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若松英輔連続講演(7/28追記)

 昨春から代官山蔦屋さんで開かれていた若松英輔さんの連続講演が、ひとまず終了した。8/5にはextraとして『想像ラジオ』を読む機会があるようだが、ひとまずは昨日7/25の講演で区切りということのようだ。


 いままでにもしばしばここに、あるいはtwitterで書いたりもしたのだが、矛盾するかもしれないし重複するかもしれない。構うもんかと思う。兎に角いま、書く。

 
 慶応義塾大学出版会さんのサイトから、演目を抜き出してみる。

■前半全7回 井筒俊彦 「存在はコトバである」

●「詩と哲学」
 第一回 私の原点―井筒俊彦と小林秀雄(1)
 第二回 井筒俊彦と小林秀雄(2) 
●「コトバの神秘哲学」
 第三回 井筒俊彦と白川静 
 第四回 井筒俊彦と空海 
●「宗教と叡知」
 第五回 井筒俊彦と柳宗悦 
 第六回 井筒俊彦と鈴木大拙/西田幾多郎 
 第七回 聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治(併せて前半のまとめ) 


■後半(全6回)
 地下水脈としての近代日本精神史

 第1回:正統と異端 2月28日(木) 
 第2回:精神と霊性 3月28 日(木) 
 第3回:美と実在 4月25日(木) 
 第4回:詩と哲学 5月23日(木) 
 第5回:啓示と預言 6月27日(木) 
 第6回:時と時間 7月25日(木)


 以上全13回のうち、第三回と第四回の二回欠席。あとは無遅刻ですべてを伺った。なので、自分自身の変化、若松さんと会場との関係の変化といったものは、おおよそ体感していると思う。

  
 最初の二回は、今思い返しても実に沈痛な気持ちで伺い、そして考えていた。自分の抱えている問題が、ひょっとするとここで何か打開できるのではないかという思いと、いや、そもそも自分の問いのたて方が――ということは僕自身の根底がということでもある――根本的に間違っていたのではないかという不安。そんなものがどうしようもなく、ないまぜになっていたのであった。


 そもそも、若松さんとの出会い方において、僕は極めて不真面目である。最初のうちは、「あ、こういう人が出てきたんだな」というほどの受け止めであって、池田晶子さんが苦手な僕は――今読みなおすと違うかもしれないとは思っているけれど――、なんとなく敬遠していたのであった。しかし、本屋という商売柄、何かあるぞこの人は、という感覚は当然あるのであって、しばらくのあいだ若松さんは僕にとって、「自分で読もうとは思わないが、読者をつかむ何かは持っている方だ」という存在であった。


 その認識の変更は、上原專祿に若松さんが言及されてからであった。

  
 その割に大して読み切れてはいないが、僕にとって上原專祿と高島善哉の存在は揺るがし難い巨人として常に僕の脳裏を離れない。このふたりに出会えたことに僕の学生時代の全ての意味があったし、どうにかこうにか今僕が生き延びていられるのは、このふたりのやってきたこと、やろうとしてきたこと、そのおかげであるといっても言い過ぎではない。

 
 高島善哉には弟子がいた。上原專祿は「私には弟子は一人もいない。仏教と世界史の両方が出来なければね」といった趣旨のことを呟いたという。だが、上原の言葉は、弟子であると否とに関わらず、着実に、たとえほんのわずかな人数であっても、後世を生きる者の魂を揺さぶり続けてきたのだ。僕もまた、そうしたひとりである。学生にとっては決して安価ではない著作集を、少しずつ揃えていく。古本屋で単行本を買う。そんなことを少しずつ続けてきた。上原の本だけは、どうしても寝ころんで読むことが出来ないのだ。


 閑話休題。だからこそ、忘却の彼方にある上原に言及した本や著者というのは僕にとってかけがえなく大切な存在だ。若松さんの文章をちゃんと読もう、と思ったのは『魂にふれる』からだ。そうした意味で、僕はたいへんに独善的な読者である。だから、講演に最初に参加した時にも、上原に言及してくれたという僕の一方的かつ不遜な感謝はありつつも、「代官山でどんなイベントをやっているのかな」「若松さんはどんな風にお話をされるのかな」という、半ば野次馬根性なのであった。

 
 それが、第一回で一変した。細かいところは、多分当時のノートを引っ張り出せば再現できるかもしれない。走り書きとはいえ相当な量をメモしたから。しかし、そんなことは問題じゃない。「ここにはなにかある」という衝撃と、その衝撃を受け止めきれていない自分と、その両方に引き裂かれそうになったのだ。


 「誰誰がこう言っている。別の誰誰はこう言っている。そんな比較にどれほどの意味がありますか?」


 そんな主旨のことを、何度も若松さんは繰り返し語る。その意味が、体で判ってきたと思えるのには数カ月を要した。お話を聞き、なるほどと思う。帰る道中考え込みながら代官山駅まで、あるいは渋谷駅まで歩く。ああでもない、こうでもない。そんな自問自答を繰り返すことなく、ただ言葉を味わい、自分の中に沁み入って来るのを待つようになったのはコートを着るような季節になってからだった。


 僕は悪筆だが、速記的にメモし、それをテープ起こしのように再現することにかけては少し自信がある。だから、どんな講演でも、比較的よくノートを取る。だが、ここしばらくの若松さんの講演では、せいぜい1頁程度しかノートを取らなかった。若松さんが紹介される言葉、つまり、若松さんを通じてその場に現象する「叡智」そのものと、触れることが大事なのだし、またそれでじゅうぶんなのだ、ということに身体の感覚として気づいていったからだ。「感じる」ことの大切さを若松さんは繰り返し説く。僕にとってそれは、こういうこととして具現化されたのである。

