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断想以前


 墓参の衝動にたえかねる、というのが我ながらよく判らない。だったらせめて生きている人間を、いまともにいる人間を、その衝動と同じくらい大切にせよ。理屈では判るが、それ以上に墓石の前に手をあわせたいとはやる気持ちは抑えられない。

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 墓参には欠かさず携えるマルボロを、忘れる。いつも墓参前に立ち寄るコンビニに入るまでは覚えていた。出た時にはすっかり忘れて、寺門前で思い出したものの、まあいいやと開き直る。たぶんこれが二回目だ。いつも線香代わりだと墓前で喫むのがならいだが、僕には成分が強すぎてくらくらしてしまう。落ち着いて話すにはないほうがいい、と生きている側で勝手に理屈をつける。奴がどう思っているか知らない。

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 手は合わせるし花も線香も人並みには供える。いざ墓と向き合ってみると、存外言葉は出てこないものだ。それでいいかも知れない、というよりほかにどうしようもない。よく判らない時間が過ぎる。何か話たいことがもっとあったはずなのだが、とも思う。不思議なものだ。それで自分の衝動がひとまずは落ち着いたのは、たんに形だけのことでもないだろう。

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 墓参せずとも会えているのかもしれない。さりとてここで向き合うことが意味のないことだとも思わない。いにしえの人々は様々な儀式や手順を踏んで魂と、神と、そしておそらくは死者に、触れあった。ならば、現代に生きる我々も、まったく何の準備や儀式もなしに死者と出会うことは出来ないというものではないか。一定の修練をしていれば別かもしれない。

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 形式的なことばかりまねてもしょうがない。自分の心の準備を整える、そういうことであればおそらくなんでもよいのだろう。自己啓発というのはそもそも宗教、特にキリスト教から出たものだと聞いたことがある。間違っているかしらん。が、なるほどそうだと思わせるものはある。自分なりのやり方を見つけること。騙されないように、騙さないように。誤らないように、誤らせないように。

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 そろそろ辞去しようかという時、次はマルボロを忘れずに持ってくるから、まあひとつ今日は勘弁してくれやと軽い気持ちで声をかける。おまえと俺の仲だとまでは言わないが。ふと最後に病室で見た顔を思い出す。そういやあの時も「また来るからな」と僕は言ったはずだ。それが生前交わした最後の言葉であった。ある時期まではその言葉に対する罪悪感めいたものが墓参には付きまとっていた。今でもないとは言わない。けれど、随分と肩の力は抜けるようになってきた。今回は特にそうだ。「また来るからな」、その言葉はまちがっていない。そう素直に言える。奴が何か言ってきても「だから来たじゃないか」と軽口をたたけそうな気がする。不遜だろうか。

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 いよいよ帰る時、墓周りを片づけながら、雑談めくように「そういやさ、最近小林秀雄を読んでんだよ」と言いかけて、口をつぐんではたと気づく。あの時は奴のほうがおそらく色んな本を読んでいたろう。特に、何も奴とだけではないけれども、いろんな連中が競い合うようにマルクスだのエンゲルスだのレーニンだのを読み漁ってもいて、マルクスとエンゲルスはおそらく僕よりもあいつのほうが読んでいた。レーニンはたぶん五分だ。いや、それも負けていたか。しかし、小林秀雄はお互いに見向きもしなかった筈だ。僕はあれこれあって今小林秀雄を面白いと思って読んでいる。別段マルクスだのなんだのが面白くなくなったということではないが、少なくともあいつは生きて小林秀雄を読むことはなかった。それは、どちらがいいとか悪いとか、幸か不幸かとか、そういうことじゃない。ただ、そういうふうに時間は過ぎて行く。ただ、それだけのことだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-11-05 21:18 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十三)

 校長の「問題は共産党だ」という物言いの裏には、共産党をとっぱらっても残るものがある。そこをつかみたい。逆を言えば、残るものがなきゃその物言いはダメだということにもなる。だが。


 去年の八月十五日僕はぼんぼんといって泣いた。あのとき泣いたもののうちいちばん泣いた一人が僕だろう。僕はかずかずの犯した罪が洗われて行く気がして泣けたのだ。あのとき僕は決してだまされたとは思わなかった。しかしあれからあと、毎日のようにだまされているという感じで生きてきた。元旦詔勅はわけても惨酷だった。僕らはだまされている。そして共産主義者たちがだまさせている。これが僕個人のいつわらぬ感じです。


 さすがにこれは言い過ぎ/言われ過ぎの感がする。もちろん、当時の様々な言説を調べているわけではない。そこは専門家に任せる。しかし、単純に考えて、共産主義者に非はないとはいわないが、総体として力を有していたのは誰だったのか、そこを問わずして何故共産主義者が非難されねばならないか。


 ここでもまた、共産主義者を現在活発に活動している特定個人や運動体に置き換えてみようか。政治なり社会なりに何らかの問題がある。それに対して「否」と声をあげる。上げ方にもやり方にもいろいろとあるだろう。けれど、問題の主たる責任は現行の体制を推進してきた側にあるのであって、「否」と声をあげた側ではない。にも関わらず非難の声は、しばしば「否」と声をあげた者に向かう。それは例えば「寝た子をおこすな」という変化にたいする忌避であり、「そんなやり方ではだめだ」という評論もしくは否定によって自己の存在を知らしめるような精神構造として顕在化する。

 
 ――中島みゆきさんの「世情」が流れ出す。

 
 さらに難しいのは、「否」と声をあげた者には主たる責任はもちろんないわけだが、問題と状況によっては、やはり何らかの責任を背負っているという自覚にたどり着くことがしばしばである(例:「チッソは私であった」)。これは自らの主体性を突き詰め、また失われた何ものか――多くの場合には死者であろう――と向き合う時に出てくる自覚といえよう。濃淡はあれ、こうした自分自身への問いがなければ、やはり言葉は浮いてしまうだろう。「否」と声をあげた者への非難には、時としてまっとうな批判=批評が含まれるのである。


