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8・27脱原発デモ@渋谷・原宿

 少し疲れが残っていたので迷ったが、結局渋谷に出かけることにした。

 
 渋谷に着いたのが13:20頃。13:00出発予定とあったけれど、このあいだの日比谷公園発のデモはずいぶんと遅れたものだから、今回もそんなもんだろう、とタカをくくっていた。にぎやかな打楽器の音が聞こえてくる。もう出発かな、と思ったら、すでに始まっていた。あわてて高架下をくぐりぬけ、西武百貨店のあたりから合流する。

 
 後方についたつもりが、前半分の後というだけだったようで、振り返るとまたずらっと人がいた。前に渋谷でやった時とコースは多分ほぼ一緒なんだろう。が、あの時に比べると随分と人が多い気がする。


 「一緒に歩きましょう」「何もしないと変わりません!」といった、デモの外の人への呼びかけがずいぶんと多かった。ビラを配っている人もいたし、あえて歩道で「飛び入り歓迎」みたいな小さなプラカードを持って歩いている人もいた。運営の皆さんには毎度のことながら頭が下がる。

 
 デモの歩き始めの自分の思考は、この間でだいたい決まってきている。映像としては映画「モダン・タイムス」のデモシーンが思い浮かび、BGMはRCサクセションの「明日なき世界」。あとは歩きながら思い浮かんだことで脳内BGMが変わってくる。それは例えば中島みゆきさんの「吹雪」だったりする。不思議と「ファイト!」ではない。


 さて、今日は、泉谷しげるさんの「なぜこんな時代に」が再生された。一人フォークゲリラバージョンのもの。たぶん、何か考えていることとどっかでかかわっているのだろう。


 デモでの僕は相変わらず特に何を口にするでもなくプラカードを持つでもなく、ただ、歩いているだけだ。何かがこれで変わるだろうか? ただ歩いただけで「結果責任」を逃れようとしているだけではないのか?


 「何もしなければ賛成しているのと同じこと。だから声をあげましょう」といった呼びかけもあった。まったくもって正しい。恥ずかしながら僕自身、かつてそういうことを口にしたこともある。でも、本当にそうだろうか。


 運営している方々や地道に活動をされている皆さんを決して軽んずる意図はない、とお断りした上で。「何もしなければ」とか「声をあげなければ」と言う時、果たしてどのレベルの行動が想定されているのだろう、と考える。「デモに参加すること」「署名をすること」といったレベルは当然あるだろうけれど、もっと進んで「デモを運営すること」「署名を集めること」といったレベル、さらに進んで「何としてもやめさせる」といったレベルまでが想定される場合もあるかもしれない。


 だからどうなんだよ、と言われればそれまでだが、最近こうしたことが気にかかり始めている。「あんたはどないしますねん」(小田実)と問われたら、相も変わらず「一人でもそれはやれることなのか? と問うてみて、是と答えられることをまずはやろう」と答えるほかはないのだけれど。ふと、杉田俊介さんがどこかで書いていらした言葉のことが思い浮かぶ。帰ったら本棚をひっくりかえそう。


 歩いている最中、「10メーターでもいいので一緒に歩きましょう」といった呼びかけがあった。これはいい呼びかけだと思った。もちろん、10メーター歩くことだけで事が済むわけではない。その歩いた10メーターを、自分自身の日常にどう落とし込むのか、そここそが重要なんだろう。そうしたきっかけとして「10メーター」というのは実にいいな、と思ったのだった。


 実際、もとから予定していたのかどうかわからないけれど、途中から列に入ってくる人はちらほら見られた。車道と歩道の境界があいまいになるのは面白い。

 
 ゴール地点まで来て、打楽器の大演奏で一応のフィナーレとなる。その一方で、宣伝だかアピールだかも続いている。そこには合流せず、休憩がてらぼんやりと少し離れた歩道わきで集合してくる皆さんを眺める。主催者の方だろうか、「次は9/24に何かを予定しています」とアナウンスすると、僕の隣り合わせにいた数人のおじさんたちが一斉にメモをとって頭をつきあわせる。その筋の皆さんなんだろう。