 
 ある時期、若松さんの講演を聞いた帰りにはずいぶんと謙虚な心持になっているのに、なぜ次の日仕事に戻ると謙虚さを忘れてしまうのだろう、と少し悩んだ時もあった。メンターとしてではなく――僕は若松さんの「信者」ではないし、誰ひとりとしてそうあってはなるまい、と思う――、一般的な意味で「他者」なくして自己認識はない、というほどの意味に解していたのであったが、もっと大きな「叡智」に日常的に触れる/触れ得る自分に気づくことの方が大切だ、と実感を込めて思えるようになってきたのが、先月の講演の帰り道なのだった。


 僕にとってこの連続講演のあった1年少々の時間は、連なることに大きな意味があった。一回きりであって一回きりではない。壊して一から創るものと、連続するもの。それらを成り立たせる、大きな何ものか。ポーの世界?

  
 みなさん自身が書くということが大事なんです、若松さんはそうおっしゃった。日々何かにふれている自分に気づく、その体験を書く。それがどんなものになるのか、想像できない。けれど、「筆と爆裂弾とは紙一重」(二葉亭四迷)というのは、そういうことかもしれない。

 
 どんな言葉を、僕は刻みつけていけるだろうか。


追記

 上原專祿著作集版の『死者・生者』、出版社在庫を代官山蔦屋さんは全て仕入れたという。目の前で何冊も売れていったのを目の当たりにして、覚えず目頭が熱くなった。こんな日が来るとは。こんな光景を見ることが出来るとは。

 
 今も残っているかどうかしらない。しかし、古本屋でもしばらく見かけぬように思う。入手の機会はそうあるまい。ちょっとでも興味を持たれた方はぜひ、蔦屋さんに問い合わせてみて頂きたいと思う。断じて損はしない。
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by todoroki-tetsu | 2013-07-26 22:05 | 批評系 | Comments(0)

大澤信亮『新世紀神曲』単行本刊行にあたって

 昨晩ちらと触れたことについて、ちゃんと記しておこう。

 
 大澤信亮さんの第二弾目となる単行本、『新世紀神曲』が5月末に出る。嬉しいことである。一読者として嬉しいというだけでなく、こうした「これを読むとここで紹介されているこの本が読みたくなってくる」と思われるような作品が出れば、それだけ他の本も売れるというものだ。それが何よりド定番というか、王道に向かうところがいい。枝葉の「知識」などはどうでもいいのだ。


 宮沢賢治しかり、柳田國男しかり。食うこと、暴力、「その人」……どれをとっても個別的かつ普遍的な主題である。最新の知見と古典の言葉が入り乱れる。旧い物のなかに新しいものを、新しいもののなかに旧いものを、見る。見えるもののなかに見えないものを、見えないもののなかに見えるものを。

 
 要するに、古くて新しい問いに常に全身全霊で立ち向かう批評家と、僕たちは同時代にめぐりあっているということだ。耳触りのよい言葉などありはしない。だが、そこには僕たちの生きる足元を照らす光がある。


 この光のイメージは、どうしても僕のなかから拭い去ることは出来ない。無意識的に「朝日のような夕日をつれて」を参考としているだろうが、それはどうでもいい。以前に記した文章を再録させて頂こう。「出日本記」に触れてのことである。


 今まで、大澤さんの文章を拝見していて、ひとつのイメージが出来上がりつつあった。というよりも、読みながらどうしても僕の中でイメージされていく映像。それは、教会と思しき建物の中で、ひとりステンドグラスから差し込む光に照らされている男の姿。


 彼はしっかりと立つ。何かをつかもうと手を上方に伸ばす。目はしっかりと光の先にある何かを見ている。光の先にあるのは具体的な誰かであるのか何か、判らない。その人自身にも判らないのかもしれない。けれど確かに、光のほうを見上げて目を逸らそうとはしない、決して。


 『神的批評』に収録された文章、ならびに「復活の批評」は、すべからくこうした映像を僕に喚起させるものであった。では、その姿を見ている自分はどこに立っているのか。それが僕の読み手としての問いであった。けれど、「出日本記」から喚起される映像は、こうしたものとは少し違う。


 同じく光は、ある。が、差し込む光のイメージが違うのだ。ステンドグラス越しに上方から差し込むのではなくて、それこそより直接的に太陽から降り注ぐような光の輪。その輪に差しかからんとする場所に、彼は立っている。いや、もうすでに光の輪の中に足を踏み入れているのかもしれない。


 気がつけば僕の足元すぐ近くにも、光の輪はぼんやりとは届いていて。さあ、お前はどうするのだ、といよいよもって迫ってくる。


 「柄谷行人論」や「批評と殺生」などに特徴的に見られる、エンディング直前におけるたたみかけるような否定語の連続が「出日本記」にはない。それのみが光のイメージの違いの理由なのかは判らない。「新世紀神曲」のエンディングも目立った否定語の連続は見られぬけれども、「光の輪」が僕自身の足元にも届いてきているというイメージを抱くことには変わりなく、それは関係あるのかどうか。ついでに言っておくと、「新世紀神曲」のラストは大江健三郎さんの『洪水はわが魂に及び』を僕に連想させるものであった。


 さらに言おう。「小林秀雄序論」(「新潮」2013年4月号)において、大澤さんは小林の「私信」「再び文芸時評に就いて」――批評と創造・創作についての言葉――から引用をしたあとこう続ける。

 ここには何か根本的な態度の変更がある。社会通念としての評論を書いていた者が、社会通念としての創作を試みる、そんなことではない。数々の論争を行った人間が達した境地である。この言葉を文字通りに受けるには、受け取る側にも準備がいるのだ。