 おそらくどこまでいっても、こうした構図は変わらない。危険だが、吉本さんの講演「喩としての聖書」を手がかりに、参照項として下記をあげておかねばなるまい。
 

 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え」。祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。


 「マルコによる福音書」15章。「正しい者、聖なる者は迫害される。よって迫害される者は正しい」という構図をここから引っ張り出したいのではない。イエスの中に自分を見たければどうぞご勝手に。僕は「他人を救ったように自分を救え」と嘲弄する、通りかかった者たちの中に自分を見る。いいことを言っている奴に、「じゃあお前これはどうなんだ」と突き付けてやりたくなる気持ち。それはどうしようもなくあるものなのだ。


 そうだ。どうしようもなくあるものだからこそ、共産主義者を現在ある何ものかに置換してもすぐさま通用するのだ。共産党だ運動だという話に限ったこっちゃないのだ。そうしたことが作品として遺されていることにより、読む者は自分の気持ちを再発見し、孤独から逃れることが出来るのと同時に、問い直す契機を得る。

 
 ここからの数頁が、「五勺の酒」のヤマ場となってくる。
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by todoroki-tetsu | 2012-11-03 06:20 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十二)

 校長の頽廃に対する怒りとでもいうべきものは続いて行く。「アカハタ」の記事へのコメントがもうひとつあるけれども、飛ばして先に進む。

 
 天皇、臣問題、教育勅語、人間性、すべてこういう問題のこんな扱い方に僕は腹が立ってくる。せっかくの少年らが、古い権威を鼻であしらうことだけ覚え、彼ら自身権威となるとこへは絶対に出てこぬというのが彼らの癖になろうとしている危険、そしてこれほど永く教師をやってきたものにとってやりきれぬ失望はないのだ。このことでかさねがさね失望をなめながら、それでも新しい希望が目の前に出てくること一つでわれひとともに教師がつとまるのだ。わるいあの癖こそが頽廃なのだ。


 「彼ら自身権威となるとこへは絶対に出てこぬ」というくだりが僕にはちょっと判りにくい。が、ニュース映画について述べた部分で生徒に対して「それなら千葉の女学生に手紙を書け。先生・生徒両方へ書いて討論しろ。僕の生徒らはどうしてもそれはやらぬのだ」とある。おおよそこうした意味だと解釈しておきたい。


 さて、ここで考えたいのは共産党にたいする校長の考え方、より正確には校長が何をもっともたいせつにしようとしているか、である。もう少し読み進めてみようか。


 問題は共産党だ。共産党が問題を先きへ先きへとやってくれれば僕のようなものが助かるのだ。僕は我利我利ではない。ただ僕は教育者だ。天皇制廃止は実践道徳の問題だ。天皇を鼻であしらうような人間がふえればふえるほど、天皇制が長生きするだろうことを考えてもらいたいものだ。そんなものがもし若いもののあいだでふえたらどんなことになるだろうか。


 おそらく、2012年現在の感覚からして、当時の共産党の存在感を想像することは容易なことではないように思われる。ある程度の期待もされていたのだろうが、その一方で否定的な意見も根強くあったろう。しかし、いずれにせよ一定の存在感はあったのは確からしい。


 例えば60年前後、70年あたりまでの様々な運動や言論の中で、共産党――ある時期からはおそらく正式には日本共産党と言った方がよかろう――は、シンパであれアンチであれ、念頭にはおかれる存在ではあったようだというところまでは、感覚として何とかさかのぼることができる。単純に、親の世代で多少は親しみがあるからというだけの心もとない感覚だけれども。しかし、このあたりの年代からの漠然とした感覚と、「五勺の酒」の同時代である1946年の感覚とはまた異なる部分がだいぶんにありそうな気がする。そのあたりがごっちゃになっているかもしれないという懸念を記した上で、考えてみたい。


 共産党というのはある世代なり立場なりからすれば、非常に大きな存在として観念されるように思われる。その例を、吉本隆明さんと浅尾大輔さんの対談に見出すことが出来るだろう(「論座」2008年9月号)。僕から見れば、なんでそんな強大な存在に映ったのか、正直よく判らないでいる。そうした時期もあったのだろうが……。

 
 確かに、局面局面では様々な摩擦や軋轢はあり得る。が、そんなに声高に反対を叫ばにゃあいかんほど目障りか。そうかもしれない。けれど、そんな大した力もありゃしないじゃないか(但し、個人レベルですごい人は結構いると思う)。一致すれば一緒にやればいいし、ダメならそれまでのこと。お互いの利害が一致するかどうか。お互いに利点が見いだせたらそれでいいんじゃないのか。

 
 何かこう、反・共産党のスタンスや批判には、確かにうなずける部分もあると思うのだけれども、肝腎の共産党のほうの内実が良くも悪くも変わって来てるんじゃないのか、という気がする。「強大なパルタイ」みたいなのは幻影なんじゃないか。しかし、幻影だから滅びてよいとは思わない。共産主義を口に出来ない社会は、自由からも民主主義からも遠く離れたものだから。


 期待と裏腹の批判、というのはもちろんある。いきなり話を戻すと、校長は少し先のところでこうも述べている。


 ……共産主義者よりももっと共産党を心配している男というふうにすら自分を考え、思いこんでおかしくなることがある。そこで気づいたことが今夜その一部を書いたようなことだ。十六か十五ぐらいの少年たちが、山林何町歩、資本いくらというような面でだけ天皇を論じてそれ以上進まぬのが僕にはいちばん気にかかるのだ。今うんと伸ばさねば政府が網をうってさらって行くように見えてならぬのだ。


