『ディオニュソスの労働』読了

  以前『ディオニュソスの労働』について記したのはいつだったか、と振り返って吃驚した。ようやく本日読了。約一ヶ月かかってしまった。

 これだけの大物は久々であった。

 第二章についてはすでに触れたが、後半で特に面白かったのは第五章「国家と公共支出」と第六章「ポストモダン法と市民社会の消滅」である。マーフィーとネーゲルの『税と正義』などを想起しながら読み進めた。

 「一個の工場として社会を認識すること、ボスとして国家を認識すること、正統化としての生産性の物神を破壊すること、そして正統化をプロレタリアートの包括的欲求へと戻すことは、いずれにしても、支配を転覆するための今日的任務なのである。この任務が十分に果たされると、そのときには賃金の相対性が破壊され、分断の論理と分断を通じた支配が力ずくで打ち破られるために、おとぎ話にある裸のばかな皇帝のように、皇帝の正体をあばくことが可能なのだ」(第五章、P.246)

 よく分からないが、なんだか檄文のようで好きだ。国家・労働・市民社会・賃金・プロレタリアート……うーん、難しい。

 第六章では、『正義論』がいかに時代に適合的なものであったか、を丹念に跡付けていて面白い。その締めくくりにはこうある。

 「私たちは社会主義的改良主義の不可能性を主張し、資本主義国家の権力と自律性の高まりを警告し、管理というパラダイムが徐々に台頭している状況を追跡してきた。だからといって、決して絶望を表明しているつもりはない。幾人かのすぐれた現代の理論家についての解釈をとおして試みたかったのは、現代における国家‐形態の形象に明確な輪郭を与えることである。これは方程式の一つの側〔連立方程式の一つの式〕にすぎない。マルクスとエンゲルスはいう。『ブルジョワ的生産ならびに交通関係、ブルジョワ的所有関係、すなわちこれほど強大な生産手段や交通手段を魔法のごとく呼びだした近代ブルジョワ社会は、自分が呼びだした地下の魔力を使いこなせなくなってしまった魔法使いに似ている』。私たちは魔法使いの呪文を考察してきたわけだ。次に地下世界へと足を踏み入れねばならない。そしてその深みから解き放たれた諸力の、主体的かつ生産的相貌を把握せねばならない」(P.332-333)

 引用されているのは「共産党宣言」。マルクスにせよエンゲルスにせよ、ネグリにせよ、原典は一切読んだことがないので何ともいえないが、言い回しが上手いな、と思う。

 こうした言い回しに惚れるのも好きなのだが、その言わんとすることをじっくり考えようとすると、難しい。

 とにかく噛み応えのある大著、ロングセラーにしていきたい。 
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by todoroki-tetsu | 2008-06-04 23:36 | 業界 | Comments(0)

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