中野重治「五勺の酒」について(その四)

 校長の話は、いよいよ当時の共産党(この時ならおそらくはわざわざ「日本」とつけぬほうがしっくりいったろう)、またその影響についての話に移っていく。とっかかりは自分の学校にできた青年共産同盟であり、学生自治会を巡っての教師と生徒の攻防が話題となる。


 「頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争ちゅう頭がわるかった。それがよくなってきた」、そのきっかけは「天皇制議論」であったという。自治会をつくろうとする生徒、反発する教師。「腹を立てたのが教師側だったこと、腹を立てなかったのが生徒側だった新しい事実」に校長は気づく。


 この中学生とほぼ同世代であろう方々のお話を、そうたくさんではないが聞いたことがある。おそらくそれは後にも先にもない、貴重な体験であっただろう。そのことを十分に自覚されてもいたようだ。それがいいのか悪いのか知らない。それよりも気になるのは次のような述懐である。

 
 ただ僕はこんなことではじまった生徒の活動が、その後停滞してきたように見えるのが気になるのだ。停滞してるように僕に見える。生徒たちが、賢くなりかけたまま中途半端な形になってきたというのが僕の気のもめる観察だ。僕は圧迫ということも考えてみた。適度に圧迫することでかえって彼らが伸びるだろう。むろん僕は、あまりに教師・校長くさいのに気づいて苦笑したがやっと原因がわかってきた。とかく共産党がわるいのだ。先きへ先きへと指導せぬのがわるい。


 1947年1月に発表されているこの作品が、具体的にいつ頃からいつ頃にかけて書かれたのかは研究者があかしてくれればよいことだ。ここでは、1945年8月15日からの約1年半のあいだに、発展と停滞がすでにあったということ、それはおそらく今の僕たちが想像する以上に当時の人には日々の多様な実感としてあったであろうこと、そしておそらく何十年後かの人々が2011年からの1年なり2年なりを振り返った時、げんざい日々紡がれている言葉の多様性に驚くであろうと想像しうること。この程度でひとまずはじゅうぶんだ。


 「とかく共産党がわるいのだ。先きへ先きへと指導せぬのがわるい」。この二律背反ともいえる感情は、冒頭に語られた「さびしさ」――新人会から拒絶されたさびしさであり、いまや酒に向かわせるさびしさとあいまってとらえられるべきものだ。他ならぬ中野重治がなぜこのさびしさを書き得たか、いや、書かざるを得なかったのか。


 すぐさま問いを現代に移し替えようとするはやる気持ちを抑えながら、じっくりと、頁を見つめている。
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by todoroki-tetsu | 2012-10-09 20:47 | 批評系 | Comments(0)

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