 
 「共産主義者よりももっと共産党を心配している男というふうにすら自分を考え、思いこんでおかしくなることがある」。なるほどそうした思いからの言葉というのは確かに、ある。それはたいせつなことだし、よく意図をお互いに理解し合わなきゃいけない。けれどもそれは実に困難なことだ。それを実にうまく描いていると思う。

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 何べん読み返しても、こうした共産党への意見を述べた部分は、「共産党にそんなにこだわらんでもよろしいじゃないですか」という気持ちが抜けなかった。現在はいわゆる既成政党や各種団体に頼らずに――もちろん必要以上に敵視する必要もあるまいが――個人がどんどん自分たちでやっていく時代ですよ。1946年とは様変わりです。だからといって作品の価値が低くなることはありません。中野重治が共産党を外から見ている人の気持ちを敏感に感じ取り、作品にした、その感覚は素晴らしい。

 
 ……だが、そんな程度の感想でよいのだろうか。何かを見落としている気がする。


 思考を進めるための試みとして、共産党という言葉を、何らかの運動体や個人に置き換えながら読んでみる。そうすると、「何らかの主義主張を持って運動し発言する何ものか」に対する個人としての態度そのものが、抽出できるように思われてくる。そのように考えた上で、上記の引用を読む。


 「問題は共産党だ」。「問題を先きへ先きへとやってくれれば僕のようなものが助かるのだ」。「共産主義者よりももっと共産党を心配している男というふうにすら自分を考え、思いこんでおかしくなることがある」。共産党を現在活発に動いている運動体や個人に置き換えればよいだけのことだ。とたんに現在に引き付けられるだろう。

 
 そうした読み換えからは、「批判の裏に隠された期待を読み解くことは大事」とか、「誰かに過度に期待せずに自分でやればいいじゃないか」とか、そうしたことがすぐさま言えるだろう。それはそれで悪くない。だが、どうもそれだけではないように思うのだ。

 
 ――「問題は共産党だ」。たしかにその通りだろう。しかし、この部分だけを読みとってどうするというのか。何にとって問題だと思っているのかを読め。

 
 何べんめかの読み返しの時にそれは突然やってきた。そのようにもういっぺん読み返してみる。そうすると、共産党に対して微妙な感情――新人会の体験、さびしさ、そして「とぜねがら酒飲め」――をもちつつも「五勺のクダ」をまく校長の中に、「今うんと伸ばさねば」ならない「十六か十五ぐらいの少年たち」を「新しい希望」として何よりもたいせつに思う姿が浮かび上がってくる。


 そうだ。ここが原点だ。共産党は二の次だ。共産党以外のなにものかが「新しい希望」を邪魔するようであれば、校長はやはり精一杯の努力をしていくだろう。ここを踏まえずして「問題は共産党だ」といった言葉を読んではいけない。

 
 さらに言えば、校長にとっての「新しい希望」にあたるような、そういうものをお前は持っているのかどうか、持っているとして、そのために何をしているのか。そう問われているということになってくる。
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by todoroki-tetsu | 2012-11-02 10:16 | 批評系 | Comments(0)

白川静『漢字』

 白川静さんの『漢字』を、あいまあいまに読み進めていた。若松英輔さんの影響による。


 仕事上のかかわりからどうしても入っていかざるを得なかった吉本隆明さん、そのおかげでかなりいろんな世界を知ることが出来たのだが、おそらくこの一冊も、そうした経緯と経験を積んでいなければ読めなかったかもしれない。とにかく難しい。旧き佳き岩波新書だ。懐かしんでばかりもいられない。自分を括弧に入れられない、読者として、書店員として。

 
 細かいことはさっぱり判らない。けれど、吉本さんが「歌」をさかのぼったように――それには折口信夫さんの蓄積を大いに活用したであろう――、その初原にまでさかのぼる、その姿と重ね合わせながら読んでいた。今となっては埋もれきっている何ものかを明らかにする興奮。実証がどこまで出来るか知らない。しかし、何ともいえず訴えかけてくる何ものか。


 何せ「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」という言葉から始まるのである。具体的に取り上げられるのは古代中国であり、それを手がかりとする古代日本への想いであろう。その時に生きていた人間が何を感じ取っていたか。今なお何か惹かれるものがそこにあるとするならば、そこには人間が人間として受けついでいる何かがある。

 
 僕が知識がないから間違っているかもしれない。しかし、感覚として、白川さんは確信を以て字源の意味するところを書いている。反証する根拠はおそらく無数にあるだろう。それは古代の音韻論などでも見られることだろう。けれど、自分自身に血肉化した解釈には揺るぎがない。さりとて独断という感はまったくない。大きな何かをつかんだ上でものを言っている。そういう印象を受ける。例えば「歌謡について」と小見出しのついたセクション(P.131)。


 ことばが、神とともにあり、神そのものであった時代に、神と交渉をもつ直接の手段は、ことばの呪能を高度に発揮することであった。「ことだまの幸(さき)はふ国」というのは、ひとりわが国の古代のみではない。中国にあっても、そのことだまへのおそれは、古代文字の構成の上にあらわれているのである。

 呪言としてのことばは、日常のことばづかいと、多少異なっている方が呪能の効果を高めると考えられた。お経をよみ、聖書をよむにしても、適当な抑揚やリズムが要求される。その最も古代的なものが歌であった。国語の「うた」は、あるいは「うつたふ」という語と、関係があるかも知れない。歌は神に訴え、哀告することばであった。

