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湯浅誠「社会運動の立ち位置」を読むにあたって

 『世界』(岩波書店)3月号に掲載された湯浅誠さんの「社会運動の立ち位置 議会制民主主義の危機において」を、twitterで読んでみようと思う。途絶している雨宮さんの本のことも頭の片隅にはあるのだが、その途絶とも多少関係がある。


 今まで何度もtwitter読書をやってきたが、たいがいこのブログで何かを記すのは読み終えたあとだ。twitterで読みながら、あれこれ考えを膨らませていくのが主で、ブログでそれを総括するようなことはしたりしなかったりである。しかし、今回のこの論文は、タイトルにあるとおり立ち位置を、読む者である僕自身の立ち位置を、ある程度ははっきりさせておかねば取り組めないように思えたのだ。しかし、湯浅さんの論文とは一切無関係な内容である。

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 もうじき20年前になることだが、学生時代に、ちょっとしたきっかけもあって学生運動をやっていた。主には学生自治会である。もともと人権とかジェンダーといった言葉でイメージされる領域には関心があったのだが、それらはいわゆる社会問題として僕の中では認識されていった。必ずしも学生自治会がそれらの関心と重なるわけではなかったが、様々なことがどうやらよくもわるくも一緒くたになっていったようだ。


 結局親のすねをかじっり続けていたわけなのでえらそうなことは言えないが、しかし、学費の問題はそうしたうしろめたさもあってか、僕の中では重要性を帯びていた。デモはもちろんのこと、トラメガをもって霞が関をうろついたこともある。出来不出来はあったが、アジ演説は嫌いじゃなかった。国会要請も一度や二度ではない。国民の教育権、といった言葉もこうした中で知ったのだった(理解は出来ていない)。

 
 ビラまきは得意だったが、オルグというか、人を組織するというのは苦手であった。けれど、いつの間にやらどちらかといえば運動の中でも中心に近い位置にいるようになっていた。その結果、学内での活動から離れ、半ば専従のようなことをしたりもした。自分なりに解釈した「正しさ」でもって人を傷つけてしまったことはいくらもある。そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだったが。


 一年ほど経て戻ってきた学内では、大きな問題が起きていた。学内では一線を退く位置ではあったが、執行部の一員として運動にはたずさわっていた。時は橋本内閣の頃。国立大学の独立行政法人化に伴う様々な変化――改革とも改悪ともいう――の中、意見の対立は学生・院生・教官・職員の間に、そしてそれらの中に、あった。


 自分ではこれだ、と思うことが他人にとってはそうではない。意見の対立を議論を重ねてひとつの共通の見解にまで持っていく……そんなことが出来た局面もある。当局相手の折衝も何度となくあった。うまくいったり、いかなかったり、した。そんな中で、自分が何をすればよいのか、判らなくなっていった。


 声を荒げる場面もあった。僕自身もそうだ。それを咎められたこともある。それに対して反論したこともある。そうしたやりとりを横目で見て、離れていった人もいくらもいる。

 
 長く続いた課題の、最終結論が出るというその時、僕は会場から離れた場所にいた。生協前の広場で、学内のみんなに会場に行くように声をかける、そんな役をやっていた。確か望んでそれをやったと思う。中心にいるには、あまりにつらかった。これが正しい、とか、これでいくしかないだろう、という判断は、他の人にとっては耐えがたいものとうつる。それは僕にとっても耐えがたい光景だった。納得できない人は、離れていく。では、何が正しいのか。判らなくなってどんづまりになっていった。今にして思えば、もっと清濁併せのむようなことが出来れば、要するに、「うまく」やればよかったのにとも思うが、21,2歳の若造にはそんな真似は出来なかった。


 集団的にたどりついた結果――それは妥協であり、それは敗北ともいえるし、限定付きの勝利であるともいえるものであった。要するに、力関係としてそういうことだったのだろうと思う。でも、それに対しどうしても納得できないという人もいくらか、いた。そんな人が怒り心頭で会場を飛び出してきたりもした。「執行部はぬるすぎる」と。僕はただ、あいまいな笑顔でごまかしただけの気がするが、記憶はぼんやりとしたままだ。


 そんなことを思い出すのが怖く、見知った人と顔を合わせるのが怖く、いまだに僕は学校を出てから片手で余るくらいの回数しか、キャンパスに足を踏み入れていない。10年も経過したのだから大丈夫だろうと思って先年試みたが、やはり呼吸がおかしくなってしまった。


