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秋葉原事件:傍聴について

 今回中島岳志さんの『秋葉原事件』(朝日新聞出版)をtwitterで読むにあたって、一部を除いて極力自分が傍聴した数回の経験を括弧に入れておこうと思った。大多数の人は傍聴したことがない以上、貧弱な僕の経験を入れ込もうとしたところでどうしようもあるまい、と。


 しかし、やはりどこかにはにじみ出ているだろう。本来は最初にちゃんと記すべきだったのかもしれない。どこか「アンフェア」だっただろうか、という気がしている。そう思う気持ちもそれはそれで謎なのだが。


 そこで、傍聴メモを引っ張り出してみた。まず、僕が傍聴したのは下記。


1)2010年7月30日(午前中のみ)
→弁護人からの被告へ。事件当日の状況について

2)2010年8月3日(丸一日) 
→検察側からの被告へ。事件直前から当日までの経緯について。

3)2010年10月5日(夕方短時間)
→精神鑑定請求の可否に関わる裁判官の判断について。

4)2010年12月15日(丸一日)
→弁護人が申請した証人(精神科医)への尋問。


 何度も何度も行われたであろう公判の、ほんのわずかである。『秋葉原事件』を読んだ後に改めてメモを読み返してみて、例えば「やり直し」という点に少し力点を置いてみたりしたのは、彼自身が両親の離婚に触れた折に発した言葉(8月3日)に影響されていたのかもしれない、とも思う。読んでいる時には自覚していなかったのだけれど。


 また、調書の記述を巡って行われたやり取り(7月30日、8月3日)では、「言葉」への被告のこだわりが見られる。僕は自分のメモに「『言葉に敏感(過敏)』。『事実』へのこだわり(『言葉』と同義か?)」と記していた。多分そんなことも、読みには影響しているだろう。

 
 メモをとりながら、赤で印を入れていた部分がいくつかある。そのうちの一つだけをあげておきたい。これも8月3日のこと。検察から「(秋葉原の)事件を模倣したと思われる事件についてどう思うか?」と聞かれ、彼は「私の事件がきっかけとなったとしたら残念。被害者や遺族の方に申し訳ないと思う」という趣旨の発言をしている。

 
 細かい一言一句はメモしきれていないが、彼は、はっきりと「私の事件」と口にした。この流れで事件が与えた社会的影響について問われた時にも「私の影響だとしたら申し訳ない」という趣旨のことを述べている。これもまた一言一句はメモしきれていないが、「私の影響」と口にしたのは間違ない。僕はこれらの「私の」の部分に赤で印を入れていた。


 どこか自分のことを語っていても第三者が論評しているような、そんな印象を彼から受けていたのだろうと思う。その彼が「私の事件」という言葉を発したことに、僕は反応してしまったようである。その反応が的外れなものかどうか、あるいは何か意味のあることなのかは、やはり判らないままだ。


 ごくわずかな傍聴から受けた印象はまだあるが、これだけにしておこう。これらをもっと適切に言葉に出来る人が、中島さんに加えて少なくともあと一人は確実にいる。


 いつまでも待とう。


 それまでの間、自分への問いを繰り返し繰り返し、自分自身を鍛えておこう。
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by todoroki-tetsu | 2011-05-24 06:59 | Comments(0)

筆名≒ハンドルネームとリアル

 『秋葉原事件』(朝日新聞出版)の直接の感想というにはあまりに私事に引き付けすぎている(の割にはさんざ書き散らしているが)気がしたので別立てにする。彼はハンドルネームを職場の仲間には絶対に話さなかったという(p.138)。そのことにかかわっての連想。


 僕はこのブログやtwitterでは筆名であれこれ記している。大昔に一度雑誌投稿論文に使った筆名をそのまま用いている。リアルの僕は自分の筆名を自ら口にしたことがあるのは極めて少数である。多分、いって3人までだろう。本当には、ごく近しい関係の人しか知らないはずだ(と信じている)。その意味ではウェブとリアルを切り離しているつもりでもある。まあ、こざかしいことなんだろうが。
 

 状況証拠からある程度の見当はつけられるのだろう。あるいはうっかりとウェブ上の操作ミスで、あるいはIPアドレスまでどっかでオープンになっていて(?)、リアルの僕に面と向かって筆名であれこれ記したことについて言われたりすることもある。目くじらを立てて否定するのもどうかと思うが、積極的に肯定する気にはなれない。自分が身元を明らかにした相手からであれば勿論別だが、だいたいにおいてそうではない。「ギョッとする」(『寄生獣』)のだ。