 古代人の感情は素朴で直截的であり、つくろうところがなかった。かれらは神に祈るとき、もとより神に哀訴するのであるが、かれらの感情は、祈る以上はその実現を要求してやまなかった。どうあっても、神に聴いて頂かねばならぬという、強訴に近いものであった。


 じっさいに哀告、哀訴、あるいは強訴を体験した者でなければ醸し出せない説得力を、ここに感じる。


 以前だったらここで終っていたのだが、最近はもう少し先の、あるいはややこしいことを考える。なぜ、自分はこうした部分に説得力を感じるのか。読み手として、この時何を為し得ているか。

 
 言葉がわかることすなわち喩がわかること、それはすなわち信仰を持っているということだ、という吉本さんの講演「喩としての聖書」でのお話がふと頭をよぎる。


 何ものかに触れ得ているかは自信がない。だが、どうやらここではないかという戸口には、立せてもらっている気がする。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-29 06:47 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十一)

 頽廃、とは何だろうか。そういえば最近あまり耳目に触れなくなったような気もするが。校長が触れる『アカハタ』の記事からの引用をお許し願いたい。そうしないと意味が通らなくなるからだ。


 「九月一日のアサヒによれば日本の民主化にともない皇族の『臣籍降下』が問題となり、七月の皇族会議で天皇もはいって熱論したとつたえている。新皇室典範は十一月に開かれる臨時会議に出るが、その際にも問題になるだろうというのだ。ところがいんちきな新憲法にさえうたわれているごとく、すべての国民は法のもとに平等であって、社会的身分または門地により政治的、経済的、または社会的関係において差別されないのがあたりまえ。今さら『君』だの『臣』だの、はしごだんではあるまいに『降下』などとこんなバカげた話はない。こういう手数のかかる『天孫降臨種族』は日本人民からとりあげた金と米をおいて、高天原にかえってもらうほかはない。」

 「日本の民主化にともない皇族の『臣籍降下』が問題となり」――そうなのだ。そういうこれは民主化なのだ。どこを押せばそんな音が出るか。どこに「臣」籍があるか。それをなぜ『アカハタ』が問題にせぬだろう。天孫降臨種族なら高天原へかえれ。どこに天孫降臨種族があるだろう。高天原行きの切符をくださいといってきたらどうするのだろう。そう僕は話した。すると反『アカハタ』派までがそろって喰ってかかってきたのだ。(僕らは生徒・教師いっしょ、『アカハタ』派・反『アカハタ』派いっしょの『アカハタ』読会をやっている。出るのに面倒くさいがやり方としてはおもしろいと思っている。)しかしすぐわかってきた。要するに彼らは、天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しいのだ。そして実地にはそれの現実の力を忘れることで満足しているのだ。筆者がまたそこへ導いているのだ。あんな馬鹿なことがどこにあるか。皇族の臣籍降下断じて許さずだ。どこに臣があるか。(略)仮りに天皇、皇族が心からあやまってきた場合、報復観念から苛酷に扱おうとするものが仮りに出ても、つまりもし天皇を臣としようとするようなものがあれば――国民の臣であれ――それとたたかうことこそ正しいのだ。皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ。彼らを、一人前の国民にまで引きあげること、それが実行せねばならぬこの問題についての道徳樹立だろうではないか。天孫人種は高天原へ行ってしまえ。それは頽廃だ。天皇制廃止の逆転だと思うがどうだろうか。


 最初の括弧が『アカハタ』の記事である。おそらく原記事に僕が、そう、例えば学生時代にあたっていたとしたら、「うまいこと言うもんだな」とか思ったに違いない。「天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しい」からだ。溜飲を下げる楽しさ。


 そうした楽しさに疲れ、病みかけ、離れ、例えば今では中島みゆきさんの「Nobody is Right」をしみじみと聴いたりすることもできる。しかし、そうした楽しさから今なお逃れきっているとは思えない。向き合い方が不足している、そう感じる。


 おそらく僕は人を殺すことができる。見捨てることができる。裏切ることができる。自分を守るためにならいかなる卑怯もいとわず、そしてそれを正当化して生き延びていく姿がありありと想像できる。俺をそうさせたおまえが悪い、と。だからそんな風に僕を追い詰めるような世の中であってほしくない。内なるアイヒマンを発動させずに済むように。これが少なくともこの10年近く抱いてきた自分の基本原理であった。「社会」の問題を意識する時、こうした回路をなるべく経るように考えてきたつもりでもあった。


 だが、今考え直してみると、明らかに迂回である。いささかの未練はありつつも、問いを正しく設定できていない、と感じる。なぜこの部分に惹かれたのだろう、と考えるとそうした自分の問いに行き着く。そういう思いで校長の独白を読んでみると、「皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ」という言葉の重さが、以前よりは身にしみて感じられてくる。渡辺一夫を切なる思いで読み返した体験――例えば「ある教祖の話(a)――ジャン・カルヴァンの場合」――が、じわじわと効いてきているかもしれない。

  
 「社会」を媒介させるのはよい。社会なしに生きていける人間はいないのだから。しかし、自分自身を括弧に入れるな。他者と己を同時に、いや直接に貫け。「皇族だろうが何だろうが、そもそも国に臣なるものがあってはならぬ」は、ユマニスムであると考えてよい。これほど「民主」的な考え方があろうか。しかしこの言葉が、「要するに彼らは、天孫だの高天原だのをやっつけるのが楽しいのだ。そして実地にはそれの現実の力を忘れることで満足しているのだ」と記した人と同じ人から出た言葉であることを忘れるな。自分から離れたところにあるユマニスムを校長は口にしたのではない。「それの現実の力」を骨の髄まで味わってしまった人間がそういうのだ。夢想家でもなく、皮肉な意味での現実家でもなく、徹底して現実を見つめる先にある何ものかを、校長はつかむ。ならば、その言葉を読む僕にも、何ものかをつかめるのではあるまいか。その時、頽廃から、「逆転」から、自らを救いだすことができるはずだ。

