カテゴリ:文学系( 17 )

伊丹万作の直筆

 偶然といえば偶然か。松山に伊丹十三記念館があるというのは知っていたが、場所はよく調べていなかった。ぶらぶら近所を自転車で徘徊していて発見。なんだこんなに近かったのか、もっとはよう来りゃよかった、と思いながら中に入る。

 
 中には妙な人だかりがあって、ああ、観光コースになっているんだろう、団体さんでもきてるのかなと何の気なしに目をやると、宮本信子さんがお見えになる日だったようだ。あわててグッズを買ってサインを頂こう、というようなミーハー根性はさらさらない、というより気恥かしい。遠目で落ち着いたたたずまいを拝見しながら展示室に足を踏み入れる。


 しかしこういっちゃなんだが、伊丹さんにそう大きな思い入れがあるというほどではない。映画も全部見てるわけではないし、エッセイを読破しているわけでもない。大江健三郎さんを介して、漠然とした畏敬の念を感じているというのが偽らざるところだ。


 だが、伊丹万作は、僕にとっては別格である。渡辺一夫や上原專祿といった人と同じ位置にある。福岡の古書店で手を出そうか迷っているうちに売れてしまい、何年も経ってから吉祥寺「百年」で邂逅した「伊丹万作全集」は、それらの人の著作と共に本棚にある。


 「演技指導論草案」を手にしたきっかけが何だったのかは覚えていない。大江さんの作品の中で、宮沢賢治「農民芸術概論綱要」とからめて論じられた個所があったはずだが、それ以前に意識している筈だ。三上満さんあたりがどっかでふれておられたのかもしれない。佐藤忠雄さんの注釈のようなエピソード集のような岩波現代文庫も、しばしば読み返したものである。何かあった時に立ち返る文章の一つがこれである。

 
 その「草案」の、それまた草稿になるのだろう、病床で綴られた伊丹万作の直筆が、企画展で展示されている。何度も繰り返して読んできた言葉の、その生まれた時の姿がここにある。そう思うとなんともいえない感動がある。


 手を動かして書き留めた言葉、身体性そのものとしての言葉、伊丹万作という特定個人にどこからか宿った言葉が、形となった瞬間。その瞬間から長い時を経て、私たちもその言葉にふれることが出来るということ。


 なんだか井上ひさしさんの「きらめく星座」みたいな話だが、しかし、これはある種の奇蹟であろう。奇蹟は日常に満ち溢れているがゆえに気づきにくい。そんなことを思わせてくれる展示であった。
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by todoroki-tetsu | 2013-10-03 01:28 | 文学系 | Comments(0)

よしもとばなな「さきちゃんたちの夜」(「新潮」2012年12月号)

 もともとは大澤信亮さんの「新世紀神曲」を読み返すつもりだったのだ。単行本が今月末に出る、その予習のために。いささか新刊告知の「惹句」に思うところあり、自分の感覚を再確認するつもりもあった。一応付言しておくと、新潮社サイトでの告知には何の違和感も覚えぬ。これでいいし、これがいい。


 さて、気温は低くとも日差しは心地よい。近所の公園にでも出かけてのんびり読もう、と「新潮」2012年12月号をバッグに入れて出かけた昼下がり。木漏れ日が程良く差しこむベンチに腰掛け、さあと頁を開くと目にとびこんできたのがよしもとばななさんの「さきちゃんたちの夜」であった。


 お金がたくさんない状態なのはまあしかたがない。

 同じ仕事をずっとしていてお給料が上がる気配もないが、他にバイトするほど時間があるわけではない。


 こんな何気ない書き出しがどうも気になる。そういえば、比較的最近誰かよしもとばななさんについて話しておられるのを聞いた気がするぞ、あれはひょっとしたら若松英輔さんだったかどうか……まあともかく読んでみよう。ほんとうに文学音痴の僕がこのような気になるのは珍しいことなのだし。


 あらすじを僕がここに記そうとするのは野暮にすぎる。「要約は書評の基本」と犬神修羅に叱られそうだが、そこは卑怯に逃げる。35歳一人暮らしの女性・「崎」のもとに、その双子の兄の娘「さき」(十歳になる)が突然、家出をしたから泊めてくれ、と電話をかけてくる。そこから一夜半のあいだの物語。ふたりの会話を中心に、義姉、実母、そして一年前に事故で亡くなった兄の存在が描かれていく。まあ、すみませんが皆さんご自分で読んで下さい。文芸誌二段組みで30頁弱の短編ですから。


