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「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その三)

 少しばかり「『敗北』の文学」に軸足を置いてみようか。


 これを書いた当時の宮本はまだ学生である。一方年長の小林は既に学校は出ていた。歳にして六つほどの違い。20代における六つ違いの差は大きかろう。しかし、兎に角「生き生きとした嗜好」を有する宮本の文章を読んでみよう。

 
 遠いところにいると思われた芥川が、自分の近くにいるように思えた。「『敗北』の文学」の冒頭はそんなところから始まる。芥川に宮本が感ずる「チョッキ」と、小林の文芸批評家たちに感じた「鎧」とは同じものであったかどうか。さて、宮本は自殺後の芥川を「我々に近く立っている氏を発見した」と言う。あくまで「近く」であって、我と我が身の中にではない。あくまで芥川は外部にいるかのように宮本は記述している。しかし、実際のところはどうであろう。


 かつて私は、自己の持ち場で闘っているインテリゲンチア出の一人の闘士が、一夜腹立たしそうに語ったことをおぼえている。「駄目だ! 芥川の『遺書』が、――『西方の人』が、妙に今晩は、美しく、懐かしく感じられるのだ。」



 なぜ美しく懐かしく感じられることが否定的に記されるのであるか。


 この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要がある。


 なぜ「古傷」と過去のものにしようとするのか。簡単なことだ。

 
 そこまでして振り切ろうと努力しない限り決して逃れ得ぬものとして、芥川の存在は宮本の内部にあったのだ。よそよそしく「我々の近く」になんて記してはみたが、それはそうでも記さない限り気恥かしくて仕方ないほど自分の中に入り込んでいたからだ。芥川に魅了される己を自覚することなしに何故「踏み越えて往く」必要があろう。

 
 ここに、小林と宮本が同じ地点に立っている証左を見る。「様々なる意匠」の一文をつなげてみればよろしい。二人は本当に近くにいたのだ。

 
 批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!


 懐疑を振り切り、宮本は決意を表明した。いかにも学生らしく若々しい。しかし、小林がさて懐疑的に語ったかどうかとなると疑わしいものだ。確信にみち溢れた言い放ちようが懐疑に裏付けられたものであったとしたら、宮本の決意表明とどれほどの違いがあるだろう。

 
 しかし、同じ地点に立っているとはいえ、決定的にやはり違う。それは、意図してか無意識にか、いずれにしても「我々の近くに立っている」としか記せなかった、ほんとうは少しでも話そうとすると痛むくらい自分の中にいる芥川を、あたかも外部にあるかのように記せなかったことに現れている。


 ここで「様々なる意匠」の冒頭に立ち返ってみることにしよう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-09 20:22 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その二)

 凡そあらゆる観念学は人間の意識に決してその基礎を置くものではない。マルクスが言った様に、「意識とは意識された存在以外の何物でもあり得ない」のである。或る人の観念学は常にその人の全存在にかかっている。その人の宿命にかかっている。怠惰も人間のある種の権利であるから、或る小説家が観念学に無関心でいる事は何等差支えない。然し、観念学を支持するものは、常に理論ではなく人間の生活である限り、それは一つの現実である。或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない。



 さて、これは宮本顕治と小林秀雄の、いずれの文章か。「宿命」とか「或る現実に無関心でいる事は許されるが」といった言い回しから、ああこれは小林だと知られよう。しかし、これが「『敗北』の文学」の文章の一部だと言われても、すんなり読めてしまうのではあるまいか。それほど近しい距離に二人はいるように僕は感じる。その逆はあり得るか。なかなか考えるに足る問題だ。


 「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」を繰り返し読む、そのことで得られる手触りは、どうやら近いぞこの二人は、というものである。もちろん、決定的な違いはある。しかしそれはまったくすれ違うことのない場所にいるという意味ではない。1929年のある時、交差点でこの二人は並んで佇んでいた。一方は東へ、一方は西へ、それぞれ足を踏み出していく、瞬間が感じられる。それはたまたま宮本顕治と小林秀雄という二人が背負った宿命であったろうが、その宿命はまた彼らだけのものでもないように思われる。時代と屹立した個がどのように歩むか、といったら言い過ぎか。


 行きつ戻りつしながらも、まずは二人の評論に共通するものに重点を置いていきたい。それによって違いはより引き立ち、決定的なものとして迫ってくるであろう。


 補足的に述べておくと、読後感はどちらも非常に似通っている。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われるということだ。小田さんの言う、「で、あんたはどないしはりますねん」に近い。宮本は明快な言葉でグイグイと引っ張っていく。決断を迫る。「進歩か反動か」。小林はそうは言わない。俺は啖呵を切るだけさとでも言いたげだ。しかし、思いのほかさらりと締めくくられた結語を読むたびに、「お前はどういうつもりで言葉を読む気かね」と、暗に問いかけてくる。お前の本をカネを出して買ったのはこっちだい、という気持ちなどふっとんじまう。観客席でのほほんと坐っているお客さんにはさせてくれやしない。安心して楽しめるような言葉じゃないのだ二人とも。優れた批評とはこういうことだ。読んでいる手前とあわせて三つ巴のとっちらかり。

 
 そんな風に読まなくちゃ、「現実」に申し訳が立たない。あの日を思わせる地震を経たなら、なおさらだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-07 20:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」

 「運動」もしくは「問題」に対して、自らよって立つところを定めたい。この数年の僕自身の主調低音である。ああでもないこうでもないと右往左往して、自分の問いはおそらく批評から多くの手がかりを得られそうだ、という地点に今はある。


 誰かの言っていることを、まったくその通りだと思う。あるいは、そんなんじゃねぇや、と思う。全肯定や全否定が出来れば気が楽なんだが、この人のこの部分は共感するけれど、この部分はちょっと……というのがほとんどであって、それで思い煩うのでもある。

 
 しかし、他者と自己と関わりというのは、そもそもそんなもんじゃねぇのか。信者になろうとするのでなければ、そうした共感と違和とのあいだで往還を繰り返しながら、関係をつくっていくものだろう。語るべきなにものも自分にないのなら、沈黙すればよい。だまって耳を傾けよ。そう思えるようになってきたのは、つい最近のことだ。