 
 日々の修練。眼を鍛えること。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-28 08:54 | 批評系 | Comments(0)

若松英輔さんの講演

 昨日は久々に若松英輔さんのお話を拝聴した。僕が若松さんの書かれたものやお話に強い関心を抱いているのは、自分自身のもんだいを重ねあわせつつ、それを前向きに転化したいという個人的な理由が根底にある。単に面白い、何かあるという手ごたえを感じるというからでもある。それはそれとしてどこかで記すつもりだけれども、印象的なお話のいくつかのうち、ひとつだけ。

 
 若松さんは井筒俊彦だったり小林秀雄だったり柳宗悦であったりといった方々の言葉を資料として配布し、それを声に出して読みながら聞き手とともに味わいつつ、話を進めていく、そういうスタイルをとる。そこで昨日おっしゃていたのは、「文学者や哲学者が引用するとき、その引用した部分というのは自分が沈黙を迫られた部分である。そこに付け加えることは何もない、そう感じたところを引用する。皆さんもそのように読んでほしい」、と。


 小林秀雄さんも似たようなことを言っていたような気もするが、若松さんが小林さんの口真似をしているとは思わないし、思えない。これは小林秀雄をつかんだ確信であり、その確信は若松さんのみならず、例えば山城むつみさんにも、大澤信亮さんにも、杉田俊介さんにも、あるだろう。そのことについては少し違った観点から以前触れてみたことがある。

 複数の人をつかんだ確信、それを何と名づけるかはその人次第だ。真理でも実在でもなんでもいい。僕自身はそれをひとまずは「真理」とよんでおこうと思うが、あまり名称にはこだわらない。

 
 ここで昨日の講演の内容にさらに立ちかえると、「誰かと誰かが言っていることは同じだ、というのは二次的なこと。そうした人々が何を見たのか、そこに触れることが大切なのだ」ということになる。これは若松さんが繰り返し強調されることだ。今例えば名前を挙げたような方々の文章に、通ずるものを感じたとして、それを読み手である自分が感じるというのはどういうことなのか。そのとき自分は何かに触れ得ているのではないか、という思い。傲慢ではなく、素直に感じ取ること。

 
 まずその体験を、自分自身に掘り下げていくこと。自分が体験したようになぜ他者は体験しないのか、という問う前に。ここが僕にとっての個人的で、しかしたいせつな問いである。


 中野重治さんの「五勺の酒」を引用しながら読んでいるが、自分が沈黙を強いられたところを忠実に引用しているか、何か「言いたいこと」先にありきでテキストを「利用」してはいないか。ついでながら、若松さんは「○○について」語ることと「○○を」語ることの違いを強調される。大事なのは後者だ、と。


 してみると、「『五勺の酒』について」と題してしまった一連のエントリは、なるほど周縁をうろうろしている、ただのおしゃべりかもしれない。小林さんの「他人をダシにして自分を語る」という言葉を、手前に都合いいように解釈しているだけではないのか。


 なぜだかここ最近、同時代の文学者がしばしば用い、かつ自分にとっては長らく実感がつかみきれていなかった言葉が、じわじわと沁み込んでくるように感じられてくる。孫引きで申し訳ない。


 君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。
                                  カント『道徳形而上学原論』


 しかし、とにかくもう少しは続けてみよう。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-26 08:03 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十)

 掌編「五勺の酒」の中には、判らないところがいくつかある(それ以外が判るという意味では無論ない)。その中でももっとも判らないのは、次のところだ。満州皇帝の東京裁判出廷に触れたあとに続く描写。


 南京陥落のとき、僕は県代表で東京へ提灯振りに行ったものの一人だ。まだ東京はあった。提灯に火を入れて街を練って、最後に宮城前へ行って声をあげてそれを振った。すると天皇が、濠をへだてて松の木のむこうでそれに答えて振った。あのとき僕らは、これで戦争がすむ、これですんでもらわねばならぬと、希望を入れてよろこびで振ったのだ。天皇も同じだったろう。虐殺と暴行とが南京で進んでいた。しかし僕らは、僕らも天皇もそれは知らなかったのだ。記憶をくりかえせば、僕らは、僕らも天皇も、これですむ、すんでもらわねばならぬという希望と願望とで、そしてそれをよろこびとしてあかい提灯を振ったのだ。もし天皇が不幸な旧皇帝を訪問して、日本の現在許されるかは別として、しかし許されるだろう、ふたりの不幸と不明とを抱き合って悲しんでわびたのであったら。事実として、天皇その人の天皇制が、提灯を振ったことでの愚かさを、たとえば玉木にわびるチャンスさえぼくから奪って行ったのだ。もし彼がそれをしたのだったら、僕はまっさきに、少なくともそのことを彼に許し、そのことで、僕自身許される慰めをつかむ機会を決してのがさなかったろう。


 1947年1月に発表された作品だから、実質1946年に記されたと考えてよかろう。1945年8月15日から2年と経ぬ時に、このような言葉が記される。いかなる立場であれ、今において天皇(制)や戦争責任を云々するのとはまったく違った言葉の重み。そこにクラクラしてしまうのだが、判らなさはそうしたことに起因するのではない。


 「南京陥落」を、「これですむ」という「希望と願望」とで提灯を振りながら祝った。校長も天皇も。天皇が実際どう思っていたかは知らない。けれどそのように思っていたとしよう。そこまでは想像出来る。「勝った」というよりも、「ケリがついた」「これで終わった」という感覚。