 どう言っていい感覚なのか判らないし、別にここで何かとってつけたような言葉をこねくり回すのが僕の商売ではない。ただ、ああ、いいなあ、とぼんやり思ったのだ。例えば……。


 さきのお母さんは美人だと描写される。事業家でもある。夫を亡くして一年、どうやら付き合う異性が出来たらしい。再婚したら、引っ越して転校するか、実父と暮した今の家に新しい父がやってくるか。子どもっぽいと自覚しながらも、「常に私は抜きで話は進んでいくんだよ。」と不満が口をついて出る。そこからのやり取り。


 
 「お菓子やジュースでも買って帰って、好きなDVDでも観て、楽しく過ごそう。」

 「大人になったら、そういう小さな楽しみが大きな悩みを消してくれるの?」
 
 さきはまっすぐに私を見て言った。本気で聞いていることがわかったので、いやみを言われているとは感じなかった。

 「これはねえ、逃げじゃなくて、魔法なんだよ。私の場合。」

 私は言った。

 「時間を稼いで、チャンスをつかむのさ。その稼いでいる時間のあいだは、楽しくしなくちゃ魔法は起きない。」

 
 なんとも生活実感のこもった、それでいてほんとうに「知恵」とよべるものがあるここにありはしないか。こういう言葉に触れることで、どうにかこうにか生き延びることが出来るような、そういう感覚に包まれる。


 ここはこの短編のヤマ場ではない。それはもう少しあと、崎と義姉との電話中にやってくる。再現する筆力は僕にはないので略す。その出来事にふれた後に義姉はいう、

 「ありがとう、急には受け入れがたいできごとや意見だけれど、うなずけるところもあるの。でもなにより、今、変なものに接したような、気味悪いような、おかしな気持ちです。ありがとう。なんだか、よかったわ。」


 非現実的だ、ファンタジーだと思うならそれはそれでよいだろう。しかし、上述のような知恵を平凡な生活――平凡さは繰り返し作品のなかで強調される――を通じて獲得したような崎の身に、それが起きるということ。僕はそこに大きな意味があると感じたのだ。


 なんだか、哲学者・アランの影がちらついてくるようでもある。
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by todoroki-tetsu | 2013-05-03 20:53 | 文学系 | Comments(0)

読者である、ということ

 小林はどのように「書い」ていたか。

 「作者が答へなかつた事を、僕が答へてはならない」――この種の、「禁止」あるいは制止の標識は小林のこのテクスト中にいくつも散見される。「『五分か、それ以上も経つた』と作者は書いてゐるのに、読者は、ここで何故一分の沈黙さへ惜しむのであらううか」「傍点を附したのは作者である。読者は、暫くの間でもいい、足をとめて、かういふ傍点を附する時、作者はどういふ想ひであつたらうかを想ひみるがよい」「これはどういふ意味なのであらうか。といふのは、ここでも亦読者に暫く立ち止まつてほしいと希ふだけなのである。一体どんな説明が可能だといふのだらう」


 山城むつみ、「小林批評のクリティカル・ポイント」(『文学のプログラム』、講談社文芸文庫、P.28-9)



 無精して小林秀雄を孫引きしているかに思われても致し方はない。が、山城さんの批評文を通じてこうした小林の言葉に出会ったこと。僕にとっては重要に思える。

 
 ここで書かれていることは、例えば『ロスジェネ』最終号では実践されたことであり、また、同時代の文学者と文字通り同じ時間を生きている以上、彼らが言葉を繰り出すまでに要する時間を、まったく同じ時間でもって読者である僕は生きている。


 トートロジーなのは百も承知だ。


 彼らが言葉を繰り出そうともがく間、僕はどのようにして生きているのか。彼らが言葉を発する時、それまで等しく過ごしてきたであろう時間の意味が、読者の僕には問われることになる。彼らの言葉をただ待ち望んでうろうろとしていただけなのか。なんにも考えなかったか。どういった言葉が今の時代にありうるだろうか考えながら過ごしてきたか……。


