福島原発告訴団

 福島原発告訴団の告訴人になるための書類送付と手続きを終えた。サイトには丁寧にやり方も書かれているのでたいへんに助かる。


 15日までというので焦っていたが、〆切が延びたと聞いてもういっぺん自分なりに考えて、やはり名を連ねようと決めた。しかし、告訴団の先頭に立つ方々、事務局はじめ支える皆さんに比べれば、特段何かをした気にもならないし、なってはならない。

 
 なぜ告訴人の一人になろうとしたか。よい意味でも悪い意味でも、「何かをしたい」「しなきゃ」という思いはある。自己慰撫という側面は明らかにあるだろう。否定しないし、それでいいという開き直りも少しはある。


 その上で、少し整理して考えてみると、当事者性を自覚したい、という思いが見えてくる。他人事ではなく、実名をさらしてハンコまで押して文書を送るのだから、それなりに緊張もするし、またその行く末も気になる。何かはやったぞ、という言い訳にしかならないかもしれないが、それでもやはり。覚悟を形にしたいという気持ち。


 しかし同時に、委任状の内容全てに同意しているかというと、別段そういうわけでもない。反対はないのだが、それだけでは足りぬというか、自分なりに補足した上で賛同した、という感触。誰か悪い奴がいる。それがそのままになっていたらおかしい。それは悪い奴を懲らしめなければならないというだけでなく、悪い奴をそのままにしている社会の一員ではありたくないということ。


 人間を人間たらしめるのは、あやまりをなかったことにすることではない。あやまりをあやまりとして明らかにし、それを繰り返さないように努力すること。そのような社会の一員でありたいということ。それは震災後、飢えたかのように読んだ渡辺一夫から学んだことでもある。

 
 誰かをやっつけて溜飲を下げたいのではないのだ、と自分に言い聞かせる。これはそうして溜飲を下げたいという自分の欲望とのたたかいだ。運動、法廷闘争の局面ではこんなものいいは通用すまいし、それでいい。けれど、自分にとってはたいせつな思いであり、陳述書にもそんなことを書いてみたりした。一万人にならんかというのだ、いろんなものいいがあってよかろう、と手前で勝手に結論をつけている。


 こうした機会をつくってくれた告訴団の皆さんに感謝したい。だがしかし、まだまだ、これからだ。


 
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by todoroki-tetsu | 2012-10-26 10:39 | 運動系 | Comments(0)

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