 そのころ、むやみやたらと考えていたのは、「正しいこととはなんだろう?」ということだった。正しいこと、正しいと自分が信じることで、他人を傷つけてしまうことがいくらもあること。その時、自分は正しいことの側に立つのか、それとも傷つけないように守る側に立つのか。この問いのたて方が正しいのかは今でも判らない。けれど、当時の自分には、他人を傷つけてまで主張する正しさを、少なくとも僕自身は持ち得ない、そう思えた。運動を呼びかける側に立つ資格は僕にはない。

 
 その自己認識は、今も変わっていない。誰かがおぜん立てしてくれた場には時として足を運ぶ。この間の脱原発デモなどはそうだ。ただ参加するだけでいいのか、主催者の苦労を少しでも分かち合うべきではないのか、という声が自分の心の奥底でしないわけではない。けれど、ほんとうに申し訳ないのだけれども、それは今もまだ、出来そうにないのだ。


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 以上述べたようなことは、湯浅さんの論文とはまったく関係がない。けれど、湯浅さんの論文を読むうちに、僕は、その言葉に読まれていくだろう。読むための、というよりは読まれるための、準備であった。

 
 twitterでのタグは #tati_iti としよう。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-21 23:27 | Comments(0)

帰ってからのこと

 郡山を出てから、家にたどり着くまでに3時間弱。近いものだな、と改めて思う。


 とにかく洗濯をしなきゃいけない。明日からはまた仕事だ。洗濯機を回しながら珈琲を淹れ、一息ついてから本棚あさりにとりかかる。普段の未整理がこういう時に響く。掘り起こそうとしてまたぐちゃぐちゃになり、次に何かを探す時にまた一苦労。しかも、そうしたことが嫌いではないのだから性質が悪い。


 何冊もある都留さんの本を、あたりをつけながら引っ張り出す。目指す記述は『21世紀 日本への期待』(岩波書店)の中にあった。武藤さんが触れておられた、電通の「10カ条」に関するそれである。都留さんはここ以外でも言及されていたかもしれないが、差し当たってはこの1冊で十分だ。


 「成長それ自体が目的ではない」ことを明らかにするというのがここでの大枠の文脈である。そして特に、成長をはかると思われるGDPという数値が、決して私たちの生活実態のゆたかさを表すものではないということが説得的に語られるのであった。これが単行本となったのは2001年のことだが、この10年余りで、この指摘を残念ながら身をもって知ってしまったように思う。


 この電通の「10カ条」――ここでは都留さんに従って「戦略十訓」とし、引用しておこう(同書P.166に記載された注より)。

 第一、もっと使わせろ。第二、捨てさせろ。第三、ムダ使いさせろ。第四、季節を忘れさせろ。第五、贈り物に使わせろ。第六、コンビナートで使わせろ。第七、きっかけを投じろ。第八、流行おくれにさせろ。第九、気やすく買わせろ。第十、混乱をつくりだせ。


 
 書店という小売業でメシを食っている人間が、これを全否定するのは難しい。第二とか第三、第八はいささか行き過ぎの感はある。第六や第十の意味はよく判らない。けれど、第一はもちろん、第五や第七はもっと本を買ってもらうためにはどうすればいいのかと考える身としては、ヒントになりそうだし、実際日々実行していることのいくらかはこうした言葉で表現出来るようなものでもある。


 かといって、これらを全肯定も出来ない。それは本という言葉のパッケージであるところの商品の特性にも関わるだろうし、経済学でいうならばいくらかなりとも制度派的な考え方にシンパシーを覚える――というよりも、市場だけで世の中動いちゃいねぇよ、と思う者として、少なくとも「戦略十訓」が適用しうるのは極めて限定された条件においてのみだ、というところまでは、言える。


 何より、これに対して「屈辱」を感じた武藤さんと敵対しようとは思わないし、思えない。武藤さんにもし叱られてしまったらどうしようもないのだけれど、市場というものはおそらくなくなるものではない。けれど、それに人間が過度に振り回される必要はないし、またそうあってはならないと思う。市場を社会に埋め戻す――そんな風に表現をした人がいたと記憶する(それを確認するにはまた本棚をひっくりかえさにゃあならんのだが)。イメージはこれに近い。それを可能にする言葉として、再びスピーチを思い起こす(『福島からあなたへ』、P.26)。


