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芹沢一也「〈生への配慮〉が枯渇した社会」(『思想地図』)

 『思想地図』読了直後にも少し記しましたが、とにかくこの芹沢さんの論考は凝縮されています。

 衰弱した野宿者が市役所職員や保健師に見守られながら心肺停止に陥った(その翌日に亡くなる)事件、そして光市事件にふれながら芹沢さんはこう述べる。

 「路上で傍観されながら、飢えから死へと廃棄された生。あるいは、矯正可能性への配慮が潰えた司法によって、社会から抹殺されようとしている生。一方は生活を支えるセキュリティの縮小を、他方は治安を維持するセキュリティの上昇を物語る、これらふたつの光景には、生をめぐる権力の現在がはっきりと刻印されている。それは統治の領野としての〈社会的なもの〉が、ラディカルに変容しつつあることを示していよう」(p.322)

 そして、「生活と治安をめぐる統治の系譜」を追わんとし、1874年の恤救規則から現在までを駆け足で振り返っている。細かいところは正直なところよく分からない。が、後藤道夫さんや渡辺治さんといった、比較的言及する人が固定されている(ような気がする)論者への目配りがされているのは面白く感じた。「講座現代日本」派とでもいおうか、「ポリティーク」派とでもいおうか、ともかく彼らの用いる「社会統合」や「企業社会」といった概念はそれなりに説得性のあるものだと思うし、また色んな人が参考にし、また批判していくことで練り上げられていくような気がするので。もちろん、それは彼らに限ったことではないのだが。 

 「いまや〈社会的なもの〉の縮小がただそれだけで、自らを駆って競争にコミットする労働者を生み出せるならば、統治は生への配慮を果てしなく切り詰められる」(p.340-341)

 という指摘が生々しい。

 ここでもまた「社会」という言葉が出てきた。昨日の書き込みではないけれども、最近よくひっかかるような気がするのは偶然だろうか?

by todoroki-tetsu | 2008-05-03 00:36 | 業界

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