 書き手にとって自らの言葉を何らかで発するのは、ある種の審判を待ち望むのに等しいのではないかと思う。もちろん、これはこれ、と切り離すことも出来ようが、届けたいと思う人に届くこと、或いは「誤配」が思わぬ結果(よいことも悪いことも)を引き起こすことも、彼らは十二分に知っていよう。


 読者である僕にとっても、それは同じことなのだ。じゃあ、お前はこの同じ時間、何をやってきたのだ、と。それは「書くために読むのではなく、読むために書くという感覚」のようにも思えるし、くそまじめに仕事をすることかもしれないし、いや、あるいはヤケになって酔っぱらうことだって、ひょっとするとそうした「準備」であったりするかもしれないのだ。たぶん、守るべきことはただ一つ。

 
 それは、目先だけの言葉で喜ぶな、ということだ。口先だけで通用する言葉や耳触りの良さ――「社会人」にとっては耳にすることも口にすることも必要ではある。けれど、そうした言葉を、そうしたものだと自覚することだけは忘れずにいよう。安易に言葉を消費するな。


 そうした自制=自省を、いつの頃か意識し始めたのかは判らない。しかし、自覚的に影響を受けたひとつは、明らかに作家・浅尾大輔さんのブログ休止宣言であった。

 
 江藤淳にふれたエントリよりも、「西へ、西へ」と題したエントリの方が僕にとってはより心をつかまれるものであった。

 さて、ブログ読者のみなさん、唐突ですが、

 だいたい、これで、わたしは、すべての状況について、言い尽くしたので、ブログを中止いたします。


 
 確かに、唐突に過ぎた。日付は2011年4月6日。震災からまだ一月も経っていない。誰が何を言っているか、書店員という商売柄から、また一個人としても、やたらに気になってTWITTERやらブログやらをかたっぱしからのぞきながら、渡辺一夫を読んでいた。そういう時期にあって、「だいたい、これで、わたしは、すべての状況について、言い尽くした」と言い切った文学者がいたことは、その後の展開がどうあれ、僕にとってはおそらく忘れがたい出来事であり続けるだろう。


 その後も、大変細々とした更新がされていることは知っていた。なぜなら、毎日浅尾さんのブログを覗くのは僕の日課だったから。更新されていなければいないで、きっとこの状況下で何かを着々と準備しているに違いないのだから。「モンキー・ビジネス」の最終号に小説を載せることを知ったのも、ブログからであった。それは実にひっそりと更新されていた。それでよかった。

 
 たまにエントリが更新されることがあったが、それはご自身の言葉ではなく、そこに思いは仮託されているのだろうけれども、基本的には他者の言葉であった。文学者としての、というよりも、いわば活動家としての顔を覗かせたのだと解釈していた。その典型は2012年2月10日のエントリ「ウォール街占拠2011 / Occupy Wall Street 2011」であったと思う。僕は勝手に、湯浅さんの「社会運動の立ち位置」(「世界」3月号)への浅尾さんなりの応答なのだろう、と解釈していた。


 それからも、告知的なエントリがしばしばあったけれども、どうやら徐々にブログとしては再開しているように思えてきた。そのおかげで様々な情報を知ることが出来るのだし、どうやら生存しておられるようだとも判るわけで、一方的な安心感を得たりもしていたのがこの1~2か月のことであった。


 しかし、それらのエントリを読んでいる自分は何なんだろう、とずっと考えていた。先に「毎日浅尾さんのブログを覗くのは僕の日課だったから」と記した。あんまり技術的なことにくわしくない僕は、決まったキーワードで検索するか、予めブックマークしているサイトを巡回するか、ぼんやりとTWITTER経由でサイトを覗き回るかくらいしかしない。そうした場合、当然更新がないよりはあったほうが変化があって楽しいわけで、さて、そうなると、自分は単に浅尾さんのブログに変化さえあれば楽しいなというくらいにしか考えていないのではないか。


 「目先だけの言葉で喜ぶな」との自制=自省はどこへ行ったのか。同時代の文学者に期待を寄せるというようなえらそうなことをこいておきながら、結局のところ同時代の文学者の言葉を「ネタ」程度に考え、貶めているのはお前自身ではないのか、との自問。「胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところ」(中野重治)を――「歌え」ではない――、そうした言葉を読者としてほんとうに「読もう」としているかどうか。