 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。 

 便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。

 原発はそのむこうにあるのです。



 武藤さんを絶対的存在として称揚してはならない。同時に、貶めてもならない。当たり前のことだが、どちらも失礼だ。確かにすごい人だと思うけれど、そのすごさは自分も生活し、働いている同じ社会・同じ時間と地続きであるというべきだ。自分とは無関係の地平にある存在なのではない。このことは何度でも思い出す価値がある。そして、そうした人が発した言葉が突き付ける絶対性が、確かにあるということを記憶にとどめよう、出来る限り。

 
 だとするならば、僕が今働き、暮しているフィールドにも、そのような他者がいると考えなくてはならない。自分が逃げも隠れも出来ない場所で、他者との出会い直しをしなければならない。それは時としてお互いの傷つけ合いをも伴う。きれいごとでは済まされない地平。その先に何があるのかは、まだ判らない。


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 福島から帰って来てちょうど一週間。ようやくせいぜい二日分の日記を書き終える。相変わらず日々は慌ただしく、とりたてて何かが変わったわけではない。そんな殊勝な人間ではもとよりない。だけれども、何かこう、「見え方」が少し変わったような、そんな手触りは、ほんとうにわずかだけれども、ある。それが何なのか、大切に見極めていこうと思う。自分の欲望の暴力性を問い直す「デフォルト」への道のりは、まだ遠い。
 
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by todoroki-tetsu | 2012-02-20 21:44 | Comments(0)

帰途

 郡山のジュンクさんは昨夏にも訪れた。いわゆる震災関連書、いわゆる原発関連書が出るたびに、このお店で何をどう陳列しておられるのか、がそこはかとなく気にかかっていた。じっくりと拝見する。ヤマニ書房さんで得たのとはまた違った刺激を受ける。

 
 ジュンクさんの入る百貨店を出てから、さてどうしようと思案。少し離れたリブロさんにも足を延ばすことにする。地元のFM放送らしき音声が通りに流れている。地名と数値を読みあげている声が聞こえてくる。ほどなくして声はリスナーからのメールに切り替わる。告白がどうこうというのが今日のテーマらしい。そうか、バレンタインデーの前日か。


 月曜のお昼前、車は多いが人通りはさほど多くない。途中通りがかった公園ではお年寄りが何人かベンチで談笑している。それなりに寒いけれど、日差しがあるのでずいぶんとしのぎやすい。遠くの方に見える山並みがきれいだ。


 リブロさんの棚を拝見した後、もときた道を引き返す。平日日中のこととて、どこもさして人が多いわけではない。車は多そうだ。「以前」を知らない以上、あれこれ考えるのも失礼というものだろう。ふと、「釜ヶ崎が人権問題の『名所』になっている」(生田武志さん、『フリーター論争2.0』、P.142)との言葉を、再び思い起こす。

 
 自分が日々働き、暮している場所からほかのところに出かけて見聞きし、考えたことは、自分が日々働き、暮している場所で結び付けられなければならない。そのままの形で結びつけるのが難しければ、ばらして再構築してみよう。それは最低限の倫理であるように思える。それこそ、杉田さんのいう「デフォルト」であるかもしれない。最低限ではあるが、ハードルは高い。考えよ。


 とはいえ、やっぱり腹は減る。ぱっと見かけたお店に入り、頼んだものが出てくるまで待つ。携帯でtwitterをいじくると、武藤類子さんがネットのテレビか何かにご出演だったようだ。その感想やら反響やらがちらちらと目に入る。『福島からあなたへ』では「電通の消費を促す十カ条」(P.52)と表記されている部分へのリアクションが大きいようだ。はて、そういえば都留重人さんもどこかで言及しておられたな、あれはどこだったか……と思いだそうとしているとお膳が運ばれてくる。まあいいや、帰ってから調べよう、と食欲を優先する。


 食事をおえ、さあ、いよいよ帰るだけだとなったのだが、なんとなく気持ちがだらだらしている。腹いっぱいのせいだということにして、腹ごなしがてら駅ビルをうろうろする。そうだ、くまざわ書店さんがあるではないか。こちらもまた、いわゆる震災関連書を集められたコーナーを中心に拝見する。場所が変われば顧客も変わり、大きくいって同じ商圏であっても、書店の品ぞろえは随分と変わる。普段身にしみていることだが、ジュンクさん、リブロさん、くまざわさん、それぞれにおける顧客と書店員のニーズと提案のキャッチボールの様子を改めて想像しなおし、新幹線のきっぷ売場に向かった。


 帰りの新幹線は、団体客に遭遇してずいぶんと騒々しい。そこそこの混み具合でもある。とはいえ、乗っている時間は1時間程度。車窓を眺めている間に着くだろう。わりあいにこの道中の景色は好きだ。


 結局自分は何をしにきたのだろう。書店見学は確かにしたし、勉強にもなった。それは仕事で形にしていくことが出来る。だが、仕事を離れて、それこそ個人(「市民」というにはためらいがある)としては? 