 
 帰り際にはもう、ちょっとした身の回りの買い物と晩ご飯のことを考えていた。結局降らなかった雨のことを思い、やっぱり洗濯しておくんだったかな、と少し後悔した。で、あれこれ済ませた後にふと、そうだ、杉田さんの言葉を探すんだった、と思いだした。何事もなかったかのように日常に戻ってしまったので忘れるところだった。


 そうそう。どういったレベルの行動が想定されているのか、を考えようとした時になんとなく連想した個所を探すのだった。「国文学 解釈と鑑賞」2010年4月号に掲載された杉田俊介さんの「将来の労働/生存/文化運動を削る試金石――舫いとしての浅尾大輔『ブルーシート』」より。


 浅尾が多喜二やイエスの自己犠牲に自らを重ねる時、彼はむしろ、他者からかつてもらった贈与を返済しているだけのつもりかもしれない。だからそれに終りはないのかもしれない。だがやはり何かが違う。他人の苦しみに同調し、あの人たち以上に苦しまねば真の「左」ではない、という態度は、彼が闘う資本制の悪循環(苦痛のインフレ→死)をなぞるからだ。無節操なゆるしは他者を甘やかし増長させる、と言いたいのではない。他者を生かしながら殺す、と言いたい。しかもしれは無意識に周囲の人間へも贈与の感染を強いるのだ。この贈与の悪循環を断ち切らない限り、多喜二の亡霊を永久に祓えない。



 読み返すと必ずしも直接的な関係はないのだけれど、ヒントが隠れているような気だけはしている。悪循環をなぞる、というイメージ。ここに何かがありそうな気がする。
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by todoroki-tetsu | 2011-08-27 21:06 | Comments(0)

開沼博『「フクシマ」論』を読んで――その二

 『「フクシマ」論』の感想を続ける。


2.「忘却」の問題
 
 これ(原発事故)がもっと早く収束していたら、福島よりも東京から遠いところで起こっていたらここまで騒ぎにはなっていなかった。どうせ時間が立ち(ママ)、火の粉が気にならなくなればニワカは一気に引いていく。(P.11)


 まえがきにあたる「『フクシマ』を語る前に」の言葉。また、補章においても「『忘却』への抗い」という節を設けておられる。

 さて、ではいかにして忘却から逃れられるか。これは自分自身にとっての課題である。「現場」を歩いてみること、自分にとって身近な問題――特に職場/労働――に連関させながら考えてみること、以外に今のところ思いつかないでいる。

 自分は忘れないと思っていても忘れる人間である。ここから出発しなければとだけは思っている。


3.「消費」の問題
 「忘却」の問題ともかかわることとして、言説の「消費」の問題をあげておきたい。これは書店員として、本を売ることでメシを食っている自分自身の生活基盤にかかわることでもある。

 問題はもはや「新規性のない議論」自体にはない。その新規性のない議論をあたかもそれさえ解決すれば全てがうまくいくかの如く熱狂し、そしてその熱狂を消費していく社会のあり様にこそ問題がある。(P.374)


 その「消費」の中で、僕はメシを食っている。自分の衣食住には勿論開沼さんの本を売った利益の一部も当然入りこんでいるわけだ。

 売るためには差別化が必要で、飽きられたと思ったらすぐさま次のネタに飛びつかねばならない。そのネタは必ずしも新しいもの、新刊である必要はないわけだが、この間の原発本・放射線本の「洪水」を見ると「いいよ、もう」となってしまうのもまた事実。かくして即席でなんとか用意したスペースは有象無象の本で埋まり、ごちゃごちゃになって売上を互いに喰い尽くして末期症状となる。名のある人の本ですら、もう勢いはない。こうなると営業する側も売れる/売れないではなく、モロにイデオロギーの話になってくる場合があって、そんなことはもうすでに「蟹工船」だの「資本論」だののブームの時に経験済みである。