 「作家は、作家をやめることは出来ない。」と題し、いわばブログ再開を公式に宣言された。作家にとってブログがどのようなものであるのかは、各人と状況によって大いに異なろう。


 「作家は、作家をやめることは出来ない」。少なくともそうした決意でブログを再開し、また「目下、与えられている大きな原稿を書き抜きたい」と表明しておられる以上、僕も「読者をやめることは出来ない」と言わなければならない。

 
 やはり、読者としての自分を鍛え上げていくより術がないのである。
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by todoroki-tetsu | 2012-06-18 16:18 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」

 仕事の関係もある。漫画版「ナウシカ」に着手していることもある。どうせ感想を記すなら順繰りにやっていこうとも思った。しかし、多分、今記さなければならないだろうとも思う。


 報復は命の「等価交換」であろうか……。そんなことを思いながら、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を読みなおす。ちくま日本文学全集版の「渡辺一夫」、ならびに岩波文庫『狂気について』に収録されているが、この間読んできた前者にそってメモしていく。タイトルの「寛容」には「トレランス」、「不寛容」には「アントレランス」とルビがふられている。

 
 ちょっとした前置きからすぐに、渡辺はこう記す(P.302-3)。


 ……僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきでない、と。繰り返して言うが、この場合も、先に記した通り、悲しいまた呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になった例が幾多あることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はしている。しかし、それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪わしい人間的事実の発生を阻止するように全力を尽くさねばならぬし、こうした事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばならぬと思う心には変わりがない。



 当たり前のこと、通り一遍のこと、お題目を唱えているようにはまったく思われない。それは渡辺の他の文章を読んできたからでもある。しかし、この短い数文の中だけでも、人間がどうしようもなく「悲しく呪わしい」ことをやってしまうものだ、という渡辺の痛切な認識を感じさせる。温和な言葉の奥底にある凄み。


 行論中、必ずしも本題ではないのだろうが、興味の惹かれる個所がある(P.305)。


 ……普通人と狂人との差は、甚だ微妙であるが、普通人というのは、自らがいつ何時狂人になるかも判らないと反省できる人々のことにする。寛容と不寛容との問題も、こうした意味における普通人間のにおいて、まず考えられねばならない。



 「反省」が出来なければ、普通人ではない! これだけでも十二分に内省を迫られるのであるが、先を急ごう。続いては秩序の話(P.306)。


 ……これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当る人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を紊(みだ)す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果して永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を紊す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。



 では、寛容と不寛容がぶつかってしまった時、どのような様相を呈するか(P.307)。


 寛容と不寛容が相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものである(以下略)



 「最低の暴力」とは何だろう? なぜだか『寄生獣』における新一と後藤の最後のたたかいを連想してしまったのだが。また、ここで渡辺が「寛容の武器」として説得だけではなく、自己反省を挙げていることを注意しておきたい。先にあげた「普通人」の話もここでは絡んでくるだろう。


 ここで渡辺らしく、話はより古典的になっていく。ローマ社会と初期キリスト教を例にとり、寛容と不寛容について掘り下げていく。本来寛容であったローマ社会がキリスト教に対して不寛容な態度をとったことが重大である、と(P.311)。


 ……本来峻厳で、若さのために気負いに立ったキリスト教を更に峻厳ならしめ、更にいきり立たせたものは、ローマ社会が、自らの寛容を守ろうとして、一時的で微温的なものであったとしても、不寛容な政策を取った結果であるように思えてならない。終始一貫ローマ社会は、キリスト教に対して寛容たるべきであった。相手に、自ら殉教者と名乗る口実を与えることは、極めて危険な、そして強力な武器を与える結果になるものである。



 今改めてこの警句は認識されてよいものだろう。続いて渡辺は繰り返し繰り返し寛容の重要さを説く。楽観的だ、とも言う。それに続く一文(P.320-321)。


 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。



 加川良さんの「教訓Ⅰ」は、ここで想起しておいてよいと思う。 
 

 そして渡辺は、このエッセイの終盤にこう記している(P.321‐2)。


 初めから結論が決まっていたのである。現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々はそれを激化せしめぬように努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、はじめて、人間の進展も幸福も、より少い犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。



