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祝! 復刊

 岡崎京子さんの名作、『リバーズ・エッジ』が愛蔵版として復刊されるそうです。

 うれしい! めでたい!

 もちろん、持っていますよ。でもですね、やはりいいと思うものをお客さんに買って頂きたいと思うのが書店員の性。色々フェアをやるたんびに、「ああ、ここに『リバーズ・エッジ』を置きたい……」とはがゆい思いをしたこと無数。

 このすばらしい作品をまた取り扱えることはほんとにうれしいです。

 10月中旬に発売予定。まだ出版社のホームページには情報が上がっていないようなので、詳しいことはまだ記しませんが、¥1,600前後くらいのお値段のようです。

 未見の方はこの機会にぜひ。太鼓判です。

 
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by todoroki-tetsu | 2008-09-15 00:00 | Comments(0)

マキノ雅彦さんと阿川佐和子さんの対談(「週刊文春」9/11号)

 ちょっと古くなってしまったけれども、色々考えさせられたので。

 「週刊文春」9/11号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」にマキノ雅彦さんが登場されている。別段好きというわけでもないし、マキノさんの監督作品も未見。なので、ありていにいってしまえば、さほど思い入れをもって読み始めたわけではない。

 が、次のようなお話に、ドキっとさせられた。

 「最近のプロの人たちは客に媚びたくないっていうのがカッコいいセリフになってるけど、僕は客に媚びないで職人があり得るのかと。芸術家だと思ってるから客に媚びないというフレーズが出てくるんですよね」

 文脈から、ここでいう「最近のプロの人たち」とは、主に映画監督を想定していらっしゃるように思えるのだけれども、これは僕のような書店員にも大いに刺激になる。
 
 要するに、お客さんに喜んでもらってナンボ、ってことなんだ、自己満足で仕事をしてちゃいかんよ、というように、ひとまずは受け止めた。

 なぜだかふと、吉本隆明さんを思い起こす。講演での質疑応答なんかには、聞かれたことになんとか精いっぱい答えようという、そういう気持ちがすごく伝わってくるのですね。

 やっぱり、伝える努力というか、相手に見て、聞いて、買って、よかったなあ、と思わせるようでなきゃだめだ……。

 そんなことを考えながら「オルタ」9・10月号 の特集「1995」を読む。

 僕の想像していた以上の密度の濃さ。印象については別途記したいと思うけれども、考えに考え抜いた末に、このような形になったのだと思う。レイアウトやデザインなど、「伝え方」をすごく意識しているな、と(あ、勝手に想像しているだけです)。

 こうした作り手の「意気」を、ちゃんと売り場で演出すること――例えばそんなことが、出来る/すべきことの一つなのかな、などと考えている。
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by todoroki-tetsu | 2008-09-14 00:17 | Comments(0)

反省

 またまたすっかり間が空いてしまった。
 
 色々と言葉にするのが難しいことがあって、今もどう考えればよいのかよく分からないのだけれども、記してみることにします。

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 出版社の営業の方が売場に見えた。50代ではあるだろうと思われる。ある古典を出版するという(いわゆる'『蟹工船』ブーム'を受けての出版、とだけ記しておきます)。

 最初、棚の担当者が対応。平積み分として初回10冊と数を注文書に入れようとすると、「それでは少ない」と延々と情勢談議が始まってしまったそうだ。
 
 僕が、ずいぶんと話し込んでいるな、と気がついた時には15分くらいは経過していた。ちょっと尋常ではない感じがしたので、途中からかわって応対する。

 話を聞いてみると、確かに翻訳に特色はある。なので、「興味はひかれるものの、初回から20冊も30冊も注文するようなものではないと思います。まずは初回10冊あれば平積みできるので、それで様子を見させて下さい」とお伝えすると、「10冊では足りない」の繰り返し。

 具体的なパブリシティや、あるいはたとえば採用の予定などがあるのかと聞くと、「いや、店頭で頑張って売って下さい」とのお返事。

 ……困ってしまった。

 ここまでなら、たまにある「強引な営業」というだけで話は済む。しかし、次の言葉が出た時、平静を失った。

 「『蟹工船』を読んでいるような若者の皆さんにこの本をぜひ知ってほしいんです」

 ここで僕は、それまでのよく分からない情勢談議と強引さとに対する反感があいまって、完全にキレてしまった。

 「『若者の皆さん』って、そんな風にくくることが出来るんでしょうか? 今までそんな風なやり方で、メッセージなりなんなりを届けることは出来たんですか? そこが難しいからこそいろんな苦労や難しさがあって、メッセージの届け方とか表現の仕方そのものも、真剣に考えなきゃいけないのが今の状況じゃないんですか?」

