木下ちがや「IWW・『〈帝国〉』・アメリカニズム」(「現代思想」5月号)

「現代思想」は気になるときにしか読まない。今回のネグリ特集は少し迷ったが、結局購入。

 全部が全部読めているわけではもちろんないが、木下ちがやさんの「IWW・『〈帝国〉』・アメリカニズム」を興味深く読む。

 恐ろしく濃縮されていることもあり、十分理解できているわけではないれども、、

 「IWWの任務は、産業行動をする以前に、公共空間の自由を確保することにおかれるようになった」(p.138)

 という指摘や、

 「(「フリーライダー」運動や「シット・イン」運動は)いずれも階級問題であり、人種問題であるにもかかわらず、表現と移動の『市民的自由』というコンセプトを媒介に力動性を獲得していくという空間編成のプロセスが繰り返し再現されていくのである」(P.140)

 といったIWWの遺した規範が後々に与えた影響のことなどは、単に知らないことを知ることが出来た、という以上の面白さを感じた。

 先に湯浅誠さんの『反貧困』に触れた折には主に第三章を対象としたが、続く第四章にはこんな箇所がある。

 「『市民(citizen)』という言葉もすっかり人気がなくなった。市民という言葉には、国の動向とは別に、社会の一員としての立場から社会的に必要と感じられることを自主的に行う人々、という意味合いが込められていたように思う。それは、『国民』とも『会社員』とも『労働組合員』とも、『家族の一員』とも『地域の一員』とも違う、『社会』に対して責任を持とうとする存在のはずだった」(『反貧困』p.110) 

 IWWに関する記述をそのまま「市民」や「社会」といった術語に結び付けてよいのか、僕には分からない。が、きっと無関係ではない、と思う。

 こうしたことを考えながら、『ディオニュソスの労働』を読み進めているところである。
 
[PR]

by todoroki-tetsu | 2008-05-02 02:40 | 業界 | Comments(0)

<< 芹沢一也「〈生への配慮〉が枯渇... 『反貧困』読了 >>