 ほとんどもう、すべての大切なことが凝縮されているように思える。


 この文章は、1951年に記されている。ということは60年前。「朝鮮特需」の頃、と附記にもある。その時代がどんなであったのか、今の僕には判らない。しかし、今読み直しても逐一唸ってしまう。渡辺が普遍的なところで問いを立てていたからでもあろうが、それは同時に、人間(と人間が作る「社会」)は60年程度ではそうそう変るもんではないよ、ということでもあるのだろう。


 しかし、だからこそ、読み返さなければならないし、考え続けなければならない。そう思う。
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by todoroki-tetsu | 2011-05-06 11:27 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「ある教祖の話(a)――ジャン・カルヴァンの場合」

 ひきつづき、ちくま日本文学全集の『渡辺一夫』。この小論は単行本『フランス・ルネッサンスの人々』に収録されていたもの。宗教改革期の様々な人物を評伝風に描きながら、ユマニスムのありようにふれた名文集である。

 
 「カトリシスムでも最も因習的」なモンタギュ学寮で学んだことを、Quid haec ad Christum?(それはキリストと何の関係があるのか?)とカルヴァンは自問し得たのではないか、そんな風に渡辺は考えている(p.140-142)。それこそが渡辺がユマニスムと呼ぶものである。


 しかし、狂信と迫害が荒れ狂う中で「寛容」を求めようとしていたカルヴァンは、その志のゆえに「不寛容」を変化させていってしまう。渡辺はいう(p.159-160)。


 私としては、この変化は、カルヴァンの悲劇であるのみか、人間そのものの悲劇だと思っています。(中略) 人間悪・社会悪の是正は、打ち棄てられてよいはずはありませんが、その是正は、見聞きする悲惨さや憎悪に対して、一時的なものであるにせよ手を打ちつつ、こうした悲惨や憎悪を生ぜしめたものに対して、一人でも多くの人間が反省を抱き疑問を感ずるようにするために、欺かれても、笑われても、怒られても、繰り返し繰り返し、語り続け通すことによって行われるよりほかにいたし方ないような気がします。カルヴァンの善意は疑うべくもありませんし、彼のように純粋で、信念の堅い人もまれでしょう。しかし、人間を救い、人間悪・社会悪を是正して人間を救うためには、こうした美質を持っただけですむものかどうか疑問です。もっと深い忍苦と、もっと痛ましいほどの反省と、もっと強い懐疑とが必要なのではないかと思います。



 他にも印象的な記述はいくつもあるが、先を急ぐ。カルヴァンの生涯を概括したのち、締めくくりに近いところで述べられている部分(P.202-3)。


 ユマニスムは、思想ではないようです。人間が人間の作った一切のもののために、ゆがめられていることを指摘し批判し通す心にほかなりません。従って、あらゆる思想のかたわらには、ユマニスムは、後見者として常についていなければならぬはずです。なぜならば、あらゆる人間世界のものとおなじく、人間のためにあるべき思想が、思想のためにあるの人間という畸型児を産むことがあるからです。(中略)後見者は、行動できませんから無力に見えます。しかし、人間の思想が好ましい実を結び、人間の制度が立派に機能を発揮して人々に恩沢を与え、しかも己れの不備を改めてゆくようにするためには、この後見者は常に控えていなければなりますまい。



 「にんげんをかえせ」を重ねあわせるのは不当だろうか?


 
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by todoroki-tetsu | 2011-04-17 21:41 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「エラスムスに関する架空書簡」

 やや間があいたが、少しずつ、少しずつ、読み進めているちくま日本文学全集の『渡辺一夫』。「エラスムスに関する架空書簡」を読む。


 真実をいくら伝えようとしても、相手は受け附けず、判り切った不幸へ向って進むような場合、その真実を相手に納得させ、不幸を回避するために、あるいは嘘はつかれるかもしまれません。(中略)しかし、これが僕にとって大切なことなのですが、嘘をつかねばならぬ羽目に、自分も陥り他人をも陥れるような結果にならぬように、各人がおのおの努力すること、その方法を事ごとに考えていることに、人間として守るべき倫理の一つがあるということです。