 こう記された言葉を、僕たちが読むにも準備がいるだろう。さらに、「数々の論争を行った人間が達した境地」とあるところに注意しておきたい。

 
 大澤さんは為にするような批判はしていない。論争がどの程度あったのかなかったのか知らないけれども、無駄な喧嘩を吹っ掛けたような印象は持たない。何か大物とされるものに対して虚勢を張り、闘った気になっているような言葉など、どこにもありはしない。それを見抜けぬ読者は、見抜きたくない自分に気づくことから始めなければならない。そこに気付いて虚心に読めば、ただ問いを生きていこうとする生身の批評家の姿が浮かび上がるだろう。

 
 ここまで記してようやく、本題に入ることができる。


 新刊案内といってもいろいろあるのだが、大手取次が週次で出すものがわりあいに書店の世界では一般的だ。そこで『新世紀神曲』がどのように紹介をされているか。ネットでも確認できるからそこを参照しよう。e-honではこうある。

 言語ゲームはもう終わりだ。闘って問え。問うて闘え。『神的批評』で劇的なデビューを遂げた新鋭、待望の第二作。「超批評」三篇。

 
 正直に言って、初見時に大変違和感を覚えた。これは駆け出しの新人を売り込むような文句ではないのか。ことさらに「闘い」などと言う必要がもはやあるか? いささかあざとくはないか。言葉数少ないところで目立てせなきゃいかんのは確かに判るが……。前述の「境地」を思わせるのは難しかろうが、これでは真逆ではないか。


 新潮社のサイトでの告知はさすがなものだ。これを目にして安心すると同時に、キャッチフレーズ的な文句をひねり出さざるを得なかった、おそらくは担当の編集さんか営業さんだろう、その苦労も改めて偲ぶのだ。

 名探偵・犬神修羅。彼と共に密室に閉じ込められたのは、実在する現代小説の主人公たち。謎めく空間から抜け出すため、彼らの「愛」を巡る言葉の饗宴が始まる!――これは批評なのか。これが批評なのだ。前代未聞の表題作他二篇を収録、『神的批評』に続く評論集。

 
 とはいえ、文句を言うだけなら誰でもできる。肝心の今更こんなことをしてもしょうがないが、60字以内のしばりのなかで、例えばこんなフレーズならどうだろう? 

 『神的批評』から二年半。待望の第二作は現代小説の主人公が織りなす「神曲」! 批評を超える「超批評」。表題作含む三篇。

 
 「超批評」というのがよく判らないが、何となく判る。それを活かして、「神」のつながりを意識させたいと考えるとこんな風になる。


 が、こんなことはどうでもいい。既に単行本を出し、この二年半のあいだに不定期ながらも王道の文芸誌各紙に評論を掲載してきた批評家を売り込もうとする時、このような惹句でしか書店員が気付けない、あるいは気付けないと思われている情況こそが、書店員である僕の直面するもんだいである。

 
 読者としては、単行本になって改めてじっくりと読みたいと思う。書店員としては、いかに多くの読者に買ってもらうか、そのための準備をいかにすべきかと思い悩む。楽しさと苦労の入り混じる、何とも落ち着かない日々が続きそうである。
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by todoroki-tetsu | 2013-05-04 10:04 | 批評系 | Comments(0)

「神と人とのあいだ 第二部――夏・南方のローマンス」

 僕が木下順二さんをちゃんと読もうとするきっかけがこれであった。厳密に言えば、この作品にある台詞、

 取り返しのつかないこと――でも、その取り返しのつかないことをあたしは取り返そうと思うんだな。


 これに仮託して「失われた10年」への静かな怒りを込めた二宮厚美さんの一文にふれたことによる。岩波の「木下順二集」は僕の書棚の一角を占め続けている。

 
 戯曲は繰り返し読めるが、舞台でお目にかかれることはめったにない。「神と人とのあいだ」の第一部「審判」は、2006年にようやく観る機会を得た。そして今回の第二部「夏・南方のローマンス」は2013年4月。場所はどちらも紀伊國屋サザンシアター。どちらも生で見られたのは僥倖といえよう。


 僕が観た回(4/15)ではワキを固める役者さんにトチりが重なったのが残念ではあった。が、メインを張っておられる方々はもちろんのことしっかりしておられ、特に女A(戯曲では「トボ助」と明記)・女B(同じく「希世子」)のお二人、桜井明美さんと中地美佐子さんの対峙は素晴らしく感じられた。

 
 その上で記すのだが、役者さんはもちろんのこと、観ている僕も、不遜な言い方をすればその場に居合わせた総体としての観客ぜんたいが、木下さんの繰り出した言葉の重みに持ちこたえられていないように感ぜられたのだ。それは例えば女Aたるトボ助のこういう台詞。

 うるさいよ! あたいはあたいを説き伏せているんだ。言葉であたいにそう思いこませようとしてるんだ。言葉はあたいの商売なんだよ。自分で自分をそう思いこまされもしないで何が人前でものをいえるもんか。 

 僕だって一度や二度でない程度には戯曲を読んでいる。読んでいて迫力を感じたのはもちろんだが、台詞は役者さんの生身を通じて発せられ、椅子に坐る生身の僕の耳に目に飛び込んでくるとその力は想像をはるかに超える。失語。

 
 もうひとつあげて見よう。男Aと鹿野原の戦犯裁判の控えた場面でのやり取り。最初は男Aから。

――罪? 罪って、罪があるからおれたちつかまっちまった。そうじゃねぇのか?

