「現場」あるいは「職場」について――上原専祿に寄せて

 出版業界の傾向にたがわずといおうか、うちの会社もなかなか経営が厳しい。色々と原因はあって、一概には言えないが、経費削減はますます厳しく言われるようになってきた。

 真っ先にいわれるのが人件費である。とにかく人を減らせ、と。

 人件費削減=人員削減ではないと思うのだが、まあ、そこに落ち着いてしまう。吉越浩一郎さん(『「残業ゼロ」の仕事術』、『デッドライン仕事術』ともに名著だと思う)のような人がいてくれれば、と思いつつ、現場でできる工夫はないかなどと考えている。

 利益を出すための一番のベースは現場にあるはずだ、と思いつつ、現場とはいったいなんだろう? と考える。ふと思いついて本棚から上原専祿著作集14巻『国民形成の教育』(評論社)をひっぱりだす。「地域の地方化」という言葉を思い出したからだ。
 
 まとまってこのことが述べられているのは、「民族の歴史的課題と国民教育の任務」と題する講演(1963.11.9)である。

 「地域における産業、地域における教育、別の言葉でいえば、『生活』の実際というものに即して、産業の問題や、教育の問題を考えてみて、そのような諸問題の有機的な複合物として、日本全体の産業や教育の問題を具体的に考えて、問題の解決をはかるのではなくて、中央の権力、その権力をバックにしている独占資本、そういうものの利益を追求していくという角度から地域を眺めて、地域というものを、そのような権力や独占資本の利益を実現していくための手段にしていこうとする、そういう見方や考え方」(p.353)

 が、今強まっている、とした上で、こういう見方や考え方のもとでは、

 「地域というものは、中央にとっての、利益追求の手段としてのたんなる『地方』というものに抽象化される。つまり。中央の権力や独占資本の考えていることは、地域を地方化していこうとすることなのです」(同)

 と警告する。
 
 なぜ、そこまで「地域」にこだわるのか? 

 「私が地域という理念を特別に大切だと考えますのは、ひとつには、日本とは何か、を具体的に考え、日本について具体的な全体認識を持とうとする、また、日本の問題というものは全体として何か、ということを具体的に考えようとする、そのような場合に、地域の諸問題の複合物として全日本の問題を考えるほかに考えようがない、という認識方法の面と、もうひとつは、そのような地域というものが、今の政治の中でたんなる地方へと転落させられつつあるという現実を座視できない、という実際問題の面」(p.354)

 の両面からだ、と述べている。その上で、地域に並ぶ言葉として「職場」をあげるのだ。

 「いったい、職場という言葉は、一定の業務が執行されていく管理運営上の、つまり経営的な概念なのだろうか。職場というものがそのようなものになっているとすれば、その職場はもう生きた職場ではなくなっている、と思うのです。経営の立場からすれば意味があるけれども、国民的立場からすると意味がない職場になっている、と思うのであります。(中略)生きた職場というものは、国民的立場において仕事の問題が追求されていき、国民的立場において仕事が具体的に展開されていく、現実の場という意味を持ちつづけなければならないのではないか」(p.355)

 国民的立場ってなんだろう? 働き方やその企業活動がある程度社会的な正義に則っている、というほどの意味だと考えてみると、浅いかもしれないが大きく外れてはいない気がする。

 言われたことを言われたなりにやるだけだったら、確かに「生きた職場」ではない。でも、ある意味で「楽」ではあったりする。そこを乗り越えるためには、自分(たち?)自身をもっと鍛えねばならないのだろう、という気もしてくる。

 あらためて、上原専祿の読み直しを進めてみよう(こうやって読みかけの本が増えていくのだ……)。
 
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by todoroki-tetsu | 2008-05-17 21:31 | 業界 | Comments(0)

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