 何かを見た気になるな、ということくらいは心得ているが、しかし、「何しに来たの?」と誰かから聞かれたならば、飛び上がって逃げ出しただろう。劇場版パトレイバー2における荒川のことなどが、不思議と思い起こされる。そのイメージはやがて中島みゆきさんの「吹雪」へと繋がっていく。


 他人を手段としてではなく目的として云々、というのはカントの言葉であったか。批評家の文章を通じてしばしば目にしたことを思い出す。意味がさっぱり判らない。だんだん眠くなってくる。とにかく、帰ったら本棚をひっくり返さねば……。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-20 13:17 | Comments(0)

郡山の朝

 郡山は以前一度だけ降りたことがあったが、それは夏の昼間の話。風の強い冬の夜、ただただ宿へと一直線に進む。風呂で身体を温め、早々に寝床に就く。

 
 翌朝、のんびり起きてテレビなんぞを見る。普段テレビを見ないので「カーネーション」の流れが全く判らない。有働さんはいい笑顔だ。

 
 あとは東京に帰るだけなのだ。新幹線を使えば大宮まで1時間、つごう2時間少々で家には帰ることが出来る。近いものだと思う。だからどうした、と自分の中のもうひとりがすぐさまつっかかってくる。面倒なのでそのままやり過ごす。

 
 調べてみると駅にほど近いところに、自分が会員証を持っているネットカフェがあった。少しばかり仕事もあるので、珈琲を飲みながらメールでもうつことにしよう。ゴミの散らばるエレベータで受け付けフロアまで上がる。ごく普通のリクライニング席をお願いする。ブースが比較的広いのがありがたい。


 案件をふたつみっつばかり片付け、ちょっと時間が余ったので何の気なしにネットをガチャガチャいじる。杉田俊介さんがtwitter(@sssugita)で、ご覧になられた映画のことを中心に久々に連投されているのを拝見する。そういえば、夏に南相馬に行った時にも、その前後で杉田さんのtwitterを拝見したなと思いだす。偶然だなあと勝手に思い込む。その連投の中で、特に考えさせられたのは2/12、23:02の時刻が付された下記。


 「9・11」は映画的想像力を逆用した。私たちはテレビ・ネット動画・映画その他で「3・11」をほどほどに消費し、楽しみ、道徳感情を自慰的に満足させた。ほどほどに。これは当たり前の欲望だ。私もそうだ。ならばせめて、その暴力性を「映画として」問い直す。勿論これはデフォルトに過ぎない。



 「道徳感情を自慰的に満足」させている、まさにその行程の途中の郡山でこの言葉を読んでいる自分は何なのか。杉田さんはかかる欲望を「暴力性」という言葉でも表現しておられる。そしてそのような欲望の自己認識と問いなおしは、「デフォルトに過ぎない」のだ。語っておられる題材は映画であるけれども、この問いはおそらく映画にとどまるようなものではない。


 ……「デフォルト」にすら到らないところで、僕はうろうろしているだけなのかもしれない。だがしかし、僕は自分の職場で、自分の生活で、僕の問いを生きるしかない。称揚も卑下も無意味。ただ、手前で考え抜くしかないのだ。


 ところで、『福島からあなたへ』において、武藤さんは「私たちとつながってください」(P.22)と述べた。「どうか福島を忘れないでください」ともおっしゃった(P.24)。僕はこの言葉を前にし、躊躇する。


 「つながってください」という呼びかけには、いつかきっと自分のことしか考えずに振り払うであろう自分が容易に想像できてしまう。「忘れないでください」という呼びかけには、ありとあらゆるたいせつなことを忘れてきた自分が対置される。


 確かに武藤さんの言葉は大切だし、やはり自分も出来る限り応じたいと思う。けれど、それに応じるというのはほんとうにはどういうことなのか。自分に「出来ること」だけでいいのか――課題の大きさ・深刻さを基準にするのか、自分自身の状況を基準にするのか、というある種の普遍的な問題。「意義と任務」の問題と言いたくばそれもよかろう――。「忘れない」とはどういうことか。時折思い出すようなことでも「忘れない」と言いうるのか。