――お前こそばかだな。こっちでそう決めてかかる奴があるか。つかまえたほうがつかまったほうより偉いときめこんじまうのが日本人のいけないとこだ。卑屈な根性だ。

――なるほど。テキさんだってうんと悪いことやってるに違いねえ。

――だから同格さ。けどテキさんは、今や自分を神さまだと思いこんじまってる。

――なるほど。

――けど、こっちが勝ってたらおれたちも自分を神様だと思いこんじまうにきまってる。

――はあ――

――そこンとこなんだろうな、“罪”っていう問題は。



 なぜ今これが再演されたか、その理由は僕には判らない。しかし、今なお続く戦争責任の問題にとどまらず、さらに根源的・あるいは普遍的な何ものかに近づこうとする無意識の力が働いたように思えてならない。いや、そうした力に用いられたというのが正しいのか? 

 
 その何ものかに、役者さんも僕も僕以外の観客も、同時に触れたのだ。ためらいも戸惑いもあってそれは当然であるだろう。


 戦争責任を描いた戯曲としてこの連作が優れているのは言うまでもない。それは先に引用した台詞でも判るように、何かを一方的に断ずるようなものでは決してない。おそらく虚心に接すれば、かなりの程度思想が異なる人でも共感し得るものが少なからず含まれている。中野重治「五勺の酒」に通ずるものがあると僕は感ずる。


 言葉の重みに耐えきれない、という体験はけっして悪いことではない。逃げ出しさえしなければ。あるいは、早急な解決を求めて、沈黙を恐れるというだけの理由で言葉を発する事さえしなければ。さいきんの僕の体験に引き付ければ、それはやはり失語というほかはない。その体験を通じて何ものかに触れる。

 
 失語とは、自分に折り返された問いへの「もがき」なのかもしれない。
  
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by todoroki-tetsu | 2013-05-02 18:22 | 批評系 | Comments(0)

大澤信亮「復活の批評」再読その二――失語について

 「新潮」2013年4月号。山城むつみさんの「蘇州の空白から」と大澤信亮さんの「小林秀雄序論」を数度読み返している。山城さんの論考は、ジュンク池袋本店さんでお話されていたことを思い起こしながら読んでいる。

 
 事前/事後という表現を山城さんはその時に使われた、と記憶している。その意味の細かいことはいまだに理解できているとは思わない。が、この時に得たイメージは僕の仕事においても生活においても奥深いところに潜み続けている。

 
 この講演の時にとったメモを紛失しており、残念なことをしたものだ、山城さんはあまりこういう場でお話をされない方らしい、と後で聞いて残念さが更に増したのだが、部屋を片付けていたらひょっこりとメモが見つかった。走り書きを読み返しながら、記憶を掘り起こす。1946年11月3日という日付の意味(「五勺の酒」の世界との重層性!)については今回の「蘇州の空白から」でも述べられているが、このお話を最初に伺った時の身震いが蘇って来る。

 
 「復活の批評」を読む。「蘇州の空白から」を読む。「小林秀雄序論」を読む。そして「ドストエフスキイの生活」を読む。電車に乗ってる時間だったり、余裕があれば昼休みや早く帰った夜などに。そんななかでも仕事と生活は変わらない。朝起きてメシを食って10時間から14時間の仕事をして時に一杯ひっかけたりひっかけたりしなかったり、風呂にゆっくり入ったりさっとすませたりしながら、いよいよもって立ちゆかなくなってきた遠方の両親の生活のことなどを考えたり忘れたりしながら、結局どうにかなるさと思って寝る。
 

 こんな仕事と生活のなかで批評文を読むことは僕にとって不可欠のことのように思われる。何の必要があるかと問われても答えられやしない。生き延びるため。そうかもしれない。ただ、別に大上段なこっちゃない。ゲラゲラワッハッハな文章ではないが、そこには何か大切なことが書かれているという感覚が、ある。いや、これらの批評文はいま僕が心底読みたいと思うような、そういうものであるのだ。「……伝えるからには面白くありたい。娯楽に満足できない気持ちを表現するなら、その試み自体が娯楽以上に面白くなければならない」(『神的批評』あとがき)。この言葉に読者として、「娯楽以上に面白い」と言い切りたい。


 しかし。しばしばふと思う。仕事や生活からの逃げ場所を批評文に求めているだけではないのか。読んでいる最中は、たとえわずかであっても文字通り時間を忘れる。じっさい今回の「新潮」初読時には電車をふたつかみっつ乗り過ごしている。本屋としてはそう問題のある行動ではない。本を買って読むという行為が無ければメシが食えぬ生業なのだから。


 問題はそこではない。大澤さんを読む。山城さんを読む。小林さんを読む。その時僕は、自分を問うことを忘れてはいないか。他人の文章を読み、感心する時の僕はいったん作品に入り込む。が、頁を閉じた時にはすぐさま仕事の段取りや生活について考える。どこかで余韻は残っているけれど、頭は基本的にパッと切り替わる。

 
 これは当たり前のことなのだ。今までそう思ってきたし、今でもそう思っている。批評文にほんとうにぐうの音も出ないほど突き付けられた時、「失語」という言葉でその体験を表現することは出来る。そう言ってみせることなど、難しいことじゃない。もんだいは、「失語」の意味を問い続けることだ。しかし、このドーナツの穴のような体験を言葉にしようとすることはたやすいことじゃない。


 「復活の批評」再読中に僕を見舞った「失語」――それは他者からもたらされたものでもあり自己の奥から生じたものでもある――のさなかにも、日常生活は何の滞りもなく過ごした。テキストをあえてうっちゃっておいた時期においても、問いは僕のなかで生き延びていた。


