カテゴリ:業界( 88 )

毛利嘉孝『はじめてのDiY』(仮)

 「少年タケシ」で連載中のコラム、「はじめてのDiY」が書籍化されるとのこと。

 版元のPヴァインブックスさんからのチラシには「中学生でもわかる、21世紀型の人文書の誕生!」とあります。四六並製、200Pで税込¥1,680。6月初旬には店頭に並ぶ予定。

 著者は毛利嘉孝さん。いよいよYA市場に登場か、と期待が膨らみます。

 理論社さんの「よりみちパン!セ」(立岩真也さんの単行本化が楽しみでしょうがない)、河出書房新社さんの「14歳の世渡り術」など、斬新なYA書が続々出る中、新たな風になるかと期待大。

 それにしても、このへんのライン、本屋としては結構試されどころと思います。ごく普通にYA書に置くだけでは面白みに欠けるし、さりとてさあどこに置くか、となるとこれが結構難しい。その著者の普段?の場所に置いてみたりもするわけですが……。

 いわゆる一般書としても十分に読み応えのある内容ばかりなので、なにか上手い手はないか? と新刊が出るたびに考え込んでしまいます。まあ、それが本屋の楽しみなのですが。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-06 00:11 | 業界 | Comments(0)

『丸山眞男話文集』

 みすず書房さんから、『丸山眞男話文集』が刊行される。

 第1巻が店頭に並ぶのはおそらく5/20すぎ。全4巻で、第1巻以降は三ヶ月ごとに刊行予定だそう。「手帖の会」の編集だから、当然内容は折り紙つきである。

 1936年執筆だという「現状維持と『現状打破』」(第1巻)はぜひ読んでみたい。が、それ以上に、第三巻・第四巻に安東仁兵衛を交えた座談が収録される(予定)のに興味津々。新刊書の中で安東さんの名を見かけるのは久しぶりに思う。もっと見直されていい人の一人ではないか、と常々考えている。

 しかし率直なところ、販売にはなかなかの苦労がある、と思っている。きっちりと展開するつもりではあるのだが、お買い上げになるであろうお客様の様子はおおよそ見当がつく。ご年配の、主に男性であろう。もちろんそれが悪いなどというわけではない。が、丸山眞男を幅広い読者に、ということを考えると、これがなかなか難しい。

 一昨年は苅部直さんの『丸山眞男』がよく売れたが、それから以後丸山読者が広がったか、と考えるとよく分からない。『思想地図』でも丸山にはしばしば言及されているものの、さあ、どこまでの読者をつなげられるか。

 闇雲に積めばいいという問題ではない。何か仕組みを考えねば。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-05 08:54 | 業界 | Comments(0)

芹沢一也「〈生への配慮〉が枯渇した社会」(『思想地図』)

 『思想地図』読了直後にも少し記しましたが、とにかくこの芹沢さんの論考は凝縮されています。

 衰弱した野宿者が市役所職員や保健師に見守られながら心肺停止に陥った(その翌日に亡くなる)事件、そして光市事件にふれながら芹沢さんはこう述べる。

 「路上で傍観されながら、飢えから死へと廃棄された生。あるいは、矯正可能性への配慮が潰えた司法によって、社会から抹殺されようとしている生。一方は生活を支えるセキュリティの縮小を、他方は治安を維持するセキュリティの上昇を物語る、これらふたつの光景には、生をめぐる権力の現在がはっきりと刻印されている。それは統治の領野としての〈社会的なもの〉が、ラディカルに変容しつつあることを示していよう」(p.322)

 そして、「生活と治安をめぐる統治の系譜」を追わんとし、1874年の恤救規則から現在までを駆け足で振り返っている。細かいところは正直なところよく分からない。が、後藤道夫さんや渡辺治さんといった、比較的言及する人が固定されている(ような気がする)論者への目配りがされているのは面白く感じた。「講座現代日本」派とでもいおうか、「ポリティーク」派とでもいおうか、ともかく彼らの用いる「社会統合」や「企業社会」といった概念はそれなりに説得性のあるものだと思うし、また色んな人が参考にし、また批判していくことで練り上げられていくような気がするので。もちろん、それは彼らに限ったことではないのだが。 