 前置きが長くなった。選挙に関わって言葉の問題をあれこれ考えているうちに、ふと小林秀雄の「様々なる意匠」が思い起こされた。「一つの意匠をあまり信用しすぎない為に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。意匠という言葉が、あくまで選挙向けの次元での公約やスローガン、あるいはその個人や政党が信ずる「正しさ」と、シンクロするように思われた。僕は研究者でもなんでもない。今を考える手がかりが欲しい。ただそれだけだ。小林の評論からヒントが得られるならしめたものだ。


 大して長い評論ではない。けれども例によってといおうか、逐一ハラにくる。グサグサくる。こいつはどうにも本物だぞ。当たり前だがそう思う。しかし、僕は小林信者というわけではない。為にする批判をするつもりはないけれど、そもそもの出自として、僕は小林を読むような人間ではなかった。「宮本に懸賞論文で負けたから反共なんじゃないの」という、これまた今思い返すとびっくりするくらい危険な浅薄さの認識に立っていた者である。が、今更恥じ入ってもどうにもあるまい。

 
 ならばと思い、今度は宮本顕治の「『敗北』の文学」も読み返す。やっぱりこれはこれで実に面白いのだ。入党する前に書いたというのがすごい、みたいな物言いを耳にしたことを思い出す。失礼を承知で言うなら、そんな次元じゃねぇぞと思う。僕は共産党の存在意義をいささかも軽んずるものではない。しかし、ここでもんだいにしたいのは、大上段に振りかぶりたくはないけれども、例えていうなら社会と個の関係であり、政治と文学という問題なのだ。


 「『敗北』の文学」は一見結論先にありきの、それこそ「意匠」のように読みとれる部分もあるだろう。が、宮本のその後を試みにすべて捨象して、この批評文だけを丹念に読んでみる。そこに感じ取れるのはむしろ、「生き生きとした嗜好」と「溌剌たる尺度」(「様々なる意匠」)ではないのか。
 
 
 1929年の「改造」懸賞文芸評論の一等と次点。こう記しただけでいかにも古めかしいという気がする。しかし、いずれの批評も80年近く経った今なお、活き活きと僕に語りかけてくるというのはどういうことか。この二つの評論ががっぷりと四つに組んだありさまは素晴らしい。言葉について「硬度」という表現を仮に用いたけれども、どちらも透き通った、自他共に貫く硬度を有した批評である。

 
 読むために少し書いてみたいと思う。途中で自爆するかも知れん。それはそれでよかろう。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-07 09:30 | 批評系 | Comments(0)

言葉の硬度

 さすがに都知事選と総選挙のダブルとなると、言葉の行き交いようも心なしか増すように思える。もんだいは中味なのだろうけれども、限られた期間で情勢は日に日に、一刻一刻と変化する。どんな次元でもよい、選挙を主体的にたたかった経験があればこれはある程度理解されうるであろう。


 選挙を評論の対象として見るだけの見方はしっくりこない。選挙運動に入り込み過ぎるのも危険だということは判っちゃいる。しかし、例えば学生自治会の選挙でじゅうぶんだ、獲るか獲られるかみたいなことを一度でも経験していれば……いや、要は経験をどう血肉化するかしか違いはないか。


 さて、といったところで今の僕はとりたてて目立った選挙活動をするわけでもなければ、自分の支持する候補者や政党の支持を声高に訴えるということもしない。だからといって逆のことは出来ない。選挙を虚無の眼で見ることは出来ない。


 とするならば、せめてもの主体的なかかわりは、誰が何を言っているのかに耳を澄ますことだ。もちろん、レーニンに倣って、その人が何をした/しているかを思い起こすことも忘れずにいよう。「こうします」という言葉に反応するのと同じくらい、その人が何をした/しているかを知ることは大事なはずだけれど、ともすると言葉にのみ走りがちになる。「これからこうしますと言っている。それでいいじゃないか」。本当にそうか。新人が無所属で出るならそれもよかろう。しかし、そうでないならば、参照できる過去が必ずあるはずだ。それを踏まえるか踏まえないかも、結局は手前(てめえ)自身の判断になるわけだが。


 けれども今、考えてみたいのは言葉のほうだ。様々に威勢のいい言葉や批判の言葉が飛び交う、それらの言葉を、自分なりに読み解く基準を持っていなくては、と思う。その人の過去を踏まえる/踏まえないが手前自身の判断になるのと同じくらい、言葉を読む基準を持っていなくちゃいけない。


 しかし、不思議なことがある。こうして政治家の言葉を読む、その基準というのは一般的に言って公約に集約されるだろう。この人は何を掲げ、何をやるのか。確かにそうなのだ。そうなのだが、僕が今考えたいのはそうした政策とはちょっと違う次元のところなのだ。言葉がどれだけ重みを持って手前自身に響いてくるか、そのことだ。

 
 直接政治や選挙に関わることではないが、僕にはこのことで思い起こされる体験がある。中島岳志さんが秋葉原事件をお話になる時にほぼ必ずと言っていいくらい触れられることがある。彼が工場を飛び出した時の書き込みに、バンプ・オブ・チキンの「ギルド」の歌詞が見られるということと、それについての中島さんの見解だ。たぶん僕はこのくだりを少なくとも3回は講演の場で直接伺っていると思う。伺う度に、その意味を、またこのことを書き手としての中島さんがどれほど重く見ておられるか、そのご自身の立ち姿に対しての敬意を抱かずにはいられない。変な言い方かもしれないが、何度伺っても伺うたびに身の引き締まる思いがする。