 
 そんな時はあいまいにしてなるだけ早くその場を逃げることにしている。今のところそうやって逃げてきて何とかなっているが、どうにもままならないことが起きたらどうしようかとも思ったりする。シラを切り続けるか、どっかで開き直るか……。そう考えると不思議なもので、たかが筆名と思っていても、それなりに続けていると容易に捨てられもしないもんだなとも思う。


 特定されることは大事だが、リアルな自分とは結び付けられたくはない。一応自分でも切り分けているつもりではある。しかしそれ両者が不意に、結び付けられてしまった時の何ともいえない感覚。


 これは「なりすまし」でも「あらし」でもなんでもない。どっちも自分だから。彼の経験とはまったく違う次元であるかもしれない。けど、この感覚を手がかりに自分なりに何かを考えられそうな気がする。


 今は昔ほどひがみっぽくは(相対的に)なくなってきたが、そう大した面識もない人からあたかも「お前の正体は知っているぞ」と言わんばかりの態度、僕が口にしていないにもかかわらずさもそれが当然のように話が進められていく時の奇妙な感覚は、ちょっとした被害妄想をこじらせるきっかけには十分になる。
  

 しかし、そう悪いことだけでもなくて、本当に心配をしてくれる人がいたりもするから有り難くもあり(これは皮肉な意味ではまったくない。本当に助けられたことがある)、また申し訳なくも思ったりする。


 何とも不思議なものだ。複数の人格を使い分けているように見えても、結局はひとつの肉体に全て跳ね返ってくるのだ。


 もう一遍『俺俺』を読み返そうか、いや、「ゲンセンカン主人」か……。
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by todoroki-tetsu | 2011-05-22 20:59 | Comments(0)

中島岳志『秋葉原事件』を読んで(その二)

 続けざまに感想を書き散らす。


3.「代替可能なリアル、代替不可能なウェブ」
 p.149にある言葉だ。読んでいけば「そういうこともありうるかもしれない」と思えてくる。

 彼はリアルな世界でいろんなことから逃げてきた。しかし、新たな職場である程度は適応できる程度の能力はあった。確かに厄介でキレやすい存在ではあったろうけれど。

 すぐさまこう思う。リアルの世界で逃げて新たな場を見つける力を、なぜウェブの世界でも生かせなかったのだろう、と。迷惑行為ともとれることや自虐ネタを繰り出す以外の、何か別の方法を模索出来なかったのか、と。

 しかし、それは短絡にすぎる。中島さんは、「『ネタ』を繰り出す『ベタ』な自分への承認こそ、彼の生を支える重要な要素だった」(p.148)と記しておられる。

 そう思っている以上、もはや他者からは何も言えない。そんな思いと、でもやっぱり……という思いとが読みながら、また読み終えても、錯綜している。

 まず、リアルとウェブの区別をいったん自分の中で切り離してみる。どちらも優劣のつけがたい居場所であると考える。「物質的条件」は確かに職場にあるだろうが、それだけで生きているわけでは当然ないのだから。どちらも等価だ、といささか乱暴にいったんは決めつけてみよう。


4.「友達がいるのに孤独だった」
 その上で、「友達がいるのに孤独だった」(p.230)とはどういうことか、と想像してみる。

 事件から一週間後、僕はたまたまラジオで太田光さんの言葉を耳にした

 
 孤独なのは決して自分だけではない、そんなメッセージを、彼が、どこかからか受け取ることが出来ていれば、あそこまでのことはひょっとすると起きなかったかもしれない。それは何も聖書などという大層なものでなくてもよいだろう。彼が好きだったというアニメのほとんどを僕は知らない。そこにメッセージどんなメッセージがあったのか、あるいはなかったのか、も判らない。

 私事ではあるが、僕は『銀河鉄道の夜』に幾度となく救われた。それは、小学生の時の本当に偶然の出会いに端を発している。

(ああほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろさうに談してゐるし僕はほんたうにつらいなあ)


 だからどうというわけではない。けれど、自分と同じような寂しさを感じる瞬間が他の人にもあるのだということ。それを知るだけで、「涙を拭くハンカチ」(鴻上尚史『リレイヤーⅢ』)にはなる。
 