 しかし、実際にはそうではなかった。その認識は間違っていた(では何が正しいのか、という意味で間違っていたというのではない。見当が違っていた、というほどの意味で用いよう)。たとえ知らなかったとしても、それは間違いではあった。

 
 ならば、天皇と旧皇帝がお互いの間違いを悲しんでわびたのなら、せめて提灯を振った愚かさを、「これですむ」と思ったという誤りを認めたならばどうなるか。次の段落には、「旧皇帝を猿ひきに見はなされた猿として蹴とばしておいて、それで道義の頽廃をうんぬんするとしたらどこに頽廃すべき道義があるだろう」とある。こことつなげれば意味は判る。天皇(制)の道義たるや如何、という問題になるからだ。


 僕が判らないのは、天皇のわびを切実に願うその気持ちが、自分自身が義弟の戦死をわびることと分かちがたく結びつく、そのことだ。天皇は天皇、自分は自分、とは決してなりはしない。天皇が最高権力者である以上、その存在がわびなければ日本国民ぜんたいがわびたことにはならないという政治的感覚からか。それとも天皇もまた日本国民である以上、ともに提灯を振ったものとして最低限わびるべきではないのかという共犯者的(あるいは同胞的)感覚か。


 僕などからすれば、後知恵なのはじゅうぶん判っちゃいるが、「それはそれ、これはこれ」とでもいう如く、天皇と自分の問題とを分けてしまえばいいじゃないか、と思う。当時は批判にせよ肯定にせよ、もっと天皇(制)は身近にあったのだろう、とは想像出来る。が、その程度の想像でよいのかどうか。


 あるいはここに読みとるべきは、全的に自分が何ものかを引き受ける覚悟であろうか。その覚悟の中に天皇(制)も全部含まれるのだ、と。そうして読もうとする方がまだしもしっくりは来る。けれど、なかなかに無理のある読み方のような気もする。

 
 やっぱり、よく判らない。判らないことを考えていてもしょうがないので、判らないということが何を意味するのだろうと考えてみることに決めて、先へと読み進めて行く。




 
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by todoroki-tetsu | 2012-10-23 20:44 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その九)

 校長の天皇に対する思い、いや生徒や回りの人間たちの天皇へのもの言いに対する思いは、さらに続いていく。今度の題材はニュース映画だ。

 
 天皇行幸を報じたニュース映画、それを見て「製作が反動的」だなんだと議論する生徒。論争に参加した時点では彼はまだニュース映画を見ていなかった(こうした描写も実に活き活きとしていていい)。そしてともかくそれを見た。校長は記す、「彼らが誤っている。彼らは誤っていた。しかしそれ以上僕がすっかり憂鬱になった」。なぜか。


 それは千葉県行幸で学校だの農業会だのへ行く写真だった。そして、あいもかわらぬ口うつし問答だった。(略)そこで甲高い早くちで「家は焼けなかったの」、「教科書はあるの」、と返事と無関係でつぎつぎに始めて行った。きかれた女学生は、それも一年生か二年生で、ハンケチで目をおさえたまま返事できるどころではない。そこでついている教師が――また具合よく必ずいるのだ。――肘でつついて何か耳打ちをするが、肝腎の天皇はそのときは反対側で「家は焼けなかったの」、「教科書はあるの」とやっているのだからトンチンカンな場面になる。そうして、帽子をかぶったと思えば取り、かぶったと思えば取り、しかしどうすることができよう、移動する天皇は一歩ごとに挨拶すべき相手を見だすのだ。(略)歯がゆさ、保護したいという気持ちが僕をとらえた。もういい、もういい。手をふって止めさして、僕は人目から隠してしまいたかった。暗いベンチの上で、僕の尻がひとりでに浮きあがりそうだった。そのときだ。二階左側席から男の声で大笑いがおこった。見あげてみたが顔も姿も見えぬ。人がいることはわかるがまっくらい中での笑いだ。二十前後から三十までの男の声で、十二、三人から二十人ぐらいの人間がいてそれがうわははと笑っている。言いようなく僕は憂鬱になった。なるほど天皇の仕草はおかしい。笑止千万だ。だから笑うのはいい。しかしおかしそうに笑え。快活の影もささぬ、げらげらッとダルな笑い。微塵よろこびのない、いっそう微塵自嘲のない笑い。僕はほんとうに情けなかった。日本人の駄目さが絶望的に自分で感じられた。まったく張りということのない汚さ。道徳的インポテンツ。へどを吐きそうになって僕は小屋を出て帰った。


 「あいもかわらぬ口うつし問答」をやる天皇に対して校長は好意的だ。それはいい。そしておそらくは善意からであろうと思われるトンチンカンな場面、それに対して人目から隠したいという思い。これらは絵ハガキを覚えず隠してしまいたくなる精神と通ずるだろう。


 ここであらたに登場する大笑いをする男たち。彼らのおかげで校長のまなざしの深さにさらに触れることができる。「なるほど天皇の仕草はおかしい。笑止千万だ。だから笑うのはいい。しかしおかしそうに笑え」。「笑うな」ではないことに注意したい。笑うな、と本当は言いたかったのかもしれない。けれどそうは少なくとも記さない。そこがたいせつに思える。

 
 おかしそうでない笑いとは何か。中野は言葉をついでこう説明してくれる。「微塵よろこびのない、いっそう微塵自嘲のない笑い」と。「自嘲のない笑い」! このことで僕には思い起こされる風景がいくつかある。