 
 ところで、本題はこの先だ。僕はある時、まったく別の座談会で、中島さんが指摘しておられたのと同じことを、ある登壇者が話していたのに出くわした。まだ『秋葉原事件』は上梓前だったが、その登壇者も直接あるいは間接に、中島さんのお話を聞いたのだろう。登壇者は決して不誠実ではなく、さも自分が発見したのだというようにしゃべったのではなかった。中島さんのお名前こそ出さなかったが、伝聞として紹介したというほどであった。しかし、僕には強烈な違和感があった。話の上手下手もあるだろう、でも、それだけではない。そこには中島さんの語り口から感じ取ることのできる言葉の硬度が、圧倒的に欠落していた。気の抜けた、搾りかすのようなおしゃべり。ひょっとすると、活字にすればそれなりに読めたのかもしれない。しかしどうにも腑抜けた感じがして嫌でしょうがなかった。自分の得た感慨が損なわれる気がしてほとんど激昂しそうになった。


 その原因は何だろうと考えていた。話し言葉と書き言葉の違いも大きい、話術の要素も大きかろうということで半ば済ませてもいた。しかし、比較的最近、書き言葉――といっても話したことを書き起こしたそれ――でも、同様の違和を覚える体験をした。「チッソは私であった」という言葉を、現在に引き付けようと試みた文章をめぐって感じた違和だとだけここでは記しておく。僕が間違っているかもしれない。頭を下げるだけならいくら下げてもいい。水俣をめぐる運動や大変さを僕などがほんとうの意味では知る由もない。しかし、言葉に忠実であろうとすることは出来る。


 誰がどうやら書いた/話した、読んだ/聞いたという次元だけの話でもなさそうだぞ、という気がしてきている。今でも判ったとは言えない。しかし、どこまでその言葉が、その発せられる生身の肉体に内在化しているか、なんどもなんども自問自答を繰り返す中で硬度を高めていったか、そこがどうにも気にかかる。


 政治的に正しいと自分は感じるが、硬度のないふにゃふにゃの言葉と。政治的にはまちがっているけれども、硬度のあるズシンとくる言葉と。そんな問いが頭をもたげてくる。


 こんな問いを前に進める手がかりを、80年ほど前の文章に求めようかとあぐねているところである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-05 22:15 | 批評系 | Comments(0)

「カネと命の交換」

 いやだってば。酒を飲んで真面目な話をするのは好きじゃねぇんだよ。……ああ、そう。そうですか。んじゃあまあいいけどね、どうなっても知らんよ。

 
 じゃあ言うけどさ、脱だか反だかどっちでもいいんだが、原発はおかしいとか止めたいとか、いろんな主張の違いはあるにせよ、とにかく原発に反対する側とざっくりしとこうか、僕も一応考え方としてはそちらのほうだと思っているんだけれどもね。そうした側がいのちを大事にするというか、したいと考えている立場だということ、それは確かにその通りだとは思うんだ。間違いはない。


 じゃあ、原発を推進する側はどうかってことになる。推進を言う人はじゃあみんな命を大事にしていないのか、という話なのよ、考えてるのは。いやだからさ。「命を大切に思うなら原発反対になるはずだ」っていうのはちょっと待とうよ。「はず」って危険だよ。人間として、とか、福島の人のことを、とか、実際に20キロ圏の近くに行くと、とか、そうしたことは申し訳ないけどちょっと脇に置かせてくれよ。正しくないってわけじゃない。正しいと思うよ。けどさ、僕もあなたも福島の人ではないでしょう。それで東京にいて電力を消費している。待った待った、「だからこそのその責任を自分たちが」というのは判るよ。それは僕も正しいと思ってるんだってば。けど、ちょっとその手前で考えたいのよ。ええいもう、この一杯もらうよ。


 ええと。そう。確かにね、もうなんだか勝手に安倍政権になったつもりなんだか知らんけど、それで電力会社の株が上がったとか、そういう話はなんか変だなとは思う。でも、それはそれとして後にしよう。そう、考えたいのはね、「カネと命の交換」っていう、鎌田慧さんの言葉なんだ。「カネと命の交換」、公害や原発と引き換えの経済成長、そういうことだと思うのね。どっちを選ぶの、と。この対比がすごく大事なのは間違いない。


 だけどさ、じゃあ原発を再稼働したいと思っている人が、じゃあカネよりも命が大事と思っているか、っていうと、必ずしもそうじゃない気がするんだわ。いやだから落ち着いて聞けってばさ。確かにね、確信犯的にやっている連中は少なくない。腹黒いうさんくさい連中は絶対にいる。そいつらは確かに「金の亡者だ」みたいな批判をしても、かなりの程度当てはまると思うのね。


 でもさ、そいつらの中のどこかに、あるいは確信犯じゃなくても素朴に考えている人ならなおさらだと思うんだけどさ、「電力ないとやっぱ困るでしょう」とか「景気がよくなんないとしんどいよ」とか、そういうのがあると思うのね。それってさ、命を大事にしていない、っていうこととはちょっと違う気がするんだわ。

 
 ……そう。もちろんもちろん。ほんの少し足を運んだだけでかえって失礼かもしれないけれど、やっぱり実際に荒れほうだいの田んぼだったり、子どもの姿のない町並みとか、錆びたレールとか、そういうのを見ると、原発さえなけりゃあと思うし、おかしいと思う。ふざけんなよ、誰のせいだよ、と。その「誰」の中に、いくばくかは自分もやっぱり入ってる。それを棚上げにして誰が悪いというだけじゃ駄目だよとは思う。確かに僕も告訴人になる書類は事務局に送ったけどね。それではいおしまいじゃないものね。でもさ、その後ろめたさって何なんだろうね。後ろめたさは後ろめたさのままであり続けるんだろうか。


 話がそれていったかな。……ああそうそう、原発推進イコール命を大事にしてないとかカネの亡者みたいな言い方がどうかって話だったね。話変わるようで申し訳ないけどね、こないださ、すげぇ久々に実家に戻ったの。離れみたいにして90歳のばあちゃんが住んでんだけどね、まあ元気は元気なんだけどさ、キッチンがオール電化になってんのよ。子どもたち、叔父や叔母やなんかがよってたかってそうしたらしい。もう簡単な調理くらいしかばあちゃんはしてないんだけど、それみてやっぱり安心はしたのよ。どこまで安全かはしらないよ。けど、やっぱり安心したというのは僕にとっての事実なんだ。そうするとさ、いや、判ってる、それと発電の比率とかコストとかっていうのは直結しないのは判ってる、けどさ、そういう電力による安心みたいなことっていうのはさ、いくら代わりのやり方がいくらあるといってもね、厳然としてやっぱりあるんだなと思ったの、自分の中に。