 しかし、それでもやっぱり傷つけること/傷つけられることは、ある。それはつらいことだ。本当に自分にとって必要だと思われる言葉を発した時、他ならぬその言葉が、かけがえのない他者を傷つけてしまうことが、ある。その逆ももちろん、ある。
 
 僕自身、そうした傷つけあいの中から関係性を作りだしていくことができた経験が、ほとんどない。悔やんでも悔やみきれないと思いつつ、それならそれでしょうがないか、とあきらめてもいる。

 あきらめられるのは、ジョバンニの言葉を「ハンカチ」に出来るからだけでなく、「やり直し」がひょっとすると出来るかもしれない、とどこかで信じているからでもある。「やり直し」というイメージを抱いたのはそのせいかもしれない。該当する部分を再掲する。

 中島岳志さんの『秋葉原事件』(朝日新聞出版)、第3章「掲示板と旅」に入る。「加藤が望んだ環境は、特定少数の人間の中で、彼が彼として認識されることだった。ネット上のハンドルネームによって『特定された存在』であることが重要だった」(p.97)。ここはキーポイント。


 ふと第2章の終り近い部分を思い起こす。「家族のやり直し」を考えていた時のこと。時系列は前後するのだが、この「やり直し」と、特定少数間でのコミュニケーションにこだわった彼の姿がなんとなくダブってくるように思われる。何かをやり直し、あるいは取り戻そうとしていた?



5.「やり直し」と「明日なき我等」
 そしてこの「やり直し」をイメージする際、ある曲がずっと頭の中で鳴り響いていた。中島みゆきさんの「明日なき我等」である。アルバム収録版もよいが、「夜会VOL.10 海嘯」のものが素晴らしい。

 歌詞をご覧いただければ判るように、明日への希望を歌ったものでは決してない。むしろ、絶望だといってよい。それでもなお……そこに哀しみがある。だけど、その哀しみを突き放すことはしないし、出来ない。そんな風に聴こえる。

 そう、どこかで「自己と対峙」(『秋葉原事件』、p.228)しなければならないのだ。でも、それはいっぺんに、一気にでなくていい。少しずつでいいじゃないか。

 しかし、そんな思いは見事に、完膚なきまでに打ち砕かれる。twitterでも記したけれども、「バンプ・オブ・チキンの『ギルド』」(p.191-194)のセクションがこの核心をついている。ぜひとも多くの方に読んでいただきたいと改めて切望する。


6.補助線、そして再び……
 
 読めば読むほど、考えれば考えるほど、判らなくなってくる。そして僕のような素人が「判らない」などと記してみたところで失われた命、傷つけられた方の心と体が元に戻ることはない。それでもなお、わかりやすい言葉で言い切れない何かがあるという思いがぬぐえない。

 唐突な補助線を引いてみる。


 数えて「四万二千三百余りなんありける」京の死者の腐臭は、御所の中にも当然達していた筈である。しかし、如何なる意味においても、現実は芸術に反映することがなかった。長明のように生者の眼によって現実が直視されることがなかった。何故か? 現実を拒否し、伝統を憧憬することのみが芸術だったからである。
                          堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)、P.218


 もちろん彼はまったく現実から遊離したわけでなく、現実の延長線上で「ネタ」を繰り出していた。その意味ではこの補助線は的外れだろう。しかし、拒否することもまた現実に対する態度であると考えてみたらどうか? 「死者の腐臭」という生生しい現実を拒否する芸術のことを考えれば、彼の「文学」は十分ありうると思わせる。いや、中途半端だとすら思えてくる。

 そう、彼はもっと現実を拒否する「文学」を突き進むことも出来たかもしれない。誤解を恐れずに言えば、「妄想」の世界に生きることも出来たのではないか。しかし、そうするにはあまりに彼は自分の「生身の肉体」にこだわっていたように思う。リアルでもウェブでも「人格」は使い分けられるが、肉体はひとつしかない。ある種の「恐慌」を連想する。


 ここで問いは再び最初に立ち返る。

 彼は何を、どのように食っていたのか?

 食うための糧を得る「職場」は、彼にとってどのようなものであったのか?

