『魂にふれる』に及ぼうともするのだが、ここはひとまずさておいて。『葬式プランナーまどかのお弔いファイル』に話を移そう。


 一読して、実用的な意味での役立ち度合は非常にデカいと思ったのだけれども、結論を言ってしまえば、それ以上に、これは「ロスジェネ文学」だと感じたのだった。浅尾大輔さんはロスジェネ文学について様々な言葉を駆使しているのは以前に見てきたことだし、定義といえるものももちろんある。『お弔いファイル』には、「カネと暴力に破れていく人間の終わり」(「かつて、ぶどう園で起きたこと」)が描かれているわけではない。けれど、主人公がナイーブであること(同)、「働くことを軽んじないで描いてきたこと」(同評論注6)、そういった特徴は十二分に兼ね備えている。


 プロローグにそれは明瞭に描かれる。


 病院で父の死に対面する五十嵐守。父は77歳とあるから、おそらく年のころあいは50代だろう。いきなり「喪主」となった守は、とたんに様々な決断に迫られる。自分の気持ちの整理もつかぬままに。その様子を見ていた葬儀社スタッフの川島まどかは、「一日何もしないこと」を提案する……。


 ここまでは、読み物の出足としても、また実用的知識を得るための「つかみ」としても、非常にすぐれている。
守の不安は共有され、「一日何もしない」なんて選択肢があり得ることに吃驚もする。さあ、続きを読んでみよう、という気になってくる。


 しかし、この一連のくだりの次が、僕にとってはたいせつに思われる(P.19-P.20)。「一日よく考えろって言って帰ってきた? ばかなんじゃないか、お前」と、上司に叱責されるまどかの姿が描きこまれるのである。


 この描写がなければまどかはただの狂言回しになってしまうし、何より、主人公まどかのナイーブさ――目の前のいる人の役に何とか立とうと思ってやってみる、けれどそれが会社的にはうまくいかないということ――がここで自然に、しかしはっきりと、表現される。


 無視も出来ず、さりとて会社の理屈に開き直りきることも出来ず……。そんな光景は、僕たちが日ごろ身を持って経験していることではなかったか。そうしたまどかが、公務員への転職を考えているというのも、極めて象徴的なことだ。

  
 ほかにも随所に「ロスジェネ文学」を感じさせる描写があるが、まだ新刊として一カ月も経過していない今はおいておくことにしよう。中下大樹さんの短いコメントにも随分と刺激されるのだが、それもまた別の機会に。

______________________________________

 内容にかかわることではないかもしれないが、この本に「ロスジェネ文学」を感じ取る身として、気になることをひとつ記しておきたい。目次の最後に、ブックデザインとか編集協力の方々の名前があるのだが、「イラスト・DTP」のところに著者自身の名前がある。イラストは、判る。DTPまで、著者がやるものだろうか。もちろん、それだけのスキルをたまたま有していたのだろうと思うけれども、書店員としては「書くことに専念させればいいのに」とは思う。そんなところまで見やしないだろう、ともし出版社が思っていたら、それはかなり危機的な認識であろう、とは言っておきたい。

 
 はたして、「対価」はまっとうに支払われたのだろうか。「うちから本を出したいなら金をもってこい」という「学術系」「社会系」出版社の構図と、同じなのか違うのか。

 
 書くこと以外のこともやらざるを得なかったとして、少なくともその分への「対価」はまっとうに支払われていて欲しい、と思う。しかし、それは「値段をもう少し下げたほうが売れるのでは」といった、他ならぬ僕のような書店員の発言・発想――もちろんそれはものによるわけだけれども――が、回り回って著者や製作に携わる人々の首を絞めているのだとしたら。

 
 どうやら、僕自身のカネの話も、しなければならんようだ。
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-10 09:04 | 批評系 | Comments(0)

2012・8・23の各紙朝刊、別名「『運動』もしくは『問題』について」(その六)

 最後は「毎日」となった。もはや何を意味する日付か忘れかけているが、備忘として記しておくと、8月22日に行われた、原発に反対する人々と首相との会談に関して各紙において報じられた、その日付である

 
 1面、飼手勇介記者の署名記事では、「命基準で政策を作ってほしい」とのコメントが引かれる。写真の上には「命基準で政策を」とのキャッチと、「安全性確認した」とのキャッチを対比させる。


