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「現代の生活における貧困の克服」によせて(上田耕一郎さんを追悼す)

 上田耕一郎さんが昨日亡くなった。81歳。お若いとは決して言えない年齢だとは思うが、吉本隆明さんが84歳の今も現役であることを考えると、まだもうしばらくはいて欲しかった、と思う。

 学生時代に何度か上田さんの話を聞く機会があった。えらく元気な人だなあ、というのが最初の印象。当時はまだ参院議員であったと思うが、どうも上田さんのお話は他の共産党政治家/活動家とちょっと違う気がした。どこがどうとは言えないが、それがいわゆる「上田節」だったのだろう。

 大衆社会論争における上田さんの位置というか役割については、正直なところよく分からない。後藤道夫さんの力作『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』でも言及されているが、時代状況がいまひとつ感覚として掴めないでいる。が、戦後日本政治史なんかをやっている先輩などからは「上田耕一郎という人は切れ者だ」というような話を聞いたこともあり、へぇーと思ったものである。

 「現代の生活における貧困の克服」(初出は1963年、岩波講座「現代」第一巻「現代の問題性」。その後大月書店『先進国革命の理論』に収録)や、さらに遡って『マルクス主義と現代イデオロギー』、『戦後革命論争史』などを読んだのはずっと後のことであった。

 いずれも時代状況を想像するのに四苦八苦した記憶がある。が、『戦後革命論争史』からは、とにかく今ある条件や可能性を最大限に生かしていこう、という上田さんの覚悟というか意気込みが感じられた。連帯というか共闘というか、そういったものへの執着。

 僕がもっとも感銘し、今でも繰り返し読み返すのは「現代の生活における貧困の克服」。その書き出しはこうである。

 「『生活』という使いなれた言葉から、私たちはまず何を思い浮かべるだろうか。それは第一に、いっさいの人間的諸活動を個人の場で切り取ったもの、すなわち、一人ひとりの人間にとっての一個の小宇宙を意味している。人間の尊厳も栄光も、その創造性も未来もすべて生活の中にはらまれ、はぐくまれる」(大月書店版、P.153)


 ここだけだとただの「良いこと」あるいは「当たり前のこと」を言っているにすぎない。しかし、運動の観点から捉えた時、この認識が冒頭に来ている意味の重さが分かる。

 
「私たちの生活意識における、歴史的変革の担い手としての自覚こそが、社会的変革の内容の、小さくはあるが決定的な一分子となる。その自覚の形成はあくまで個性的である。いっさいの画一的な紋切型を排して、個性的な自覚の過程を歴史的主体の形成の本質的、根源的な要素として尊重すること、生活上の要求を追求するすべての運動は、このことをなによりもまず重視しなければなるまい」(同、P.161)

 共産党きっての理論家が、かかる認識を示していたこと。実態として実現されていたのかどうかは分からない。なかなかうまくいかないことが多分にあったのではないか、と想像する。が、少なくともこうした認識があったということは知っておいてよいだろう。今、漠然と「運動が盛り上がっている」的な雰囲気がある中で、これは当たり前と言えば当たり前だが、極めて今日的な問題と言いうる。

 上田さんは文中で「綱領的要求」という表現を用いている。当時の状況なり上田さんの立場からすれば、これは一定の説得力を持ち得たのかもしれない。が、今はそうではないだろう。別冊「ロスジェネ」所収のシンポジウムが示しているように――ということは現時点での批評の到達点でもある――、そう簡単に希望は語れないし、こうすりゃみんなが幸せに、なんて処方箋もそうそう書けない。

 しかし、だからこそ、思考なり議論なり運動なりの作法というか倫理が必要なのであって、それをやろうとしているのが「ロスジェネ」であり「フリーターズフリー」(もうじき第2号が出るそうだ)なんだと思う。

 読み違えているのかもしれないが、上田さんはどうも「綱領(≒結論)先にありき」というような態度――その世代の、あるいは共産党の理論家/活動家の中では、という限定つきだが――をとらなかったタイプではなかったか、という気がしている。ある問題があり、それを個別具体的に解きほぐそうとする中で綱領に到達する、というような態度に徹していたのではないだろうか、少なくともいわゆる「大衆運動」においては。
 
 上田さんは共産党の幹部で長くありながらちょっとはみ出たところというか、型にはまらないところがあった人だと思う。上田さんのやってきたことから学びうること、学ぶべきことは――もちろん批判も含めて――少なくない。

 まっとうな上田耕一郎評価/批評が出てくること。これが現在の運動を考える上でも大いに手がかりになると思う。
 
 ご冥福をお祈りいたします。

【追記】
 遅く起きた今朝、新聞で訃報を知り、即机に向かって記したのだけれども、先ほど、浅尾大輔さんが「日本共産党の認識論――上田耕一郎氏へのオマージュ」という記事をすでに昨日記されていることを知った。

 浅尾さんが「現代の生活における貧困の克服」を深く受け止めていらっしゃること、我が意を得たりというのは不遜にすぎるだろうが、心強いことだ、とは言っておきたい。「ロスジェネ」と結びつけた連想は、あながち間違いではなかったか。

by todoroki-tetsu | 2008-10-31 12:56 | 業界

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