「争点」について

 今朝(11/25)の「毎日」一面の見出しには、「争点づくり懸命 14政党乱立 戸惑う有権者」とある。


 見出しだけ見て「なんじゃこりゃ」と思った。争点なんていくらもあるじゃねぇか、と。ったくだから「大新聞」はよぉ、と朝っぱらから毒づいてしまったが、よく読んでみると、ここでいう「争点」と僕の思う「争点」が違うのだな、ということに気づく。


 衆院選(12月4日公示、16日投開票)へ向け14政党が乱立し、有権者側から「何を基準に投票すればいいのか分からない」と戸惑う声が出る中、各党は争点づくりに懸命になっている。


 
 この一文は善意にも悪意にも取れる。しかしその前に、僕自身の立場をはっきりさせておこう。


 消費税増税には反対だし、原発はなるべくはやくなくしたい。それでもどうにかこうにかやっていける道があるはずだと思う。米軍基地も要らない。自衛隊が即不要だとまでは思わない。TPPはよく判らない。生活保護バッシングはおかしい。日本国憲法を改正する必要は感じない。それに何より、日々正社員として働いているなかで、非正規雇用を、使い捨てのような労働のありようを、改めたいと強く願う。お前は正社員だからいいだろうというもんだいでは、ない。もう、持たないのだ。これらをトータルで託せる人と勢力に、僕は投票する。政治が変わり労働法制が変われば、明らかに職場は変わるのだから。

 
 さて、このように考える僕であるから、「争点」をわざわざ「つくる」なんていうのはちゃんちゃらおかしいやい、ということになる。だって、すでに争点はいくらもあるのだから。それをわざわざ「争点づくり」なんていうのはゴマカシじゃないのか。これが悪意のある読み方。

 
 翻って善意のある読み方は、ここでいう「争点」は庶民の生活や国政上・外交上の大きな問題をさておいた、政局・選挙運動レベルでのきわめて卑小な「争点」と考える、そういう読み方である。会社組織とはいえ生身の人間が書いているわけだから、本気で思っているのか、お仕事で書いているのか、何かをこっそりと込めようとしているのか、そのいずれかであるだろう。が、そこまでの忖度は不要か。


 「何を基準に投票すればいいのか分からない」。怖い言葉だ。明らかに他者を評論する言葉である。新聞記事なのだからしょうがないとはいえ、「お前はどうなんだ」と思わず語気を強めてしまいそうになる。これがいちゃもんなのは判っている。少なくともこの言葉を額面通りに受け取るのはやめにしたい。読者としてのそれが最低限のたしなみというものだろう。


 僕に言わせれば基準ははっきりしているのが今回の選挙だが、「これはいいけどここがちょっと……」「そもそも投票しても無駄」とか、そういうふうに思っている人が少なからずいることは想像できないわけじゃない。しかし、だからこそ、じゃあ、自分はどうなんだと自問し、自分自身の答えを見つけて行くほかないじゃないか。自分はこう思っている、ということを括弧に入れてさも得意げに言葉を振り回すことだけはやめにしたい。選挙は論評するもんじゃない。自分が主体的に関わっていくものなのだから。


 それにしても、「民主」「自民公明」「第三局」「既成政党」という意味不明な区分はなんとかならぬものか。こうした枠組みを最初にはめてしまうから、「争点づくり」なんてよく判んないことになるのではないのか。「『政局』で本は売れない」と僕は以前記しておいたが、そういう本が売れないような論調ではなく、新聞にはガンガンに争点を突き付けていってほしいと思っている。

 
 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-25 20:47 | 運動系 | Comments(0)

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