河上肇『貧乏物語』

 どうせだったら現代語訳にした方がいいのでは? いや、漱石だって現代仮名遣いにすれば十分通じるではないか、などと入荷した本を前にしばし考え込んでしまった。河上肇の『貧乏物語』である。

 まだ読み終えていないので詳細は避けるが、少なくとも岩波文庫版よりは字も大きいし読みやすく、手に取りやすくなっているのは確かではある。期せずして湯浅誠さんの『反貧困』が大佛次郎論壇賞を受賞した直後でもあり、タイムリーでもある。ちょっと仕掛けてみようと思う。

 序の中には、孔子の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を引いた上で記した、こんな文章がある。

 「一部の経済学者は、いわゆる物質的文明の進歩――富の増殖――のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども、余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至ることをもってのみ、真実の意味における文明の進歩と信ずる」
(P.5)

 社会科学者、経世済民の学たる経済学者のこの気概に、今なお学ぶべきことは多いだろう。石川啄木から丹念に大正をつなげてみてもよいかもしれない。上原專祿『大正研究』なども興味あるところである。

 『イギリスにおける労働者階級の状態』なんかも、そのうち新訳で出たりするのだろうか……。新しけりゃいいってもんでもないけれども、話題になってまっとうに見直されるのであれば、それはそれで歓迎すべきことではある。
 
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by todoroki-tetsu | 2008-12-18 00:35 | 業界 | Comments(0)

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