 僕はボードリヤールが好きではない。が、こうなってくるとまあ、それなりに正しいんだろうなとも思えてくる。何よりも「差異」を求めているのが自分であることに気づく。

 もちろん、こうした混乱の中からロングセラーとなり得るものを見つけ出す作業を怠るつもりはないし、今の議論を別の議論や過去の議論に結びつける努力も、しんどいけれど楽しいことであるし、少しずつではあるがやってもいる。けれど、それでも「消費」過程の小手先の一部分でしかないだろうとも思うのだ。

 さらに言えば。自分は「著者」を食いつぶしているのではないかという思いもある。最終的に財布を開くのはお客さんなんであって……という言い方は出来るし、それは相当に正しいのだけれども、「著者」を自分勝手にある時は持ち上げ、ある時はこきおろし、そうすることで「差異」を演出しているのではないか。それがイヤだということもあって、ある「若手批評家」が持ち上げられた時には見向きもしなかったのだが。やたらとその著者を持ち上げる同僚に、「10年後その著者の書いた本を自分はどう売るつもりか考えているのか」とそれとなく聞いてみたことがある。質問の意味は、ついに理解されなかった。

 もとから著者さんとの接触は極力避ける人間だ。出来ることなら社交辞令もご免こうむりたい。商いの切っ先が鈍ることもあるし、何よりこちらは売れるか売れないかが勝負である以上、もしその著者が売れなくなってしまったらそれでおしまいなのだ。こちらは内容ではなく、実売数だけが頭に入っているのである。そのかわりといっては何だが、多少なりとも機会のあった著者さんについては極力執着して追う覚悟はしている。すべてにおいて無意味に多く部数を仕入れるという意味ではなく、どうすればより売れるか、そのために自分自身に出来ることは何かを志向し続ける覚悟。そしてさらに場合によっては著者さんへの苦言を呈することも辞さぬ覚悟。実際にそうするかどうかは別であって、あくまで覚悟の問題。

 今は『「フクシマ」論』には多少なりとも力点を置いて売っているつもりではあるし、少なくとも数年程度は定番書として売れていくだろう。では、次に開沼さんが何かをお書きになった時、自分はどうするだろう。僕はまだその覚悟を決められないでいる。

 ここには「言葉の商品化」とその流通過程にある「書店(員)」の問題がある。それはまだ、僕にはうすぼんやりとした問題にしか映っていない。それをいかにクリアにしていくか。

 著者には著者の覚悟がある。書店員には書店員の覚悟がなければならない。読みながら考えていたことの一方は、そういうことであった。
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by todoroki-tetsu | 2011-08-19 11:58 | 業界 | Comments(0)

開沼博『「フクシマ」論』を読んで――その一

 もう何冊目になるのか数えようともしていないtwitter読書、開沼博さんの『「フクシマ」論』にした。タグは #fukushimaron 。日本語のタグも使えるようになったと知ったのは読み始めてからだった。

 出た当初は「フクシマ」というカタカナ表記がどうにも気に入らず、手に取る気にならなかった。しかし、やはり何かしら自分も足を運ばなければならないと感じて、『津波と原発』とともにしょうがなく購入したというのが正直なところ(ついでながら、佐野眞一さんも僕はあまり好んで読まないほうである)。

 ところが読み始めるとこれが意外に面白く、荒削りな部分ももちろんあるだろうが、問題意識の塊がぶつけられてくるようで非常にスリリングであり、また自分自身の考えていることなどとあわせてハッとさせられるところも多くあった。個別にはtwitterで記したので、論点を絞って自分なりの感想を記すことにしたい。


1.「内へのコロナイゼーション」
 P.325-8に整理された記述があるが、全篇を貫き通しているといってよい。用語にかかわる部分だけ引いておくと、「ここでいう『コロナイゼーション』とは、成長に不可欠な種々の資源や経済格差を求めて『植民地化』を進めていく過程」(P.326)である。