 それをイデオロギーだとかまやかしだとか、真実は云々とかっていってもね、それだけで通用しないんじゃないか。……判った。通用しないは言い過ぎだね。通用しない場合もある、と言い換えよう。噛み合わない、って言ってもいいかな。そういうことはあるよね。つまり、原発推進=命よりカネが大事、っていう確信犯は別として、命を守るためにある程度は原発も必要なんじゃないの、っていう思いは、けっこうあるんじゃないか。少なくともそういう思いに、「カネか命か」という二者択一は通用しないよね。「命のために電力要るじゃん」で終っちゃう。


  何かこうね、不安とか漠然とした疑問とか、そういうものに寄り添うような言葉じゃないと、いかんと思うんだ。で、そうした言葉っていうのは、何より自分自身の中をしっかりくぐりぬけたというか、うまく言えないけど、そういうものだと思うのね。ゆらぎとか、ためらいとか、そうしたものが含まれた言葉。「指示表出」先にありきじゃないと思うんだわ。あくまで「自己表出」じゃないと、結局のところ響かない気がする。自分が聞く立場になった時にはそうだからかもしれないけど。


 結局ね、こたえられてないと思うんだいまだに。ええと、あの、小学生の手紙。ゆうだい君、そうだ、『「僕のお父さんは東電の社員です」』って本になった、あれ。みんなで議論しましょう、みたいなことで結んでいたと思うんだけど、確かにいろんな議論はこの1年半以上であったと思う。けど、あの男の子が提起したかった次元で自分たちは話を出来ているんだろうかねぇ、と。……判らんよもう。


 ダメだ。もう限界。続きは素面の時にしよう。俺もちょっと整理しないといかん。経営からすりゃあカネにとにかくしなきゃいかんという発想があるだろうけど、そうした発想に通底するものは自分の中にありそうだ、とか、「他者」って何、とかさ。ああそう、肝腎の「カネと命の交換」の話がどっかにいっちまった。自分が思ってる以上に内面化しちゃってんじゃないのか、ってことなの。新自由主義とか自己責任と一緒にね。いやとにかくこれでおしまいにしよう。グダグダになっちまってすまん。お水いっぱい頼む。
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by todoroki-tetsu | 2012-11-22 12:46 | 批評系 | Comments(0)

寺めぐりなど

 京都に行く時にはほぼ必ずといっていいほど龍安寺の石庭に立ち寄っていた。見るたんびに違ったような、しかし同じような心持がして何とも言えない。が、最近はサボることがしばしば。喫茶店めぐりに時間を取るようになったということもある。今回もまたサボった。

  
 何の下調べもしちゃあいないし、紅葉には早すぎるのだとも行ってから気づいたような次第だが、まあ、特別拝観シーズンでもあるようだからと久々にお寺さんなどをまわってみる。

 
 久々に天龍寺に行ってみようと最寄り駅からとぼとぼ歩く。途中こじゃれた古本屋さんなどを見かけるとつい覗きこんでしまう。職業なんだか趣味なんだか判らない。紅葉前とはいえ休日のせいかえらい人手。天龍寺には入る気が急に失せ、塔頭であるところの弘源寺と宝厳院にのみ立ち寄ることにする。

 
 維新の折の刀傷。それそのものはどうでもいいが、寺というのはそういう場所であったのだということはどことなく面白い。何らかの決起、その際に集う場所。単に京都に寺が多いということでは説明できなさそうな気がする。場、ということ。

 
 基本的には枯山水を無性に好む。しかし、そもそも久々に天龍寺へと思い立ったのは池を見るのもよいだろうな、という気分になったからであった。宝厳院・獅子吼の庭はじゅうぶんその気分を満たしてくれる。排された巨岩、おもしろくつくられた水流、一面の苔を見つつ、何を思ってこのような配置をしたのかと考えてみるが、結論はない。


 市中に入ってからひと息をつく。必ず行く喫茶店のいくつかをはしごしたのち、これまた必ず足を運ぶ一乗寺は恵文社さんへ。なぜか単行本で買い漏らしていた、茨木のり子さんの『寸志』を求める。「この失敗にもかかわらず」は、やはり詩集らしい質感で読みたいと思ったのだった。

 
 とっぷりと夜は更けている。ちょっと調べてみると曼殊院はそうそうに夜間拝観をやっているそうな。歩いて歩けぬ距離でもなかろう。カロリー消費のためだと思ってあるきはじめたはいいが、坂を登っていく段になって急に後悔してしまう。汗みずくになってひっそりとたたずむ門跡にようようたどり着く。

 
 随分前に一度だけ来たような心持もする、よく覚えていない。さすがに門跡、天皇と縁もゆかりも深いゆえか、色んなところに由緒を感ずる。ライトアップされた枯山水を眺めるというのはいかにも現代的であって、さて、往時の人がそのような楽しみ方をしたのかは知らない。楽しんで見たのか、何らかの修業的な意味合いもあって表されたのであろう世界観をありがたいと思って見たのか。いずれにせよ、美しい。芯に沁み入ってくるような冷たさは、さっきかいた汗が冷えたからだけでもあるまい。開け放された板張りの廊下にたたずみ、山からひたひたと迫ってくる冷気。無音だが、音が聞こえてくるような冷たさ。


 我に返って立ちあがる。日々の手入れがあって今があるわけで、そっくり昔日のままというわけではあるまい。が、何かが伝わっている、遺されている、生き延びている。そう感じる。生きながらえさせたのは何であっただろう、とふと思う。天皇家か時の権力か。生き延びている何ものかは確かにある。しかし、それは何ものかをして生かさんと思わしめる、そういうものではなかったか。同じことを逆から言えば、それを生かそうと思う人がいたからこそではないか。美しさを感じるというのは、そういうことなのではあるまいか。ただ、眺める。触れる。そこからつかみ、つかまれる何ものか。

