寺めぐりなど

 京都に行く時にはほぼ必ずといっていいほど龍安寺の石庭に立ち寄っていた。見るたんびに違ったような、しかし同じような心持がして何とも言えない。が、最近はサボることがしばしば。喫茶店めぐりに時間を取るようになったということもある。今回もまたサボった。

  
 何の下調べもしちゃあいないし、紅葉には早すぎるのだとも行ってから気づいたような次第だが、まあ、特別拝観シーズンでもあるようだからと久々にお寺さんなどをまわってみる。

 
 久々に天龍寺に行ってみようと最寄り駅からとぼとぼ歩く。途中こじゃれた古本屋さんなどを見かけるとつい覗きこんでしまう。職業なんだか趣味なんだか判らない。紅葉前とはいえ休日のせいかえらい人手。天龍寺には入る気が急に失せ、塔頭であるところの弘源寺と宝厳院にのみ立ち寄ることにする。

 
 維新の折の刀傷。それそのものはどうでもいいが、寺というのはそういう場所であったのだということはどことなく面白い。何らかの決起、その際に集う場所。単に京都に寺が多いということでは説明できなさそうな気がする。場、ということ。

 
 基本的には枯山水を無性に好む。しかし、そもそも久々に天龍寺へと思い立ったのは池を見るのもよいだろうな、という気分になったからであった。宝厳院・獅子吼の庭はじゅうぶんその気分を満たしてくれる。排された巨岩、おもしろくつくられた水流、一面の苔を見つつ、何を思ってこのような配置をしたのかと考えてみるが、結論はない。


 市中に入ってからひと息をつく。必ず行く喫茶店のいくつかをはしごしたのち、これまた必ず足を運ぶ一乗寺は恵文社さんへ。なぜか単行本で買い漏らしていた、茨木のり子さんの『寸志』を求める。「この失敗にもかかわらず」は、やはり詩集らしい質感で読みたいと思ったのだった。

 
 とっぷりと夜は更けている。ちょっと調べてみると曼殊院はそうそうに夜間拝観をやっているそうな。歩いて歩けぬ距離でもなかろう。カロリー消費のためだと思ってあるきはじめたはいいが、坂を登っていく段になって急に後悔してしまう。汗みずくになってひっそりとたたずむ門跡にようようたどり着く。

 
 随分前に一度だけ来たような心持もする、よく覚えていない。さすがに門跡、天皇と縁もゆかりも深いゆえか、色んなところに由緒を感ずる。ライトアップされた枯山水を眺めるというのはいかにも現代的であって、さて、往時の人がそのような楽しみ方をしたのかは知らない。楽しんで見たのか、何らかの修業的な意味合いもあって表されたのであろう世界観をありがたいと思って見たのか。いずれにせよ、美しい。芯に沁み入ってくるような冷たさは、さっきかいた汗が冷えたからだけでもあるまい。開け放された板張りの廊下にたたずみ、山からひたひたと迫ってくる冷気。無音だが、音が聞こえてくるような冷たさ。


 我に返って立ちあがる。日々の手入れがあって今があるわけで、そっくり昔日のままというわけではあるまい。が、何かが伝わっている、遺されている、生き延びている。そう感じる。生きながらえさせたのは何であっただろう、とふと思う。天皇家か時の権力か。生き延びている何ものかは確かにある。しかし、それは何ものかをして生かさんと思わしめる、そういうものではなかったか。同じことを逆から言えば、それを生かそうと思う人がいたからこそではないか。美しさを感じるというのは、そういうことなのではあるまいか。ただ、眺める。触れる。そこからつかみ、つかまれる何ものか。

 
 さすがに帰りはタクシーに頼ることにした。出町柳まで走ってもらう。一番最初、意識して学生時代に京都に来た時には、故あって深夜この界隈から清水寺あたりまで歩き、戻ってきたことがある。もう20年近く前の話だ。その時の記憶のせいかどうか、とにかくこの鴨川沿いというのは好きな場所なのだ。


 一夜明けてさあ、どうしようと考える。高田渡信者としてはベタであれ何であれ、イノダの本店は欠かせない。一日のプランをどうしよう、とまずは早くからあいていそうな六波羅蜜寺へと向かってみる。ここもはじめてのところ。


 地下鉄に乗っている道中、昨日いずれかのお寺でもらってきた「正しい坐禅の組み方」なるパンフを読む。「坐禅をする時、目は開いています」とあるのが面白い。「菩薩の半眼」というのだそうだ。「目を閉じると消極的になり、余計な妄想がわいてきますので、閉じないで下さい」。なるほどそういうものかと妙に納得してしまう。


 六波羅蜜寺に向かったのは、早くからあいているというだけでなく、辰年にしか見られないというご本尊が拝めるとガイドブックに書いてあったから。あまり仏像には興味があるほうじゃない。物珍しさのほうが勝る。しかし、いざお参りをしてみると、何とも言えぬ表情がある。作った人は何を思ってこのような表情を形にしたのだろう。思ってやれることなのか、何かに突き動かされたか。それはそれでたいへんに興味深いけれども、それをまた拝んだ無数の人々が今までにあった。単にありがたいからか。たまにしか見られぬからか。そういうこともあるだろう。しかし、そうでないこともありはしないか。いかなる動機からであれ、その前にたたずむことで、ほんの一瞬であったとしても、何か背筋が伸びるような、心の底から自然に頭を下げ手をあわせる、そういう出会い。作り手の出会いであるだけでなく、今までにこの場で手をあわせてきた無数の人々との、出会い。


 続いて向かったのは泉涌寺。東福寺だけにしようかどうしようか駅を降りて迷うものの、ええい、ここまで来たんだとやや遠い方の泉涌寺から先にする。二度目だが、以前の記憶というのはすっかり忘れているもので、昨晩に続きふうふうと山道を登っていく。まあ、覚えていたら止めていたかも知れないので結果よしだ。


 まったく意識していないかった。ここもまた天皇家にゆかりある寺であった。仏教と天皇。宗教と権力。まあ、そういうものだろう。由緒正しいと誰が決めるのか知らぬが、そうして遺されてきた貴重なものは確かにある。しかし、と思う。やはり、偉い人だけがそれをあがめたてまつった、それだけのことであれば、何百年、下手すりゃ千年の単位で遺りはしない。そこに価値を、惹かれるものを、大切だと思わせるものを、感じ取ることのできる生身の人間が居続けたのだ。


 「千年に一度の出来ごとには、千年を超える思想だ」。そう大澤信亮さんの声が聞こえてくる(「出日本記」。「群像」2012年5月号)。ならば、千年を超える思想――それは庭や仏像や書や画や言葉によってあらわされる――、そうしたものがたかだか数十年、よくもって百年程度の生身の人間に宿るということ、これは不思議という他はない。なるほど宿るのは千年に一人の人間かもしれない。けれど、その思想を、数十年の寿命しか持ち合わせていない人間たちが、何世代にもわたって紡いできたのだ。その力は何か。また、その力を認知できるというのはどういうことか。


 たとえその認知が誤解であったとしても、それによって生き延びる/生き延びさせることが出来たなら、それは少なくとも偽物ではない。若松英輔さんがしばしば強調する「誤読」とはそうしたものだと、勝手に感じて納得している。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-11-16 22:04 | 批評系 | Comments(0)

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