 1945年までの対外膨張的な植民地主義が、国内に向かって行く過程。その中に福島が、いや「地方」があった、ということ。これは極めて重要である。読みながら上原專祿を常に想起していたのだが、あらためて上原自身の言うところを引いておきたい。著作集14巻『国民形成の教育』に収録された1963年の講演録、「民族の歴史的課題と国民教育の任務」から。

 ところで、現在、日本には、今私が申しましたような地域認識の方法とはたいへん違った地域認識の方法というものが、権力、独占資本の側で形成されていると思うのです。それはどういうことかというと、地域における産業、地域における教育、別の言葉でいえば、「生活」の実際というものに即して、産業の問題や、教育の問題を考えてみて、そのような諸問題の有機的な複合物として、日本全体の産業や教育の問題を具体的に考えて、問題の解決をはかるのではなくて、中央の権力、その権力をバックにしている独占資本、そういうものの利益を追求していくという角度から地域を眺めて、地域というものを、そのような権力や独占資本の利益を実現していくための手段にしていこうとする、そういう見方や考え方のことです。こういう見方や考え方のもとでは、地位のもっている問題の具体性、問題の現実性というものはかえりみられないことになり、地域というものは、中央にとっての、利益追求の手段としてのたんなる「地方」というものに抽象化される。つまり、中央の権力や独占資本の考えていることは、地域を地方化していこうとすることなのです。(P.353)


 『「フクシマ」論』の見地からすれば、おそらくこうした物言いは地域の側の「能動性」を見ていないという点で批判の対象となるだろう。私もそう思う。しかし、そう簡単に切り捨てられそうにもない。汲みとれる何かがまだ、ある。
 
 地域は、日本民族の生活、日本民族の仕事がそこで具体的にいとなまれ、具体的に展開される場であると考えられます。地域の問題はその意味において、ことごとく民族の問題であると言ってよい、と思うのであります。(P.359)


 地域の問題は民族の問題である。では、民族の問題とは何か。それはとりもなおさず平和の問題であり、独立の問題である……そのように論は進んでいく。上原は別のところで、①平和の問題、②独立の問題、③民主化の問題、④貧困の問題の4つを「現代」の課題として捉え、さらにその中でも②独立の問題に課題を凝集させる認識を示している(「民族の独立と国民教育の課題」、P.39-61)。

 地域の問題から民族の問題、そして独立の問題へ……荒削りな連想ではあるが、ここからより具体的なイメージをつかみ取ることは出来ないだろうか。すぐさま思い浮かぶのは『吉里吉里人』だが、ここでは廃する。今一度、上原の言葉に耳を傾ける。

 全人類の問題というのは大げさだ、というかも知れませんが、人類中のある部分が他の部分を抑圧している、そのことをもって、そういう事実をそのままにしておいて、人間が人間を人間らしく扱っていく人類社会ができつつあるのだと、どうして言えるか。(略)これは抑圧されている側の問題でありうるだけでなくて、意識的、無意識的に抑圧をしつつある、独立をさせない、自由を与えない、平等の状態を与えないでいる、そういう人たちにとっても問題なのであって、そういう独立しない国々、自由や平等が享受できない国々、そういう人たちというものを、この世界に存在させておいて、人間の尊厳などということが、人類の尊厳などということが、どうして言えるのか、人間は人間の尊厳ということを、皮肉でもなく、反語でもなく言えるような、そういう現実になりうるためには、どうすればよいかという、全人類的な問題であって、そのような問題が地域において具体的な形をとって出てきているのだと思うのであります。(P.370)


 ここでさらなる補助線を引く。雨宮処凛さんのいう「必ず誰かが犠牲になる社会は嫌だ」(『ドキュメント 雨宮☆革命』)。

 誰かに抑圧される、誰かの犠牲になるのも嫌だし、誰かを抑圧し、誰かを犠牲にするのも嫌だ――そう考えてみた時、果たして「フクシマ」は自分にとってどのような課題と認識されるか。