 「いまや〈社会的なもの〉の縮小がただそれだけで、自らを駆って競争にコミットする労働者を生み出せるならば、統治は生への配慮を果てしなく切り詰められる」(p.340-341)

 という指摘が生々しい。

 ここでもまた「社会」という言葉が出てきた。昨日の書き込みではないけれども、最近よくひっかかるような気がするのは偶然だろうか?
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by todoroki-tetsu | 2008-05-03 00:36 | 業界 | Comments(0)

木下ちがや「IWW・『〈帝国〉』・アメリカニズム」(「現代思想」5月号)

「現代思想」は気になるときにしか読まない。今回のネグリ特集は少し迷ったが、結局購入。

 全部が全部読めているわけではもちろんないが、木下ちがやさんの「IWW・『〈帝国〉』・アメリカニズム」を興味深く読む。

 恐ろしく濃縮されていることもあり、十分理解できているわけではないれども、、

 「IWWの任務は、産業行動をする以前に、公共空間の自由を確保することにおかれるようになった」(p.138)

 という指摘や、

 「(「フリーライダー」運動や「シット・イン」運動は)いずれも階級問題であり、人種問題であるにもかかわらず、表現と移動の『市民的自由』というコンセプトを媒介に力動性を獲得していくという空間編成のプロセスが繰り返し再現されていくのである」(P.140)

 といったIWWの遺した規範が後々に与えた影響のことなどは、単に知らないことを知ることが出来た、という以上の面白さを感じた。

 先に湯浅誠さんの『反貧困』に触れた折には主に第三章を対象としたが、続く第四章にはこんな箇所がある。

 「『市民(citizen)』という言葉もすっかり人気がなくなった。市民という言葉には、国の動向とは別に、社会の一員としての立場から社会的に必要と感じられることを自主的に行う人々、という意味合いが込められていたように思う。それは、『国民』とも『会社員』とも『労働組合員』とも、『家族の一員』とも『地域の一員』とも違う、『社会』に対して責任を持とうとする存在のはずだった」(『反貧困』p.110) 

 IWWに関する記述をそのまま「市民」や「社会」といった術語に結び付けてよいのか、僕には分からない。が、きっと無関係ではない、と思う。

 こうしたことを考えながら、『ディオニュソスの労働』を読み進めているところである。
 
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by todoroki-tetsu | 2008-05-02 02:40 | 業界 | Comments(0)

『反貧困』読了

 小さい時分、とかく滑り台が好きだった。もの心つくかつかないかのころには「あといっかい!」とせがみながら何度も滑っていた(といまだに親に言われるのは何とも腹立たしいのだが)らしい。小学生になるとさすがに熱は落ち着いたものの、ちょっと変わった滑り台のある公園――通称タコ公園。ダメモトで調べてみたらヒットした。懐かしい――では相当飽きずに遊んでいた。

 ただ、不思議と一人で遊んでいた記憶はない。随分小さいときは親が側にいてくれたわけだし、またその公園のボス格のガキ大将的な上級生がいたりしたこともあって、なんだかみんなに見守られながら遊んでいた、という記憶がある。もちろん、友達同士で遊んでいたこともあった。

 もやいの湯浅誠さんの新刊『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』を読みながら、そんなことを思い出した。「一度転んだらどん底まですべり落ちていってしまう『すべり台社会』」とまえがきで記しておられる。たしかに、すべり台は何が楽しいって、ちゃんとまた上に上がることができるから楽しいわけだし、友だちも含め周りの人が見守ったり一緒にいてくれたりしている安心感があるからこそ、子どもにとってはそこそこの高さのある=それなりの危険性はある遊具で遊べるわけでもある。