 「自分を問う」ことの大切さを説く批評に感心している自分が、その言葉を額面通りには決して受け取れていないという感覚。「自分を問う」という言葉ですら「消費」出来る自分への、戸惑い。そこから始めるほかないのだという嘆息と、少し清々している自分の奇妙な同居。


 書くことで狂うことがあるのなら、読むことで狂うことだってあるだろう。狂気の善悪など誰にも判断できやしない。


 「筆と爆裂弾とは紙一重」の意味に、ほんの少し近づけてきたのだろうか。
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by todoroki-tetsu | 2013-03-24 20:53 | 批評系 | Comments(0)

大澤信亮「復活の批評」再読

 大澤信亮さんの「復活の批評」を、発売からそう遠くないうちに僕は読んでいる。そのことは当時に記したとおりだ。いつかはちゃんと形に残るような再読をしておこうと思っていたのだが、TWITTERでの着手は昨年末。タグはまんまの #復活の批評 。

 
 「見る者が見られる」「読む者が読まれる」……たしかにそういう感覚は初読当時にあった。それは「読むために書く」という実践と認識に引き継がれつつ今も僕のなかにある。だが、着実に何かが進行した。それが、昨年12月24日から今日まで、何度となく中断を強いられつつの「復活の批評」再読であったのだ。その意味するところがさっぱり判らないでいるし、そもそも書くことでそれが表現出来るのか見当もつかない。取りこぼす何かがきっとあることを前提に、記す。

 
 内省への、内省にまつわる思考をたどる時、読み手あるいは読むために書こうとしている僕に突き付けられたのは、「この言葉を理解したと言えるのはどういうことか」という問いであった。「たとえば、書くとはどういうことかと考えるとき、それを書いている『この私』自身が分析の対象に含まれざるを得ない」という言葉に同意するのなら、「それを読んでいる『この私』自身も分析の対象に含まれざるを得ない」。

 
 そうした問いは、具体的には以下のように僕にあらわれた。再読初期の12月26日のツィートを以下に録する。

 「たとえば、書くとはどういうことかと考えるとき、それを書いている『この私』自身が分析の対象に含まれざるを得ない。(略)/これは、書くことのなかに絶えず自分を織り込むタイプの記述がもたらす感覚だが、べつに方法的なトリックによるものではない。目の前の現実を問おうとすれば、その現実を見つめつつ、それを疑う「この私」が要請されるだけだ(だから、『私』と書けば疑っていることになるわけではないし、必ずしも『私』と書かれる必要もない)」。この()内の指摘がこの上もなく僕にとっては重要になる。どういうことか。


 「自分を問う」あるいは他者に対して「お前は自分自身を問うているのか」と問う言葉。ある世代に或る程度共通する感覚かも知れぬがそれはさておき、そうした言葉を読み耳にし時には口にする僕自身が、形骸化させてはいないか、という問題。


 自分を問うているように見せかけて実は他者に何ものかを突き付ける。会社員を10年強やって来てそんなテクニックはいつの間にか身につけた。いや、90年代半ばの学生運動で既に僕はそうした振舞いを身につけていたのではなかったか。何の為でもない、ただ自分が逃げるために。


 本気で自分を問おうとしていて、しかしいつの間にかそれはただのフリになっていて、そこに気づかぬままにさも自分は自分を問うているのだと思いこんじゃいなかったか。今こう記しているこの文章すら、フリではないのか。


 内省がその拒絶に転化するのが必然であったとしたら、その必然を意識するならまだましなほうだということになる。無意識に、さも内省しているかのように見えてその実まったく内省に至っていない思考。それこそがもっとも深い病理ではないのか。じゃあ、これを読んでいる俺はなんなのだ。


 「対象自体に自分が含まれる記述を続けていると、やがて能動と受動、主体と客体が入り乱れる瞬間がやって来る。自分が言葉を書いているのか、言葉が自分に書かせているのか」。読み手である僕にも同様のことが今起きている。



 内省の困難と大切さと可能性を論じる言葉に「なるほど」と思い、「もっともだ」と読み手である僕自身が感じる時。「資本制の商品交換を破壊する、そのような言語使用」を目指して苦闘するその言葉を、「知的消費や感動消費」としてしか受け止められていないのではないのか。かといって、社会運動的な何かにちょっとばかり参加してみて何かをやった気になるような問題でもこれはない。

 
 繰り返し読んでいけば何か判るかもしれない。そう思って幾度も頁をめくり戻りつするうちに、内省を拒絶しようとして大澤さんの言葉を読んでいる自分を発見するようになる。内省は確かに大事ですね、その理由を突き詰められたら、結局「大澤さんが言っているから」というくらいにしか答えられない自分を発見する。


 なんだその矛盾は、と思われるだろう。その通りだ。何せ他ならぬ僕自身がそう思ったのだから。

 
 以前の僕なら、ここで開き直るか、とってつけたような自戒めいた言葉でお茶を濁すかしただろう。今回は、いっぺんじっくり立ち止まろうと決めた。こういう態度で臨むことが出来たのは明らかに若松英輔さんのお話をこの間何度か伺ってきた影響であるだろう。
 
 
 立ち止まっているさなかにも折に触れ読みなおし、あるいはしばらく放っておこうと机の片隅に追いやってみたりもした。そうしたなかでも普通に会社で働きメシを食い、多少酒を飲んだりしながら寝る、その日常生活にとくだんの変化は表面上はない。

 
 何かが深化しているのか、それとも何かが蝕んでいるのか。そして、「受肉」とは何か……そのことについては別に記そう。
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by todoroki-tetsu | 2013-03-15 21:38 | 批評系 | Comments(0)

