中野重治「五勺の酒」について(その七)

 「何にほっとするかでの皮膚感覚の人間的なちがい」を見る眼は、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」という認識にたどり着く。こうした認識はおそらく大江健三郎さんには引き継がれたはずである。そのあとは、誰だろう。とにもかくにも読み進める。

 
 だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因はいろいろにある。しかし気の毒だという感じが常に先立っている。むかしあの天皇が、僕らの少年期の終りイギリスへ行ったことがあった。あるイギリス人画家のかいた絵、これを日本で絵ハガキにして売ったことがあったが、ひと目見て感じた焼けるような恥かしさ、情なさ、自分にたいする気の毒なという感じを今におき僕は忘れられぬ。おちついた黒が全画面を支配していた。フロックとか燕尾服とかいうものの色で、それを縫ってカラーの白と顔面のピンク色とがぽつぽつと置いてあった。そして前景中央部に腰をまげたカアキー色の軍服型があり、襟の上の部分へぽつんとセピアが置いてあった。水彩で造作はわからなかったが、そのセピアがまわりの背の高い人種を見あげているところ、大人に囲まれた迷子かのようで、「何か言っとりますな」「こんなことを言っとるようですよ」「かわいもんですな」、そんな会話が――もっと上品な言葉で、手にとるように聞こえるようで僕は手で隠した。精神は別だ。ただそれは、スケッチにすぎなかったが描かれた精神だった。そこに僕自身がさらされていた。


 この後には「人種的同胞感覚」という言葉が記される。「僕は共産党が、天皇個人にたいする人種的同胞感覚をどこまで持っているかせつに知りたいと思う」と。

 
 これもたいへんに興味深いけれども、ここで考えてみたいのは、絵ハガキに描かれた精神、いや、その精神を見抜いた眼である。


 いったい、見るとはどういうことか。この絵ハガキがどんなものだったのか、僕は知らない。記憶にある昭和天皇の姿で、これにおそらく近いだろうと思われるのはマッカーサーと一緒に写ったそれであろうか。その写真に対して書かれた何かを見た記憶があるけれども、あまり覚えていない。ただ僕にはそういうものと見えただけだ。


 同じものを見ていても、感ずるところは違うだろう。しかし、同じものを見て、この人とひょっとすると近しい感覚を持ったかもしれない。そう思うことも確かに、ある。最近、僕は小林秀雄さんの『近代絵画』を読んでいて、小林さんがいたく感銘を受けたゴッホの絵を知った。そこからさかのぼって『ゴッホの手紙』に手をつけた。小林さんは「或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる」と記している。


 もしや、と思って調べてみた。おそらく間違いはない。「烏のいる麦畑」。小林さんが見た絵を、僕も見ていた。1997年秋に、新宿の美術館で僕はそれを確かに見た。覚えず泣きそうになった。そんな経験は、あとにもさきにもない。

 
 小林秀雄と同じ感覚だ、とえらぶりたいのではない。小林さんの惹きつけられかたと僕のそれとは同じであるはずはないのだから。けれど、その時自分を取り巻いていた感覚は思い出すことが出来る。

 
 ガンを患い、東京での入院生活に区切りをつけ、実家に帰る知人(友人、という言葉を使うのはおこがましい)を見送って、そう間がない頃にこの絵を見たのだ。


 彼の入院生活はがどの程度の期間であったか、もはや記憶にはない。数か月だったような気もするし、まる一年は経っていた気もする。学校は違っていたから、日常的に接していたわけではない。けれど同い年、同学年、バイト先ではよく一緒になった。缶コーヒーとマルボロをこよなく愛していた。いっぺんはカラオケに行こう、と話したこともあったような気もするが、それを果たせることはなかった。


 実家との関係はあまりうまく行っていなかったと聞いている。その彼が実家に戻らざるを得ない。何かの予感はあった。見送ったのは20人近くもいたろうか。僕は所在なく病院のロビーの長椅子の、隅の方に坐っていた。奴のほうから見つけてくれた。あたりさわりのないあいさつしか出来なかった。


 タクシーを見送った後、誰もが押し黙っていた。口にすることが、恐ろしかったから。耳にすることが、恐ろしかったから。少なくとも、僕はそうだった。


 漠然とした死の感覚に、当時の僕はとらわれていた。実際に奴が逝ったのは、年が明けてからであったのだけれど、見送り以来くすぶっていた何ものかが、ゴッホの絵を前にして、急に燃え上がったのかもしれない。そんなものはただの理屈の後付けなのかもしれない。けれど何であれ、やっぱり泣きそうになってしまったのは消せない事実である。

 
 ただごく普通の気持ちで絵を見ていたらこんなことにはならなかったのかもしれないが、既にそういうものとして体験してしまった以上、そうでないなにものかを仮定は出来ても、想像することは難しい。この絵は見る者誰にも何かを与えるのかもしれないし、見る者のなにほどかの状況に応じて多様な実りを与えるのかもしれない。ニワトリが先かタマゴが先か。

 
 既に自分にある何ものかが、作品を前にして己の内部から引きずり出されてくる。その何ものかは、作品との出会いとして一度は切り取られる。その瞬間が、変わらぬままということもあるだろうし、時を経て変化することもある。そんなふうに僕は今考えている。


 さて、ずいぶんと脱線してしまったけれども、一葉の絵ハガキから精神を読みとるというのは、やはりある程度のことがなくちゃあ出来ないことだと、僕には思われるのだ。絵ハガキがいつ頃出回ったものなのかは知らない。1921年に外遊した折のものだとすれば、大正末期か。その頃から「人種的同胞感覚」という言葉で自覚していたのかどうかは知らない。そうした生硬な表現よりも、「自分にたいする気の毒なという感じ」という言葉に惹かれる。「恥かしさ、情なさ」はまだ理解できそうだ。それが「自分にたいする気の毒な」というのはどういうことか。


 「人種的同胞感覚」という言葉にこだわらないほうが、よく事態をつかみ取ることが出来そうな気がする。相手が天皇であれ誰であれ、辱められるようなことはあってはならない、と考えているのだ。相手が誰であれ、「自分にたいする」ものと感じ取ることの出来る感覚。ただそれだけのことだ。

 
 そして、これから先も繰り返すことになるだろうけれども、この「ただそれだけのこと」の大切さは、この作品においてのみならず、それを読む現在においても強調されるべきものなのだ。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-17 21:38 | 批評系 | Comments(0)

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