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感想以前のこと――大澤信亮「出日本記」(「群像」2012年5月号)

 手は頁をめくる。目は文字を追う。そうだよなと思うところもある。思わず詰まってしまうところもある。行ったり来たりを繰り返しながら。一文一文を。「これはどういうことだろう」と考えながら進める。目が先走っていくのを手がおさえる。手が頁をめくろうとするのを目が押しとどめる。文字は確かに目に入っては、いる。

 
 文章の中に入り込んでしまうと、ある種の恍惚感すら覚える。しかし、入り込んだというのは勝手な自分の思い込みで、ただ単に印刷された文字を、都合のいい触媒として利用しているだけなのかもしれないのだ。それではダメなのかもしれない。それでいいのかもしれない。


 字面を追った、という意味では、読んだ。一度ならず二度三度、と。しかし、読む、あるいは読んだと言えるのはどういうことかと考えてみると、何も言えなくなるようにも思う。


 「言葉が出てこない。問いが定められない。何を考えても嘘になる。そういう状態が九ヵ月間続いた」。そう冒頭にある。では、書き手が考え、それを言葉にしようとしてきたのと同じ期間、読み手である自分は何をして、あるいは何をせずに過ごしてきたか。この自省を抜きにして何かを考えることは出来ない。これが同時代の批評の言葉を読む、読者にとっての意味であるだろう。


 そうした言葉に触れることが出来るのは、幸福だと言ってよい。けれどその幸福は、仮に、このような言葉がなかったとしたら、この世はどうしようもなく不幸だ、という意味での幸福であって、目先の「楽」とかひとまずの「安心」といったたぐいのものとはかけ離れたものである。


 書くために読む、という感覚はありうるだろう、とは思っていた。それは拙いながらも自分の実体験として、ある。インプットがなければアウトプットはない。当たり前のことだ。けれど、去年の秋口くらいからだろうか、読むために書く、という感覚がどうにも芽生えてきたように思う。単に本を読みながらノートをとるとか、メモしたり整理したりということではなくて。読んでいる自分自身を問うために、書く。書かないと、読めない。書き手に対峙出来ていない。そう感じる。

 
 こうした感想以前の感覚をどうにかこうにか記すまでに、幾度となく書き直している。「復活の批評」を読んだ時にいきおいこんで感想にもならない感想を書いたことを思うと、隔世の感すらある。たいへんに俗な話だけれど、自分の拙い文章に触れてくださっていることに、必要以上に心が乱れたのかもしれない。気恥かしさとも申し訳なさとも有り難さともつかない、何ものか。


 今朝の「毎日」にあった、中島岳志さんによる評――「『出日本記』は、簡単に着地しない。しかし、読む者の世界が揺れる。言葉が突き刺さる」という言葉には心底共感する。が、その共感に安心してはいけないとも思う。共感するからこそ、警戒しなければならない。


 いや、「対峙」をイメージして読もうとしていたのがそもそも間違いだったのかもしれない。もちろん、真剣な態度は最低限の条件だが、その上で、サシで勝負しようとするのではなく(もしくはサシで勝負しようとする「だけ」ではなく)、書き手が繰り出した言葉を「正しく食べる」(デリダ)ことは出来ないか。


 ……自分でも何を書いているのか、よく判らなくなってきた。判らなくなってきたついでにもう少しだけ。


 今まで、大澤さんの文章を拝見していて、ひとつのイメージが出来上がりつつあった。というよりも、読みながらどうしても僕の中でイメージされていく映像。それは、教会と思しき建物の中で、ひとりステンドグラスから差し込む光に照らされている男の姿。


 彼はしっかりと立つ。何かをつかもうと手を上方に伸ばす。目はしっかりと光の先にある何かを見ている。光の先にあるのは具体的な誰かであるのか何か、判らない。その人自身にも判らないのかもしれない。けれど確かに、光のほうを見上げて目を逸らそうとはしない、決して。


 『神的批評』に収録された文章、ならびに「復活の批評」は、すべからくこうした映像を僕に喚起させるものであった。では、その姿を見ている自分はどこに立っているのか。それが僕の読み手としての問いであった。けれど、「出日本記」から喚起される映像は、こうしたものとは少し違う。


 同じく光は、ある。が、差し込む光のイメージが違うのだ。ステンドグラス越しに上方から差し込むのではなくて、それこそより直接的に太陽から降り注ぐような光の輪。その輪に差しかからんとする場所に、彼は立っている。いや、もうすでに光の輪の中に足を踏み入れているのかもしれない。


 気がつけば僕の足元すぐ近くにも、光の輪はぼんやりとは届いていて。さあ、お前はどうするのだ、といよいよもって迫ってくる。

 
 
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by todoroki-tetsu | 2012-04-30 19:56 | 批評系 | Comments(0)