近過去から

 都知事選・総選挙の結果を受けて、様々に思うところはある。いまだに形にならないことのほうが多いけれども、ふと、近過去のこと、すなわち数年前の「蟹工船」ブームだの「ロスジェネ」だのといったことを思い返していた。あの時何かを間違ったのかもしれない。が、実感としては、あの時にわずかながらに得られた何かを、ほんの少し垣間見えたものを、忘れてはいないか、という自問に近い。

 
 近過去を思い返すのがもっとも難しい。そんなことを言われたのは確か市野川容孝さんだったと思う。ことあるごとに思い起こしている。

 
 整理はまだ出来ていない。が、保守だの革新だのといった次元での話は考えていない。主権者であるということはどういうことか。それが「上からのお説教」だとかいうんじゃなくて、自分たちにはそれだけの責任もあれば権利もあるのだということ。クロかシロか100かゼロかじゃなくて、自分に担えるだけのことを少しばかりでもやってみるとか、ある時は頑張るけどある時は休むとか、これは納得できるけどこれはイヤだとか、そういうことでいいじゃないか。何もかも自分たちで背負う必要もなければ突っぱねる必要もなくて、清算主義でもなく、みんなで生きてかなきゃいけないんだから、出来ることなら足の引っ張り合いじゃなくて、どうにかこうにかお互いに生き延びることができるようにしていこうや、という、そんな程度のこと。誰がダメだとか言うのもいい、対案を出せと言ってもいい、けど結局自分や自分の身の回りの人間が、出来ることなら他者の犠牲によってではなく、生き延びていくこと。


 そう、こんなのはまったくもって保守でも革新でもない。どちらかといえば「まっとうな保守」の再生を願っているのかもしれないとすら思う。「五勺の酒」で校長が党員でもないのに共産党のことを真摯に心配し批判するのと似たようなことだろうか。


 自分の行きつけの蕎麦屋が云々と言ったのは福田恆存であったか。大向こうの言葉よりはこうした言葉の方がよほど心地がよい。近しい人としゃべる言葉と大きなことをしゃべる言葉が、同じかどうか知らんが自然とつながりを持っているように思われる。断続していない気がする。言葉の問題の大きさ、重さをあらためて思う。

 
 僕が今回の選挙で一番反省すべきなのは、生身の言葉で身近の人間とほとんど語らなかったことだ。特定の候補者・政党に支持を呼びかけるという意味での「対話」ではなく。自分たちの働いているということそのものが、決して政治と無縁ではないのだということくらい、もう少し話し合ってみることは出来た筈だ。


 投票日当日――本屋にとって12月半ばの週末なんてのは一年の中でも一二を争う書き入れ時だが、早朝出勤をしなければならなくなった同僚がぼそっと、「ああ、投票いけないな今日は。しょうがないな」とつぶやいた。前日も遅くまで仕事をしていたのを知っている僕は、とても「7時には投票所あいてるんからギリ間に合うんじゃないの」とは言えなかった。ましてや棄権を咎めることなど出来やしない。

 
 こういう次元で、場で、どれだけのことが言えるのだ。「沈黙もまた言語」(吉本隆明)である。が、その先は。


 手がかりになるような何かに、僕はかつて触れた気がする。記憶を掘り起こす。「あくまでも左翼は人びとの社会的生活を条件づけるものに介入するだけで、それぞれの人の生き方や実存の問題にはけっして介入しない」(萱野稔人、「なぜ私はサヨクなのか」、「ロスジェネ」創刊号所収)、「過剰な労働で燃え尽きていく人のリアリティと、生きづらくて働くのも難しい人のリアリティ」(杉田俊介、『フリーター論争2.0』)……これらについては2008年に記していた

 
 まてよ。もう少し遡ってみる。「『人生、落ちるところまで落ちたとき、ミギだのヒダリだの言ってられますか』 バリバリの左翼からネット右翼まで」(小丸朋恵、2007年11月号の「論座」所収)。そう、ここだ。短いが、印象的なルポルタージュである。もはや容易に読める環境にないのが残念だけれども、強引に要約する。もちろん、僕の関心に沿った恣意的なものであることはお断りせねばならない。機会あらばぜひ本文にあたって頂きたい。


 契約社員としてシビアな状況を強いられた若者が、ふとしたきっかけで組合の扉をたたく。あれこれ一緒にやっていく。小林よしのりさんを尊敬する彼は、自分の思想信条を吐露したことをきっかけに、他の組合員とやりあうことになってしまう。辞めてやる、と思う。しかし、様々な苦しかったことなどが頭をよぎる。他の先輩格のスタッフからも引き留められて彼は思う、「僕たちは『仲間』なのかなあ――」。しかし彼は、結局は組合に残る。「僕たちは『仲間』なのかもなあ――」という言葉を以て。


 「僕たちは『仲間』なのかなあ――」と「僕たちは『仲間』なのかなあ――」(下線等々力)とのあいだにあるもの。ためらい。この文章を何回かは読み返している筈だ。しかし、僕はこのためらいをなぜ「他者」のものとして、自分の外部にあるものとしてしか読まなかったか。こうしたためらいに対し、内在化することなく外からいかにアプローチすべきか、「理解」(!)すべきかとしか考えていなかったか。言葉に対する認識の圧倒的な不足を思い知る。


 言葉に対する認識は、そのまま人間に対する認識である。たった一文字の「も」に揺れ動く思いを想像すること。言葉に忠実であること。盲目的信仰ではなく、まっとうに畏怖すること。口にする、耳にする言葉を大切にすること。


 おそらくこのように思い起こすべきものが、まだまだ近過去には眠っている。容赦なくそれらは僕に襲い掛かってくる。さて、どれだけの勝負が出来るか。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-20 20:03 | 批評系 | Comments(0)

