中野重治「五勺の酒」について(その五)

 校長は、これは1946年11月3日の憲法公布を記念しての集まりだったのだろうか、ともかく天皇の出席する場に行ったのだった。「正味一分で、すべてが終わった」というその集まりよりも、「終ったとき始まったことが僕をおどろかした」。


 「まったく、まったく同じだった。例の暁天動員」と記される。字面から見て、おそらく戦時中に行われた早朝の軍事教練か何かであろう。中野重治の描写を味わおう。


 まったく、まったく同じだった。例の暁天動員。僕のほうは四時半の集合だったから、竹棒・木銃で市の八幡社へ集合、点呼その他型のごとく終って夜あけとなるのが常だったが、そこで終っていざというときの人波のうごきだし。生活のめいめいの方角へ走りだそうとする。他人にかまっていられぬせちがらいせかせかしたひしめき。自転車へ――弁当がゆわえてある――木銃をくくりつけるなり工場へ駆けだすもの。そのまま電車停留所、汽車の駅へむかうもの。ふうふういって家(うち)へ朝めしにかえるもの。それもはやくかきこんではやく出かけねばならぬ。折りしき、ホフク漸進、いまやったまんまのなりでそのことをすっかり忘れている。いい年でしかられたいまいましさなど思い出そうものなら、何をぜいたくなと、我と振りおとして急ぎだす調子。瞬間でやられるぎょっとするほどの精神のはやがわり。それと全く同じものがそこの広場にあった。散って行く十万人、その姿、足並み、連れとする会話、僕の耳のかぎり誰ひとり憲法のケンの字も口にしてはいなかった。


 なんともいえぬ描写であり、何度読んでもいいなあと思う部分のひとつだ。またしても中野重治のまなざしに参ってしまう。


 が、参ってばかりもいられない。たっぷりと味わうのはいいけれども、もんだいを進めてみなくちゃ読んだことにはなりゃしない。味わう自分を見つめながら書く。書きながら読む。


 「例の暁天動員」とある。「例の」というくらいだから、同時代の多くの人々にとっては自明のことだったろう。70年近くも経つとさすがに「例の」とまでは行かないが、それでもある程度の想像は出来る。「源氏物語は当時の人にとってはジャーナリズム小説でもあった」とは吉本さんの弁だが(講演「文学の戦後と現在」)、なるほど当時の世相を入れてはいても、それとして読めるというのはほんとうにこの作品に値打ちがある、生命力があるということなんだろうと思う。


 その生命力はどこにあるか。2012年にこれを読むもうじき40になる男がこれを読んで「いいなあ」と思う根拠がどこにあるか。


 何らかの強制力をもって集められる場。そこではそれなりに神妙にもし、指示どおりに動きもするだろう。だが、それが終わったとたん光景はがらりと変わる。「生活のめいめいの方角へ走りだそうとする。他人にかまっていられぬせちがらいせかせかしたひしめき」。国家権力なり権威なり町内会的なめんどうくささによって強制されたなにがしかの集まりの持つ、むなしさ。あるいは、そこに乗り切れない人々のすがた。さらに言えば、そうした場には乗るけれども「生活のめいめいの方角」はけっして手放さない人々のしたたかさ。

 
 この描写を、「憲法に何の感慨も持っていない愚かな民衆」の姿として読む。それはおそらく無難でまっとうな読み方だろう。けれど同時に、「生活のめいめいの方角」は見失わないしたたかさをも読みとることが出来ないか。衆愚を高所から断ずるというようにももちろん読めるのだけれども、僕はどうしてもそう思き切れない。ほかならぬ、坐りだこへのまなざしが僕の思い込みの根拠だ。


 きっと、どっちも判っているのだ。痛いほど判っているのだ。この後に続く言葉を借りるなら「中味を詰めこむべき、ぎゅうぎゅう詰めてタガをはじけさして行くべき憲法、そこへからだごと詰めこんで行こうとて泣きたい気になったもの」がいくらもいなかったこと、そのことと人々のしたたかさとは同居するのだということ。どちらかかたっぽだけを正しいとすれば話はかんたんだ。なにもさびしくなることなどない。このふたつの同居が、そしてそれが判ることじたいが、さびしさの根源だ。

 
 さびしさの肯定、という言葉がふと脳裏をよぎる。いや、結論めいたことはまだ早い。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-10 21:09 | 批評系 | Comments(0)

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