藤田省三『精神史的考察』再読

 フェアをやる関係で、藤田省三さんの『精神史的考察』を読み返す。

 「……生き方についての精神的骨格が無くなった社会状態は十分な意味ではもはや社会とは言い難い。一定の様式を持った生活の組織体ではないからである。それはむしろ社会の解体状態と言った方がいい姿なのである。そうして、そういう時にこそ得てして社会の外側から『生活に目標を』与えてやろうという素振りをもって『国家のため』という紛いの『価値』が横行し始める。そうなると社会の再生はひどく難しくなる。国家とは機械的な装置なのだから、『国家のために生活する』ということは即ち生活が機械的装置の末端機関と化すことを意味するだけである。生活組織と生活様式の独立性はここでは崩れ去る他ない」(P.12)

 上原専祿が「地域の地方化」という問題を提起していたことを前に記したが、ここでいう「社会」なり「生活」なりという言葉と「国家」という言葉との対比と通じるものがあるように思う。

 他にも、「松陰の精神史的意味に関する一考察」「戦後の議論の前提」など、興味の尽きない論考が。「モダン・クラシック」のお手本のような本である。新しい本もしっかり追いかけたいのだけれども、こういうものもしっかりとフォローしておきたいものだ。
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by todoroki-tetsu | 2008-06-13 00:13 | 業界 | Comments(0)

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