書くことと商売

 今日は若松英輔さんの講演。「聖夜の詩学―ディケンズ・内村鑑三・太宰治」と名付けられたそれは、実にすばらしい空間と時間であった。


 ここでその体験を語るのは野暮に過ぎる。ここでは講演の本題とは、外れてはいないが少しそれた部分のところを少しだけ記したい。


 今回は質疑応答の時間を多めに取っておられた。為に普段よりも双方向のやり取りが多かったわけだが、そのやり取りの中で、若松さんがこんなことを語られた。

 
 ――一連の機会を通じてやりたかったのは、文章をみなさんと読むということ。難しいことだろうが、さらにはみなさんと書くという作業をやってみたい。書く、ということが発表することと強く結び付けられたのはある種の不幸ではないか。誰に発表するでもなく、読んで書いてみる。そうすると書くことの難しさもよく判る。

 
 精確にメモを取れたわけではなく、うまく文意を再現出来ているか自信がない。が、言葉をめぐる体験の大切さを強調されていることがひしひしと伝わってきた、そのことだけは確かだ。


 さて、僕は他人が記した言葉のパッケージでメシを食っている。ゼニになる言葉のパッケージと、そうでない言葉のパッケージ。そのような分け方が僕には染みついている。ゼニにならないならなるように工夫しようじゃないか、というのが基本スタンスでもあり、だからある時には散々にこきおろすし、ある時には版元さんにおしかけて口を出す。


 しかし、何か根本のところで何か思い違いをしてはいないだろうか。自分のやってきたことにはそれなりの自負はある、だが……。

 
 自省するにはふさわしい寒さである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-13 22:53 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その六)

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は、彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。


 先に宮本の「宿命」に触れた。構図として、小林の批評の次元に宮本が立っていることを確認したいと思った。言葉でメシを食う覚悟をした小林を基準にし、何ものかになろうと決意はしたがいまだ学生であった宮本の言葉を差しはかろうとした。


 もちろん、ここは大げんかになるだろうな、というところを探すほうが容易である。二人が現実にどのように接点を持ち、あるいは持たなかったは知らん。80年前の言葉を引っ張り出して僕がやりたいのは対岸の火事の炎上ではない。二人の硬度から手前が何を引き出せるのか、ただそれだけがやりたい。その意味で、まず二人の立つ次元、極めて高い硬度を確認する必要があったのだ。

 
 しかし、僕が今小林の方に肩入れをややしていることは事実である。上記で引いた小林の言葉は、何度繰り返し読んでも飽きることがない。「人は種々な真実を発見することは出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である」。何と強烈なことか。

 
 宮本なら階級闘争を、社会変革を、ここで持ち出すだろう。宮本にとっての真実は外部にある。社会と言ってしまおうか。社会と個の関係。社会があるからこそ個がある、というのじゃない。個は社会との関係を正しく認識せよ、ということだ。この認識と、それに基づく実践は「無関心」を許容するが、「嘲笑」を拒否しよう。

 
 いっぽう、小林にとっての真実は自己にある。しかし、これとて他者と社会と没交渉なわけじゃ決してない。バルザックとマルクスを並行して論じた一文を思い出そう。「生き生きとした現実」の息づかいをどれだけ大切に思っていたか。そのために小林は「意匠」の化けの皮をはがしたのだ。そんなものはとっぱらっちまって手前の心底感じ取るものをつかめ。小林の真実はたしかに自己にある。しかしその自己は閉ざされたものではなく、他者との不断の交流に触れあい続けるものだ。「人は便覧(マニュエル)によって動きはしない、事件によって動かされるのだ」。

 
 どちらを取ればどちらを捨てなければならん、そういうもんだいではない。かといってどちらも取ろうとすれば、矛盾に直面することがあるだろう。しかし、何度でも繰り返すように、二人は同じ交差点に立っている。その後の歩みがいくら違っていようと、宿命が交差する瞬間があった。ならば、宮本と小林の違いは、この二人にのみ帰せられるのでもなければその後の嫡流・亜流にのみ帰せられるものではない。だれしもが直面する不可避的な違いである。


 いずれの道も険しい。迷うこともある。その時に立ちかえる交差点がここなのだ。そこから一度選んだ道をもう一度たどり直すか、別の道を選ぶかはそれこそ「宿命」に帰するだろう。「これを読んでいるお前さんはどうすんだい」と問われる……二人の文章に共通する読後感を僕はそう記したのだった。

 
 では、記さなければならないのは手前のことだ。断続的に書き散らしてきたが、「運動」もしくは「問題」について、その対する態度を固めたいというのが僕の希いだ。例えば「社会」を、「制度」を認識し、そこに働きかけることが解決策であるように思えた。それは現実であり、間違ってはいない。しかし、すべてを社会や制度にしてしまうと、結論先にありきのもの言いとなる。いつの間にか出来あがった型紙。その型紙が通用しなかった時、僕の取った態度というのは思い出すだにおぞましいものであった。そのおぞましさを自覚するのに長い時間を要したことがさらに事態を悪化させた。傷つけてはいけない人を傷つけた。取り返せるものはもう何もない。そう思いながらもまた過ちを犯している。


 しかし、かといって個別具体的な問題からスタートしようとすると、あまりにあらゆる問題がありすぎて、どうしたらいいのか判らんというのが正直なところなのだ。もちろん、いくつかの自分にとってたいせつな問題は、ある。やれることしかやれないし、やらない。それでよいのか。それではよくないのか。