  読みどころは多いが、第三章「貧困は自己責任なのか」で展開される五重の排除は必読。『若者の労働と生活世界』でも展開されていたが――石井政之さんのコンパクトかつ適確な批評も参照されたい――、より深化しているのは「自分自身からの排除」。

 湯浅さんはこう記している。

 「期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかもをあきらめた生を生きることだ。生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、両者が対立し、希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。これを私は『自分自身からの排除』と名づけた」(p.61-62)、と。

 こうした「排除」から抜け出すために、金銭的なことだけでなく人間関係なども含め「溜め」をつくることが必要だ、と説く。

 いわゆる自己責任論をかなり意識して筆を進めているのが強く感じられる。1975年生まれ=「新時代の『日本的経営』」を二十歳の時に目の当たりした世代≒自己責任論の影響を強く受けたひとつの世代としては、自分自身への反省(これは時として自分にとってもすごく痛い)を迫られる。

 少し話は変わるが、こうした分析と、例えば雨宮処凛さんがこのように語ることを結びつけて考えることは出来ないだろうか?

 「とにかく、私は傍観者として生きることの方が苦しい。自分が何を思おうと、何をしようとこの世界がまったく変わらないとしたら、これほどの絶望はない。絶望するのが嫌で当事者性を過剰に求めまくっているということに、自分で気がついたんですよ」(『全身当事者主義』、p.227)

 「自分自身からの排除」からうまく抜け出せたとして、即雨宮さんのようになれるわけではないだろうし、またそうすべきというわけでもない。でも、ここに共通する何かがあるような気がしている。

 自己責任論やいわゆるネオリベをめぐっての言説は色々あるけれども、湯浅さんのような現場の人の言葉、雨宮さんのような自分で身を張ってきた人の言葉は格別の重みを持つ。
 
 こういう本を多くの人に届けられるのは、本屋冥利に尽きるというものである。
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by todoroki-tetsu | 2008-05-01 00:40 | 業界 | Comments(0)

『思想地図』読了

 かきいれ時の4月だというのに日曜日に休んでしまった(別の日にちゃんと出勤します)。ちょっとこの間いろいろあり、ここでちゃんと本を読まないと気力が持続しそうになかったので、強引に。

 というわけで、「思想地図」を読了しました。着手から24時間以内の読了なので、まあ、一気読みの部類に入るかな、と。とかく盛りだくさんで、これで¥1,575は安い。5月末発売の「ロスジェネ」が¥1,365なのを考えると、無茶苦茶に安い。さすがNHK、というよりも、かなり無理したのではなかろうか。

 値段にこだわるのは、目の前でお客様が買ってくださる現場に僕が身をおいているからということもあるだろう。価格設定は「誰に、どう届けたいと考えているか」が問われるポイントで、このことは雨宮処凛さんが「ゴー宣」について書いたり話したりする時によく言及されることでもある(「ゴー宣が連載されている週刊SPA!は370円で買える」。このことは「ロスジェネ」について記す時、あるいはまた別の機会にちゃんと記します)。だからといって安ければ売れる、というもんでもない。僕の感覚からは、¥1,785であれば売上数はさほど変わらないし、それくらいは取っていい内容だと思う。

 価格設定についてはちゃんと真偽のほどは確かめたいと思う(答えてくれるかどうかは別だけれども)。なぜこんなことを言い出したかというと、どんな読者を想定しているのだろう? というのが気になったのですね。

 僕の不勉強といえばそれまでですが、「コード人事」(p.100)、「エラスムス・プロジェクト」(p。115)、「QOL」(p.300)といった用語には注釈が欲しいし(見落としだったらごめんなさい)、引用文献(参照文献ではない)はやはり該当ページをちゃんと明記して欲しい。明記しているものもあるけれども、特に芹沢さんの論文は気になる(これは内容の評価とはまた別の話。よくまあコンパクトにこれだけまとめたものだ、と改めて芹沢さんのすごさ――直近の二つの事件への言及も含めて――を感じました)。