 
 学生時代、非常に大きな問題が瀬戸際にあった。結局学内問題と化してしまったのが何とも力不足であったと思うのだが、それはひとまず措こう。その問題に関する職員の皆さんの投票があって――当たり前すぎるくらい当たり前だが、「三者構成自治」とはそういうことだ――、僕たち学生はその時、投票所に向かう皆さんに対して学生自治会としての主張をビラにして配っていた。「ぜひ読んで下さい」「よろしくお願いします」……表現もやり方も稚拙だったろう。険しい顔をしている職員もいた。受け取ってくれる人もそうでない人もいた。そんなことは慣れっこだ。別にかまいやしない。一番キツかったのは、僕らの前を通りすぎた直後「よろしくお願いしますって言われてもねぇ、ハハハ」と笑いあった二人連れだった。支援に入った他大学で「学外者は出ていけ」とあざけられたこともあったが、こっちの方がキツかった。


 最近では、反原発に関する集まりでしばしば出くわす、原発推進を主張する人々の言動。それはそういう主張なのだろうからそれはよい。絶叫している人もいて、そこにも切実はあるのだろうと思う。お互いに意見をまっとうにたたかわせることが出来ればそれでよいと思うし、本屋としてはまっとうな論争があればまっとうに本が売れる、と常々考えている。さて、僕がこたえるのは、ずいぶんと間延びした感じのコールであったり、疲れているのか何なのか、すごくダラっとした感じでされる「原発賛成」とされるコール、またつばぜり合いになった時に見られる何ともいえぬ「半笑い」とでもいうべき表情。それらが実にこたえる。

 
 すぐさま言っておかねばならないが、だから原発推進をいう人は……などと言いたいわけでは断じてない。その逆もまた然り。主義主張のせめぎ合いにおいて、ある局面では、こうしたことはいかなる立場であれ起こり得ることなのだ。僕自身もそうしたことは何度もやって来た。本題から目を逸らさせるために、あげつらうために、手を出さない代わりに、当局に対して、意見を異にする者に対して、自分の言うことを聞かない者に対して、あるいはいけすかない上司に、あるいは目ざわりな部下に……。


 そうした笑いを「微塵よろこびのない」というだけでなく、「いっそう微塵自嘲のない笑い」と中野は表現してくれた。「よろこびのない」笑い、それは笑いを単なる道具として、他人を貶める道具として使うということだ。のみならず、それは「自嘲のない笑い」である、と。自嘲という厳しい言葉を用いて表現されていることを、十全に理解している自信はない。けれど少なくとも、自分自身に折り返す何ものかを感じないような笑い(あるいは笑い方)は健全ではない、という程の意味には理解出来るし、また納得できる。


 そんな時は、笑わなければよいのだ。口を開く前にまず、自問すべきなのだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-22 12:13 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その八)

 もう一言一句が何ともいえず腹に響いて来るのだけれども、それらをまっとうに読み切れる自信がないのか、それとも思うところがだいたい定まってきたのかどうか。「どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙された個があっただろう」という一文、そこに至るまでの描写にも逐一感じいる。


 大事件であるらしい。あちこちで感想を聞いた記者が最後に駅で水兵を二人つかまえた(問題には無関係だが僕は錯覚におちているかも知れぬ。僕は新聞を僕が駅のベンチで読んだと覚えている。しかし記者が水兵を駅でつかまえたことも同様よく覚えているのだ。)


 「問題には無関係」。たしかにその通りだ。この括弧の中の三つの文章がなくともりっぱに意味は通ずるし、作品の価値はいささかも損なわれることがないだろう。なぜこんなことを書いたのだろう。さっぱり判らない。判らないけれども、「そうしたことはあるよなあ」と思う。こうした描写が、今の僕にはなぜだか堪らなく愛おしい。

 
 「駅」は自分がいたところなのか、水兵がつかまえたところなのか。違うけれども同じなのか。実のところは同じなのか。錯覚といって納得すれば出来ただろう。でも、それでは納得出来ない何ものかを感じていたに違いない。「錯覚におちているかも知れぬ」は「錯覚ではないかも知れぬ」を言い換えただけだ。


 これもやはり眼と、見ることと、無関係ではない。「坐りだこ」を、「向こう脛を親ゆびの腹で押してみてほっとひと息つく娘たち」を、「スケッチにすぎなかったが描かれた精神」を、それは見る。駅でつかまえられた水兵の語ったことを報じた記事。それを読む眼は水兵を射抜くだけでなく、自分自身に還って来たのだ。表層的な同一化ではない。もっと何か、深いところで同じものに触れた/触れられた、つかんだ/つかまれた、そうした手ごたえはなかったか。「錯覚」というはたやすいし、そう考えた方が理にかなっている。そのように納得させようとしている校長にも、しかしそうした結着のさせ方にどこか釈然としない思いを抱いている校長にも、どちらに対しても「ああ、そういうことはあるんだよなあ」と思う。


 どちらも判るということ。そこにさびしさがありはしないか。そんなことを以前に記した。そもそもそのさびしさは新人会にやんわりと拒絶されたことが起源であった。「とぜねがら(さびしけれや)酒飲め」。どちらも判る。だからこそ苦しくて、さびしいのだ。そう思うと、もう中盤に差し掛かったこの掌編の、密度がぐいぐいと上がってくるように感じるこのあたりからの描写が、一層自然に、かつ深く、感じられてくる。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-10-18 22:21 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その七)

 「何にほっとするかでの皮膚感覚の人間的なちがい」を見る眼は、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」という認識にたどり着く。こうした認識はおそらく大江健三郎さんには引き継がれたはずである。そのあとは、誰だろう。とにもかくにも読み進める。

