「『敗北』の文学」と「様々なる意匠」(その三)

 少しばかり「『敗北』の文学」に軸足を置いてみようか。


 これを書いた当時の宮本はまだ学生である。一方年長の小林は既に学校は出ていた。歳にして六つほどの違い。20代における六つ違いの差は大きかろう。しかし、兎に角「生き生きとした嗜好」を有する宮本の文章を読んでみよう。

 
 遠いところにいると思われた芥川が、自分の近くにいるように思えた。「『敗北』の文学」の冒頭はそんなところから始まる。芥川に宮本が感ずる「チョッキ」と、小林の文芸批評家たちに感じた「鎧」とは同じものであったかどうか。さて、宮本は自殺後の芥川を「我々に近く立っている氏を発見した」と言う。あくまで「近く」であって、我と我が身の中にではない。あくまで芥川は外部にいるかのように宮本は記述している。しかし、実際のところはどうであろう。


 かつて私は、自己の持ち場で闘っているインテリゲンチア出の一人の闘士が、一夜腹立たしそうに語ったことをおぼえている。「駄目だ! 芥川の『遺書』が、――『西方の人』が、妙に今晩は、美しく、懐かしく感じられるのだ。」



 なぜ美しく懐かしく感じられることが否定的に記されるのであるか。


 この作家の中をかけめぐった末期の嵐の中に、自分の古傷の呻きを聞く故に、それ故にこそ一層、氏を再批判する必要がある。


 なぜ「古傷」と過去のものにしようとするのか。簡単なことだ。

 
 そこまでして振り切ろうと努力しない限り決して逃れ得ぬものとして、芥川の存在は宮本の内部にあったのだ。よそよそしく「我々の近く」になんて記してはみたが、それはそうでも記さない限り気恥かしくて仕方ないほど自分の中に入り込んでいたからだ。芥川に魅了される己を自覚することなしに何故「踏み越えて往く」必要があろう。

 
 ここに、小林と宮本が同じ地点に立っている証左を見る。「様々なる意匠」の一文をつなげてみればよろしい。二人は本当に近くにいたのだ。

 
 批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!


 懐疑を振り切り、宮本は決意を表明した。いかにも学生らしく若々しい。しかし、小林がさて懐疑的に語ったかどうかとなると疑わしいものだ。確信にみち溢れた言い放ちようが懐疑に裏付けられたものであったとしたら、宮本の決意表明とどれほどの違いがあるだろう。

 
 しかし、同じ地点に立っているとはいえ、決定的にやはり違う。それは、意図してか無意識にか、いずれにしても「我々の近くに立っている」としか記せなかった、ほんとうは少しでも話そうとすると痛むくらい自分の中にいる芥川を、あたかも外部にあるかのように記せなかったことに現れている。


 ここで「様々なる意匠」の冒頭に立ち返ってみることにしよう。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-12-09 20:22 | 批評系 | Comments(0)

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