 
 さすがに帰りはタクシーに頼ることにした。出町柳まで走ってもらう。一番最初、意識して学生時代に京都に来た時には、故あって深夜この界隈から清水寺あたりまで歩き、戻ってきたことがある。もう20年近く前の話だ。その時の記憶のせいかどうか、とにかくこの鴨川沿いというのは好きな場所なのだ。


 一夜明けてさあ、どうしようと考える。高田渡信者としてはベタであれ何であれ、イノダの本店は欠かせない。一日のプランをどうしよう、とまずは早くからあいていそうな六波羅蜜寺へと向かってみる。ここもはじめてのところ。


 地下鉄に乗っている道中、昨日いずれかのお寺でもらってきた「正しい坐禅の組み方」なるパンフを読む。「坐禅をする時、目は開いています」とあるのが面白い。「菩薩の半眼」というのだそうだ。「目を閉じると消極的になり、余計な妄想がわいてきますので、閉じないで下さい」。なるほどそういうものかと妙に納得してしまう。


 六波羅蜜寺に向かったのは、早くからあいているというだけでなく、辰年にしか見られないというご本尊が拝めるとガイドブックに書いてあったから。あまり仏像には興味があるほうじゃない。物珍しさのほうが勝る。しかし、いざお参りをしてみると、何とも言えぬ表情がある。作った人は何を思ってこのような表情を形にしたのだろう。思ってやれることなのか、何かに突き動かされたか。それはそれでたいへんに興味深いけれども、それをまた拝んだ無数の人々が今までにあった。単にありがたいからか。たまにしか見られぬからか。そういうこともあるだろう。しかし、そうでないこともありはしないか。いかなる動機からであれ、その前にたたずむことで、ほんの一瞬であったとしても、何か背筋が伸びるような、心の底から自然に頭を下げ手をあわせる、そういう出会い。作り手の出会いであるだけでなく、今までにこの場で手をあわせてきた無数の人々との、出会い。


 続いて向かったのは泉涌寺。東福寺だけにしようかどうしようか駅を降りて迷うものの、ええい、ここまで来たんだとやや遠い方の泉涌寺から先にする。二度目だが、以前の記憶というのはすっかり忘れているもので、昨晩に続きふうふうと山道を登っていく。まあ、覚えていたら止めていたかも知れないので結果よしだ。


 まったく意識していないかった。ここもまた天皇家にゆかりある寺であった。仏教と天皇。宗教と権力。まあ、そういうものだろう。由緒正しいと誰が決めるのか知らぬが、そうして遺されてきた貴重なものは確かにある。しかし、と思う。やはり、偉い人だけがそれをあがめたてまつった、それだけのことであれば、何百年、下手すりゃ千年の単位で遺りはしない。そこに価値を、惹かれるものを、大切だと思わせるものを、感じ取ることのできる生身の人間が居続けたのだ。


 「千年に一度の出来ごとには、千年を超える思想だ」。そう大澤信亮さんの声が聞こえてくる(「出日本記」。「群像」2012年5月号)。ならば、千年を超える思想――それは庭や仏像や書や画や言葉によってあらわされる――、そうしたものがたかだか数十年、よくもって百年程度の生身の人間に宿るということ、これは不思議という他はない。なるほど宿るのは千年に一人の人間かもしれない。けれど、その思想を、数十年の寿命しか持ち合わせていない人間たちが、何世代にもわたって紡いできたのだ。その力は何か。また、その力を認知できるというのはどういうことか。


 たとえその認知が誤解であったとしても、それによって生き延びる/生き延びさせることが出来たなら、それは少なくとも偽物ではない。若松英輔さんがしばしば強調する「誤読」とはそうしたものだと、勝手に感じて納得している。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-16 22:04 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十七)

 共産党が偉いともなんとも思わない。偉い部分は確かにある。そのうちのひとつは、意固地なまでに名前を変えないことであるが、そのことは今の本題ではない。


 誰が偉いとか指導と非指導とか前衛と大衆とかマヌーバだのフラクションだの中央だの末端だの、そんなことはすべて取っ払う。どうだっていいそんなことは。ただ、ある問題に対して気づく。意見を述べる。働きかける。運動をする。理論を知っていた、蓄積があった。そんなこともどうだっていい。みんなに関わる問題がそうやって発見されたなら、別に誰がどうしたとか関係ない。権威なぞ知ったこっちゃない。


 極めて乱暴に、そんな風にいろんなものをぶち壊した上で、考える。校長が、共産党に訴えるという気持ちで思いを吐露するということを。そして、それを受け取るであろう共産党員か、それに近しい旧友のことを。


 校長のいわんとすることは、ぐうの音も出ないほど正しい。それはもとから校長自身の考えていたところもあったろうが、しかし、共産党のものいいに対して「それはおかしい」と思う、そうした思いから固まっていたものも少なからずあるだろう。共産党がこう言った、そのことで初めて自分の中で明確に形になるもの。文章を読むむころ、絵を見ること、それら全部ひっくるめて、やはり他者との出会いによってしかそのような明確化はあり得ない。

 
 ところで、そのようにして形になったものは、往々にしてそのきっかけとなったものへと向かう。「共産党が先きへ先きへと指導せぬのが悪い」。しかも、だ。校長はただ議論を弄んだのではない。学生時代の来歴から今の中学生と接しながら3人の子供を抱え、さらに3人の子供を抱える妹のことを考え、顔をいたく傷つけて帰って来た部下であり理解者である若い教師のことを思い、そして坐りだこのついた妻のことを考え、そしてわずか五勺の酒に酔うのである。校長の言葉はそのまま「訴え」であり「叫び」に他ならない。

 
 では、それに対してこの手紙を受け取った旧友は、何と答え=応えられただろうと考える。おおよそ、こうした場合に考えられる態度はいくつかの型を想定できる。第一に、政治的に論破すること。いや、そうじゃない。君の言っていることはまちがっている。実際にはこういうことだ。だからこちらが正しい。この正しさを判ってほしい。だから僕にしたがうべきだ。第二に、相手の言うことを受け入れること。君の言うとおりだ。まったくそのとおりだ。そうなるように、いっしょに頑張ろう。だから君も僕と同じ陣営に入らないか。