 一度作った型紙を、ぶち壊す。後に残ったものを見据えよう。ただ一つの問題であっても、そこにきっちりと対峙していけば、何かが見いだせるかもしれない。そこからやり直すこと。何度でも、何度でも。発する言葉、耳にする言葉への感覚を、研ぎ澄ませること。


 小林から学ぶべきは、己の「宿命」を見出すこと。宮本から学ぶべきは、決意と実践である。その逆ではない。

 
 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-13 09:46 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その五)

   娑婆苦を娑婆苦だけにしたいものは
   コンミュニストの棍棒をふりまわせ。

   娑婆苦をすっかり失いたいものは
   ピストルで頭を撃ち抜いてしまえ。

                                       ――「信条」――

 この詩は明らかに次のことを意味する。史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるがそこにもまだ不幸は残っている。

 こういう世界観が到達する一定点こそ、芥川氏自身が身をもって示した悲劇であった。氏の「娑婆苦」は現代社会におけるあらゆる闘いの抛棄に氏をおもむかしめるものであった。


 きわどい。実にきわどい。小林なら一笑に付すかもしれぬ。ずっと不幸はなくならない、芥川はそこに絶望して自死したのだということか。しかし、宮本よ、不幸の残らぬ社会などあり得るか。


 宮本はこの時、不幸のない新社会を人間が作ることが出来ると、ほんとうに信じていたか。信じていたろう。しかし、その信は、もう一つの可能性をほんのわずかではあるが、隠し持っていたように思われる。「氏の文学に捺された階級的烙印を明確に認識しなければならぬ」と言う時、宮本は芥川を糾弾したのではない。「ブルジョア的芸術家の多くが無為で怠惰な一切のものへの無関心主義の泥沼に沈んでいる時、とまれ芥川氏は自己の苦悶をギリギリに噛みしめた」という言葉は、糾弾姿勢からけっして引き出せるものではなかろう。

  
 もう一つの可能性、それは芥川を、あるいは芥川的なものを、社会変革・階級闘争によって救い出そうとすることだ。全篇にあふれる芥川への敬慕を見よ。その時の新社会とは、不幸のないものではなく、不幸をみんなでなくそうとするものと観念されたはずだ。しかし、その観念は、そう確固たるものではない。新社会の障害になるものを克服せんとする時、味方にし得る者を敵に回してしまう危険性は常にはらむ。だが、すぐさま言葉をついで僕はこう言っておきたい。それはひとりコミュニズムのせいではなく、あるべき何ものかを共同で目指さんとする時に誰もが必ずぶち当たる障害なのだ。

 
 その意味で、宮本はその「宿命」を生き抜く覚悟を決め、実践した。これはやはり相当なもんだぜと思わざるを得ない。敬服に値しよう。では、お前はどうするのか。


 ……再び「様々なる意匠」に立ち返ろう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-12 20:49 | 批評系 | Comments(0)

「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その四)


 吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。


 「様々なる意匠」の冒頭である。言葉は、その独自の働きを持っている。独立して存在している。しかし、私たちは言葉を使ってしか考えることが出来ない。これは小林の確信である。そして、批評家として言葉に生きようと腹をくくった。


 こういう意味での確信は宮本にはなかったろう。かといって宮本が言葉を軽んじていたとも思えない。芥川の言葉を丹念に読みつづけた宮本には、言葉を通じて掴んだ芥川の苦悩を確かに内在化させるところまで到達していた。だが、そこで宮本は「現実」へと足を踏み出す。言葉を成り立たせる「現実」に目を向ける。


 しかし、さらに厄介でありまた興味深いのは、小林が言葉の世界に逃げ込んだとか閉じこもったとか、そういうことではないということだ。先に「或る現実に無関心でいる事は許されるが、現実を嘲笑する事は誰にも許されていない」という言葉を引いた。さらに、後半のバルザックとの対比で述べた部分を引こう。


 この二人(等々力注――バルザックとマルクス)は各自が生きた時代の根本性格を写さんとして、己れの仕事の前提として、眼前に生き生きとした現実以外には何物も欲しなかったという点で、何ら異なる処はない。二人はただ異った各自の宿命を持っていただけである。


 宿命については別に触れよう。ここでは、マルクスが生き生きとした現実を欲していた、そのことを小林は十全に理解していたことを確認するだけでじゅうぶんだ。さらに続ける痛罵を読もう。


 世のマルクス主義文芸批評家等は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。


 これが為にする批判でも言いがかりでもないことは明らかだ。言葉の魔術を確信する小林にとって、こうした「意匠」ほど陳腐に見えたものはなかったろう。

 
 もう一歩踏み込むなら、宮本がこの文章に入り込んで「芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない」と続けても差しつかえはない。宮本もこうした小林の言葉を、ある程度肯ずるものとして読むことが出来た筈だ。では、小林は? 

 
 小林が「『敗北』の文学」に入り込むことがあったとすれば、どうか。「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」。このように芥川その人を評するかどうか知らない。しかし、仮に宮本の世界に入り込んで小林が言い放つなら、こうした言葉であるように思われる。宮本はこうは言わなかったし、おそらく言えないに違いない。これは興味深い問題である。

 
 ……まったくもってうまくない。うまくない読みだが、しかし、どうにも二人が予想されるほどにはかけ離れたとは思えぬ、その点を念頭に置いて書き散らしてきた。それは同時に、二人の違いを浮き彫りにしていくことでもあった。


 それぞれの評論の中で、もっとも印象に残る個所を読み比べることを通じて、焦点をあわせて見ることにしよう。しかし、その焦点の先に何が見えるのか、僕自身まだ判らないのである。
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by todoroki-tetsu | 2012-12-11 21:35 | 批評系 | Comments(0)