トークセッション:道場親信×渋谷望『希望の同時代史のために―軍事化とネオリベラリズムに抗する思想―』

 以前読後感を少し記した道場親信さんと、渋谷望さんとのトークセッション@ジュンク堂池袋さん。仕事の都合がギリギリでなんとかついて参加できた。

 渋谷さんが現在の格差社会論批判、ネオリベ批判において、その前史たる冷戦や、高度成長期がどうであったのか、という議論が抜け落ちていないか? と提起した上で道場さんの仕事を位置づけていった点、なるほどとしょっぱなから唸る。

 このあたり、7/30の毎日新聞夕刊の「雑誌を読む」で、武田徹さんが佐藤優さんと雨宮処凛さんの「対談 秋葉原事件を生んだ時代」を取り上げつつ、雨宮さんはなぜ鎌田慧さんを参照しなかったのか、と問うておられるのが想起された。

 雨宮さんがどういう事情で鎌田さんにふれなかったのかは、当然知る由もない。が、僕も、実は「地下大学東京」において、鎌田さんのお話を聞いているにもかかわらず、まったく意識から抜け落ちていたのだ。ほんのついこの間のことだというのに。もっと考えなくては。

 また、「冷戦崩壊後のわずかな間、日米安保も軍隊もいらない、というような議論があったではないか。それが湾岸戦争からカンボジアPKOに至る中でかき消されていったのを覚えている人もいるのではないか?」と道場さんが問われたのにもハッとさせられた。自分の中学から高校の時代(1988-1994)の記憶がまざまざと蘇る。さらに道場さんはたたみかけた、「今二十代の人には想像もつかないでしょう」。

 そうか、世代の、いや記憶の、といったほうがいいのか、そうした断絶は、自らの忘却も含めてすごく身近なところにあるんだな、と思い知る。

 質疑の中で興味深かったのは、「権力」と「対抗」を名詞同士でぶつけても意味がない、とおっしゃったいたこと。こうしたことはあくまで個別具体的に考えるしかない、と。「例えば、岩国での基地反対が成功したとして、それは権力の奪取ではないでしょう。今までの生活が続く、というだけです」。

 社会運動史の研究を積み重ねてこられた重みを感じた。ますます道場ファンになってしまった。



 
 
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by todoroki-tetsu | 2008-08-02 22:33 | 業界 | Comments(0)

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