 しかし、第三の型がある。ただ、相手の言うことに耳を傾けることだ。うなずくことは出来るかもしれない。しかし、応答すべき何ものも持ち合わせていない、というそのことを、深くかみしめること。応答なんて出来やしないことを、ほんとうに心の底から理解すること。杉田俊介さんのいう「失語」とは、こうしたものであるまいか。


 第一や第二の型では、けっして「五勺の酒」という作品は出来やしない。失語した/させられた経験を、深く自らに刻み込まない限り、こんな作品は生まれやしない。ならば、失語なくこの作品を読むことは、ありえぬのではないか。失語の先にあるものをつかまえることが果たして出来るか。何度でも何度でも、ここに立ち返ろう。


 ……尽きせぬことばかりだが、ひとまずここで区切りとする。
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by todoroki-tetsu | 2012-11-14 22:21 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十六)

 もうほとんど終りに近づいてきた。ここで少しばかり振り返っておきたい。


 当初は運動を意識しながら読み始めたことは記しておいた。今こうした作品を生み出さなければならんのではないかということも。それについて、思い起こされる光景がある。いずれもこの間の反原発にかかわる場面だ。


 あれはたしか経産省前だった。記憶が混同されていなければ、今年の2月20日だ。夕方から夜にかけての抗議行動。色んな人がマイクを持ってアピールをされる。この時は非常にテンションが高いというか、ぶっちゃけて言えばかなり粗く強い言葉が続いていた。役人は人殺しだくらいの言葉は平気で飛び交っていた。

 
 そうした怒りは、まっとうなものだと思う。そこまで言わせるものは何なのかという思いで聞きつつ、しかし、やっぱり厳しいなと感じていた。いきおい中心に行くというよりは、少し離れて眺めるということになる。僕はテントの前あたりに立っていて、そこいらに掲示されているいろんなものを見るとはなしに見るなど、していた。


 気づくと、なんだか尋常ではない雰囲気の女性が近くに立っている。声をあげて泣きださんがばかりの様子。この方も色んな思いがあるのだろう。切ないものだ、と勝手に思っていたらいきなり声をかけられる。「あれはどういう人たちなんですか」。答えるべき何ものも持ち合わせていない僕は言葉に詰まった。


 テントでよくお見かけする方が様子を察したのか、すぐにやってきた(お名前は知らないが、よくお見かけする中年の男性の方だ。別の時には抗議行動に難癖をつけてきたよっぱらいを丁寧に対応しておられた。敬服するほかはない)。女性とのお話を始めたので、それを横で聞くのも失礼かとその場を離れた。

 
 何分くらいたったかは知らない。またテント近くに戻ってくると件の女性はいない。カンパついでに先ほどの男性にそれとなく伺ってみると、どうやらこういうことだったらしい。

 
 その女性は福島だか仙台だかのご出身で、立場や具体的なことは判らないが、霞が関で勤めておられる方なのだそうだ。やはり色んな思いがあって、意を決して仕事の後にやってきたが、かなり厳しい言葉で当局を非難している言葉を耳にし、当惑した、と。

 
 普段テントにおられるその方から見ても、やはりその日はいつになく言葉のテンションは激しい日だったようで、「僕らはとにかく言葉でお願いしていくほかはない」ということを基調にしつつ、お話を受け止め、応じられたようだった。


 こうして再現してみて、この微妙なニュアンスとでもいうべきものを記しきっている自信はない。そう間もない時にtwitterでメモしておいた以下のような言葉の方が適切だろうか。


 言葉が「敵」ではなく、味方かは判らないが少なくとも中間地帯にある人を「誤爆」する光景を目撃する。誤爆させた人をどうこういう資格はない。他ならぬ僕自身が、今まで何度となくそうしたことをしてきたのだから。しかし、切ない。 

 
 そもそもかかる言葉を発せしめたのは何であったのか。個人と個人の関係に落とし込むだけでは足りない。そうした表現をとらざるを得ない必然があったのだから。しかし、その必然が共有されない他者はどうすればいいのか。関係を一過性にしないように、と考えるのはひとつのヒントになるかもしれない


 もうひとつの光景。これはもはや具体的にどこでどう見たかは定かではない。ひょっとすると、ネットや何かでの書き込みとごっちゃになっていて、自分の中で区別がつかなくなっているかもしれない。

 
 それは、原発を推進しようという人々、再稼働に賛成しようという人々の中にたたずむ、子どもを抱いた女性の光景だ。子どもをベビーカーにのせていたのか、抱きかかえていたのか、あるはそのそれぞれであったのか、もはや判らない。しかし、その女性の表情は切実だ。ダルな感じで「サーヨークー、デーテーケー」というのとは訳が違う。


 反原発を表す言葉の中で、こうした光景は再現できなければならないと思う。そしてそう思う僕自身が、たとえ僕の力では及ぶべくもないことであっても、努力しなければならない。意図して挑発する意味での「誰かがやってくれよ」が、言葉のうわっつらとしてのみしか許容されないものとして。自分が出来ないのは判っている、ならばせめて可能性だけでも探りたい。


 ――いずれの光景も女性に関係しているというのは、おそらく僕のジェンダー観と無関係ではあるまい。坐りだこへのまなざしに共鳴するものとも連なるだろう。が、それが何だかは判らない。開き直るつもりもない。ジェンダーに関わる領域とそうでない領域が混在しているのを自認することまでしか今のところは出来ない。他者の力が必要だ――


 「五勺の酒」から、では何を引き出し得るか。「批判的な意見も柔軟に取り入れてすごいですね中野さんは」、ということではもちろんない。そんな程度であれば、僕の心は惹かれはしない。「共産党に近しいながら批判する人の思いを内在化している」。少し近づいてきた気がするが、足りない。「共産党だろうがなかろうが、まっとうな庶民感覚を描いた」。これも悪くはないが、やはり不十分だ。