 
 もちろん、これらは武藤さんに対して問いかけるべき問題ではなく、その言葉に触れている僕が、他ならぬ僕自身に向けて投げかける問いである。


 呼びかける側/呼びかけられる側との分断は、悪意からも善意からも、意図してでも無意識であっても、容易に出来る。都市部で住む人が、自然の中でなるべく電気やガスを使わず暮そうとしている人に対して「違い」を見出すことはたやすい。あなたとわたしを切り離してしまえば、心理的にはずいぶんと楽になる。


 「あれは他人に問題であって自分には関係がない」というように使うことも出来るし、ある程度関わろうと思っている場合でも、「他人の問題に関わっている他人であるところの自分」、という立ち位置を確保してしまえば気が楽だ。「自由な意思は撰択するからだ」(吉本隆明、『マチウ書試論』)と皮肉気に言葉を吐いてしまえ。さすれば呼びかけに応ずるも応じないもすべては自分次第となるだろう。自分の立ち位置は常に安全圏だ。

 
 そのような安全圏から武藤さんの言葉を読みむことは、それこそ「暴力性」のある「欲望」でしかあるまい。タイトルが示す「あなた」が、他ならぬ自分自身であるとして読むならば、どうあっても自分自身の問いの中に武藤さんの言葉を埋め込んでいかなくてはなるまい。
 

 そこまで考えてみてふと時計を見ると、10:00に近くなっている。そろそろ腰を上げよう。郡山のジュンクさんが開く時間だ。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-17 13:52 | Comments(0)

磐越東線に揺られながら『福島からあなたへ』について考える

 ほんとうなら、実際にその場所にいってみるべきなのだ。しかし、調べたところバスの本数は限りなく少ない。免許は一応持っているが、一度も運転したことがない。誰かと連れだって行こうという気力とスキルはない。だから、せめて近くを通りたいと思ったのだ。

 
 いわきから郡山へ向かう直通の、2両編成の最終電車。若い人もいれば年配の人もいる。ゆったり坐れるくらいの乗客数。進行方向に向かって左側の窓を見つめ。外が真っ暗なのでただ車内の反対側の座席の人の姿を映すだけになっている。手で視界を覆うようにしてガラスに顔を近づける。ちらほらと灯りが目に入るが、すぐさま吐く息で曇ってしまう。ガラスをぬぐっては顔を近づけ、曇ってはまたぬぐい、それに疲れたらぼんやりと車内を眺める。そしてまたガラスに顔を近づける。そんなことばかりを繰り返しているうちに、いよいよ山深くなってきたなと感じる。森の雰囲気。よくは見えない。ただ、感じるだけ。

 
 『福島からあなたへ』という名で単行本となった武藤類子さんの言葉を、発売以来何度か読み返している。確かに、感動する。思わず目が潤む時もある。ある種のカタルシスを覚えることもある。しかし。いいお話を伺いました、感激しました……それだけで済ませてはならない何かがあるように感じる。だけどそれが何なのか、まったく判らない。


 ならば、その言葉はどのような場所から発せられたのかを想像してみようと考えた。他ならぬ生身の人間であるところの武藤さんをして語らしめたその言葉は、おそらく武藤さんの言葉でありながら、しかし彼女ひとりだけのものではないだろう。生活の場で、生身の人間どうし、あるいは自然との関わりの蓄積があって、生まれた言葉であるだろう。ほんとうなら、実際にその場所にいってみるべきなのだ、と冒頭に記したのはそんなわけだ。


 この本の後半には、武藤さんの人となりや、里山喫茶「燦(きらら)」をめぐる生活風景の描写がある。広い意味ではある種の活動家であるのだろう。山を切り開いて生活するというのも、それを可能にする条件がたまたまあったからに過ぎないのかもしれない。その意味で、東京で勤め人をしている僕のような立場からすれば、ずいぶんとかけ離れたところにいる人ではある。

 
 なるべく電気やガスに頼らず、自然にあるものやリサイクルしたものなどで生活をなりたたせていく。それはある種の理想なのかもしれない。けれど、そうした考え方や実践に触れるたびに、「そんな風には生きていけないなあ」と思う。「便利さ」に慣れた勝手な思いからちょっとした反発心が芽生える(これは僕がいわゆるエコなるもの全般にどことなく感じる偏見でもある)。そんなことが出来るだけある意味「贅沢」なのではないのか、と。