 この二つを自分自身にたたき込みながら考えるしか、今のところ僕には道がなさそうである。
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by todoroki-tetsu | 2011-05-21 23:40 | Comments(0)

中島岳志『秋葉原事件』を読んで(その一)

 中島岳志さんの『秋葉原事件』(朝日新聞出版)を僕が入手したのは、3/19だった(改めて調べ直してみた)。比較的早い段階で通読したと思うのだが、どんな気持ちで読んでいたのか、もはや覚えていない。たかが2か月前のことなのだが。
 
 これではいかん、と思ったかどうかは自分でも判らないのだが、twitterにて再度の通読を試みた(ハッシュタグ #AK_jiken)。この本については既に批評の言葉も提示されており(「すばる」6月号における杉田俊介さんの書評、「週刊金曜日」4/1号における中島さんと大澤信亮さんとの対談など)、今更素人が感想を書き散らしてどうなるものでもない気がする。が、読んでみて自分なりに思うところもやはりある。順不同で記してみる。

1.彼は何を、どのように食っていたか?

 ……彼の部屋には大手ナショナルチェーン牛丼店の空き容器がいくつもあった。この牛丼店は、彼の自宅とJR裾野駅の間にあった。彼は、この店をよく訪れたが、店で食事を取らず、家に持って帰ることが多かった。
                                                (p.138)

 加藤は、秋葉原の裏路地まで熟知していた。また、慣れた様子でメイド喫茶に入っていき、「これだけは食べてほしいんだ」と言って、メイドがケチャップでイラストを描いてくれるオムライスを注文した。
                                                 (p.140)


 気にかかった、「食」に関わる部分をいくつか引いた。メイド喫茶のオムライスは食事を楽しむというよりは、ある種のイベントの楽しみだろうと思う。ここを除けば、あまり誰かと何かを楽しく美味く食ったという姿がイメージできないのだ。実際にそうであったのかどうかは判らないが。

 ここで『俺俺』の表紙に使われた石田徹也さんの絵を連想するのはさほど突飛ではあるまい。牛丼店というつながりということだけではなくて、重要な楽しみとなり得る日々の食事が「燃料補給」でしかなかったとすれば、それは肉体にも精神にも影響してくるだろう。

 そしてさらに。「食うこと」を突き詰めて考えていくことで、何か違った可能性を見出すことは出来ないだろうかと夢想する。例えば杉田さんの「自立と倫理」(『無能力批評』、大月書店)と、あるいは大澤信亮さんの「批評と殺生」(『神的批評』、新潮社)と重ね合わせて読む可能性。それらの言葉を懐手で眺めるのではなく、自分が日々やっている「食うこと」とつなげてみるということ。


2.「職場」という視座
 読み進める中で、何度か「彼と同じ職場にもし自分がいたら」と想像してみた。その一部を再掲する。

 職場を飛び出した彼のところには「ツナギがあった」というメールが届く。「やっぱり悪いのは俺だけなんだよね。……死ねば助かるのに」と彼は書き込む(p.194)。彼と職場を共にしていたらどうだろう。面倒くさい厄介者だと僕なら思う。アパートに先回りなんてしない。

 つまり、この部分に限って言えば、僕の目には「勝手に騒いで勝手に帰った厄介者」としか映らないのだ。職場の関係性から排除してしまえば、僕の目に入らなければ、それでいいや、と思う。ましてアパートにまで行ってやったのだったら後は知らん。「自己責任」がこれで出来上がる。

 所謂「自己責任」論は否定的なつもりではあるが、「彼と職場が一緒だったら」と具体的な状況を想像をしてみると、「自己責任」的な物言いが顕在化してくることが自覚され、何とも自分自身にもやりきれなさを感じている。


 昨夏、まだ傍聴に出かけたことのない時に事件について書き散らした時にも、職場について少しこだわってみたことがあった。この時の感覚は中島さんの本を読んでみてより一層強まっている。端的に言って、「自分を問うこと」(大澤信亮)というのは、今の僕にとっては「職場」に引きつけて考えてみることなのだと思うのだ。
 
 中島さんは「あとがき」でこう記しておられる。
 事件の動機を『ズバッ』と単一のものに限定しないことにフラストレーションがたまったかもしれない。
 しかし、加藤の切実さを理解するには、この長さが必要だった。彼の体をすり抜けた時間を共に体感する必要があった

                                                (p.238)


 書き手のこうした思いに共感するのであれば、読み手としても何らかの方法で「共に体感」するように努めたい。そう思う。僕にとっての「体感」の方法は、「職場」を媒介にして考えることだ。
 
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 少し「方法論」(?)みたいなことに、ひょっとするとなっているかもしれない。もう少し別の観点からの感想を、エントリを改めて記してみます。