 おそらく、労働・職場の問題と言う観点は外せないだろう。twitterで僕はこう記した。

 朝鮮人労働者の証言とその後追いはさらに続く。「植民地的主体性」を持った人物=京大出の朝鮮人に行わせた「統治」(P.339-342)。ここでもまた自分の職場のことが思い起こされる。契約スタッフの一部を「主体化」させ「統治」することは僕の日常としてある


 ひょっとするともっとシンプルに考えてもいいのかもしれない。が、課題は何重にも複合しているようにも思える。が、「内なるコロナイゼーション」と自分自身が無縁でないことだけは、おそらく真実だろう。
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by todoroki-tetsu | 2011-08-19 10:09 | 業界 | Comments(0)

2011年8月12日「毎日」朝刊

 3月12日から後、しばらく新聞をほとんど読まない日々が続いていた。手に取りはするし、見出し程度はざっと見るのだが、恐ろしいものを見るような気がした。全く読まないというわけではなかったけれども、それには多少なりとも覚悟を要した。甘っちょろい話だと我ながら思う。ちなみに職場の大先輩は普段と変わらず複数の新聞を丹念に読み込み、何が話題になっているのか、それはどんな本に結びつくのか、と目を光らせていた。この大先輩を仰ぎ見る時、僕は中島敦の「名人伝」をつねに想起する。

 
 さて、何とか以前のように新聞を読めるようになったのは6月を過ぎてからで、7月に入ってからはそれ以前よりも少し丁寧に読むようになっている。『官僚に学仕事術』などではあんまり新聞を読むことはビジネススキル上推奨されていないのだが、まあ、自分にあったやり方というのがあるものだ。


 今朝の「毎日」には読み応えのある記事が複数あった。そのうち、三つだけを備忘録として記したい。偶然にも原発・津波、そして東京で働く自分自身を考えさせられる記事が並んでいたのだった。


 ひとつめ。「南相馬 避難の保育園児が卒園式」(27面)。市立原町さくらい保育園、とある。グーグルマップで場所を確認し、自分がその脇を歩いていたことを知る。そのとなりの中学校には気づいていたのだが……。


 子どもの姿を見かけない、と歩いてみて感じたことは数字でも裏付けられる。記事にはこうある、「市内では今春、26保育園・幼稚園に2350人が通う予定だったが、現在は7園に400人が通うのみ」。


 ふたつめ。「瞬時の判断 救った命」(15・16面)。見開きの大きな特集。釜石東中学校の皆さんとその地域の方々の様子。地図と時間と証言が見事に構成され、いかに「瞬時の判断」がなされたか、が伝わってくる。「おれ、生まれてからここの山崩れるのを見たことなかった」という年配の女性の言葉、それからもさらに高台へと続く避難と助け合い、そして「津波の風」。


 釜石にはまだ行ったことがないので、他の津波被害にあった場所に足を運んで見た光景から類推するほかない。が、「海の方をみてがくぜんとしました。町がないんです」という生徒さんの言葉が、重い。

 
 みっつめ。「帰宅困難 対策が急務」(3面)。「どこまで対応すればいいか判断に迷った」というビル管理会社の副部長さんのコメントに、うなずく。僕はビル管理には責任がないけれども、3月11日当日は、「あれでよかったのか……」とその後になって思ったし、今も時折考える。

 
 あの時はとにかく、一斉退去、がお題目だった。明らかに帰ることが出来ない数人と責任者クラスだけが、店に残った。16:00ごろのことだったろうか。表にでて『帰宅支援マップ』などを販売しようか、いやコピーか何かを無料で配布してはどうか、などなどと「やれること」が何かないかと口々に言い合ったりもしたが、結局何もしなかった。そうこうしているうちに、まったく帰る見込みのないスタッフが少しずつ戻ってきた。