 みたいなことを伝える。実際にはもっと途切れ途切れで、粗かったけれど。それに対する相手の応答は下記。

 「いや。だからといって私たちの世代が黙っていてはいけない」

 ここで僕は話を打ち切り、10冊と注文書に記入し、お引き取りを願った。


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 もちろん、この件は当事者の一方である僕の主観でしか記していない。なので、相手方は特定されぬ程度の情報にとどめています。ちなみに、世間一般にイメージされるいわゆる左翼系の出版社ではないし、その営業の方も「私は活動家ではありません」と言っていました(いや、活動家であればこんなやり方はしないだろうとも思いますけれども)。

 まずは、もっとビジネスライクに対応すべきであったかな、と反省しつつ、自分がキレた原因を考えてみました。

 まずは、

①「若者の皆さん」とひとくくりにするような認識

 に対して、おそろしく違和感を覚えた、ということ。いや、そんな認識で世間は一杯なのかも知れないけれども――あまりテレビを見ないのでよく分かりません――、少なくとも、そんな認識では現状をちゃんと見ることが出来ない、というのはもう自明なのではないかな、と。非正社員/正社員、女性/男性、非モテ/モテなどは当然にすぐさま出てくる「違い」だし、もっと細分化できるでしょう。いわゆる「運動」にしたって、スタイルによっての違いなんかは当然にあるわけで、親和性のある部分とそうでない部分はたがいにあるのだろうと想像する。

 だからといって、「違い」だけを強調するつもりはまったくなくて、「違い」があるからこそ、「連帯」が生まれるのだろう、とも思うのですね。でも、それは「違い」を認め合うことが大前提で、きっと今、実際に運動したり、文章を書いたり、しゃべったりしている方々は、それを作法としてしっかり実践しているんだろうな、と思うわけです。

 それを「若者の皆さん」みたいにひとくくりにしては、何かこう、大事なものをすっ飛ばしているような気がしてしまうのです。

 次いで、

②あるメッセージがあったとして、その「表現の仕方」というか、「伝え方」に、無頓着に思われたこと

 に対して、やはり違和感を感じたということ。特権化してはいけないのでは? とか、犯罪史的に見てどうなのか、とか、そういったいろんな論点・立場があるとはいえ、やはり秋葉原事件の後に何かを考えようとする時に、僕は避けて通れないことのように思うのです。そして、そうした地平で苦闘している批評家や文学者、アーティストといった方々が現にいる訳で、そうした方々の営みを、本当に敬意のまなざしでみなければ、と思うのです(もちろん、これは無条件の礼賛を意味しません)。

 と、ここまで書いてきて、要するに①も②も、自分が今出来ていないことなのだな、ということに気付きました。

 ①「若者の皆さん」とひとくくりにするような認識、についていえば、書店員として、「商品」を売るために、何かしらの「くくり方」をしてしまうことはやはりあります。

 また、一個人として、ある一定の年齢層(上でも下でも)を、何となく「〇〇世代」みたいにかってにイメージをおっかぶせてしまうことも、やはりあります。

 ②あるメッセージがあったとして、その「表現の仕方」というか、「伝え方」に、無頓着に思われたこと、についていえば、書店員として、よく「お前のフェアは分かりにくい」とか「ポイントがつかめない」とか「売る気がない」などと、同僚から言われることがしばしばあります。お客様が買って下さる=何かが伝わる、ということだと仮に考えてみたとすると、やはり僕はまだまだ自己満足の域でしか仕事をしていないのではないか、と思うことがあります。

 また、一個人としては、ベタなメッセージでいいじゃないか、と思うことのほうが多いのです。大事だから大事、みたいな……要するに、自分の言葉で考えられていないということなのでしょう。

 あ、結局のところ、営業の方のお話の中に、自分の姿を見たために、いわば「近親憎悪」のような感情を抱いてしまった、というところでしょうか。

 まずは、常に冷静に考えるように心がけたい、と思うのでした。
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by todoroki-tetsu | 2008-09-13 01:29 | Comments(0)