 
 だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因はいろいろにある。しかし気の毒だという感じが常に先立っている。むかしあの天皇が、僕らの少年期の終りイギリスへ行ったことがあった。あるイギリス人画家のかいた絵、これを日本で絵ハガキにして売ったことがあったが、ひと目見て感じた焼けるような恥かしさ、情なさ、自分にたいする気の毒なという感じを今におき僕は忘れられぬ。おちついた黒が全画面を支配していた。フロックとか燕尾服とかいうものの色で、それを縫ってカラーの白と顔面のピンク色とがぽつぽつと置いてあった。そして前景中央部に腰をまげたカアキー色の軍服型があり、襟の上の部分へぽつんとセピアが置いてあった。水彩で造作はわからなかったが、そのセピアがまわりの背の高い人種を見あげているところ、大人に囲まれた迷子かのようで、「何か言っとりますな」「こんなことを言っとるようですよ」「かわいもんですな」、そんな会話が――もっと上品な言葉で、手にとるように聞こえるようで僕は手で隠した。精神は別だ。ただそれは、スケッチにすぎなかったが描かれた精神だった。そこに僕自身がさらされていた。


 この後には「人種的同胞感覚」という言葉が記される。「僕は共産党が、天皇個人にたいする人種的同胞感覚をどこまで持っているかせつに知りたいと思う」と。

 
 これもたいへんに興味深いけれども、ここで考えてみたいのは、絵ハガキに描かれた精神、いや、その精神を見抜いた眼である。


 いったい、見るとはどういうことか。この絵ハガキがどんなものだったのか、僕は知らない。記憶にある昭和天皇の姿で、これにおそらく近いだろうと思われるのはマッカーサーと一緒に写ったそれであろうか。その写真に対して書かれた何かを見た記憶があるけれども、あまり覚えていない。ただ僕にはそういうものと見えただけだ。


 同じものを見ていても、感ずるところは違うだろう。しかし、同じものを見て、この人とひょっとすると近しい感覚を持ったかもしれない。そう思うことも確かに、ある。最近、僕は小林秀雄さんの『近代絵画』を読んでいて、小林さんがいたく感銘を受けたゴッホの絵を知った。そこからさかのぼって『ゴッホの手紙』に手をつけた。小林さんは「或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる」と記している。


 もしや、と思って調べてみた。おそらく間違いはない。「烏のいる麦畑」。小林さんが見た絵を、僕も見ていた。1997年秋に、新宿の美術館で僕はそれを確かに見た。覚えず泣きそうになった。そんな経験は、あとにもさきにもない。

 
 小林秀雄と同じ感覚だ、とえらぶりたいのではない。小林さんの惹きつけられかたと僕のそれとは同じであるはずはないのだから。けれど、その時自分を取り巻いていた感覚は思い出すことが出来る。

 
 ガンを患い、東京での入院生活に区切りをつけ、実家に帰る知人(友人、という言葉を使うのはおこがましい)を見送って、そう間がない頃にこの絵を見たのだ。


 彼の入院生活はがどの程度の期間であったか、もはや記憶にはない。数か月だったような気もするし、まる一年は経っていた気もする。学校は違っていたから、日常的に接していたわけではない。けれど同い年、同学年、バイト先ではよく一緒になった。缶コーヒーとマルボロをこよなく愛していた。いっぺんはカラオケに行こう、と話したこともあったような気もするが、それを果たせることはなかった。


 実家との関係はあまりうまく行っていなかったと聞いている。その彼が実家に戻らざるを得ない。何かの予感はあった。見送ったのは20人近くもいたろうか。僕は所在なく病院のロビーの長椅子の、隅の方に坐っていた。奴のほうから見つけてくれた。あたりさわりのないあいさつしか出来なかった。


 タクシーを見送った後、誰もが押し黙っていた。口にすることが、恐ろしかったから。耳にすることが、恐ろしかったから。少なくとも、僕はそうだった。


 漠然とした死の感覚に、当時の僕はとらわれていた。実際に奴が逝ったのは、年が明けてからであったのだけれど、見送り以来くすぶっていた何ものかが、ゴッホの絵を前にして、急に燃え上がったのかもしれない。そんなものはただの理屈の後付けなのかもしれない。けれど何であれ、やっぱり泣きそうになってしまったのは消せない事実である。

 
 ただごく普通の気持ちで絵を見ていたらこんなことにはならなかったのかもしれないが、既にそういうものとして体験してしまった以上、そうでないなにものかを仮定は出来ても、想像することは難しい。この絵は見る者誰にも何かを与えるのかもしれないし、見る者のなにほどかの状況に応じて多様な実りを与えるのかもしれない。ニワトリが先かタマゴが先か。

 
 既に自分にある何ものかが、作品を前にして己の内部から引きずり出されてくる。その何ものかは、作品との出会いとして一度は切り取られる。その瞬間が、変わらぬままということもあるだろうし、時を経て変化することもある。そんなふうに僕は今考えている。


 さて、ずいぶんと脱線してしまったけれども、一葉の絵ハガキから精神を読みとるというのは、やはりある程度のことがなくちゃあ出来ないことだと、僕には思われるのだ。絵ハガキがいつ頃出回ったものなのかは知らない。1921年に外遊した折のものだとすれば、大正末期か。その頃から「人種的同胞感覚」という言葉で自覚していたのかどうかは知らない。そうした生硬な表現よりも、「自分にたいする気の毒なという感じ」という言葉に惹かれる。「恥かしさ、情なさ」はまだ理解できそうだ。それが「自分にたいする気の毒な」というのはどういうことか。


 「人種的同胞感覚」という言葉にこだわらないほうが、よく事態をつかみ取ることが出来そうな気がする。相手が天皇であれ誰であれ、辱められるようなことはあってはならない、と考えているのだ。相手が誰であれ、「自分にたいする」ものと感じ取ることの出来る感覚。ただそれだけのことだ。

 
 そして、これから先も繰り返すことになるだろうけれども、この「ただそれだけのこと」の大切さは、この作品においてのみならず、それを読む現在においても強調されるべきものなのだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-17 21:38 | 批評系 | Comments(0)