 ああ、ここがたいせつなのだなあ、と思うのと同時に、「では電力を必要としている『弱者』はどうなる」との声が、僕の耳にははっきりと聞きとることができる。一方で、「病気や障碍をもった人間をダシにするな」という「当事者」――それがどの程度の比重を占めるのか僕は知らない――の声も聞こえる。勿論、原発現場やその周囲で生きる糧を得ている皆さんや、ごく一部の幹部を除く東電の一般社員の皆さんはどう思うだろうとも考える。東電前での抗議を避けるようにしていた、東電のスタッフと思しき女性の姿をまざまざと思い起こす


 連想は広がる。いつかどこかで、デモだったか官邸前だったか経産省前だったかは覚えていない、その時に聞こえた声が蘇る。「原発に反対するのは命が大切だから。私の命も、あなたの命も守りたい」と、そう呼びかけた声は、確かに説得力があった。


 色んな困難が今もあるし、これからもある。漫画版ナウシカのラストシーンがこのようなセリフで結ばれていたことが思い出される。


 さあ みんな、

 出発しましょう。どんなに苦しくても、

 生きねば……………………


 こうした思いをまったくもって無にするかのような意見を、同紙は見事に伝えている。笈田直樹記者、小山由宇記者、宮島寛記者による3面の記事は、いわゆる財界の認識をよく伝える。「原発ゼロ」に懸念を示す様々なコメントを紹介した上で、記事はこう続ける。

 
 しかし経済界の危機意識は政権には届いていない。枝野幸男経産相は7日、「経済界を特別扱いするつもりはない」と発言。日商がやく一カ月前から要請していた岡村会頭の首相面会も、反原発派の市民団体との面会後まで待たされた。「雇用を守り多額の税金を納めているのは我々企業。市民団体と同じ扱いだとは笑止千万」(運輸会社首脳)との批判が渦巻く。


 この「運輸会社首脳」がどこのだれだかは知らない。知っていれば、出来る限り利用しないようにしてやろうとは思うが、ここでの本題は、よくぞここまでの報道をしてくれたということにある。


 「命基準」と、この運輸会社首脳の認識の、なんとかけ離れていることか! 心の底からの怒り。もちろん、正社員である僕は「会社」の論理、「決算書」の理屈に流されがちな自分をよく自覚している。だからこそ、こうした言葉にふれることが大事なのだ。生身の人間をそのままにして扱うことのできない理屈を、その醜悪さを、自らの内にもあるのだとえぐりながら、何度でも、何度でも、思い起こそう。

 
 「礼賛」と某週刊誌が揶揄したベ平連、その中心であった小田実さんの言葉が蘇る。前にも引いたことがあるが、好きな箇所なので再び引こう。『世直しの倫理と論理 上』だ。


 ごく普通の生活をしている人間にとっては、カラー・テレビにさけるカネは二万円しかない(当時)、ならば企業に対して二万円でカラー・テレビを作れ、と要求していくのはどうか、そんな風に小田さんは言う。そこに続く個所。


 「それはムチャや、と企業――全企業が言うでしょう。言うにきまっている。そんな勝手な値段をつけて。その悲鳴には、次のように答えてやればよろしい。何がムチャや。おまえのほうかて、これまで(ボクらに何の相談もしないで)勝手に十万円という値段をつけて来たやないか。(中略)おたくの都合は企業の都合や。ボクらのは、『人間の都合』や」(p.151 下線部は本文では傍点)


 この「おたくの都合は企業の都合や。ボクらのは、『人間の都合』や」という言葉が、たまらなく好きだし、好きだからこそ、毎日毎日多くの時間を過ごしている職場で、働きながらどれだけこの言葉を思い起こすことができるかがカギだと思われる。


 運動が、職場と無関係にあるのではいけない。かといって、職場でやたらと運動をするのが正しいとも思わない。このあたりが難しく、しかし、他ならぬ僕自身が向き合わなければならん課題でもある。


 最後のつけたしのようで申し訳ないが、この3面の記事にも会談趣旨が掲載されている。この団体側発言冒頭に「いつかもっと大規模に国民の声を直接聴いて頂きたいが、①(以下略)」と記されている。細かいことのようだが、こういう言葉を拾うのは素晴らしい。「東京」が「通過点」と強調したのと同じことを、別の面から、さりげなくふれたのだろう。


 真摯なまなざしが、ある。「見ている」と、思う。そうして記された言葉を、自分もまた読む。その向こうにあるもの、いや、向こうにあると思えるものを手がかりに自分自身に読みを折り返す、そのように読み、書き、考えていこう。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-05 21:14 | 運動系 | Comments(0)

2012・8・23の各紙朝刊、別名「『運動』もしくは『問題』について」(その五)