 そんな中、僕はごく普通に事務仕事をこなし、21:00ごろに歩いて帰宅することにした。一応携帯ラジオは持っていたのでそれを聞きながらぞろぞろと明治通りを歩いていた時、「休憩できますよ」「トイレお貸しします」などと張り紙のしてある何かのオフィスや商店を見かけた。ラジオでも、今夜中無料でカレーをふるまうことに決めたというどこかの飲食店の情報が流れたりしていた。「何か自分にも、会社組織を使って出来ることがあったんじゃないか」と思ったのはようやくこの時だった。


 何が出来たか、実際に何が出来るのかは、今もって判らないでいる。ただ、時折思い出したように考えるだけだ。

 
 現場に足を運ぶことはもちろん大事だが、その聞こえのよさを警戒しよう。自分の足元をちゃんと固めてから、とは思わないけれども、最後にはそこに結実しなきゃあやはり、だめだ。


 
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by todoroki-tetsu | 2011-08-12 21:53 | Comments(0)

8.6東電前・銀座原発やめろデモ

 霞が関駅には15:30過ぎに着いた。この界隈に来るのは秋葉原事件の傍聴以来。


 日比谷公園に入ると、何やら大きな音がしてくる。随分と多くの人がいるなと思って歩いて行くと、野音で何かイベントをやっているらしい。集合場所にはそれなりに人が集まっている。まだ早いと思い、噴水のあたりでやっているイベントをひととおり見てからぼんやりとベンチに座る。公園でのんびりぼーっとするのもいいものだ。


 雨がぽつりと降ってくる。天気雨のようだが、少しいやな雲が見える。洗濯物を出しっぱなしにしていたのを思い出す。今日を逃すとしばらく洗濯する暇がない。一瞬帰ろうかと考える。


 16:00すぎ、何やらいろんな人が何かをしゃべっているようだ。ちょっとだけ近寄ってみたが、なんとなく落ち着かないので近くを廻ってみる。歩道には警察官とその車両などが見える。報道関係者だか何だかが「デモには肖像権がない」と口にしながらカメラを向けていて、「そんなもんかなあ」と思いながらそそくさと通り過ぎる。別に写ってもいいが積極的に写されたいとも思わない。まあ、そんなことは知ったこっちゃないだろうが。


 もといたベンチに一度戻り、17:00くらいに出発場所に向かう。わりあいに後ろの方がいいなあ、と思っていたら実際にそうなった。人の流れに任せて車道に出たけれども、ずいぶんと待った。出発したのは17:40くらいであったろうか。「早く歩かせろ」と言っている人もいた。のんびり待っている人もいた。待っているあいだ、音楽が鳴っていたのは僕にとってはよかった。なんとなく間が持った気がした。松本哉さんのMC(?)が適度に入る。
 

 そういえば、このデモは素人の乱の方々が主催なのだろうか。こうしたデモで「主催」というのもなんだかと言う気もするが、当然言いだしっぺと段取りをつける人と実際にいろいろと動く人が必要なことは確かで、そうしたおかげで場がつくられるのは有り難い。もちろん、素人の乱の方々だけではなく、いろんな方がやっていらっしゃるのだろう。


 僕は相変わらず、「一人でもそれはやれることなのか? と問うてみて、是と答えられること」だけをやろうと考えた。相変わらず手ぶらだったし、そして、シュプレヒコールも口にしなかった。ただ、歩いた。ただ、見た。ただ、聞いた。そして少し、考えた。

  
 最初に通りがかった東電本店前で、ひときわ「東電は責任を取れ」といったコールが強くなった。「責任を取れ」という時、具体的には何を指しているのだろう、と考える。お金の問題だけではないだろう(もちろんお金は大事だ)。事故に対する技術的・組織的対応の責任もあるだろう。原発を作れば作るほどどうやらお金が儲かる仕組みだったりもするらしい。そのお金で何とか復興をはかろうとする地域の思惑もあるだろう。結局のところ、政治の問題になると言えば、なる。