 もちろんこれは書いた当人の問題ではなく、編集者(編集委員ではない)の問題だと思う。こうしたところがもう少し丁寧であれば、「思想地図」を手がかりにさらに勉強していこうという若い人により親切なのではなかったか、というのが率直な感想。

 内容についてはどれも面白く読みましたが、一番勢いというか熱気を感じるのは共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」です。当たり前といえば当たり前のことではありますが、ここで出された論点は幅広く、議論の密度はきわめて濃い。今後この「三題噺」にアプローチしようとする際、誰もが手がかりにしうるし、またしなければならないような、そんな位置づけになるような気がします。

 他にも面白いと思ったところはいくつもあるのですが、それらはまた改めて。
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by todoroki-tetsu | 2008-04-28 00:23 | 業界 | Comments(0)

『思想地図』を読み始める

 いまさら「論座」2008年5月号を持ち出すのも気がひけるが、雑誌ばやりだそうなのである。

 よく分からない。

 入社したての時、返品の際に書籍/雑誌を混ぜてしまって「そもそも雑誌とは雑誌コードの付いているもので……」などとこっぴどく怒られた、とか。台湾だと定期刊行物=雑誌であって、書籍と税率が違う(いや、免税対象だったかもしれない)、とか。
 
 そんな話はさておき、「雑誌」って名乗ろうとすることがよく分からんのですね。いわゆる「論文集」でいいじゃないか、と思うのです。大昔(?)「ポリティーク」が創刊された時に感じたことなのですが、その感じはどの「雑誌」を見てもなんとなくある。もちろん、そのことと中身への評価はまったく別です(まったくもって不定期だけれども、やはり「ポリティーク」は読み応えはあると思う)。

 きっといわゆる「論壇」的な雰囲気がいかにも雑誌というスタイルにはあるのだろうな、という気がするのですが(モンキービジネスになると「文壇」?)、なんか「同志」が集まってなんかやってる、という感がいい具合に回っていくと面白いんでしょうね。

 断続的だったり、いつの間にか出なくなったり、なんてことがよくある(というよりほとんど?)本屋勤めの身としては分かっているわけで、 随分と気合の入った「創刊の辞」的なものを読むたびに、「いや、そんなに力が入って続くの? 大丈夫?」なんてことを考えたりするのであった。

 というわけで「思想地図」です。まだ読み始めたばっかりですが、共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」は読み応えがありますね。それぞれの主張はもちろん面白いのですが、なんといってもこのメンツの中に中島岳志さんが入っているのが議論の幅広さというか奥行きにつながっているように思います。
 
 読み進めながら、思ったことを記していこうと思います。とりあえず、高原基彰さんが早々にご自身のブログで指摘されているところまでは読み進めていきたいですね。

 楽しみです。
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by todoroki-tetsu | 2008-04-27 01:02 | 業界 | Comments(0)

『本を読む本』

 週刊誌ネタ続きで申し訳なし。

 「週刊文春」の宮崎哲弥さんの「仏頂面日記」にて『本を読む本』をはじめて知る。恥ずかしい。

 あんまり勝間和代さんオススメ本フェアに興味がなかったし、仕掛けていたのは文庫売場だったし……なんていうのはただの言い訳。勉強不足を恥じます。

 まだちゃんと読んでいませんが、確かにしっかりして面白そう。

 そういえば、いかに読書の市場をつくっていくかみたいな話の中で、外商系のスタッフが「大学の先生と連携して、大学新入生あたりをターゲットに、いかに本を読むか/調べていくか、みたいな導入教育カリキュラムを組んでいけないか?」といったことを語っていて、興味深く聞いたことがある。何かヒントになるだろうか……。

 
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by todoroki-tetsu | 2008-04-26 00:04 | 業界 | Comments(0)