 だが、武藤さんの文章は、比較的そうした反発心――「しゃらくせぇや」という思いをあまり感じなかったのだ。いや、ちょっぴりは感じたのだが、繰り返し読むにつれて、実に自然に、しかし毅然と、でもつつましく、「何ものにも操作されない自分の生き方」(同書p.52)を実践されていることが、どうやらだんだんと僕の中で了解されてきたように思われる。

 
 ところで、この言葉の直前にはこんなくだりがある。


 
 私たちが何気なく使う電気。それがつくられていく過程は、さまざまな差別とたくさんの命の犠牲の上に成り立っていることに気づいたときに、できるだけその対極にいたいと思いました。



 この「できるだけその対極にいたい」という表現が、とても武藤さんらしいと思える。声高な反対でもなく、自分のやっていることをことさらにアピールするのでもなく。そして、ドングリを拾ったり、薪を集めたり、食べたり、歌ったりしている武藤さんとその周りの皆さんの姿を、曇りがちのガラスの先に広がっているであろうまっくらな森の向こうに、僕は勝手に想像したのだった。


 反・脱原発を口にすると、「じゃあ、電気がなくてもいいんですね」というような反論が為される場合がしばしばある。いや、そういうことじゃないんだけどなあ、と思う。そのあとに続く理由はあれこれあるだろう。とにかく原子力=核はヤバい、とか、そもそも電気はこんなに要らない、とか。


 武藤さんはスピーチでこうおっしゃっている(同書P.26)。


 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。 

 便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。

 原発はそのむこうにあるのです。



 想像しよう。思いをはせよう。武藤さんはそう呼びかけている。それだけでは足りないのかもしれないが、しかしあらゆることの礎が、「コンセントのむこう側の世界を想像する」という言葉には含まれているように思える。電気が要るとか要らないとか、そういう地平からの話ではないのだ。生身の人間から始まる話。


 しかし、そこまで考えたところで、また自分の中の何かがぶり返したようにつぶやいてくる。「では、お前はどうするのだ?」。


 ……気づけば、船引の駅を過ぎている。もうじき郡山だ。



 
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by todoroki-tetsu | 2012-02-14 22:31 | Comments(0)

ヤマニ書房さんと「世界」

 いわき市に足を踏み入れたのは初めて。もう日はとっぷりと暮れている。とにかく体を温めようと駅前のラトブでパッと目についた喫茶店に入る。チェーン店系のところはなるべく避けたいと思うのだが――自分がチェーン店に勤めているくせに――、とにかく急を要する。あったかいカップで手を温めながら珈琲をすする。向こうの方に坐っているカップルが食べているパフェが目に入るだけで寒さがぶり返しそうだ。

 
 宿は郡山に取っている。磐越東線を使うつもりだ。時間は多少ある。いわきでは最初から書店を拝見しようと思っていた。いわゆる震災関連本をどのように陳列しているのか、を知りたいと思ったのも、今回出かけた目的の一つだった。そういえば、開沼博さんの地元でもある。ヤマニ書房さんではずいぶんと力を入れておられた、とのお話を伺ったことも頭の片隅にあった。いわき駅近辺に複数出店されているようだが、行ける範囲だけと思い、携帯で検索してみるとこの建物の中にもある。まずはこちらを拝見してから、本店に向かう。


 通りのあかりもまばらだが、飲食店のあかりはそれなりに灯っていて、なんとなく「よさげ」だなあと観光気分丸出しな気分で本店にたどり着く。入口にほど近い棚で震災関連書を陳列しておられるが、まずはひととおり拝見しようと1階・2階をゆっくりと回る。赤本の問い合わせが入っていたり、いくつくらいの男の子だろうか、たぶん未就学だろう、どこか別のところで見かけた本を探しているらしく一生懸命店員さんに説明しようとしている。その姿を見守るお母さん。ふと、大昔に何度か足を運んだ旭川の富貴堂さんのことを思い出す。


 いよいよ震災関連書の棚をじっくりと拝見する。僕も書店員の端くれであるから、ある時点だけを切り取って拝見して何かを云々出来るとは思っていない。意図して置いた本が売れてしまってない状態もあれば、とりあえず配本されたから置くという場合もある。顧客との不断のキャッチボールが続いているのであり、継続的に拝見することが難しい場合、瞬間を切り取るだけでは足りず、その瞬間から前後を想像しなければならない。そのお店をご利用のお客さんのニーズと、それに応えようとする書店員の発注と陳列。その両方の様子をただただ想像しながら棚の前をうろうろする。勉強させて頂いた。