  「死者をおそったそのものに君自身どう対したかしらべずには決して死者を誇るな」。この言葉を念頭に置いて、以下を読む。「出征」の「征」を「ゆく」と読ませてくれといった国語教師、すなわち校長のもっともよき理解者であるところのこの教師・梅本が戦地から帰ってくる。出征前の美男ではない。「耳は耳たぶ二つともなし、鼻は突出部がなくなってじかに孔だけあり、くちびるは歯ぐきすれすれの線まで取れたという形で帰ってきた」。


 梅本と話すのは、彼の家族以外は天下に僕ひとりだ。僕が困るのは、相手の目だけ見てでなければ話ができぬことだ。耳や口はまだいい、鼻の部分へ目をやるまいとするのは僕としてひととおりならぬ努力が要る。美男美女でないからよくはわからぬが、僕は美男美女としての彼ら二人のこと、特に細君のほうを考えてその言いようのない惨酷に目の前が暗くなる思いをする。とにかくにも惨酷だ。よし子のことを考え、考えることをよし子に気の毒と思いつつ、玉木がこんなで帰らなかったのをいいことだったとさえ思うことがよくある。そうして、死んだほうがよかったと考えるような人が日本でどれだけあるかと考えて心が落ちこみそうになることがある。それは、梅本の細君が梅本をいやになることがありはしまいかと懸念するというようなことではない。不穏当な言葉をいとわねば、梅本夫人における梅本の美しい肉体の破壊が、よし子の出版のことで玉木を悲しむなんどより、どれだけ深刻かはかり知れぬ気がすることがあるということだ。どうか共産党よ。このことを知っていてくれと叫びたくなることがあるということだ。実際ただ、天皇と天皇制とまで行かねばすべてを取りあつかう条件が出来ぬのだ。


 死者をおそったそのものが、梅本に、妹のよし子に、そして自分自身に、ひたひたと迫ってくる。その何ものかに真っ向から立ち向かうべき共産党が、ちゃんと向き合っていない。気づいているのは自分だけか。とぜねがら酒飲め。「このことを知っていてくれと叫びたくなる」。

 
 その叫びが直接天皇にではなく共産党に向かうのは、なぜか。そのような認識を校長にもたらすきっかけが共産党にあったからに他ならぬ。敵か味方か、批判か反批判かという外面の下にあるもの。上っ面ではない、共闘への欲求。傷つけながら惹かれあう何ものか。

 
 ここから、「予め自分の中にあるもの」と「他者と出会うことによって内部からうまれくるもの」との関係を引き出すことができる。これは、「運動」あるいは「問題」を考えるにあたって外せない関係だ。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-12 11:45 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十五)

 前回、敵対し合う関係に終止符を打つのが死者であり、それに通ずる言葉である、と記した。終止符というのは正しくないかもしれない。その関係性はうわべはたしかに終るだろうが、内実としては、ともに手を携えて別の次元に行くというのでなくてはなるまい。どうあっても他者の力は必要なのだが、生きているものどうしの一対一すなわち「二人の次元」のみならず、実はすでにそこに三人目の他者=死者の存在が、ありはしないか。

 
 一般的に言って、人の死なない日は一日たりとてない。同時に、人の生まれない日も。毎日どこかで誰かが死に、誰かが生まれる。そんなものだと斜に構える前にやはり感じなくてはならないのは、あの時あっという間に、あるいはあの時から苦しい時間を経て、命を落とした方がおられるということ。あの時から継続している苦しさになお、さらされている人が少なからずおられるということ。そして生き延びることが出来た方々も、間近で失われた命を見てこられたのだということ。そういうことを前に、何かが僕に言えるなんていうのは驕り以外の何ものでもない。「五勺の酒」いうところを聞こう。

 
 何よりもあれを止めてくれ。圧迫されたとか。拷問されたとか。虐殺されたとか。それはほんとうだ。僕でさえ見聞きした。しかし君自身は生きているのだことを忘れないでくれ。生きている人よ、虐殺された人をかつぐな。生きていること、生きのびられたことをよろこべよ。そうして、国民が国民的に殺され拷問されたことを忘れぬでくれ。このことを考えてみてくれ。たくさんのわる気のない青年が、こちらから拷問し、暴行し、虐殺しさえしたのだということを。彼らのあるものは、この辺でもあった、国内ででさえ、工場近くの村むすめたちに集団的に暴行したのだ。暴行される域を越えて、自分から暴行するところまで追われ暴行されたのだ。いま生きて、君らの話を演壇の下から聞いている青年ら、彼らは、殺されなかったということそれ一つでいま生きてるのだ。たくさんの人が殺されるのを見てきた。たくさんの仲間の死骸を捨ててきた。場合いかんでは殺しさえして生きのびてきたのだ。そのことを知り、しかも彼らには、彼らを正しく支える精神の柱が与えられていなかったのだことをよく知ってくれ。死者をおそったそのものに君自身どう対したかをしらべずには決して死者を誇るな。


 戦争、それにともなう圧迫や弾圧。それらからの解放。そうした文脈と2011年3月から顕在化したもろもろのもんだいを、安易に結びつけることは無意味だ。けれど、死者にたいする態度は、十二分に学ぶことができる。

 
 命を失った人は、身近な人には何かしら語りかけるような、そんなことがあるかもしれない。そうした臨在はあるだろう。僕は直接よく見知った人を失ってはいない。そんな時に、どういう態度をとるべきか。


 「死者をおそったそのものに君自身どう対したかしらべずには決して死者を誇るな」。


 地震や津波に、どう対したかと言われると答えに窮する。けれど、万が一そうしたことが起きた時のために、予めの準備をしていたか。個人としての備えを言うのではない。社会としての備え。地震や津波だけが死者を襲ったのでは、おそらくはない。そして起きた後にどのような対応が社会として、政治として為し得たか、あるいは為し得なかったか。そして、原発事故とその対応……。

 
 そうしたことを、自分なりに引き付ける努力をまったくしなかったわけじゃない。しかし、根本的に欠けていたのは、それらを「死者をおそったそのもの」として捉えること、そして自分自身が「どう対したか」をしらべる姿勢だ。ここを棚あげしてしまってただの懺悔に終ってしまったら、何の意味もない。若松英輔さんの言われること(「死者がひらく、生者の生き方」、『死者との対話』)が、じわじわと効いてくる。