 
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by todoroki-tetsu | 2011-05-21 20:42 | Comments(0)

渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」

 仕事の関係もある。漫画版「ナウシカ」に着手していることもある。どうせ感想を記すなら順繰りにやっていこうとも思った。しかし、多分、今記さなければならないだろうとも思う。


 報復は命の「等価交換」であろうか……。そんなことを思いながら、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を読みなおす。ちくま日本文学全集版の「渡辺一夫」、ならびに岩波文庫『狂気について』に収録されているが、この間読んできた前者にそってメモしていく。タイトルの「寛容」には「トレランス」、「不寛容」には「アントレランス」とルビがふられている。

 
 ちょっとした前置きからすぐに、渡辺はこう記す(P.302-3)。


 ……僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきでない、と。繰り返して言うが、この場合も、先に記した通り、悲しいまた呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になった例が幾多あることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はしている。しかし、それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪わしい人間的事実の発生を阻止するように全力を尽くさねばならぬし、こうした事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばならぬと思う心には変わりがない。



 当たり前のこと、通り一遍のこと、お題目を唱えているようにはまったく思われない。それは渡辺の他の文章を読んできたからでもある。しかし、この短い数文の中だけでも、人間がどうしようもなく「悲しく呪わしい」ことをやってしまうものだ、という渡辺の痛切な認識を感じさせる。温和な言葉の奥底にある凄み。


 行論中、必ずしも本題ではないのだろうが、興味の惹かれる個所がある(P.305)。


 ……普通人と狂人との差は、甚だ微妙であるが、普通人というのは、自らがいつ何時狂人になるかも判らないと反省できる人々のことにする。寛容と不寛容との問題も、こうした意味における普通人間のにおいて、まず考えられねばならない。



 「反省」が出来なければ、普通人ではない! これだけでも十二分に内省を迫られるのであるが、先を急ごう。続いては秩序の話(P.306)。


 ……これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当る人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を紊(みだ)す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果して永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を紊す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。



 では、寛容と不寛容がぶつかってしまった時、どのような様相を呈するか(P.307)。


 寛容と不寛容が相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものである(以下略)



 「最低の暴力」とは何だろう? なぜだか『寄生獣』における新一と後藤の最後のたたかいを連想してしまったのだが。また、ここで渡辺が「寛容の武器」として説得だけではなく、自己反省を挙げていることを注意しておきたい。先にあげた「普通人」の話もここでは絡んでくるだろう。


 ここで渡辺らしく、話はより古典的になっていく。ローマ社会と初期キリスト教を例にとり、寛容と不寛容について掘り下げていく。本来寛容であったローマ社会がキリスト教に対して不寛容な態度をとったことが重大である、と(P.311)。


 ……本来峻厳で、若さのために気負いに立ったキリスト教を更に峻厳ならしめ、更にいきり立たせたものは、ローマ社会が、自らの寛容を守ろうとして、一時的で微温的なものであったとしても、不寛容な政策を取った結果であるように思えてならない。終始一貫ローマ社会は、キリスト教に対して寛容たるべきであった。相手に、自ら殉教者と名乗る口実を与えることは、極めて危険な、そして強力な武器を与える結果になるものである。



 今改めてこの警句は認識されてよいものだろう。続いて渡辺は繰り返し繰り返し寛容の重要さを説く。楽観的だ、とも言う。それに続く一文(P.320-321)。


 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。



 加川良さんの「教訓Ⅰ」は、ここで想起しておいてよいと思う。 
 

 そして渡辺は、このエッセイの終盤にこう記している(P.321‐2)。


 初めから結論が決まっていたのである。現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々はそれを激化せしめぬように努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、はじめて、人間の進展も幸福も、より少い犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。



 ほとんどもう、すべての大切なことが凝縮されているように思える。


 この文章は、1951年に記されている。ということは60年前。「朝鮮特需」の頃、と附記にもある。その時代がどんなであったのか、今の僕には判らない。しかし、今読み直しても逐一唸ってしまう。渡辺が普遍的なところで問いを立てていたからでもあろうが、それは同時に、人間(と人間が作る「社会」)は60年程度ではそうそう変るもんではないよ、ということでもあるのだろう。


 しかし、だからこそ、読み返さなければならないし、考え続けなければならない。そう思う。
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by todoroki-tetsu | 2011-05-06 11:27 | 文学系 | Comments(0)