 お店を出る前にもう一回りしようと雑誌の棚を通った時、「世界」の3月号が目に入る。そういえば今月号はまだチェックしていなかったな、と表紙を見る。湯浅誠さんの名前があるではないか。見かけた時が買い時だと思い、購入。普段袋もカバーも不要と伝えることが多いのだが、今回は袋に入れて頂くままにした。


 郡山に向かう電車にはまだ間がある。ラトブからやって来る道中で見かけた喫茶店に入る。いかにも地元な感じがしていい。女子高生だろうか、これもまた何人かでパフェにかぶりついている。その奥には孫にパフェを食べさせている祖父母。なんだか自分もパフェにしなくちゃまずそうな気分になるものの、まだ身体に冷えが残っているので我慢。ロシア・ティーを頂くことにする。ジャムだけかと思ったらウォッカも少し添えられていて有り難い。カップをすすりながら早速ヤマニさんの袋を開ける。買いたての本を近所の喫茶店で袋から取り出す……ずいぶん久しぶりの行為だが、なんだか楽しい。


 その楽しさは、よい意味ですぐさま裏切られる。いや、ある種の興奮に昇華した、というべきか。湯浅さんの論文「社会運動の立ち位置――議会制民主主義の危機において」は、おそらく個別の用語を除けば、言い回しに難解なところはひとつもない。だが、難しいことを言っているように思える。たいせつなこと、と言い換えてもいいのかもしれない。もう何度か繰り返して読まなければならないだろう。


 だいぶん身体があったまってきたのは、暖房のせいかウォッカのせいか。喫茶店を出てちょっとした食事をとり、駅へ向かう。駅ビルはもう店じまいだが、JRのコンビニは開いていて、なんからしいものが欲しいなと「じゃんがら」なるお菓子を少しばかり購入。ホームで入線を待つ間に早速ひとつ頂く。美味い。


 郡山へ向かう磐越東線の車両には、進行方向に向かって左側の席に陣取る。外は真っ暗で何も見えないだろうけれど、せめて里山喫茶「燦(きらら)」のある方を、眺めておきたいと思ったのだった。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-13 22:10 | Comments(0)

強風の広野

 半ば逃げるように、出かけることを決めたのだった。予定らしいものはそれなりに考えていたのだが、行きあたりばったりでいいや、とも思っていた。案の定、寝坊したせいでいきなり予定を大幅に変えた。

 
 常磐線で行ける所まで一度は行こうと思っていた。なぜそう考えたのかは判らないが、ある時期からただそう思っていたというほかない。特急を使えば早いものだ。上野からいわきまで2時間くらい、そこから広野まで約30分。行ってどうこうするわけでも出来るわけでもない。無礼は承知である。自分でも何が何だか判らない。


 いわきと広野のあいだの電車は、約2時間おき。その間、ただ歩き回るつもりだった。風がむやみやたらに強く、寒いことこの上ない。北国生まれなのでそれなりの準備と耐性はある。だからこそ、風が怖いことも知っている。かなわない。時折砂埃が目に入る。

 
 とりあえず、駅前を出て道沿いに南方面に少し行くが、振り向いて北側に向かう。ありとあらゆるお店がしまっているように見えたのは日曜日だったからだろうか。一応本屋さんらしいところがありそうだと下調べはしておいたのだが、閉まっている。それがいつの頃からなのかは判らない。北に向かって走っていく車が見えた。その先には大きな白い煙突が見える。火力発電所のものだろう。


 人の姿はあまり見えなかったが、駐車場で防護服姿の二人が車に乗り込んでいるところを見た。これからどこかに向かうのだろうか。

 
 海の方へと向かう。津波が押し寄せた区域なのだろう。更地になっているところが多いが、取り壊しきれていない家々もある。崩れたのであろう堤防が土嚢で埋められている。その隙間をこっそりとぬけて海辺に出る。風は強いが、堤防の下だと心持ちしのげる。波止めがあちこちで崩れているのは津波のせいなのかただ古くなっているだけなのか。波止めを超えて押し寄せる波もけっこうな勢いだ。海沿いに北の方を見ると、火力発電所の設備だろうか、大きな建物や堤防などが見える。その向こうには……。