 P.97-98の記述。これは例えば、法華経方便品などと関連付けて考えることが出来ることなのかどうか。次の節を読む限り、どうも地平が違うようには思える。同じP.98。


 このように、真実を知らしめ、それによって人のため世のためをはかろうとしても、その方策がない。相手が納得してくれない。そういう場合に、やむを得ぬ虚偽は用いられるかもしれませんが、この情なさは、本当に、慟哭に値するはずなのです。



 「慟哭に値する」! あくまで生身の人間としてとどまろう、悩みぬこう、そう言い聞かせているように思える。


 僕は、信念があると言っている人々を咎めているのではないのです。信念のある人ならば、自己の信念が何の上に成立しているか、また他人の信念の構成も、同じようにして行われるのではないか、ということを反省できるような、ゆとりと理性とを持ってほしいと言っているのです。



 P.101の記述。もはやぐうの音も出ない。
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by todoroki-tetsu | 2011-04-04 21:47 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「エラスミスムについて」その二


 また一体チェリー・モーニエがルッターによって守られたと言う「精神の真の特権」とは何であろうか? 動脈硬化に陥った当時のカトリック教会とその神学者とに対する批判と粛正要求とは、旧教側の攻勢にもかかわらず、ルッターによってなされ続けたのであり、チェリー・モーニエは、一九三五年頃擡頭するナチスムやファッシスムの攻勢に対しての批判と人間性合理性の擁護とに、ルッターを結びつけて考えいたのであろう。しかし、「精神の真の特権」とは、ルッターの専売ではない。それのみか、同じ神の名によって殺戮し合い、同じ正義の名の下で果たし合いをする人間に対して、この殺戮もこの果たし合いも愚劣であり非人間的であり、それの解決は他に求めねばならぬと説くこと、またそうした考えを抱き通すことこそ、正に「精神の真の特権」とは言えないだろうか?




 引き続きちくま日本文学全集版「渡辺一夫」より。P.83-4から抜いた。「それのみか」以降の一文は、静かだが、みなぎる思いを感じさせる。


 エラスムスの全てが肯定しきれるわけではない。その例として昔の弟子、フッテンを見捨てたことを挙げる。だが……


  フッテンを拒否した日は、正にエラスムスの生涯中最も暗い日だったのだ。彼の行為は明らかに「福音」の慈悲の教えに背くものと言える。これには、何とも抗弁のしようがない。救いを求める重病の、不幸な、昔の弟子を見殺しにしたのである。たとえフッテンがいかに軽挙妄動する人間であるとしても、エラスムスは、「福音」を守ろうとして「福音」に背いてしまい、人間的たらんとして非人間になるのである。エラスムスも脆弱な人間である。追いつめられて犯したこの種の非人間的行為は、重大なウォルムスやアウグスブルクの会議への欠席と同様に咎められてもいたし方ない。しかし、人間エラスムスが、利己的な平安しか求めないと批判されるのを覚悟の上で、追いつめられて肉体になおも宿し続けたものはあったのである。我々は、それをも咎めるわけにはゆくまい。我々は、エラスムスを咎めることで物足りなかったら、エラスムスにこの醜態を強いた現実をも咎めなければならないのである。



 P.87-8より。今、何を咎めるべきであるのか、見極めなければならない。そう恣意的に読む。


 エラスミスムが黙々として持続した勝利を収められなくなった時に、エラスミスムは無力となり、これを肉体に宿した人々は追いつめられるのであり、その結果、狂信と暴力とが荒れ狂うのである。エラスミスムは、一人でも多くの人々によって護り続けられねばならぬものであり、しかも、争闘の武器ではない。ユマニスムの徒が追いつめられて銃を取ることは、ユマニストの王者エラスムスが非人情的な醜態を犯すこととは異質の悲劇である。こういう悲劇を回避するために努力するのも、ユマニスムの使命であり、エラスミスムの目的であろう。一九三五年に、チェリー・モーニエが、エラスムスのユマニスムを非難した時、既に大きな悲劇は始まっていたのである。