 
 だが、政治の問題になるとするならば、そこには政治家がいる筈で、政治家がいるということはその人たちを選んだ人がいるということだ。なんだか公民の教科書のような話だが、でも、そうなのだ。だとすると、選んだのは誰だという話になってくる。自分はその人を選んだ/選ばなかった、とは言える。でも……。


 そんなことを考えているうちに、デモのペースは早くなったり遅くなったりしながら数寄屋橋あたりの大きな交差点に差し掛かる。なぜかここでデモが待機状態になる。交差点待ちの待ちきれない人が突破しようとして警官に誘導されたりしている。少し動き始めると警官は急がせる。それは不当だ、みたいなことを誰かが叫ぶ。僕は道路の向こうにいる人たちを見ながら、「あの人たちがみんなこっちに合流してきたら面白いだろうな」と考えていた、無言で手ぶらのくせに……。

 
 夜も更けてくる。もう薄暮は過ぎた。日生劇場の手前あたりでデモがまた止まる。僕のすぐ後ろにいた苛立った風の男性が「俺は本気で怒ってる! 踊ってる場合じゃない! 音楽止めろ!」と叫んでからシュプレヒコールをやり始める。音楽のせいで割合気が楽だった僕は思わず恐縮する。そういえば口を開いてもいない。バレたらやばいかも(!?)、と少し前の方に移動する。


 そんな自分の情けなさも含めてざっかけなく話が出来る人が、(今この場にはいないけれども)僕には何人かいるなあ、と思った。もう何年も会っていないけれども、そう思える関係性が、たとえ僕の一方的な思い込みであっても存在することは、幸せなことだと思う。


 いよいよデモは終盤に差し掛かる。二度目の東電本店。今度は前にもまして「東電は責任を取れ」といったたぐいの言葉が熱くなる。一番最後のかたまりのちょっと前に僕はいたのだが、東電前で最後のかたまりの皆さんが立ち止まり、警官が何とか前に進めようとしていた。小競り合いとまではいかなかったようだが、少し緊迫した。


 「責任」についてまた考える。あそこまで叫ぶことが出来るというのはよっぽど真剣に考えてのことだろう。露わな感情を前にするとかえって冷静になるというのはよくあることだが、それ以上に「どういうことだろう、これは」と思う。「おはかにひなんします」と遺書を残して自死した南相馬市の女性は、遺書から判断する限りあきらかに原発事故を苦にしていた。その意味では東電に責任がないとは全く思わない。しかし、原発を作ったのは東電も含めたみんなではないのか、みんなで話し合うべきではないのか、という小学生の問いかけもまた、正しいと思う。


 井上ひさしさんの『ムサシ』を唐突に思い出す。小太刀の刃を自分に向けていると言えるのか、などと殊勝なことを考えてみたりもしたのだが、手に負えなくなりそうですぐやめる。ふと見上げると、月が雲にうっすらと隠れている。洗濯物のことを思い出す。

 
 デモ本隊に半ばはぐれたような格好になってしまったが、おまわりさんが誘導してくれたのですぐ追いついた。新橋駅前で、デカい宣伝カーの上からいろんな人が手を振っている。みなさん、いい笑顔だ。


 ここで終点かと思いきや、「解散場所はもっと先ですよ」とのおまわりさんの声。ああそうかと道なりにくっついていく。最後の公園にたどり着いた時、「君たちのデモの解散場所はここ、プラカードなどを下ろして帰りなさい」みたいなことを偉そうに言っている警官がいて、これが今日官憲にカチンときた唯一の瞬間。


 新橋駅前では集会らしきものが催されていた。色んな音が奏でられてもいた。割合にいい雰囲気のように見えた。警官に取り囲まれながらも、宣伝カーの上からは広場の外にいる人に向かって呼びかけているような声がした。その声を聞きながら、その場を立ち去った。


 結局また、ただ歩いただけに終わった。それはそれでいいだろう、と思う。考えはまだよく、まとまらない。洗濯物はほんの少し夜の湿気を吸った程度で、安心した。
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by todoroki-tetsu | 2011-08-06 22:50 | Comments(0)