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永山則夫『無知の涙』読了

 読み終えて気づいたのだが、つい先ごろ購入した『無知の涙』、「2008年6月20日 16刷発行」と奥付にある。このタイミングでの重版、それだけ注目が高まっているということなのだろうか。

 巻末に収録された秋山駿さんの「ノートを読んで」でも指摘されているが、この本は詩集という印象が強い。短歌詩もあるしエッセイもあるし、雑記文章もあるので、詩ばっかりなのではない。けれども、全体として詩という印象を受けるのである。

 例えば、散文ではあるけれどもこんな節。

 ある日と永遠のなかでのこと――『ぼくは鯨の背に乗って呑気に世界旅行している際〔最〕中、食物が無くなった! 数日の目まい、かわき疲れ、食物への幻覚……、ぼくはこまりにこまった。そこで鯨に話すことにした。「君を食べていいかい……そのう……つまり……」鯨は超音波でぼくの脳波にこたえた「仕方無いよ」と一言だけ。もっと言って欲しかった……。ぼくは最初は遠慮して少しづつ、ほんの少しづつ背中から喰っていった。呻(な)かなかった。鯨は何も言わなかったのだった。そして毎日が経過していった。当てのない世界旅行! ぼくが背中を喰っていって、それが大変悪辣極まる事だと気がついた時!! 鯨の三分の一を喰っていた。ぼくは鯨に謝った。鯨は…………何も言わなかった。鯨は屍体だったのだ……。ぼくはその日から孤独になったのだった。生きる事の無意味さを悟る時、ぼくは自分の喉に、それまで鯨を苦しめたナイフを刺していた。ぼくの脳味噌から最後の一滴の血がひく瞬間、鯨とは自分自身の精神と悟るのであった。』
       ――死する者より・その三十五――「逆説のある考え」(P.284-285)
  
  
 散文詩、というのが僕はよく分からないし、そうした思いでつづられたのかどうかも知らない。でも、イメージはまさに詩というにふさわしいと思う。

 一読者としては確かに興味深く読んだし、意義のある著作であると思う。では、一応はプロの書店員の端くれとして、どんな提案をお客様にしていけるのだろうか? と考える。

 杉田俊介さんの『無能力批評』、特に「自立と倫理」、「[無能力批評A]『フリーターズフリー』創刊号に寄せて」を連想し、それらから、今『無知の涙』を読む意味を探ることが出来ないかと考える。

 ひょっとすると、「食物」という言葉から、『寄生獣』論や「あんぱんまん」への言及を僕がただ勝手につなげているかもしれない。あるいは、「ぼく」と「鯨」との関係から、「他者」について論じている部分を僕が表層的に解釈しているだけなのかもしれない。

 もう少し考える。

 「文化系トークラジオLife」の議論が白熱してきたのでひとまずここで。

by todoroki-tetsu | 2008-06-23 02:43 | 業界

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