 
 P.89。「既に大きな悲劇は始まっていた」……この言葉を同時代的に恣意的に読んでみる。その言葉を、自分の中に打ち込んでみようとする。


 この随筆のしめくくりに近い部分で、渡辺はモンテーニュの言葉を引いている。孫引きだが、最後に引く。いずれも『エセー』の「三ノ一〇」とある(P.91)。


 「現在この国の混乱渦中にあって、いくら私に利害関係があるからと言っても、私の敵に具っている美質を認めないわけにはゆかなかったし、私の与する人々のうちに咎むべき欠点を認めないわけにもゆかなかった」



 「我々の信念や判断が真理に仕えずに、我々の欲望の企図するところに仕えるようにせよと人々は望む。むしろ自分の欲望とは全く反対な逆な極端に走って間違いを犯すかもしれない。それほどに私は、自分の欲望に駆使されるのが恐ろしい。更にまた、自分が願い求めることを、私はやや敏感に警戒するのだ」



 1948年に記されたこの文章が切実さを増すことを、今は哀しまないでおこう。とにかく、これだけの到達が60年前にはあったのだということ、少なくともここから始めることは出来そうだ、ということに希望をもつことにしよう。


 問題は、この希望を自分の「肉体」に果たして宿せるか、になってくる。大澤信亮さんの言葉が手掛かりになるに違いない。これは別の機会に記す。
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by todoroki-tetsu | 2011-03-24 06:32 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「エラスミスムについて」その一


 ……異なった人間観や世界観が、生きた人間たちの肉体に宿る時、そして一ぽうを宿した肉体が他ほうを宿した肉体を屈服せしめ、それが屈服せぬ限りはその生命をも脅そうとする時、そして、この対抗を現世の権力が操る時、思想交流交替という人間のみに与えられた高貴な真理究明の協同作業も、戦乱・殺人・拷問・暗殺の形でしか現れざるを得なかった。このみじめな人間的条件への反省と、その浄化解決とを希うことが、福音の一つと信じていたエラスムスは、新旧両派の血みどろな衝突をあくまでも否定し、いずれかの側に助力を与えれば自らの否定する闘争を肯定することになると考えた以上、いずれにも属さずその態度は曖昧であり、Solus esse vouli (私は一人でいたい)と自らも言い、他人からは、Erasmus est homo pro se(エラスムスは加わらずに、一人きりでいる)と半ば揶揄的な評言さえ与えられるのである。



 渡辺一夫の「エラスミスムについて」(ちくま日本文学全集版、P.76)より。ここまでの覚悟が出来るものだろうか、と途方に暮れてしまう。さらに続く。


 そして、夢中になって斬り合いをしている人々を戒め、その行為を中止させるために有効な方法は、側にいて、こうした行動が愚劣であることを語り続け、聞く耳あらば聞けと願い、再び同じ愚挙が再現せぬように叫び続ける以外に何があろうか? 自らも剣を握って戦う二人の間に入れというのか? エラスムスは剣を握ることができないのである。剣は人間を斬り得るからである。



 同書P.77にある。

 
 痛い。痛すぎる。



 
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by todoroki-tetsu | 2011-03-22 20:45 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「ラブレー管見」

 「正気」を保つための作業として。ひきつづきちくま日本文学全集(文庫サイズ)のもので。


 「ラブレー管見」と題する、講演草稿。1953年である。P.54からまず。


 好き嫌いは別として、文化史に名を残している人々に対して、我々が負うところのものは当然たくさんあるわけです。仮に現在の我々が幸福であり利便に恵まれた生活を送っているとするならば、こうした幸福や利便を作り出してくれた人々が永年にわたり苦心し、ある時には途上で倒れたり、迫害されたり、刑死したりしたことも忘れてはならぬのです。


 
 時代をさかのぼって思いをはせようとするならば、同時代にも目を向けなければ嘘だ。同時代に思いをはせるのであれば、時代をさかのぼることもしなければまやかしだ。そんなふうに諭されているような気がしてならない。

 
 続いて、P.58。


 
 我々人間が自分で作ったものの奴隷になり、人間を見失い、人間を忘れかけている時、弱くて滑稽で危険な動物であることを思い出させてくれるための方法として、また妙な歪み方をしている我々に「気をつけよ」と警戒信号を出してくれるものの一つとして、今申しましたような、下品らしく見えて決して下品でないラブレーの笑いの一面があるのです。