 あまりに風が強く、駅に戻る。かれこれ1時間近くが経過した。30分くらい駅で待っていることにしよう、と決め、別のルートで駅を目指す。更地なのか田んぼなのか判らないところに、白鳥が何羽もたたずんでいた。


 駅に戻る頃には身体が冷え切っていた。そういえば朝から大して口ににしていないと今更気づくがどうしようもない。自販機の缶入りスープで腹の虫をやしなう。駅の待合室は暖房がない。風をしのげるだけ有り難い。駅員さんが「風の影響で10分くらい遅れます」と声をかけてくれる。10分やそこら、どうということはない。ぼんやりと駅のベンチでたたずむ。プラスチック製のイスと木製の作りつけのベンチは、いかにも寅さんに出てきそうなものだ。

 
 ひとりで坐っていると、何度もパトカーが巡回しているのに気づく。福島県以外のものだ。ある時などはなんだか自分の坐っている待合室をのぞきこまれているような気がして、「いや、何も悪いことはしていないはずだが……。壊れたお宅の中に立ち入ったりとか、そういうことはしていないのだけれど……」と妙に後ろめたい気持ちになる。


 電車の予定時間が近くなってきて、ひとり、またひとりとやってくる。ある年配の方は、水戸からの直通の時刻を聞きに来ていた。ご家族だかお知り合いだか判らないが、何やら通院のためのようだ。もともとはここに住まわれていて、水戸の方に今はいらっしゃる、そんな人がいるのかもしれないなと勝手に想像する。駅員さんから聞いた時間をメモして、帰っていかれた。


 予定の時刻を過ぎても電車は来ない。駅員さんが「40分遅れ」と告げる。待合室には僕を含めて7人。明らかによそ者なのは僕と、カメラをさげた若い男性。ほかには、やや年配のご夫婦、中年の男性と女性が一人ずつ。


 駅にはトイレと自販機があるからか、何やらマイクロバスが数台やってきた。ちょっと休憩して、それからまたどこかに向かうというのだろう。欧米系の外国人の姿もあった。


 40分の遅れ、と言われた時間を過ぎても電車がやってくる気配がない。「1時間遅れ」「途中で徐行運転している」「となりの駅まで来た」「やっぱり止まっている」と少しずつ情報が駅員さんから告げられる。二人ほどは駅を出、僕とカメラを提げた男性と、年配のご夫婦の5人が残った。身体が冷え切って思考が停止する。

 
 16:00だったろうか、町内放送が流れる。ハウリングしてよく聞こえない。数字が聞こえる。何かを伝えているのだろうが、駅員さんはおかまいなしに「今となりの駅を出ました。徐行運転してますからもう少し待って下さい」と声をかけてくれる。あの待合室にあの時いた人間にとっては、少なくとも町内放送より電車の情報が大事だった。

 
 もう信号の変わるところくらいまで電車は来ているそうだ。実に2時間遅れだが、心なしか駅員さんも顔がゆるむ。ホームへの扉が開かれる。「このあたりは風が強いんですか?」と聞くとはなしに聞いてみると、僕より前にホームに出たご夫婦の、ご主人の方が「この季節のこのあたりはねぇ……」と答えてくれる。あたりさわりのないあいづちを打つ僕。


 いよいよ電車が近づいてきたという段になって、さっきとは別の欧米系外国人と日本人の三人くらいのグループがやってくる。写真を撮りたいのでホームに入らせてくれ、というような話。「今電車が入ってくるから駄目」と駅員さんとのちょっとした押し問答。それを横目で見ながら、こうして撮られた写真だったり、こうして為される取材から、僕がメシを食っている本という商品が生まれているのだな、と思ったのだった。それは結局のところどういうことなのだろう。取材も仕事なら押し問答で対応する駅員さんも仕事、本を商うのも仕事……。


 列車は4両。ちょっと言葉を交わせたご夫婦と同じ車両にしようかと思ったのだが、世間話が苦手なのと、話の流れで「何しに来たの?」と聞かれるたりしたらどうしようと勝手に怖がって、別の車両にした。僕一人しかいない車両。貸切状態だわい、と最初ちょっとはしゃいでしまったが、暖房が利いていないと感じてしまうくらい身体は冷え切っていて、ふるえながらただ外を眺めていた。上り電車はスムーズで、ほんのわずかの区間で徐行したり、一時停止をしたくらいでいわきに着いた。途中で乗り降りしたのは、二人くらいだった。
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by todoroki-tetsu | 2012-02-13 20:16 | Comments(0)