 
 が、ここは「五勺の酒」に話を戻そう。
 

 そもそもこの作品を書きながら読み始めた当初は、「運動」のド真ん中にあった中野重治が何故こうした作品を書き得たのか、こうした作品が今においてなお生み出されなければならないのではないか、そういう思いがあった。それは今も変わらない。けれど繰り返し繰り返し読むうちに、そういう気負いは自分の中で鳴りを潜めていくのが判る。自分がこの作品から何を得られるか。どこに沈黙を強いられるか。


 「死者をおそったそのものに君自身どう対したかしらべずには決して死者を誇るな」。


 この一文が自分に突き付けられる。なぜ突き付けられると感じるかを考えていくことが、中野が造形した校長の心情へ連なっていく道ではあるまいか。その道の先には中野その人がいる。中野その人の向こうには、その時代に生きていた人と死者とが、同時にいたに違いない。


 そこに触れたい。その触れた手で、いま現在をつかみなおしたいのだ。



 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-11 21:29 | 批評系 | Comments(0)

中野重治「五勺の酒」について(その十四)

 「僕らはだまされている。そして共産主義者たちがだまさせている。これが僕個人のいつわらぬ感じです」と記した校長は、「なぜ」という問いを具体例をいくつもあげて問うていく。共産党、あるいは共産主義者に対する疑問。怒りもあるかもしれない。どれひとつとってもまっとうなことだ。だが、この執拗さは何によって生ずるのだろうか。


 新人会に拒絶され、さびしい思いを抱き、しかしながら子どもたちの前青春期を守ろうと軍人教官とやりあい、妻の坐りだこを慈しみ、わずか五勺の酒にクダをまきつつ、子どもの、あるいは未来への、未練を認める。手紙を誰にあてたかは知らない。共産党員か、それに近しい人なのだろう。

 
 運動あるいは何らかの問題に具体的に関わっている人に対し、それに比較的近しいと自覚している人が、その自覚の故に厳しいことをぶつけるということは、ありふれた光景だ。ある時は突き付け、ある時は突き付けられ、そんなことに心底疲れてしまった僕には、それをありふれた光景だということだけしかもはや残されていない。


 突き付ける側に立つ時、それが悪しき「評論家」でないならば、一定の自負のもとに何かを突き付けているわけだ。自分ならこうやる、自分はこうやっている、お前のやり方はダメだ、お前は判っていない、オレハオマエノシンパナノダゾ……。もんだいはふたつある。


 ひとつは、善意であれ悪意であれ、こうした批判の中には、もちろんのことながら相当程度の正しさが含まれているということ。


 なぜ共産主義者が、むかしその運動が思想運動といわれたことがあったのを忘れたかのように、国民の思想的啓蒙の仕事を原論の稀釈にこんなにまだまかしているだろう。


 共産主義者に対して、これほどまでに手痛い、まっとうすぎるほどまっとうな批判があるか。政治か文学か、という問いのたて方がどれほど有効か知らない。けれどおそらくこうした批判に、政治では答えられぬだろうと予想はできる。政治的な正しさでは解決しない何ものかが執拗さとなって現れる、そのように思えてならぬ。何を思って中野重治はこれをえぐり出したか。批評家に任せる。ただ僕は驚嘆するだけだ。


 もうひとつのもんだいは、果たして突き付ける側は、共産党や共産主義者が存在していなかったあるいは何かを言ったりやったりしていなかった場合には、自分自身の意見を自覚していたのか。誰かが何かを言ったりやったりした時はじめて、自分の中の何かが駆動する、そんなことがありはしないか。


 僕はいつか『アカハタ』でメカケのことを読んだ。事がらは忘れたが、メカケにたいする軽蔑の気味がその文にあった。メカケを軽蔑せよ。それは軽蔑されるべきだ。しかし共産主義者よ、メカケが一人のこらず女だったこと、弱い性だったことを思い出してくれ。女でも金持ちはメカケにならなかったことを思い出してくれ。美しい、たのしい肉体、彼女らはそれ一つをつかうほか生きる手段がなかったのだ。メカケをメカケ所有者から切りはなさぬで考えてくれ。しかしメカケ持ちについてさえ考えてくれ。家とその法とが、そんなことでやっと恋を恋として変則に成り立たしたこともあったろうことを考えてくれ。


 メカケにたいして、メカケ持ちにたいして、このような見識を予め校長が持っていたか。こうも具体的になったのは『アカハタ』の一文を見てからであろうことは想像に難くない。だから共産主義者の存在は有意義だとか、そんなことを言いたいんじゃない。おそらくもっと普遍的なことだ。どっちが偉くてどっちが正しいとか、そういう次元じゃないことをイメージしている。以前にも引いたが、今一度。


 たとえば僕にとって、文章を書くことで生きると覚悟した人は、たとえ主義主張が敵対していても、その人がいなければ空間が成立しないという意味では否応なく味方でもあるわけです。そのように敵対性を回転させるものが資本のなかにある。


 大澤信亮さんの言葉だ。この言葉は「資本」あるいは「市場」を巡ってのもの。天皇制、家、あるいは民族道徳がもんだいとなる「五勺の酒」に、そのまま引き寄せるのは強引に過ぎる。けれど、何かが通じている。メカケを軽蔑した『アカハタ』と、いやそうじゃない、じっさいのところをもっとよく見てくれと切々と訴えかける校長との関係。野合でも慣れ合いでもつぶし合いでも相互無視でもない関係。物騒なことを言えば、生かしながら殺しあい、殺し合いながら生かす、そんな関係。

 
 そんな関係がもし成り立つとするならば、両者を紡ぐものは何であるか。資本なり天皇制なりはハードとしてある。しかし、執拗さはそれらによって解決することはないだろう。永遠のたたかいが繰り広げられる。それに終止符を打つプログラム――それは死者であり、それに通ずる言葉である。



 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-09 23:11 | 批評系 | Comments(0)