 かつて赤木智弘さんが伊集院光さんについて記したエセーをきっかけに考えてみたことがあったことを思い出す。


 
 皆が、自分及び他人の歪みを笑えるだけの心のゆとりと、反省とがありましたら、世のなかは決して一挙にして改良はされますまいが、改良される方向を見いだせるのではないかと思っています。附言しますが、相手を笑うということは、相手を傷附けることではありません。我々の社会を正しく、明るくするために相手に反省を求めることですし、相手を笑い、相手に反省を求める以上、自分自身にも相当の覚悟はあらねばなりません。



 これはP.59。「自分自身にも相当の覚悟」(!)。ここにきて問いが自分自身に還ってくる。
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by todoroki-tetsu | 2011-03-21 19:39 | 文学系 | Comments(0)

渡辺一夫「びいどろ学士」「ユマニストのいやしさ」

 「正しさ」と「正しさ」がぶつかり合う時、いったい何が起きるのだろう。何を基準にすればいいのだろう。高島善哉はマルクス=ヴェーバー問題に際し、「射程の広さ」(「長さ」か「深さ」だったかもしれない)を基準にしたと記憶する。ブルカニロ博士を想起してもよいのかもしれない。

 
 さて、引き続いて渡辺一夫である。

 
  
 社会は狂人の言葉に対しては寛大だが、健康人の憂世の言葉はまま痛すぎることがあるから拒否する。実に無欲恬淡なものだな。我が日本国民だってそうなのだよ。いや、特にそうかもしれない。優れた人々が戯作者や半狂人にならねばならないということは、悲しい証拠かもしれないね。



 「びいどろ学士」の一節であった(ちくま日本文学全集版、P.17)。これは1944年6月につづられている。

 
 今、だれが狂人なのか。正気とはいったい何なのだろうか。


 次は、「ユマニストのいやしさ」から。1942年8月に記された文章である。長く引くが、ご容赦願いたい。上記と同じちくま日本文学全集版のP.48-50。


 
 もちろん、この際にパスカルの賭にも似た問題が考えられる。すなわち、何物かを生かすために果たして≪いやしさ≫を甘受すべきであろうか、生かさるべき何物とはなんだろう? 恥を忍んでまで生かさるべき何物かがほんとうにあるのであるか? そして、結局人間は虚無に帰する以上何もそう賢げに振舞い、悲愴な精神的政治家めいた覚悟を立てる必要はないのではあるまいか、とも考えられる。しかし、それとも生かすべきものがほんとうに生き、そして受けつがれるに違いないのではあるまいか? いずれを信ずべきだろう? (中略)
微風の一吹き、蟻一匹のために、個人の心境は容易に変り得る以上、また人間は、いかなる口実でも現実の保全のためには製造できる聡明さを持っている以上、更にまた人間は、焼場の鉄扉の後に肉親を納めた時でも、己の消失死滅の必然を、まだ(幸いにも)真実とは思えぬ無神経さと、事ごとに死を恐怖する過敏さとを奇妙な度合に混淆せしめて、しかも幸福を求めながら生きて行く以上、この≪賭≫も(パスカルの賭と同じく)恐らく現実に意気揚々と生きている人間の心にはかすかな波紋しか立て得ない性質のものかもしれない。考えたところで一文の得にもならず、国策を翼賛するのに役に立つものでもない。しかし、一応は考えられてしかるべきであり、その解決の志は、配給の芋を賞(め)でながらも、心ある人の胸には宿っておらねばならぬものだ。そう信じたい

 ジョルジュ・デュアメルとミゲル・デ・ウナムーノとが絶賛してやまないセナンクゥールの言葉に、「人間は滅び得るものだ。そうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びようではないか? そして、もし虚無が我々のために保留されてあるとしても、それが正しいというようなことにはならないようにしよう」とある。僕は、この言葉を時々思い出す。そして、冷たい、しかも劇(はげ)しい情熱をすら感ずる。



 「何かのために」と思うことの非情さと甘美さをかみしめながら、これを読み、記すお前は何なんだと問いながら、問うているうちは正気が保てるなどと甘い考えを徹底的に排除していこう。





 
 
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by todoroki-tetsu | 2011-03-17 21:02 | 文学系 | Comments(0)