 2012年8月23日付け「東京」も、原発に反対する人々と首相との会談を大きく扱う。


 2面「世論配慮も自説曲げず」との署名記事(関口克己さん)。「大きな音」発言から会談に到るまで、反原発連合側がいわば押してきたような、そういう印象を受ける。しかし、やはり実態としては再稼働を推進する姿勢には変わりがない、と。


 情勢認識として、おおむね妥当と思われる。ここから先は、この記事を読む者ひとりひとりが考えていかなくちゃいけない。どうすれば、姿勢を変えられるのか。


 社説は明快に説く。
 

 市民団体の側にとっては、首相との面会はゴールではなく、通過点の一つにすぎない。

 原子力規制委員会の委員長と委員と人事案の撤回を求められた首相は「最終的には国会に判断いただく」と述べた。同意人事の可否を判断するのはもちろん、首相を選ぶのも、原発政策に関する法律をつくるのも国会だ。

 脱原発を揺るぎないものにするには官邸前のエネルギーを実際の投票行動につなげる必要がある。


 要するに、「選挙に行こう」ということだ。


 さて、僕は選挙を棄権するという意味がまったく持って理解できない人間である。わずか二年の海外生活でも、まっとうな手続きをして選挙権を行使した。本年2月5日京都大学で行われたシンポジウム、「日本から見た68年5月」でも、いわゆる左翼と思われる研究者が投票行動への懐疑と、選挙に行ったことがないと発言したことには極めて違和感を覚えたくらいである。

 
 投票して何になる、という思いはある。それは判る。しかし、それと選挙に行かないのは別の問題だろう。考えなければならないとしたら、例えば以下のような言葉でしかないように思われる。2008年6月27日のシンポジウムにおける大澤信亮さんの発言(「ロスジェネ 別冊2008」、P.37)。


 編集委員を一緒にやっていて申し訳ないのですが、僕は共産党員ではないので言いますけれども、議会制のなかで共産党が議席を増やして、それが革命だというような議論には到底納得できない。そのようなレベルの「連帯」が革命に到らず自己矛盾や現実乖離で崩壊していくとすれば、それは現実の多重性や多層性を国民国家や市民社会の水準に切り詰めたことに根があると思う。逆に言えば、べつに共産党員じゃなくても、資本制のなかで普通に暮らしているだけでも、ある種の革命というか変革というか、そういうものに携わることができると思っています。


 ところで、この投票ということ、その結果における国会の議席ならびに内閣という一連の流れの強調は、同日「読売」の各所における論調の裏返しのようにも思われる。かたや投票で変えよう、と呼びかけ、かたやかつての投票の結果であるところの現在の国会・内閣の現状をもって反原発の動きを批判する。


 どちらも議会制民主主義を疑っていない、と皮肉ることは出来よう。しかし、僕はそうは思わない。直接行動も大事だし、投票も大事。あらゆる機会を活用すればよい。但し、直接行動にせよ投票・選挙にせよ、それとして独自の動きや課題があるのであって、それらに過度に呑み込まれないように気をつけよう。ただそれだけのことだ。

 
 「東京」29面では、さらに詳しく当日の状況を追う。加藤文さんの署名記事。小田マサノリさんの言葉が中心となる。

 
 「政府が子どもたちにも分かるように原発をやめると言わない限り、この抗議は決してやめない」と、最後は涙ぐんだ。東京電力福島第一原発事故で失われたものの大きさを顧みず再稼働を決めた首相を前に、悔しさがこみ上げたという。


 こうした行動を行った人々を、揶揄するような週刊誌報道には心底苛立ちを覚える。しかし同時に、書店員である僕はよく分かっている、週刊誌の見出しというものがいかに「ニーズ」に即したものであるかを。「敵」が外に在ると思っちゃあいけない、と自分に言い聞かせる。


 記事はさらに続く。

  
 「今日は直接民主主義の場所だった。今のように間接民主主義が機能していない場合は、名もなき民が主人公だということを思い出させる上で、一定の意味があったのではないか」と考えている。


 岸信介氏の「声なき声」論に対する反論の、これはひとつでありうる。この点は、批評家を中心とする文学者の皆さんの活躍を心から期待している部分である。「声なき声」は誰が発するのか、「声なき」と判断するのは誰か……。言葉のプロたちがどのように反論していくかと期待しつつ、その間読者である僕は如何なる言葉であれば納得するのか、と自問していこう。


 この記事の最後では、水曜日に行われている反貧困行動に参加する人の声が拾われている。

 「反原発の人たちのように、首相が会ってみようと思えるほど、反貧困の運動を大きく広げていかなくては」

 
 読む者に自問と課題の広がりを感じさせる、みごとな記事であった。
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-03 10:31 | 批評系 | Comments(0)