永山則夫『無知の涙』を読み進める

 永山則夫氏の『無知の涙』を読み進めている。
 
 秋葉原の事件と関連して論じられることが多いようだ、とある編集者の方から教えていただいたのと前後して、6/17の「毎日新聞」夕刊にて大塚英志さんのインタビューを読み、これは読まねば、と思って、今半分くらいまで読み進めている。

 僕は気になった箇所のあるページの下の端っこを折る癖があるのだが、折り目だらけになってきた。

 折り目をつけたページから、ふたつほど。

 「この一〇八号事件は私が在っての事件だ。私がなければ事件は無い、事件が在る故に私がある。私はなければならないのである。今考えて、あの時期に、四人を殺してしまう以前に、考える事は出来なかったのか? あったのだ! しかし、死刑になるなら自殺した方が最良だと考えた訳である。自殺は出来なかった。理性をもって考えたのに、自殺は出来なかった。世論の同情する私であるために出……来……なかった……」
   ――死する者より・その二十四――「個人的凶悪犯心理の研究から」
(p.250)

 「とうとう真心のある恋愛はできなかった。テロリストと自称する私には矛盾する出来事でもあるが本能上の問題で人間には避けられない事実だと思う。夢で、空想でそれはそれは憧憬の的だった。貧乏人でなかったら華燭の典を行なえる恋愛ができたろに、否、差別のあるこの日本でないのなら、社会主義の日本だったらば、自然にして普通の恋も人生も送れたろう」
             ――死する者より・その三十八――「叱られる?」 
(p.310)

 いずれも1970年に記されている。

 安易に今とつなげるのは間違っているのかもしれない。

 でも、時代が違う、では済まされない何かがあるような気がする。読み進めながら、もっと考えてみたい。
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by todoroki-tetsu | 2008-06-21 00:54 | 業界 | Comments(0)

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