吉本隆明『詩とはなにか』

 ずいぶん久しぶりの更新となってしまった。仕事が猛烈に立て込んだせいでもあるが、気軽に手にとってはみたものの無茶苦茶にかみごたえのある、この『詩とはなにか』を前にうなっていたせいもある。

 新書サイズであり、論文や講演(の要旨?)をまとめたものであるから、重厚長大なのではない。が、詩人・吉本隆明と評論家・吉本隆明の、根源的な部分がカタマリとして剥き出しにされたような、ゴツゴツとした、骨太な感じがする。もちろん、扱っている題材は具体的に例示された詩の数々をはじめ極めて繊細なのだが、それを扱う吉本さんの思いの強さに圧倒されてしまった。

 「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである」(「詩とはなにか」、P.13)

 という至言のおさめられた「詩とはなにか」、結びの近くにはこうある。

 「古代人はかれらがかれら以外のものでありうることを妄想したとき、それが何であるかをさぐり当てるところに詩的な喩を発生させた。わたしたちは、いま、わたしたちがわたしたちであり得る方法を、わたしたちがわたしたちでない現実社会のなかで妄想するときに、詩的な喩の全価値にたどりつく」(同、P.58-59。下線は本文では傍点)

 もちろん、この文章に至るまでに「記紀」が取り上げられ、現代詩が例に引かれたりするのだが、文意は十分には追えない。個々の記述については何となく分かるといえそうな部分もあるが、全体として、よく分からない。が、おそろしく大切なことが述べられている気がする。それはたぶん、

・「わたしたちがわたしたちであり得る方法」についての関心を、僕自身が持っているし、おそらくは今を生きる多くの人が持っているだろうということと、

・「わたしたちがわたしたちでない現実社会のなかで妄想するとき」という情況が、これまた僕自身にも、また、おそらくは今を生きる人の多くの人にとって身近なものである、と言いうるからだと思う。

 でも、肝心の「詩的な喩の全価値」は、分からない。

 この分からなさは、嫌いではない。


 「なぜ書くか」という小論も、味わい深く、また、重い。

 「かれの〈書く〉ものは、かれにとって如何にして〈書かない〉ものの世界に拮抗する重量と契機を獲取しているか? そして、わたしの〈書く〉ものは、わたしにとって如何にして〈書かない〉ものの世界に拮抗する重量と契機を獲取しているか?」(「なぜ書くか」、P.105)

 吉本さんは自身のこと、また文学の世界に身を置くものとしてこの一文を書かれている。が、社会に何らかのかかわりを持って生きようとする際の、自分自身の立ち位置を反省する言葉として、ある程度普遍性をもったメッセージが含まれているような気がする。

 が、やっぱりそれが何なのかは、よく分からない。

 おっかしいなあ、吉本さんの講演を聞いてみると何となく少しは分かったような気になるのだが……。ひょっとして何一つ分かっちゃいねぇのかもしれません。

 自分が少しは慣れ親しんでいる人のことなら、と、次は『宮沢賢治』に挑戦してみようと思います。
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by todoroki-tetsu | 2008-08-19 00:10 | 文学系 | Comments(0)

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